邂逅ー頭打って目覚めたら戦国時代でしたー

 弘治元年6月。

 織田喜六郎秀孝は馬を走らせていた。城主の一族として馬術の訓練を行うのは当然のことであり、日常の武術鍛錬の一環である。だがこの日は間が悪かった。彼にとっての不幸は叔父である織田信次が川狩りをしており、そこを通りがかったことであった。単騎で馬を乗り入れ、信次の家臣に無礼討ちとして矢を放たれたのだ。矢は過たず彼の左肩を射抜き、落馬した秀孝は頭を強打して死去した。ただしこれは現代でいう脳死状態であり、わずかながら呼吸もしており、心臓も動いていたのである。ただし中世の人間には死んだものとしか見えなかった。

 矢を放った信次の家臣は相手が主の甥であることに気付き蒼白となった。信次はすぐにその家臣の身柄を隠し、清州城の信長に急報を入れたのである。


 喜多川秀隆は大学生に入学したばかりの19歳だった。だったというのは、不幸にも彼は死の淵に瀕していたのである。大学の構内を歩いていると、野球部のホームランボールが彼を直撃した。倒れた際の打ちどころが悪く、さらに持っていたノートパソコンの角が彼の頭に直撃。死因は脳挫傷だった。

 意識が遠ざかる中で、彼を呼ぶ名が聞こえる。何度も呼び掛けられることに懐かしい響きを感じた。彼が幼いころ事故死した兄の呼びかけに近いものだったのだ。


 信長は愕然とした。次弟の信勝とは抜き差しならぬほどに対立が進んでおり、同腹の弟たる秀孝がその仲立ちをしてくれていた。だがその仲介をしていた秀孝が死ねば、織田弾正忠家の内戦はもはや避けられなくなる。それは自家の弱体化を招き、いまだ彼に従わぬ一族の介入を招くこととなる。

「なんということじゃ…なんという…」

 後世のエピソードから血も涙もない人間のように語られることもあるが、織田信長という人物は実は肉親の情に篤い。長島の虐殺も、兄弟が長島一向一揆に殺されていることに端を発しているとの説もある。

 異母兄弟も数多くいるが、その中で同腹の弟は信勝、秀孝、信包となる。その弟が死んだという報に嘆き悲しんでいた。

「ん? これは…」

 信長は秀孝の体がまだ温かいことに気付いた。かすかに息もしている。

「秀孝はまだ生きておる。者ども、秀孝を城に運ぶのじゃ!」

「「はは!」」

 信長は一縷の望みをもって秀孝の回復を祈りつつ清州に引き上げた。


 喜多川秀隆はゆっくりと意識を覚醒させた。左肩に突き立った矢は抜き去られ、血止めのさらしが押し当てられている。矢傷の激痛にうめくと、枕頭に座り込んでいた青年が目を見開いて声をかけてきた。

「おお、喜六郎、目覚めたか!」

「え…あれ、誰この人??」

「まだ意識が戻っておらぬか。無理はならん。もう少し寝ておれ」

 目の前の青年に見覚えはない、だが幼い日の記憶が入り混じり、混濁する意識の中で声をかけていた。

「ありがとう、兄さん…」

 秀隆は再び意識を闇に落としていったのである。


 翌朝、秀隆は目覚めた。見慣れない板の間に厚手の衣が敷かれ、その上に寝かされている。初夏というのにあまり暑さを感じない。違和感を感じて周囲を見渡す。

 そこに大きく足音を響かせ、夢うつつで見た青年が姿を現した。

「喜六郎、具合はどうじゃ?」

「はい、大丈夫です。えっと…ここはどこでしょうか?」

「なんじゃ、変な話し方じゃのう? ここは清州じゃ。わが居館におる」

「あ、そうなんですか、なんかボールが当たって頭を打ってからよく覚えてなくて…」

「ぼーる? なんじゃそれは?」

 目の前の青年と話が微妙に通じていない。そもそも、月代を見て、ここはどこの時代劇撮影所なんだろうかと考えてすらいた。そして地名を脳裏に浮かべた瞬間、彼の脳裏に情報が流れ込んでくる。

 清州城。斯波義重によって築かれのち尾張守護の居城となる。弘治元年、織田信長が織田信友を破り奪取、以後小牧山に本拠を移すまで彼の居城となる。

(なんだこれWikiかよって…どういうことだ?)

 脳裏に浮かび上がる情報に混乱する。そして、もう一つ、彼を呼ぶときの喜六郎という名前を脳裏で検索すると…

 織田喜六郎秀孝。織田信秀と土田御前の間に生まれる。織田信長の同腹弟。弘治元年、織田信次の家臣に誤射され没す。

「あのすいません、今って何年ですか?」

「ん? 今年改元があって、弘治元年じゃの。どうした?」

「えええええええええええええ!」

 喜多川秀隆は混乱していた。どうも彼はタイムスリップしてしまったようだ。立場は織田信長の弟らしい。脳裏で調べた情報によると、自身はすでに死んでいるようだ。だが今生きている。自らが今生きていること=歴史が変わってしまっていることだ。

 だがまあ、今更死ぬわけにもいかないし、死にたくもない。おそらく目の前にいる青年は「あの」織田信長なのだろう。

 少し考えたが、今の自分の状況を正直に話すことにした。その時はその言葉が最善手に思えたのだ。


「えーと、織田上総介信長様でよろしいでしょうか?」

「うむ、そうじゃが、何をいまさらそんなことを聞く?」

「私ですが、喜多川秀隆といいます。どうも、弟さんの中に入ってしまっているようでして…」

「なに? どういうことだ?」

「まず、私は正気です。そのうえでお話をお聞きください」

「ふむ、話せ」

「先ほど目覚めるまで、私は450年後の世にいました」

「頭は大丈夫か?」

「まあ、強打したのは間違いないですね。それではなく…」

 秀隆は自分の生きていた時代の話をした。戦国の世は徳川家康によって統一され、350年の平和を享受する。その後、徳川の世は終わり、天皇親政の明治、大正を経て昭和の世に、大戦に敗れたことを契機に民主主義の世となる。そして秀隆が生きていたのは平成の世。10年以上も学問を学ぶのが普通の世であること。食料は豊富にあり、飢えるものはほとんどいないこと。70年にわたり戦は起きていないことなどを話した。

「にわかには信じがたいが…おぬしの目を見れば狂人の類でないことはわかる」

「はい、今も自分の身の上が信じがたいです」

「ふむ、ではお主の身柄は儂が保証しよう。ちょうどよいからそのままわが弟となれ」

「え?いいんですか?」

「そもそも、中身はともかく見た目は儂の弟だからの。放り出す道理はないわ」

「ありがとうございます。なんとしてでもお役に立ちます」

「ふむ、まずは傷を治すことじゃな。そこからで、未来の知識とやらは改めて聞くことにするか」

「はい、わかりました」

「それとだ。この話、儂以外にする出ないぞ。物の怪の類として首を斬られてもおかしくはない」

「肝に銘じます」

「うむ、いい心がけじゃ」

 信長は上機嫌だった。死んだと思っていた弟が生き返ったこと。未来を知る者がそばにいれば大きな力になりうることを直感的に理解したのである。

「一益。喜六郎に守りを付けよ」

「はっ!」

「それと先ほどの話、漏らしたら命がないと思え」

「かしこまりました」

 こうして喜多川秀隆は、織田喜六郎秀孝として戦国の世を生きることとなったのである。

 ひとまず彼は信長に名を変えることを申し出た。秀孝を秀隆にして、自分の本名に直したのである。

「孝を尽くす父は泉下ゆえ、織田の名を興隆に導くため字を変えたいと思います」

「であるか、よかろう、励め!」

 織田喜六郎秀隆の誕生であった。

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