戦慄のレヴァンテイン/解き放たれた渡鴉の物語

月下ゆずりは

第1話 序

 ……だから、お前達は最高傑作でなければならないのだ。


 白衣の男が何かを喋っている。声高々と。

 自分は誰なのだろう。見渡すと広大な空間が広がっていて、無数の試験管型のカプセルが直立しているのが見えた。何を言っているのかはわからない。何を伝えたいのかもわからない。ただ、わんわんと泣き声を上げていた。肺の中まで浸透した生ぬるい水が、発声を許さなかった。

 カプセルに隣接するパネルには次の文字が並んでいた。


 『Project-L.O.K.I』


 様々な個体がいた。そのはずだ。一様に似通った顔立ちをしていた。兄弟姉妹のように似通っていたのだ。

 

 これが全てのはじまりだった。

 そして、全ての終わりだった。





 施設での生活は苦痛に満ちたものだった。

 人工的に作られた子供達は、戦いの為だけに生み出された。戦い以外の才能を発現した者は、使えないものとして処理されてしまう。ただ戦いの為だけに。世界をひっくり返す為に。子供達は、自分がどのような存在かなど知らずに育っていく。

 施設を運営していたのは、実体の無い組織だった。あらゆる名前で呼ばれていた。暁。世界樹。兵団。重工。エデン。そのときの呼び名はエデンという呼び名であった。

 エデンは工業地帯の地下深くに建造された円球状の施設だった。子供達は、そこがどこの国かも知らなかった。そこが、何を作っている工場かさえ。

 子供達は検査を受けた。製造過程で発生する異常固体は、次々と取り除かれていったのだ。

 最後に残ったのは実に十人程度。部屋を埋め尽くす量いた子供達は、その大半を除かれていた。


 子供達に名前は無かった。番号でのみ識別されていた。プロジェクトを運営しているものたちは、番号を独自の呼び方をしていた。


 ―――エイフワズ13番を調整できただけでもこの計画は成功だ。

 ―――しかし何故上層部はイーサ11番のような固体を生かしておくのか―――。

 ―――ペルス14番は来月処分が決まったそうだ。


 エイフワズ。銀色の髪。どこまでも暗い目をした少年がいた。一様に同じ顔をした少年達の中でも、特に秀でた才能を持っていた一人だった。数百人どころか、数千人、数万人の中から選別されてきたものの一人だ。単純な選別などではなかった。遺伝子的に操作された中でもえりすぐりだった。L.O.K.Iの名を冠される日もそう遠くは無いと言われていた。

 エイフワズは、また違う名前を持っていた。


 ―――最初の一人オリジナル

 13番という名前を持ちながら、オリジナルの名前を持つ唯一の存在。

 その暗い瞳は、まるで混沌のように深く、奈落の底のように果てがなかった。まるで世界の闇全てを見てきたように。


 対するは、落ちこぼれと言われ続けた人物だった。銀色の少年達が並ぶ中で――唯一、エイフワズと同じ、黒い瞳をした少女。遺伝子配列を調整し、その結果として反転した性別を持って生まれてきたしまった出来損ない。次々処分されていく固体の中でも、異質な存在だった。

 イーサの名前を持つ少女は、本を読んでいた。中庭といわれる解放された空間に生える唯一の木の下で。

 痩せた体。腰まで垂らした銀色の髪。患者着を着込み、俯いている。その瞳は、赤や青が大半を占める中でも珍しい漆黒をしていた。人形のように整った容姿はしかし、一切の表情を映していなかった。


 「また君ったら本なんて読んでいるのかい」


 からかうような声。木陰に佇むエイフワズの声にイーサは顔を上げた。

 はっと気が付いた瞬間には遅かった。とても人間業とは思えない素早さで本が奪われていたのだ。同じように患者着を纏った――ただしボタンは緩みどこからくすねたのかネックレスまで下げて――エイフワズが木陰にいたのだ。本は、昔話だった。ごくありきたりな物語を示したはずの書物だった。

 エイフワズは本に目を通すと、鼻で笑って見せた。

 物語では、捕らわれの姫様を王子様が助けていた。そして二人は外の平和な土地で仲良く暮らしましたとさと。

 外の世界を見られるものはごく限られている。工業施設に偽装したこの地下建築物は監獄なのだ。作られた子供達を隔離し、実験し、処分する為の施設。外の世界を知る者は、ごく限られていた。エイフワズはその唯一の例外だった。彼はこう嘯いた。地獄だ。同時に天国でもある。あの秩序を破壊して、再びやり直すのだと。冗談染みた声で言った彼の瞳は、どこまでも淀んでいた。

 エイフワズに本を取られた彼女は、俯き加減にエイフワズを見つめていた。


 「くだらない。王子様なんていやしないのに」

 「外を見てきたから?」

 「さあね」

 「返して」

 「やってみればいいんじゃないかなぁ」


 エイフワズは本を高く掲げていた。取り返してみろと言わんばかりに。

 少女――イーサは俯いていたが、ややあって腰を上げた。背丈の小さいエイフワズより更に小さく、小柄な姿。か細く、およそ肉の類を放棄したような体つき。

 イーサの瞳がきらりと輝いた。

 次の瞬間、イーサが猛獣のように跳びかかっていた。本を地に放り、両腕で両腕を迎撃しにかかったエイフワズと正面から組み合った。ぎりぎりと両腕が交差している。

 およそ枯れ木のような腕からは想像することも出来ない腕力が発揮されていたが、エイフワズはこともなげに受けていた。突如エイフワズが腕を外すと、イーサの襟首掴んで投げ飛ばした。


 「あっ……くぅ」


 イーサは宙でくるり一回転すると、ケモノのように肢体を地に付け、前傾姿勢で構えていた。

 エイフワズが本を拾い上げると、イーサの目の前に放る。


 「ボクに敵う訳ないじゃないか。一ついいことを教えてやる」


 エイフワズはくつくつと喉を鳴らし背中を向け歩き始めた。




 ここは、全て焼かれることになる。








 「………エイフワズ」


 イーサは、エイフワズが歩き去っていった方角を見つめていた。エイフワズは飄々として掴みどころが無い。言うことはほとんど嘘ばかりだ。それでも時折、真実を話すことがある。その真実も嘘が含まれていることが多く、まともに検証するのもばかばかしいのだが。

 それでもイーサにはわかった。彼は真実を言っていると。


 「イーサ? また喧嘩したの」

 「ベルカナ」


 イーサは振り返ると、銀色の髪の毛を後頭部で結い上げた乙女が立ち尽くしていた。テディベアを横合いに持っている。


 「ううん。本を返してもらっただけ」


 言うとイーサは本を拾い上げた。それは本というには不釣合いな代物であることを、第三者が見ればわかることだろう。紙を丁寧に切り揃えて作り上げた、メモ帳の集合体のようなものだったからだ。おまけに白黒のみで簡素な絵と文が描かれていたのだ。本といえる代物ではなかった。

 ベルカナ18番の名を持つ乙女は、右手でテディベアを、そして左手でイーサの手をとった。

 二人は並んで歩き始めた。

 子供達は、大人達の態度が自分達を養うもののそれとは違うことを知っていた。それは、実験室に置かれる生物標本を見る目なのだと。ある固体は絶望し、ある固体は割り切り、ある固体は別の固体と共に時間を過ごそうとした。イーサとベルカナはそうした仲だった。親兄弟でもなければ友達でもない。何か通じるところがあったのだ。

 二人は仲良く並んで部屋に戻った。各個体ごとに、一定の自由が許されていた。それぞれの部屋に、別の固体が入ることも。全ての部屋には補強されたカメラが付いていた。自由など無いことは明白だったのだが。


 「ねえイーサ。わたしたち、どうなるのかな」

 「さあ……」


 イーサはベルカナの部屋でにいた。ベルカナの髪の毛を解いて、丁寧に梳いていた。不安そうに声を上げるベルカナに対し、イーサは髪の毛を梳きながら言った。


 「大人たちになに言っても聞かないけど……エイフワズみたいに、どこか外に連れて行ってくれるかも」


 要領得ない返答だった。

 エイフワズみたいに、という答えは、イーサにとって一番言いたくない答えなのだ。そして聡いイーサは知っている。外に出る手段は、およそ無いことを知っている。


 「お外の世界ってどんなんだろうね」

 「うーん。ビルがあって、国があって……ごめんね。私にもわからないの」


 イーサは首を振った。外の世界のことは、よく分からないのだ。唯一、他の科学者連中とは明らかに態度の違う男が色々と教えてくれたとはいえ、詳細までは知らない。本も男が手作りしてくれたものだった。


 「いつかでられるかなぁー」




 その答えを知るのは、すぐ後だった。





 騒ぎに目を覚ました。ベルカナと一晩あれこれ話して遊んで疲れたイーサは、食事も取らずに眠ってしまっていた。眠い目を擦りながら廊下に出た。


 「……っ!」


 メンバーの寝室がある廊下の入り口に、黒い戦闘服に身を固めガスマスクで顔を隠した戦闘員が数人立っていた。近接戦闘を重視したサブマシンガン。大型のサプレッサーにダットサイト装備。


 「こいつらで全員か」

 「ああ。全員眠っているそうだが」

 「連れ出せるものは連れ出せとの命令だ」

 「人数は………」


 男達は、一番最初の部屋を開けた。

 中で激しく争う声が聞こえた。

 イーサは部屋の扉の影から男達を見ていた。


 「殺せ」


 隊長格らしき男が短く号令を下す。サプレッサーに阻まれたくぐもった銃声が廊下の暗闇を打った。

 返り血を浴びた男二人組みが淡々と出てくると、マガジンを抜き別のマガジンを差し込む様がありありと見えた。ガスマスクに覆われた顔に浮かぶ表情は――虚無だった。


 「ひっ」


 イーサは口を覆うと、扉をさっと閉めて壁際まで這って行った。

 訓練で銃を握ったことはある。秒速数百mという速度で鉛を射出する装置。構え、狙い、指を動かすだけで人体を損傷させ死に至らしめることのできる人類の作り上げた技術の結晶。まさかそれを握った人間達があらわれるなど。

 音に耳を澄ます。問いかけの言葉などなかった。扉を開けると同時に発砲している。生かして返すつもりなどないらしい。

 逃げるか、立ち向かうか。


 「ベルカナ! ベルカナ起きてっ!」


 イーサはぐっすりと眠るベルカナの肩を揺り起こした。起きない。何故起きないのか。布団を捲り、肩を叩き、大声を出しているのに――。

 などと思っている間にも銃声は近づいてくる。隣の部屋に男達が入る。サプレッサーで減衰した連射音が聞こえ、苦悶の声が上がった。


 「次か」


 イーサは咄嗟に―――。





 「………誰もいないのか」


 部屋に踏み込んだ男は、銃身を短く構え、視線を鋭くしていた。そしてベッドに寝転がっているであろう人物がいないことに吐息を漏らした。男が銃を構える傍らで、一名がベッドににじり寄り、布団の中を触る。


 「まだ温かい。この辺にいるはずだ」

 「警戒しろ」

 「たかが子供だろう」


 「…………」


 男達は気が付かない。意図的に照明の蛍光灯の割られた室内。天井に設けられたダクトに肢体をしがみ付かせている患者着姿の少女がいることなど。

 イーサが飛び降りる。着地と同時に男のホルスターに納まったままの拳銃を抜いた。


 「ちっ!?」


 発砲。脳天を貫く一撃が走った。男が倒れこむよりも早く、イーサが動いていた。


 「このおおっ!」


 イーサの眼球が赤く染まる。銃声が空間に広がっていく様が、赤く見えていた。男達の息遣い。男達の視線。目に映る全ての色が消失し、脅威だけが赤く染まっていた。

 腹に拳銃を抱えた姿勢で二発目を叩き込み、腕を伸ばすや、倒れこむ二人目の影に隠れていた一人に拳銃を全弾叩きこむ。サブマシンガンを奪うと、通路を確認した。サプレッサーが功を奏したのか、追加の人員がやってくる様子は無かった。

 イーサはすぐにベッドの下に隠しておいたベルカナの手を掴んで引っ張り出した。ベルカナは目元を擦りつつも、何事かと起き上がろうとしていた。床に転がる三人の死体を見て表情を引き攣らせる。


 「早くここからでないと殺される!」

 「わ、わかった! 武器、とらないとだめかな」


 言うなりベルカナもサブマシンガンを取った。安全装置を外す。銃は使ったことがある。実戦では、なかった。

 二人は通路を走っていった。突き当たり。すなわち入り口である扉を開く。大きい木の生える中庭が見えてきた。

 のっぺりとした二足歩行型のレヴァンテインが片膝をついた姿勢でショットガンを構えていなければ、立ち止まることは無かっただろう。警備会社などでよく運用される二十式“警嵐”けいらんが侵入してきていたのだ。

 施設に侵入してきたにしては、手際がよすぎる。まるで最初からそうするつもりだったかのように。

 人間とレヴァンテイン。民間用とはいえ、その馬力装甲は人間が素手で敵うものではない。施設中央部に続く硬く閉ざされ今まで開かなかったハッチを守るようにして立っていた。ハッチが開いていた。いかなる時でさえ開くことのなかったハッチがだ。

 二人が見ている前で、一人の男が拘束されていた。見覚えのある顔だった。イーサや他の固体に対し気配りをしてくれていた男だった。君達はここにいてはいけない、そういつも言っていた男だった。

 レヴァンテインの装甲が開いており、パイロットスーツを着込んだ男が乗り込んでいた。半身乗り出すようにして拳銃を構えていた。上手く聞き取れない。レヴァンテインの駆動音と、施設各所で発生している銃声のせいで言葉が遮られていた。


 「………なぜ……」


 指揮官らしき男に、男―――名前を自ら『エイジ』と名乗っていた男が、両足両腕を縛られた格好で怒気を荒げていた。


 「………腐っている」

 「…………ふん、お前達がいうか。――――派の」

 「……!」

 「………!」


 聞こえない。エイジが怒り狂って言葉を投げかけているのはわかるのだが、詳細が聞こえてこないのだ。対する指揮官らしい男は淡々としたものだった。拳銃の安全装置を外し、スライドを引いた。

 その時一瞬、エイジが二人の隠れる物陰を見遣った。すぐに視線は正面を向いたが。

 銃声。エイジの額から侵入した弾丸が後頭部から突き抜けた。どうと倒れこむ。頭蓋骨の穴から鮮血が漏れ、まるで花のように地面を彩り始めていた。


 「うわぁぁぁぁぁぁっ!!??」

 「イーサ!?」


 イーサが半狂乱になり物陰から疾駆した。人外染みた速力だった。レヴァンテインを囲むようにしていた男達は、その余りの速度に反応が遅れた。

 イーサがサブマシンガンをありったけ叩き込み数名を瞬く間に倒すや、跳躍した。レヴァンテインの膝に取り付くや、あろうことか更に跳躍して肩に乗る。みちみちと千切れる脚部の筋繊維の悲鳴を一切合財無視した。

 指揮官の男がレヴァンテインのハッチを閉じようとした。させぬとばかりにサブマシンガンを操縦席にねじ込む。障害物が合間に挟まったことで安全装置が作動し、開いた。


 「この化け物が!」

 「――――ッぐ ぁ」


 男が放った拳銃弾が、イーサの右頬を抜けていく。ジュッ、と焼き鏝をあてがわれたような苦痛が走ったが、とまらない。男の襟首を掴むと、操縦席側面のパネルに叩きつける。首根っこを掴み強引に持ち上げる。叩きつける。持ち上げる。叩きつける。

 男が苦痛に呻いた。


 「や、め」

 「………このっ」


 イーサは男の銃を奪った。口に銃を差し込む。驚愕。恐怖。絶望。あらゆる感情をない交ぜにした顔。躊躇した。男が腰のナイフに手を伸ばしていることに気が付いた。



 周囲を囲む男達は、突如として出現した少女の襲撃に戸惑っていた。事前に聞かされていたような話とは大きく異なっていたのだ。施設の職員が案内してくれたかと思えば、ある職員は銃を片手に襲い掛かってきた。まるで違う派閥に所属していたかのように。そして挙句レヴァンテインの操縦席に人知を超える脚力で登っていったではないか。

 万が一にでもレヴァンテインを奪取されるようなことがあれば全滅するしかない。

 副隊長である男は咄嗟に指示を下していた。


 「撤退………!?」


 レヴァンテイン“警嵐”がどよめく男達の見上げる中で動いた。ショットガンのポンプを操作するや、足元の数名を粉々に砕く。更に握りこぶしで十名を纏めて壁に叩きつけ沈黙させた。ものの数秒の出来事だった。警嵐の膝に引っかかっていたパイロットスーツ姿の男が、送れて地面に叩きつけられ、しかし動かなかった。

 操縦席が開くと、右頬と耳元から血液を垂れ流し、涙を湛えたイーサが現われた。物陰に隠れていたベルカナが手を振る。


 「ベルカナーッ! 怪しいやつらはみんなやっつけたから……早くここを出よう!」

 「で、でもみんなが……待ってて!」


 ベルカナが言うなり、元来た道に戻っていった。数分後。顔を青くしたベルカナが、戻ってきていた。扉を閉めると、首を振る。


 「みんな………みんな死んでる……!」

 「…………」


 みんな死んでる。彼女達の寝室は、固体たちにあてがわれた部屋が並ぶ廊下の一番奥にあったのだ。男達がそこまでやってきていたということは――皆始末されてしまったのだろう。

 イーサは――――……機体を操り片膝を付かせた姿勢を取ると、警嵐の手を踏み台になるように調整してベルカナに手招きをした。駆け寄ってきたベルカナの手を取ると、操縦席に入る。お世辞にも広いとはいえない席であるが――痩せた子供二人が乗るのであれば、問題はなかった。ハッチが閉まる。カシュン、と密閉される音がした。

 イーサは操縦桿を握りなおすと、震えるベルカナの頭を撫でた。どこからともなく施設内部から火が伝い始めた。寝室があった場所を。樹木を。シミュレータを。あらゆるものを燃やしていく。

 警嵐が火の粉を振り払い歩いていく。ハッチを潜り、その先にあるエレベータへ。エレベータが作動すると、地上へと上昇を始めた。


 『緊急シークエンス実施 職員及び戦闘員は退避 実験体は焼却処分―――』


 ハッチが閉まる刹那、天井や、壁面から火炎が噴出する様が見えた。何もかもが燃えていく。自分達が過ごしていた日々が全て消えていく。

 エレベータが停止した。レヴァンテインを外に進ませる。漆黒の空。満月。湾岸地帯に放置されていた廃船に偽装した出入り口の一角から外に出た。

 対岸には、煌く摩天楼が映し出されていた。二人は蜜に誘われる蝶のように操縦席の外に出た。

 外の世界は写真でしか見たことが無かった。流れる新鮮な風。一面の曇りの無い夜空。満月。そして、摩天楼の輝き。美しさに圧倒されていた。だから通信が入らなければきっとずっと沈黙したままだったろう。


 『そこのレヴァンテイン聞こえるか』

 『……だれ?』


 イーサは慣れた手つきで通信を繋いだ。施設ではあらゆる兵器の操縦を学ばされていたのだ。レヴァンテインのように今後世界で更に拡散であろう兵器の訓練時間は、もはや想像も付かない時間にもなっていた。

 謎の通信はオープンチャンネルではなく、特定の機体に対し行われる通信であった。すなわちこちらの波長を知っていることになる。

 イーサは不安がるベルカナの頭を撫でつつ答えた。


 『今は詳しいことは言えないがね。機体を放棄して海岸で待て。すぐに迎えを寄越す』

 『あなたを信用できる根拠は?』

 『エイジという男がいただろう。あいつは俺たちの仲間だ。潜入していたわけだが、その様子じゃもうだめだったみたいだな』


 イーサは怯えるベルカナをおぶって機体を出た。靴を履いていなかった。施設では、靴など履く必要が無かったから。白い足を砂利が痛みつけてきたが、表情に出すことは無かった。堂々と、ベルカナを傍らにして立っている。

 見つめていると、海面に伸びていた電波吸収素材に覆われたレーダーマストが引っ込んでいく。艦首を先に、海面に何かが浮上し始めた。

 それは潜水艦だった。側面には帆船のイラストが誇らしげに描かれていた。上部ハッチが開くと作業服に身を包んだ男達が現われた。

 無線機を口元にかざした男が手を振って見せた。


 『スキーズブラズニルへようこそ。お嬢様方』










 そう、あれがすべての始まり。

 組織に敵対する―――さしずめレジスタンスに拾われた二人の、数奇な戦いの始まりだった。

 数年。それどころか数十年単位で世界各地で暗躍していた“組織”が行動を起こしたのだ。

 日本。関東圏で起こされた同時多発テロ事件『関東事変』。


 これは、エデンの子と呼ばれた子供達の戦い。


 『こちらイーサ。ベルカナ、準備はいい?』


 通信。漆黒の塗装に、大鎌を携えた機体が森林地帯の闇に潜んでいた。

 すぐ隣では大型のライフルを構えたバイザー式のカメラアイを備えた機体が片膝姿勢から直立姿勢に移行していた。


 『うん』


 語られなかった子供達の戦い。

 結末は――――誰も知らない。






 『………これは復讐なんかじゃない。私達の生まれてきた意味を知るために!』


 二機の幽鬼が暗闇で眼球を光らせた。

 コールサイン“フギン”と“ムニン”は、目前にある敵へと襲い掛かっていった。

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