末森の始末と浮野の戦いー尾張統一ー
信勝は末森をそのまま安堵された。柴田、林らの重職もつけられたままである。林は那古野城代の任をそのまま留め置かれ、信勝の力は全く削がれなかったかに見えた。これを信勝は兄の油断と思い込み、津々木蔵人と密談を重ねる。しかし、林、柴田の両名はすでに信長に降参しており、これまでの義理もあって信勝に諫言をするが、信勝は聞き入れようとしなかった。
「喜六郎、勘十郎の様子はどうじゃ?」
「津々木蔵人の甘言にしか耳を傾けていない様子ですね」
「林も柴田も寝返っておるのに、哀れじゃのう」
「ああ、ただ弾正忠の名乗りはやめたようですぞ。武蔵守を名乗り始めました」
「ああ、聞き及んでおる。まあ、ふりであろうなあ」
「でしょうなあ…」
「おぬし、勘十郎を説き伏せることができるか?」
「ふむ、やっては見ますが。あ、そうだ、犬殿と一益殿をお借りできますか?」
「いいだろう。やってみよ」
近江から流れてきた滝川一益は荒子前田家と縁を結んでおり、犬こと前田犬千代は信長の小姓衆の中でも抜群の武勇を示していた。その二人と、護衛の兵10ほどを率いて、喜六郎は末森を訪ねた。
控えの間に通されるとほどなくしてふすまが開く。そこには母の土田御前が笑顔を浮かべて出迎えてくれた。
「おやおや、喜六郎殿。健やかなる様で何よりです」
「はっ、母上もご健勝にて、お喜び申し上げます」
「堅苦しいのはこれくらいにしましょう。勘十郎殿もそろそろ参られますよ」
「はい、兄上に会うのも久しぶりです。三十郎や源吾らは息災ですか?」
「ええ、皆元気にやっておりますよ。信光殿は残念でしたが…」
その時、どかどかと足音を響かせ、この城の主が現れた。
表情はにこやかだが目は笑っていない。喜六郎を信長の手先とみなし、自らの動向を探りに来たと考えているのだろう。実際その通りだが、それを悟らせるあたり、勘十郎の余裕のなさを物語っていた。
「勘十郎兄上、ご機嫌いかがですか?」
「うむ、息災にやっておる。兄上はいかがか?」
「それが、このところの戦続きで疲れがたまったか、床に臥すことが多くなっております」
「なんと!? 薬師はいかがしておる?」
「はい、滋養のあるものを食してゆっくりとされよと。おかげで政務が私のところにも回ってきており、なかなか…」
「そうか、兄上の助けになるならば何でも致すとお伝えくだされよ」
「おお、ありがたきお言葉。この乱世、兄弟手を取り合って生きてゆかねばなりませぬ。わたしはどちらの兄とも戦いたくはありませんからな。よろしく、よろしくお頼み申す」
喜六郎は目に涙を浮かべつつ勘十郎の手を伏し拝んだ。その光景を目にした土田御前も目元を覆う。そこには策謀も何もなく、ただ肉親の情に訴えかける姿のみがあった。裏表のない訴えに勘十郎はひどく心を揺さぶられたのである。
しばらくして喜六郎は末森を辞去した。見送りに出てきた勘十郎は彼の背を見つめつつ、つぶやいていた。
「兄弟仲良く…か」
津々木蔵人は歯噛みをしていた。喜六郎の共についていたのは元々勘十郎の勢力下にいた前田家の息子である。また、前田家と縁を結び、蟹江城代に任じられた新参の滝川左近であった。
かの地は伊勢との国境に近く、長島願正寺の勢力圏にも近い。しかし、熱田と津島の中間であり、交易の理を受けられ、財力のある土地柄でもある。
蔵人はそこまで考えてはいなかったが、勘十郎から削られた戦力が信長の勢力に取り込まれており、その勢力が大きく増していることを見せつけられたと考えたのである。
勘十郎にそのことを告げたが、今日に限って生返事で自分の言葉が届いていないように感じた。喜六郎殿に何か吹き込まれたかと警護の兵に話を聞いたが、御兄弟仲良く歓談されていたとしか言わない。どうしたものかと考える。
その日を境に勘十郎は柴田修理と話をすることが増えていった。逆に蔵人は遠ざけられ、ついにある日を境に出奔し、犬山へ駆け込んだ。だが犬山の信清はすでに信長と盟を結んでおり、蔵人を捕らえ信長に突き出したのであった。
蔵人は改めて追放され、その後の消息は不明である。勘十郎は自ら名を変え、津田武蔵守信行と名を変えた。末森の城は柴田修理が城代となり、信勝改め信行は勝幡の城に入る。そして、岩倉織田家との先鋒に立つこととなった。織田大和守はこの人事を見て、勘十郎を使いつぶすつもりと考える。今までの経緯もあり、信長を裏切る可能性が高いと調略の手を伸ばすのであった。
兄弟の相克が解決してから半年。その間に美濃斎藤家は幕府より相伴衆に任ぜられ、一色の姓を与えられた。官位も左京太夫に補任されている。その権威をもって尾張北部に勢力を張るべく、岩倉織田家への支援を行っていた。
犬山は信長と盟を結んでおりなびかない。よって鵜沼、猿食から兵を出して犬山を牽制する。そして墨俣の対岸、黒田から助力の兵を入れて、清州から兵をおびき出す。
そして、弾正忠家の一族、大隅守信広が清州を乗っ取る。帰るところのなくなった信長を滅ぼす。そんな筋書きを描いていた。
一方、織田陣営。家内一和を唱え、信勝を取り込んだことでお互い猜疑の目を向けていた一族が団結の兆しを見せていた。ある日、織田信広が一枚の書状をもって信長を訪ねてきた。
「上総殿、話というのはほかでもない。一色が面白い話を持ち込んできてのう」
「ほう、どのような話でござるか?」
「うむ、この儂に上総殿を裏切れとの仰せじゃ」
「ほほう、それはおかしきことであるな。して兄者はどのようにされるおつもりじゃ?」
「まあ、これを逆手に取る計略を行うべきであろう。のう、喜六郎」
「は? 私が考えるのですか?」
「左様、御身は上総殿の子房であろうが」
「いやいやいやいや、それは買いかぶりすぎではありませぬか?」
さすがに慌てて返すが、信長がまっすぐな目でこちらを見据えているのに気付く。
「喜六郎、策を述べよ」
秀隆は頭を抱えつつ、あらかじめ考えていた策を述べる。
「はは。信広兄者はそのまま一色とのやり取りを進めてくだされ。北東部は犬山殿が押さえてくれるので問題ないでしょう。そも岩倉の背後に一色がいるは必定、岩倉殿を先鋒に清州に迫る。兄上が出陣し、留守居の信広兄者が清州を乗っ取る。そんなところでしょう」
「うむ、であればどうする?」
「清州を乗っ取った合図を出していただき、一色勢を誘い込み一気に叩き潰します」
「うむ、見事じゃ」
「なれど、これを見抜いてくる知恵者がいるやもしれませぬ。義龍を討ち取れればよいのですが、どうなるか…」
明けて永禄元年、岩倉織田家は兵を起こし清州へと進撃を始めた。数は3000。信長は直属の兵2000を率いて迎撃する。清州の北、浮野の地で両軍は激突した。一進一退の攻防が続き、双方決め手を欠く。そこに美濃勢3000が国境に展開しているとの報が入る。
状況は膠着したが、そこに勝幡から勘十郎の軍700が来援、岩倉勢の側面を突いた。寝返りの連絡を得ていたところに横槍を受け、岩倉勢は崩れる。さらに追撃するが、そこで安藤伊賀守率いる一色軍が来援し、追撃を食い止めた。
そして、後方、清州城の方角にのろしが上がった。
「清州の城は乗っ取られたぞ!」
「お前らは帰るところがなくなったぞ!」
「大隅守が謀反じゃ!」
美濃勢が口々に叫ぶ。清州の方角では、火の手と思われる黒煙が上がっている。織田勢は士気が崩壊し清州方面に逃げ出す。
体勢を整えた岩倉勢と、美濃勢が合流して追撃してくる。信行の勝幡勢は、清州衆から離れて独自に退却する。この行動は敵方には勝幡の兵は信長を見捨てたと映った。
そして追撃してくる美濃勢が見たものは、しっかりと槍先を整えて迎撃態勢を整えている織田勢の姿であり、清州留守居の兵も加わって、3000あまりに増員されていた。
策が破れたことに気付き安藤伊賀だったが、さらに敵中に誘い込まれたことを知り動揺するも歴戦の経験で何とか踏みとどまる。
そこに勝幡の兵が後方を遮断したとの知らせでさらに士気が動揺した。その機を逃さず、信広を先鋒として織田勢の逆襲が始まる。岩倉勢は真っ先に崩れたち、半数近い兵が討たれるという大敗を喫した。
安藤率いる美濃勢は何とか踏みとどまっていたが、ここで伏兵が現れる。柴田率いる末森勢である。
「かかれ!かかれ!かかれ!」
馬上で声を張り上げ、刀を振りかざして兵を叱咤する。柴田の覇気が兵に乗り移ったように、鬨を上げて美濃勢に突っ込んでいく。その鋭鋒は美濃勢の左翼を突き崩し勝敗を決めた。
歴戦の安藤伊賀故に、見事な撤退戦を行ったが、それでも尾張の地に1000近い美濃兵が屍を晒したのである。
この戦いで岩倉織田家は衰退し、翌年岩倉城は開城する。岩倉の地はこの戦いで手柄を立てた信広に与えられた。ここに守護代織田家は滅び、織田弾正忠家当主の信長が事実上の尾張国主となったのである。
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