血戦姉川と甕割柴田
永禄13年改め元亀元年5月。近江在番の木下藤吉郎は竹中半兵衛を麾下に加え、調略により堀秀村を寝返らせた。浅井家の内紛に土豪たちは混乱と動揺をきたしており、美濃国境の砦群はこれにより後方を遮断され自落する。
長比城に入った信長は兵を進め虎御前山に本陣を置いた。江北の平野部が見渡せる要地で、信長は麾下の将士に命じ小谷城下を焼き払わせる。
だが浅井は朝倉の援軍が来るまで出撃する気はなく、信長は戦線を下げ、横山城を包囲した。
朝倉は一族の景鏡を対象に、真柄衆といった剛勇の士を先頭に姉川河畔に陣取る。織田軍15000、徳川5000、浅井は6000、朝倉は8000.兵力は織田・徳川連合が多いが、城などの地の利は浅井にある。しかし、総大将は浅井久政で、こちらの軍事的実績は皆無に等しい。そもそも、長政を幽閉したはずが逃げられるとの失態を犯しており、浅井の将士の士気は低かった。
秀隆は横山城の包囲には加わらず、後ろ備えとして信長の親衛隊のさらに後方に位置している。これは秀隆があえて志願した布陣である。
そして、自陣には長政を迎えていた。
「おう、備前殿。此度はつらい立場であろうが、力を貸していただきたい」
「いや、戦う場を与えていただいて感謝いたします。して、私は何をすれば?」
「片っ端から寝返らせてくだされ。先陣は磯野員昌らしいです」
「ふむ、騎馬武者の突貫を防げれば勝機はあり申す」
「では、南蛮の戦術を試してみましょうか」
「それはどのような?」
「槍衾の密集体形をもって騎馬を迎え撃ちます。ファランクスという」
「これは…何とも見事な」
「して、相手が仕掛けてくるならばどのように?」
「磯野ならばおそらく夜襲をかけてきましょう。この季節は伊吹山からの吹きおろしの風が強くなるゆえ、風に紛れて接近しやすい」
「ふむ、半兵衛殿と同意見ですな。なれば迎え撃ちやすい」
「夜襲を予測しておられたか」
「ふふふ、確信は持てなんだが、備前殿のお言葉で何とかなりそうですよ」
夜半、小谷よりひそかに出撃した兵は姉川を渡り、横山を包囲する織田軍の背後に近づいていた。
采が振られ磯野勢の先鋒がドドドと蹄を踏み鳴らし突撃を始める。
織田軍の反応は劇的だった。長槍を構えた兵が密集し、突き出された槍先で馬がの足がとまる。そこに容赦のない銃撃が降り注いだ。頃合いを見て朝倉の兵も押し寄せる。だが暗闇で味方の動きは鈍く、秀孝の手勢は磯野勢の攻勢を一身に耐える。手勢を素早くまとめた木下勢より援護が加わり、磯野の兵は攻勢限界に近づきつつあった。そこに仙谷権兵衛が半兵衛の采の元突入し、磯野勢の先手大将を討ち取った。
撤退に転じる浅井の兵に熾烈な追撃がかけられる。潰走しつつある兵の流れに巻き込まれ、朝倉勢の陣形が混乱する。徳川軍、榊原隊がその機を逃さず攻勢をかけた。
徳川の横槍で崩れた朝倉勢も潰走を始める。殿軍で踏みとどまっていた真柄衆を本多平八郎の隊が撃破し、真柄衆はほぼ全滅した。
そして崩壊する浅井勢にとどめを刺したのは、秀孝の計略であった。
「浅井の兵よ、降伏すればこちらで迎えるぞ。我は備前守長政なり!」
長政の降伏勧告が呼び掛けられる。しかもあざとくその時は弓鉄砲の発射を控えさせた。
「今は我が頼み込み追撃を押さえておる。もはや織田の勝ちは揺るがぬ。我は弾正忠殿の義弟である。とりなしは我が首にかけて行うぞ!」
この時代の侍は忠義によって滅ぶよりも、主を変えてでも生き残ることを優先していた。武士道とは…のくだりは江戸時代に入ってからの話である。
まず真っ先に佐和山城主磯野が降ってきた。同じく遠藤喜右衛門や長政の実弟正之と正澄が降ってくる。また戦況を見ていた横山城も開城した。
磯野は所領の高島郡を安堵されそちらに戻ることとなり、佐和山には長政が入れられた。そして横山城は藤吉郎に預けられることとなった。
この二人の調略で浅井の内部崩壊を図るのが目的である。浅井は江北の南半分を失い、さらに湖北地方も磯野の降伏により失った。清水山城に磯野が入り、琵琶湖の制海権は織田の手に落ちている。
小谷城は難攻不落の要害であり、力攻めで失敗すると被害が大きくなる。信長はいったん兵を退くことを決めた。
姉川の戦いは織田の勝利に終わった。それにより近江の土豪や国衆の動揺は収まりつつあったが、伊賀より兵を率いて出張ってきた六角丞貞が長光寺を囲んだ。
半ば奇襲であったが、柴田権六の勇戦で数度の攻勢を退けていた。だがおり悪く水の手を断たれ兵糧の備蓄も乏しくなる。そして三の丸、二の丸と落とされ、本丸を残すのみとなり果てていた。
最後の抵抗で損害を多く出してはかなわんと、六角方から使者が赴く。
「貴公は良く戦われた。開城されよ」
「ふ、まだまだ戦えるわ。見くびるでない!」
柴田の大喝に使者はおののく。
「なれば手水を頂戴したい。折からの酷暑で手と顔を清めたく存ずる」
「よかろう。手水を持て」
近侍の者が甕になみなみと水を注いで持ってくる。使者が手を洗い、顔を洗った後、城兵は甕を引き倒して水を捨てた。
使者が戻るときも馬場では桶から馬に水をかけて洗っている。使者は城内の水と物資は豊富であると報告した。まだ包囲が必要であると六角方は判断し、すぐに打って出ることはないと油断した。
一方権六は残された水をすべての兵に分け与え、今日の晩に打って出て敵を追い散らすか、全滅かの乾坤一擲の賭けに出ることを伝えた。兵は奮い立ち、意気上がる。
もはや生きて帰ることはないと権六の決意を示すため、水が入っていた大甕を叩き割る。
夜半、物見が六角の手勢はほぼ寝入っていることを聞きつけ、権六の顔に笑みが浮かぶ。
「かかれ!かかれ!かかれええええええええいい!」
大音声で叫びつつ先頭に立って斬りこむ。六角軍は奇襲に崩れたち、先を争って逃げ惑う。制圧された城内から敵兵を叩きだし、そのまま大手門より打って出て逆落としに襲い掛かる。
鬼柴田、かかれ柴田の名に恥じぬ勇猛な攻勢に敵は四分五裂の有様となった。山のふもとまで追い散らしたあたりで、火花が散って銃声が上がる。そして断末魔を上げ六角の兵が倒れ伏す。
「権六殿、此度の働きまことに見事!」
「これは喜六郎様、加勢まことにありがたく」
「権六殿が見事な采で敵を追い落としてくれましたからな。実に楽な戦でござった。そうそう、そこの荷駄に甕一杯に水をもってきてありますぞ」
権六と秀隆は大笑いした。夜明けの光が差し、戦場には兵の死体が累々と横たわる。それでも権六は絶体絶命の死地から命を拾った。
これより権六に新たなあだ名が加わる。甕割柴田の武名は織田の誇りであると信長に激賞されたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます