金ヶ崎の陣

 永禄13年、3月。小谷山城は侃々諤々の議論のうちにあった。織田家の使者木下小一郎の口上に、先代の下野守久政が激怒した。

「浅井家中にお頼み申し上げる。公方様のご意向に従い上洛の命に従わぬ朝倉を討伐いたす。その戦につき、御助勢を賜りたく」

「何をこの成り上がりものが! 当家は朝倉家に一方ならぬ恩を被っておる。それを忘れよと申しておるか?」

「失礼ながら、わたくしはご当主にお聞きしております」

「何を!? 無礼な、この者を斬り捨てよ!」

「御先代様、なりませぬ。織田の兵力に当家では太刀打ちできませぬぞ?!」

「何を弱気な。尾張の弱兵ごとき当家の敵に非ず。野良田の戦を思い出せ!」

 場は騒然とし、議論はまとまる気配すらなかった。

「これはわが主、織田弾正忠様のご書状にござる。北国街道を上り、当家の軍に合流召されるよう」

 小一郎は敢えて無礼な物言いをした。主からの指示であるが、やや生きた心地がしなかったとはのちに述解している。

 小一郎は別室に通されたが、周囲を滝川の忍びが護衛しているとしてもいつ襲撃されるかわからない。じりじりとした時が過ぎ、改めて城主の居室に呼ばれる。

「おお、小一郎殿。先ほどはみっともないものを見せた。儂は織田殿に従うこととしたぞ」

「おお、ありがたきお言葉にござる。先ほどのご無礼な物言い、平にご容赦を」

「よい、おそらくだが秀隆どのあたりに言いきかせられたのであろう?」

「お見通しでしたか」

「正直に言おう、儂は父から家督を奪ったが、そのあと城に父を残してしまった。いっそだがな、どこか寺にでも押し込めればよかったと思うておるよ。わずかな悪評を恐れたことが今になって悔やまれる」

「それは…」

「ああ、すまぬ、ただの繰り言故忘れられよ。義兄上にはよろしくお伝えくだされ」

「はは。明日未明には立つ予定で御座る」

「うむ、よろしく頼む」


 小一郎は城下にとった宿へ戻った。翌朝、出立の支度をしている小一郎のもとに長政からの使いが現れる。

「先日の新年のご挨拶の際に、義母様へのあいさつを欠いていた。わが娘を名代として差し向ける故、介添えを頼みたい。との仰せで御座います」

「は、しかと引き受け申す」

 何となく予感はしていた。長政は浅井家ではなく、自分はと言った。割れた家中をまとめるには時間がないことに気付いているのか、最悪の場合、我が子だけでも逃がそうという試みのようだ。

 小一郎は自身のカンに従い、半兵衛を訪ねることとした。実は秀隆はそこまで見越して護衛に重矩を付けていたのであるが。

「半兵衛殿、御久しゅうござる」

「小一郎殿。織田殿は越前を攻めなさるか」

「どこでそれを?」

「たまにですが、秀隆様の使いの方がいらっしゃり、諸国の噂話を話してくださるのですよ」

「左様ですか。して、実は知恵を拝借したいと」

「ふむ、ここから美濃へ抜ける間道でよろしいか?」

「は、女子供を引き連れており申す」

「なれば、樋口殿に輿をお借りするがよろしかろう。重矩、人数はどれほど引き連れておる?」

「兄上。儂率いる50です」

「なれば…」

 小一郎一行は半兵衛の勧めに従い、関ヶ原付近の間道を抜けた。先ぶれの騎馬武者は大垣より走らせており、行きよりも時間はかかったが何とか岐阜にたどり着いた。

「小一郎、して義弟はなんと申しておった」

「は、長政様は織田の大殿に従うと」

「長政は、そう言うておったか」

「は、あと、茶々姫と初姫をご挨拶にと。長政様の名代として差し向けるとのお話です」

「おう、聞いておる。尾張より母を呼んだ。しばらく孫の世話でもしてもらおうぞ」

「一つ疑念はある。だがもはやことは動いておる。なれば乾坤一擲、勝負しかあるまい」

「はは!」


 3月下旬、信長は陣触れを出し岐阜を出立した。4月初めに京に到着する。そして若狭の武藤氏討伐を名目として軍を起こした。

 先鋒は木下藤吉郎。参加した将士は柴田、明智、池田、松永と徳川の援軍1000あまり。総勢三万で京を出立し、若狭街道を北上した。

 国吉城の粟屋越中は6度あまり朝倉の攻勢をはねのけていたが、徐々に勢力を削られている。そこに、木下勢2300が到着した。それを見た武藤の軍は逃散し、後ほど降伏を申し出てくる。

 国吉城に集結した織田軍は一路北上し、近江と越前の国境の城である手筒山を取り巻いた。

 手筒山には朝倉の精鋭が集結しており、頑強に抵抗する。六尺余りの大男が鉄棒を振り回し、前衛を突き崩され敗走した。だが、伏せていた鉄砲隊の射撃により彼らは討ち取られ、今度は織田勢の逆撃が始まる。大手門には鉄砲が撃ち込まれ、火矢が飛び込む。そして敵の耳目をひきつけて、搦手の湿地帯から木下勢が切り込んだ。この攻撃で一番槍を飾ったのは、美濃国衆仙谷権兵衛であった。彼は城壁を乗り越え内部に飛び込むと一気に敵兵を切り伏せ、門を開いた。

 これにより手筒山は落ち、金ケ崎に籠っていた朝倉景亘は城を明け渡して退く。その先で朝倉が街道を固めているが、迎撃に出てくる気配がない。

「秀隆、これはしでかしたか?」

「浅井の動きが怪しすぎますな」

「なれば、金ケ崎に殿軍を残して退くか。北国街道を押さえられたら、若狭街道は細い、袋の鼠となりかねぬ」

「左様ですな。思った以上に越前衆は精強にござる。わずかな手柄を惜しんで命を失っては本末転倒です」

「うむ、浅井の動向がわかり次第退くぞ」

「承知!」


 その晩、信長の陣を訪ねてきた武者がいた。陣借りものかと番兵が追い返そうとし、そこに秀隆が通りかかる。

「いかがした?」

「は、こちらの者がお殿様に会わせろと」

「ほう…って備前殿!?」

「おお、その声は秀隆殿か。義兄上にお引き合わせ願いたい」

「こちらです、お急ぎください」

 後には呆然とした番兵が残された。後日彼はこの戦より生還し、番兵としての任を実直に勤めたと、加増されたという。

「おお、義弟殿、どうなされた」

「義兄上、申し訳ない。浅井は義兄上の敵に回ってしまった」

「どういうことじゃ?」

「父を寺に押し込めようとしたが、逆に儂が押し込まれ、お市一人ともなって逃げるので精一杯の有様にござる」

 長政に付き従っていた総面の兵が面頬を外す。

「おお、お市。無事であったか」

「はい、兄上に乗馬を教わっておいてよかったですわ」

「お前は昔からお転婆だったからのう…っていまはその話をしている暇はない」

「兄上、諸将を呼び集めます」

「頼む」


 夜半に呼び集められた諸将は、浅井の動きに不気味なものを感じ取っていた者もおり、陣幕には不穏な空気が漂っていた。

「ほかでもない、浅井が裏切った」

「「「な、なんだってー!」」」

「織田の歴々の皆様、誠に申し訳ない仕儀となり、この長政お詫び申す」

「「「備前守様!!」」」

「三河殿は苦しからず、先に逃げ候らえ」

「承知、三河に戻り、援軍を編成して戻りまする」

「頼み申す」

「松永、朽木に先行し、元綱を説得せよ。退路を確保するのじゃ」

「委細承知、秀隆殿との友情にかけて!」

「お、おう」

「池田勝正、殿軍を率いよ。木下、明智はそれを助けよ」

「はは!」

「義兄上、儂も殿軍に加えてくだされ」

「死ぬなよ?」

「御意!」

「藤吉郎、長政をお主の隊に預ける」

「は、ははー!」

「では皆の者、京で会おう!」

 そう言い残して信長は馬にまたがり土煙を残して走り去った。

 後に柴田、丹羽らの諸将が続く。信長馬廻は矢玉と食料を街道沿いに備蓄するため先行した。木下勢は金ヶ崎城に入り、敵の攻撃をひきつける。最も兵力の多い池田勢は若狭街道の入り口で野陣を張る。

 金ヶ崎城が取り巻かれた。そこには永禄銭の旌旗がたなびき、信長が立て籠もっているように見せる。明智勢は南下し、北国街道を見張る。

 半日ほどの攻防で、矢玉を撃ち尽くした木下勢が決死の突撃で朝倉の攻囲を突き破る。

「よいか、まん丸になりて敵中を進むのじゃ。はぐれたら命はない、だがここで帰り着けば大殿は褒美をたくさん下さるぞ。我らは一本の槍じゃ、皆一斉に突きかかるぞ。よいか、わかったなら鬨を上げよ!」

「おおおお!!」

 藤吉郎の激に兵が沸き立つ。そして城門を開いて一気呵成に突撃する。先鋒にはかの仙谷権兵衛が立ち、下り坂の勢いで一気に突破した。池田の陣に合流し、食い止める間に木下勢は次の陣を張る。

 池田勢が退いてきた後で、敵兵の攻勢を支える。頃合いを見て後退する。

 そうしているうちに明智勢が合流し、鉄砲隊の援護射撃でさらに敵は損害を出した。

 敵は統率が取れず、攻撃も散発的であった。本来合流する浅井の兵が先陣に立つとの意識があり、腰が引けていたようである。

 だがこの時、あらかじめ備えていた秀隆の仕込みにより、南近江と美濃から牽制の兵を出していた。それを見た浅井の兵は小谷山に引き上げていたのである。

 結局殿軍は統率のとれた駆け引きで追撃を跳ね返し、大きな被害を出すことなく朽木谷を通って京にたどり着いた。しかし、これは信長上洛後に初めての敗戦となり、南近江を中心に土豪、国衆が動揺する。

 しばらく京にとどまった信長は、反乱を起こした国衆を攻め、引き締めを図る。

 京から近江、美濃に至るまでの街道に諸将を配置し、連絡を確保する。守山に木下藤吉郎。観音寺に佐久間信盛。長光寺に柴田権六。宇佐山に森三左衛門。京には勝竜寺に明智十兵衛を在番させた。

 岐阜に戻った信長は兵力を再編成し、徳川軍5000の到着を待って岐阜を出立する。

 国境を越え進軍するが、浅井方は兵力を小谷にほぼ集約しており、横山城に2000ほどが立て籠もっている。稲葉ほか美濃衆の兵で取り巻かせ、さらに進軍し、小谷城下に迫る。信長は姉川河畔に陣を敷いた。

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