野田・福島の戦いー近江騒乱ー

 摂津国、野田と福島に三好勢が砦を築いたとの知らせが入ったのは元亀元年7月のことである。秀隆の献策で敢えてすぐに城攻めはせず、本願寺、延暦寺らの勢力をそぐ策を実行する。

 将軍家を動かし、宗教勢力への牽制を行うことと、寺門領の返還などの飴をちらつかせた。矢銭要求などの強硬な策も取っていない。実際問題として秀隆が張り巡らせた商業網で上がる利益があれば、彼らを敵に回してまで資金を調達する必要がなかったのである。半ば嫌がらせであるが、干し椎茸の値上げは地味に響いていたようである。

 逆に織田に味方する寺社には扶持米や銭の援助を行い、寺子屋と孤児院を作ってその運営を寺社に任せることにより、自然と尊敬を集め寄進も進む。寺子屋はのちの織田の人材発掘所となり、後日ここから織田の未来を担う人材が巣立つのであった。

 三好勢1万に対し信長は3万を率いる。河川が入り組んだ地勢のため、対岸に砦を築き対陣の構えを見せた。そして土地の百姓や漁民を呼び出して天候について確認し、筏や小舟を集めさせていた。

 海を渡り四国から三好党の援兵が到着する。信長のもとにも大和から松永弾正が到着し、敵の砦に向け射撃を加える。

 破局は訪れた。石山本願寺の陣鐘が激しく打ち鳴らされ、門徒兵が集結しだす。そのまま小舟で川を渡り、信長の築いた四天王寺砦へ攻撃を加えてくる。だが、それを予期していた信長は落ち着いて迎撃を命じた。そして、物資を砦内部に作っておいた高床式の倉庫に運び込み、小舟や筏を持ち出した。

 その次の晩、折からの西風が強く吹き、大潮の海水を巻き上げた。大波が川を逆流し地を覆う。あらかじめ高所に陣を移した織田軍への被害は軽微だったが、三好党は物資にかなりの損害が出た。弾薬を高所に撃ちしていた織田軍の射撃は衰えず、三好、本願寺にかなりの損害を与えた。

 だがここで急報が入る。横山城が包囲されていること。朝倉が兵を出し、若狭街道を南下して京を突こうとしていること。

 信長は東の空に目を向け、しばし瞑目した後天満が森まで兵を下げることを命じた。


 一方そのころ、南近江に頻発する一揆で交通は寸断されていた。長光寺では柴田が見事な勝利を収めたので、権六には守りを命じる。

 西美濃衆の取りまとめを先年より織田信広がしており、大垣より信広率いる3000が横山城の後詰めに向かった。

 尾張は信行が南半分を、北半分は信清が取りまとめをしており、北伊勢の兵とあわせ長島願正寺の警戒を行っていた。

 最前線の小木江を守るは織田信興。秀隆のすぐ下の弟である。小木江の城は、秀隆による魔改造を施され、見た目は木造の砦であるが、木の塀を一枚はがすとそこには白壁の城壁がある。石垣は上に土壁が塗られ、これも見た目ではわからなくなっている。多数の鉄砲弾薬が備蓄され、知多半島の海賊衆の支援も受けられる難攻不落の要塞となっていた。

 さて、秀隆は宇佐山に急行していた。森三左衛門が守るこの城も、延暦寺を監視する重要拠点であるがゆえに秀隆の手が入っていた。

 途中、弟の信治の手勢を吸収し、宇佐山の城兵と合わせて5000ほどとなる。そして、街道を封鎖し、塹壕と土塁で陣地を構築する。秀隆の経済力でここに集められた鉄砲は約1000。そこにのこのこと朝倉勢がやってくる。

 一斉射撃の轟音の後、100を数える兵が倒れ伏していた。比較的狭隘な地形を選び、戦闘正面を絞り込む。そこに十字砲火を浴びせたのだからたまらない。だが義景は秀隆の鉄砲の数を過少に評価し、次弾の装填までに切り破れと突撃を命じる。だがそこに第二射が降り注ぎ、前列を入れ替えながら間断ない射撃が朝倉勢をなぎ倒してゆく。慌てて鉄盾や竹束を持ち出し、前衛の守りを固めたところで、猛将森三左衛門率いる兵が朝倉勢の横腹を食い破った。

 朝倉勢は800ほどの戦死者を出し、いったん後退する。そして、その夜朝倉の陣から火矢が上がった。

 秀隆はそれを見て一度撤退を命じる。信治の手勢を宇佐山に入れ、三左衛門とともに城の前で陣を張る。東から朝倉の1万、西からは延暦寺の8000、秀隆の手勢は窮地に陥った。


 秀隆は延暦寺の兵が来る前に宇佐山の西に陣屋を築く。簡単な堀切と柵を連ね、屋根のある建屋も整備されていた。黒鋤衆の面目躍如である。陣屋に気付いた延暦寺の僧兵が包囲し始める。油断しており、盾も何もない状態で近寄ってくる。そこにすさまじいまでの銃撃が浴びせられバタバタと僧兵が倒れ伏す。

 秀隆が采を振るい、坂井が兵を率いて突撃する。機先を制された僧兵たちは抵抗の暇もなく切り伏せられる。建屋の屋根に上った狙撃兵が、指揮を執る将校を狙い撃ちにしていったため、組織立っての抵抗ができない。あっという間に士気が崩壊し潰走した。

 一方宇佐山城だが、こちらには秀隆の命により大筒が運び込まれている。城壁上からいっせいに10門が火を噴いた。巨大な弾丸が空気を切り裂いて飛来し、着弾点で10を超える兵が挽き潰される。何があったかわからない攻撃に朝倉勢は恐慌状態に陥る。再び大筒が火を噴き、兵が密集している地点に着弾した。この一弾が偶然にも義景のすぐわきに落ち、兵の血肉を浴びた義景は悲鳴を上げて逃げ出す。総大将が真っ先に逃げるという戦国武将にあるまじきふるまいに、朝倉の武名は地に落ちた。

 朝倉は若狭まで撤兵を決め、近江から退いた。延暦寺も織田の火力への備えがなく、被害が大きくなるとして一度退却した。

 一方横山城は2000の木下勢に、浅井久政率いる5000が迫る。だがある程度名の通った者は佐和山の長政のもとに寝返り、兵の頭数はいるが指揮する侍が少ない。ここで勝利をつかみ取れば久政の声望は上がり、日和見の地侍も参陣してくる可能性が高まる。

 横山城を取り巻いた浅井勢はじわじわと士寄りを進め、徐々に包囲を狭める。派手さはないが着実にこちらの戦力を削る動きに出ており、正攻法だけに付け入る隙が少なかった。

「半兵衛殿、なんか知恵はござらぬか?」

「ふむ、私のような若輩者でなくとも、小六殿はもっと良い知恵を出してくれましょう」

「ほう、小六殿、なんかいい手はあるかのう?」

「うむ、夜討ちじゃ」

「なんじゃ、いつもの手ではないか」

「如何様。有効であるが故ですよ。藤吉郎様」

「ほええ、そんなもんか」

「小六殿、大炊介を物見に出してござるか?」

「おうよ。あやつは物見の達人故な」

「なれば、搦手より兵を出して山中に伏せ、敵の中軍を突くが良いかと思いますが」

「うむ、将右衛門があちらの山中に伏せておる」

「藤吉郎殿。手はずはすでに。小六殿の手並み見事にて、私の出る幕はありませぬな」

 褒められた小六はまんざらでもなく頭を搔く。だが、この軍議の前に半兵衛との会話を思い出し、どうも遠回しに知恵を授けられていたことに気付く。だがこの若者の計り知れぬ才に、嫉妬の念すら抱くことができず、ただ適わぬなと苦笑いを浮かべるのだった。

 藤吉郎はわかったようなわからぬような複雑な表情をしていたが、小六の献策と布陣を軍功帖に記していた。そして小六と二人になったころ合いで、藤吉郎が普段に似合わぬ厳しい顔で声をかけてくる。

「小六殿。今回は半兵衛に手柄を譲られてやってくだされ。それでの、半兵衛殿が本気で策をめぐらしてきた時は、儂も含め全部あ奴に任せてやってもらえんかね?」

「藤吉郎、お前気づいて…」

「小六殿とはもう10年以上の付き合い故な。大体のことはわかるでよ」

「おのしゃあ、半兵衛殿にも負けぬ大器の持ち主じゃ。秀隆様が目にかけるのはそういうとこじゃ」

「おいおい、お世辞はいらぬでよ。百姓の息子が城代とか出世しすぎにもほどがあろう」

「はっはっは、秀隆様が言うておったがな。おぬしはいつか天下を取るかもしれんのだと」

「はあ? わしが天下じゃと?」

「うむ、めぐりあわせによってはというておったが、信長様とは別の形の天下の器じゃと」

「いやいやいや。それはおだてすぎじゃ。儂は寧々とゆったりくらせりゃそれでええ。そんでな、日吉が大人になって、嫁をとって、孫の顔がみれりゃあそれでいいんじゃ」

「ふはははは、それにはまずこの戦を生き延びんとな」

「おう、そういや戦の最中であったのう」

 そこに小一郎が現れた。

「兄者、信広様が後ろ巻きに来てくださっておるそうじゃ。後一晩持ちこたえればわれらの勝ちじゃ」

「おお、それはいい知らせじゃ。して、小六殿」

「おう?」

「夜討ちは手はず通りにお頼み申す」

「援軍がくるのじゃろ?」

「まあ、物事には手違いというものがある。明日来るはずが明後日とかよくある話じゃ」

「ふむ。期待が外れたときの士気低下を恐れておるか」

「そういうこっちゃ」

「お主もいっぱしの将領だのう。さすが我らが大将じゃ」

「だから小六殿、おだてたらあかんと」

「わはははははは」

 呵々大笑する小六と、話についてゆけずキョトンとする小一郎。

 その晩の夜襲は見事成功し、浅井の囲みは解かれた。翌朝信広の援軍が到着するが、そこには死体の片づけをする木下勢の姿があった。

「おお、信広様。援軍ありがたく」

「藤吉郎、敵は撃退したのか」

「はい、小六殿が勲功第一ですわ」

「そうか、してこれからどうする」

「なれば小一郎を名代としまして、この地の守りをお願いできますでしょうか?」

「それはいいが、おぬしはどうするのじゃ?」

「摂津の地で釘付けになっている信長様の後ろ巻きに向かいます」

「ほう? 委細承知した。用意ができたら出立するがよい」

「はは!」


 摂津から始まった騒乱は近江全域を巻き込んだ。宇佐山、坂本はなんとか秀隆が守り抜いた。北近江の戦線も藤吉郎の奮戦で維持できた。だが、頻発する一揆や国衆の反乱に南近江の交通は寸断され、岐阜の守りも危険である。

 藤吉郎は、鎌刃の丹羽五郎左とともに、南近江の一揆勢の討伐をするため出撃した。

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