桶狭間暗躍と上洛
俺は喜多川秀隆、改め織田喜六郎秀隆。前世では運動音痴だったはずが、これが織田の遺伝子はすごいなと思った。馬術、弓術、剣術など体が勝手に動くレベルで修めている。身体自体が高性能なんだろう。
犬山の信清殿が正式に臣下となり、織田家が統一された。それは事実上の尾張統一も意味する。南東部と南西部に敵勢力が入り込んでいる状況も今後対応せねばならないが。守護職たる斯波氏は今川を頼って落ちていった。これがのちに今川の侵攻の名分となるが、今はどうしようもない。
南西部は荒子と蟹江の二城で戦線を作っている。蟹江の滝川左近は積極的に攻勢を仕掛け、服部左京進と戦いを繰り返していた。ここを抜かれると熱田が危険にさらされる。非常に重要な役目である。
南東部は鳴海を拠点に岡部元信がこちらの土豪にゆさぶりをかけている。必死に引き締めをしているが後背只ならぬものが多いのも事実。実に頭の痛い状況だ。
鳴海には駿河勢2000が在番しており、さらに南方の大高を経由して三河から援軍を呼び込める。総力戦になると戦力差は隔絶しており、野戦にでもなろうものならひとたまりもない。
よって兄上と協議の上、砦を築いて戦線を構築し、砦群の相互支援で数に優る敵の攻勢を受け止める戦術を採用した。同時進行で川並衆の中で山歩きに慣れた者を派遣し、間道の拡張を行わせる。これは後日の布石でもある。
三河から藤吉郎が帰還した。もともと駿河の武家に仕えていたコネもあり、潜入偵察を命じていたのである。
「おお藤吉郎殿。役目大義であった。今より兄上のもとに参るぞ」
「ただいま戻りました御舎弟様。このむさくるしい姿でお殿様の前に出るはあまりにご無礼。身なりを整える暇をいただきたく…」
「そんな暇を与えたとあっては私が兄上から叱責を受ける。構わぬからそのまま来るのだ。おぬしの持ち帰った情報で織田家の未来が決まる」
「はは、かしこまりました!」
秀隆は侍女に命じてぬるま湯で絞った手拭いを持たせ、藤吉郎に渡した。
「おお、これはありがたき心遣いにて」
「顔がすっきりすると気分が変わるであろう。では行くぞ」
「はは!」
秀隆と藤吉郎は連れ立って信長の執務室に向かう。
執務室では信長が書類を確認しつつ、祐筆の武井夕庵に口述筆記をさせていた。
「兄上、藤吉郎殿が戻りました」
「おお、待ちかねたぞ。では、話せ」
「はっ。今川治部は上洛すると国内外に呼びかけ、兵を募ってござる」
「ふむ、伊勢湾でも皮革の値が上がっておる。穀物、馬匹もじゃ」
「領国はもとより、相模、伊豆まで買い付けの手を回している様子でした。尾張侵攻は間近かと」
「であるか。軍勢はいかほどだ?」
「駿河衆一万、遠州より一万、三河より五千ほどと思われます」
「三河衆は鳴海への兵站を負担しておるからの。これ以上の締め付けには耐えられぬか」
「おそらくはですが」
「荷駄や支援の人員を入れれば四万にも届くな」
信長のつぶやきが重い。眉間のしわが深き刻まれている。
「左様にござります」
「籠城するも後巻きはなし。乾坤一擲、野戦に活路を見だすしかありませぬな」
「喜六郎、おぬし簡単に言うがの」
「川並衆の人数を三河国境に入れ、間道を開かせ地勢を調べております」
「ふむ、何か策はあるか?」
「では…」
秀隆は策を伝える。国境の山道を進ませ険阻な地形で迎撃する。砦には増援を送らず、いくつかは見捨てることとなる。これは信長が率いる人数を増やすための措置となる。決戦予定地は調査中。
「ふむ、大枠はそれでよい。国内の統制と戦力増強に努めるとしようか」
「「はは!」」
そこからは多忙な日々を過ごした。兵の徴募と訓練、武具の買い付け、矢などの消耗品の生産、戦場の選定、自分の知識は450年後のものでこの時代の事実ではない。推測が多分に含まれている。脳内のネット百科事典の情報とすり合わせを行うため、小六たちと相談を重ね、作戦を信長に報告したのは永禄2年末であった。
「喜六郎、上洛する、供をせよ!」
「は・・は?!」
脳内でデータを見ると、永禄3年に上洛し13代将軍に拝謁と記載があった。これか!
滝川一族から警護の兵を借りる。藤吉郎は身動きが取れなかったので弟の小一郎を連れ出した。美濃を通過中に斎藤義龍の刺客に襲われる。職人に作らせておいた複合弓を取り出し数名を射落とす。兄上が短いのに強い弓ということで食いつきが半端ない。製法を織田家の職人に伝えるということで解放される。
近江を抜ける。佐々木氏の領内で、観音寺城はすさまじい威容だった。あれを1日で落とすとかどんだけ?
近江の交通路の要衝、大津の町の賑わいはかなりのものだった。都への期待が膨らんでゆく。
そして瀬田の橋を渡る。立派なものを想像していたら、ところどころ板が抜けており手入れが全くされていない。火矢が刺さったと思われる焼け跡すらあった。京の都への期待はどんどん不安に変わってゆく。
兄上の伝手で、山科卿の屋敷(?)に逗留する。父上が朝廷への寄進を行っており、その伝手がいまだ生きているとのことだった。
翌日、兄上に付き従い室町御所に入る。門扉や塀が崩れているのはもはやお約束であろうか。重職の細川某に案内され、御所の庭に入る。
そこにはもろ肌を脱ぎ、一心に剣を振るう青年がいた。将軍職を継承して十余年。畿内の勢力に翻弄され、権威は失墜する一方の幕府を何とか立て直そうと必死にあがく姿である。
「御所様、織田上総殿、参られました」
「うむ、遠きところご苦労であった。我が足利義輝である」
そこで将軍様の演説が始まった。やれ幕府の権威が…、将軍のメンツが…、いかん、こいつ自分のことしか考えてねえ。イライラが有頂天に達して思わず突っ込みを入れてしまった。
「して、御所様。一つお聞きしたく」
「む、おぬしは?」
「織田上総が舎弟、喜六郎秀隆と申します」
「ふむ、直言を許す。何なりと申せ」
「ありがたきお言葉。では遠慮なく…」
「おい、喜六郎…(ヤッチマイナー)」
兄上の指示もあり口を開く。
「天下静謐とはいかにお考えですか?」
「将軍家の権威により世が治まることじゃ」
「現状をいかがお考えか。都は焼け野原で、主上の御殿すら塀が破れておりまする。諸国は乱れ、それを収めるべき将軍家は全く力を持たぬ有様で権威だけ振りかざして誰がついてきますかな?」
「無礼な!」
「怒声のみが返答なればこれ以上の問答は無用。何の手立てもなく人に頼るのみであれば、主上に位を返上されたらよろしい」
「ぐ…ぬ…」
「耳障りの良い言葉だけをお求めなら、それは人の上に立つ器にあらず。良薬は口に苦し。諫言は耳に痛しの通りにござる」
さて、ここで斬りかかられたら俺死ぬな。言い過ぎたか…。
「なれば問おう。お主ならば如何にしてこの情勢を切り開く?」
「自前の兵を養うこと。今畿内で最大の勢力は三好家なれば、逆にそれを取り込むのです。大勢力なればこそ一枚岩にあらず。御所様に従うものを見極め取り込むのです」
「三好ずれに頭を下げるだと!? それでは将軍家の誇りはどうなる!」
「すでに地に落ちております」
「なんだと!」
「されば、後は上がるだけにございましょう?」
「なん…だと?」
「誇りを守るにも力が要ります。まずはそこからでしょう」
「力なき者は誇りを守ることも許されぬと?」
「それが乱世なれば」
「わかった、そなたの諫言ありがたく受けさせてもらう」
「はっ、ありがたき幸せにて」
「上総殿。良き弟を持ったな」
「自慢の弟にござる」
御所を後にする一行。俺の後頭部に兄上の張り手が炸裂した。
「脅かすでないわ! 寿命が縮まったぞ!?」
「や、兄上が煽りなさるから…」
「まあいい。堺へ向かうぞ」
「はっ」
堺で納屋、天王寺屋などの豪商を回り、つなぎを付ける。鉄砲や弾薬の取引を行う準備となるため、慎重に話を進める。堺の繁栄はすさまじく、豪商たちの財力を見せつけるものであった。土産を大量に買い込み、一路帰途についた。美濃でまた襲撃されたのは言うまでもない。
そして梅雨時に差し掛かかるころ、今川の軍が駿府を進発したとの報がもたらされたのだった。綱渡りの戦が始まりを告げ、俺は胃のあたりに重いものを感じていた。
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