後編
「張り込みの基本はあんぱんと牛乳よね。大抵お腹を壊すから普段はお奨めしないけど」
そう言いつつあんぱんと牛乳を手渡してくるトイレット委員長。その意見からその行動、つまり俺も腹を壊せと。遠慮しておく。
「そもそも、張りこみまでやる必要ありますか? 全校生徒に注意喚起しておけば、それなりの効果はあると思うんですけど」
「いいえ、それではダメよ。そんなことをすれば、犯人は周りを警戒して犯行を自粛してしまう。そうなっては、現行犯で捕まえることが出来なくなるわ。私はね、なんとしても犯人を捕まえたいのよ!」
ああ、ちょっと牛乳がこぼれますから、そんなに強く握らないでください。そういうのは飲みきってからでお願いします。
放課後、僕たちは、一年生のトイレが見える位置の廊下から、隠れて見張ることにした。確かにここならトイレに入る人からは見えないが、それ以外の普通の通行人からはバリバリ見えている。あんパンと牛乳を廊下で座って食べる変人二人組だ。あー、明日の教室が怖い。
既に張り込みを始めて一時間、未だに犯人らしき人物か現れる様子はない。まだトイレ前の人通りも多いため当たり前と言えば当たり前だが。僕としては早く終わらせたいのだが。
「ところで、何で一年生のトイレなんですか? もしかして、何か目星でもついてるんですか?」
僕の疑問に、委員長は目を鋭くしてこちらを向く。張り込み始めから食べているあんパンがまだ食べ終えられていない。多分一度に食べると一気にお腹を壊すのだろう。いくら変態でも、時と場合は守るらしい。
「私が独自に進めた調査によると、どうにも犯人は一年から三年のトイレをローテーションで巡回しているらしいわ。そこから察するに、今日の標的はこの一年生のトイレになるはずなの」
「独自に調査出来るなら僕いらなくないですか」
「あなたは必要な存在よ。流石の私でも、男子トイレに入るわけにはいかないしね……ぽっ」
いや、トイレットペーパーを抱えて出てきたところを取り押さえればよいのでは。というかそれが目的でここにいるのでは。あと恥ずかしがり方が古いのでは。
それを最後以外指摘すると、委員長は鋭い目で僕を見て、指をビシッと突きつけた。
「あなた、スパイに行ってきてれない?」
「え? いやいや、僕がいったらそれこそ意味がないでしょう。犯人が犯行をやらなくなっちゃいますよ?」
僕の反論に、彼女はチッチッチと指を振った。先ほどからどうにもアクションが古い気がする。
「私の勘によるとね、おそらく犯人は何か特殊な方法を使ってトイレットペーパーを盗み出していると思うの。だって、あれだけ大量のトイレットペーパーよ? 普通に運び出したら、相当目立つはず。きっと、何か裏道みたいなものがそれぞれのトイレに――」
「あ」
「何?」
「あれ犯人ぽくないですか」
視線の先には、男子トイレから周りをキョロキョロと忙しなく見回しながらいそいそと出ていこうとしている怪しさ満点の人物。
その手に抱えられているのは、言うまでもなく大量のトイレットペーパー。
「――ビンゴっ!」
直前までの推理を投げ捨てた委員長は、一目散に犯人へと特攻していった。切り替えの早い人だ。行き当たりばったりの適当な人とも言う。
一応僕もノロノロと着いていくと、犯人と委員長がトイレの前で相対していた。トイレの番人VSトイレの盗人。ちょっと響きがカッコ悪いな。トイレガードナーとトイレスティーラーの方がいいか。
と、馬鹿なことを考えている中で、一つだけ気になった点がある。
このトイレスティーラー、どこかで見覚えが……。
「あなたは……副委員長!? そんな、同じトイレ同盟であるはずのあなたがどうしてこんなことを……」
おっと待ってくれ。突然そんな突っ込まざるをえない単語をぶっ込まないでくれ。犯人の正体の衝撃が薄れてしまうじゃないか。
「すまない、葵さん……でも俺は、こうするしかなかったんだ……」
そしてあなたもさも当たり前のように流さないでくれ。シリアスに持っていこうとするのはいいけど先に謎の単語の説明から始めてくれ。
清掃副委員長は両手に抱えたトイレットペーパーから顔を少し覗かせて、神妙な顔で僕たちを見つめた。なんと間抜けな光景だろう。
「俺は葵さんの代わりに清掃委員会を統率して以来、ずっと考えていたんだ。どうしてみんな、この学校の美化について真剣にならないのだろうって。俺以外のみんなは、誰も真面目に会議なんか参加しようとしていない。発案をして、指示を出しているのは全部俺一人だ。俺は、そんなこの学校の現状が嫌だった……怖かったんだ! だから俺は、トイレットペーパーを盗むことにした……」
トイレ同盟の説明ないし動機の繋がりめちゃくちゃだしこの人意味不明だよ。でも委員会の件についてはごめんなさい。
「そう……あなたは、学校中からトイレットペーパーをなくすことによって、生徒に危機感を抱かせようとしたのね」
項垂れるように、彼は頷いた。なんてこった、今の説明で意図を理解しやがったこの人。伊達に変態と呼ばれてはいないようだ。
委員長は腕を組み、彼の目をじっと見つめる。親愛とも、悲哀とも取れるその目つき。彼女は静かに、ゆっくりと息を吐き、語り出した。
「まさか、あなたにそこまで負担をかけているなんて、思っても見なかったわ。委員長としての自覚が欠けていたいみたいね。それについては、本当にごめんなさい。……でもね、私は、あなたのやったことは正しいとは思わないわ。いい、考えてもみて? あなたがトイレに入って、気持ちよく排泄を行ったあとに、トイレットペーパーがなかったら、どう思う? きっと、それはこの世の最上級の地獄でしょうね。天国から地獄に突き落とされるんですもの。そのショックは、想像しただけでも恐ろしいわ。これで分かったでしょう。あなたのやったことは、人間の尊厳をも傷付ける、最も愚かで下衆な行為なのよ!」
いつの間にか、彼女の瞳には大粒の涙が溢れていた。それだけ、彼女は真剣に今の台詞を伝えたのだ。その心を、僕は知ることは出来ない。ただ一つ、これだけは言えるだろう。
何言ってんだこいつは。
「うう……ごめん、なさい……俺が、間違っていた……。そうだよな、こんなの、最低の行為だ……トイレ同盟として、絶対にやっちゃいけないことだった……なのに、俺は……!」
副委員長はトイレットペーパーを床に落とし、その場に泣き崩れた。委員長はそんな彼の肩に手を置き、笑顔で首を横に振る。彼女は、説得に成功したのだ。
いつの間にか、僕らの周りには大勢の生徒が集まり、彼らに暖かい拍手を送り始めていた。その音は、いつまでも、鳴り止むことなく、学校中に響き渡っていた。
その中で、僕は一人考える。
ああ早く帰りたい。
※
「ありがとう、今日は助かったわ」
帰り道の校門で、委員長はそう僕に言ってきた。夕日に照らされた彼女の顔は、どこか赤く染まっている。忘れていたが、彼女の顔立ちは美しい。僕は思わず顔を逸らして答えた。
「いえ、僕は何もしていませんよ。全部委員長のお手柄です」
「ううん、あなたがいなかったらこの問題は解決出来ていなかった。本当に、ありがと
う」
彼女は恭しく頭を下げる。そんなことを言われても、僕には全く覚えがないのだが。首を傾げる僕を尻目に、彼女は言葉を続けた。
「ところで、あなたに一つ頼みがあるのだけれど、いいかしら」
「え? ああはい、僕に出来ることなら――」
しまった、考え事に気を取られて適当に返事をしてしまった! 何か悪い予感がする。というか悪い予感しかしない。
「ぜひあなたに、トイレ同盟に入ってほしいの。いいえ、それだけじゃなくて、あなたにトイレ同盟の長を引き継いでもらいたいのよ。私たちは、今年で引退してしまうわ。でも、あなたがそれを受け継いでくれるなら、私は安心して引退出来る。あなたなら、きっと――」
「嫌です」
帰ろうとした僕の腕を、委員長はがしっと掴んだ。痛い痛い、肉食い込んでますって。
「もう先生に許可は取ってあるわ。あなたなら大丈夫だって先生も言ってたし。私がしっかりと教えてあげるから、安心してね」
「……僕の許可は?」
「さあ、まずはトイレの何足るかについて教えてあげるわ!」
――夕日に染まる帰り道、美少女の手に引かれてどこかへ連れていかれる男子。周りからの羨ましそうな視線を受けながら、僕は思う。
まあ、こんな変態に巻き込まれながら、変態へと染まっていく日常も悪くは――
うん、やっぱり嫌だ。
「これぞ青春、だな!」
遠目にそう呟く柏木先生の姿が見え、僕は八つ当たりのように、いいから早く結婚しろと叫んでおいた。
彼女はトイレを愛してる 秋本カナタ @tt-gpexor
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