アナタとの出会い/中村やにお
ねえ、|SOSO|〈曹操〉。
私たちの出会いを覚えてる?
私は天命とか、かなり信じちゃう性質〈タチ〉だから、
あれはやっぱり、天命だと思う。
だから、いつかあなたと――。
* * *
その日。
アイドル、劉備玄徳はひとり、街を歩いていた。
いつも輝くような笑顔の彼女にしては珍しく、浮かない顔だ。
休日の繁華街。
駅から続く道の両脇には、当然、アイドルショップが並んでいる。
少し前までなら、そこには数多のアイドルたちのCDや写真、グッズが並び、それを求める人々で賑わっていたはずだ。
だが、今――。
日曜だというのに、ほとんどのショップがシャッターを下ろし、店を閉めている。
街は荒れ果て、人々から笑顔が消えている。
黄巾の乱。
黄巾党と呼ばれる凶悪なアイドルファンによる暴動の影響である。
いや、既に彼らはファンですらなく、ただの厄介者、愚連隊と言っていい。
アイドルへの愛もなく、違法取引で手に入れたチケットによって集団でライブ会場に乗り込み、荒らす。
アイドルを応援するために輝くペンライトすら、彼らが持てば凶器となり、黄巾党以外のファンを排除するために振るわれる。
黄巾党の暴走はライブ会場のみならずアイドルショップでも行なわれ、結果、こうして街は閑散としているのだ。
「アイドルって、みんなを笑顔にするための存在……そのはずなのに……ひどいよ」
劉備玄徳は、無意識にそうひとりごちていた。
彼女はアイドルである。
アイドル乱世、天下を治めるアイドルはなく、無数のアイドルたちが群雄割拠するこの時代。
長らく続く乱世に人心も疲弊し、社会も荒廃していた。
その結果が、黄巾の乱。
先の見えない閉塞感、絶望が、若者たちを暴動へと駆り立てるのだ。
「私は、どうしたらいいんだろう……」
劉備玄徳はアイドルとはいえ、まだ正式なデビューをしていない、いわば、研修生の身である。
アイドル乱世を終わらせる。
人々を笑顔にする。
そう決意してアイドルになった。
しかし、現実は厳しい。
基礎レッスンを繰り返す日々。
立ち上がってはいつの間にか消えているデビュー企画。
先は見えず、焦りだけが募っていく。
「雲長ちゃん、益徳ちゃん、心配してるかな」
関羽雲長。張飛益徳。
共にユニットとしてアイドル道を歩むと誓い合った義姉妹たち。
今日も三人でレッスンの予定だったが……。
劉備は体調不良を理由に、休んだのだ。
「メッセージ……いっぱい来てる」
スマートフォンにアプリ経由でメッセージが来ているのは気づいている。けれど、見て、返信する気力が湧いてこなかった。
家で鬱ぎ込んでいることにも耐えられず、こうして街に出てきたものの、気持ちは晴れなかった。
「あれ? あの看板……」
劉備が視線を向けた先。路地の入り口に看板があった。
ライブハウスのものだ。どうやら、営業中のようだ。
黄巾党の暴れるこんな時期にライブとは、豪気なオーナーなのだろうか。だが、半ば路地に隠れるように置かれた様子からは、迷いのような気持ちも感じる。
「アイドルの……ライブだ」
かつては毎日DVDやブルーレイ、ライブハウスで見たライブから、このところはすっかり遠ざかっていた。
見てみよう、と、決意したわけではない。
むしろ、見たくないとすら考えた。
けれど――劉備はなぜか、看板の示す先へと足を向けていた。
* * *
ねえ、|SOSO〈曹操〉。
私たちの出会いを覚えてる?
初めて出会ったあのライブハウス。
小さくて、設備もお客さんも少なくて、
でも、あの日のステージは、とっても輝いてたんだ。
* * *
小さなライブハウスだった。
舞台に立っているアイドルも、初々しい新人。
客も、そう多くはない。
けれど――。
その拙い歌声が、まばらなコールが、胸に染み入ってくる……そう、劉備は感じていた。
「やっぱり、アイドルっていいな」
「ええ、そうね」
「あっ……え、っと……?」
劉備の隣に立っていた少女が、独り言に応じた。
目深に被った帽子。輪郭を隠すような髪。
顔の大半は隠れているが、それでも整った容貌なのがわかる。
「あなた〈〈も〉〉、アイドルなんでしょう」
「えっ、あ、はい……どうして……」
「わかるわ。私もそうだから」
まだ正式なデビューもしていないアイドル。
自分を知っているファンなどいるはずもない。
なのに彼女は、劉備玄徳がアイドルだとわかるという。
不意に、劉備は肌が粟立つのを感じる。
感動、だろうか。
自分はアイドルなのだ――そう、言ってもらえたことへの。
「名前……」
「は、はいっ、なんでしょう!?」
「名前、なんていうの?」
「あ、名前は、そ……〈〈そ〉〉、〈〈そ〉〉……」
〈〈それは〉〉――言っていいのだろうか。
言ってもどうせ知らないだろう、と思う。
それ以上に、自分は、劉備玄徳は果たしてアイドルなのか。再び自信がなくなる。
候補生ではあるかもしれない。
いや、そうだろうか。このままで、本当にアイドルになれるのだろうか。劉備は迷い、言葉に詰まる。
だが、彼女は誤解したようだった。
「へえ、あなたもSOSOっていうんだ」
「え!?」
「私のニックネーム。SOSO」
そう呟いた口元に、ステージを見上げた目元に、誇りがある。
我こそはアイドルだと。
この天下に覇を唱えるべく歌うものだと。
眩しかった。
「わ、私、は――――」
不意に、アイドルソングに騒音が混じり込む。
これは――
「蒼天! 已死!
黄天! 当立!」
ジャーン! ジャーン!
ひび割れたような怒声、罵声の叫び。
乱暴に、ただただ強く叩かれる銅鑼の音。
大音量の不協和音。
ライブハウスの中がにわかにざわめいた。
「蒼天MIX……! 黄巾党だッ!!」
「見つかったぞ、黄巾党が入ってきた!」
「クソッ、曲が無茶苦茶だ!」
黄色いバンダナで口元を覆った黄巾党のならず者たち!
狭い入り口から、ひしめきあって入り込んでくる。
「あの、チケット……」
「おらよ! キンチケだ!」
口元の黄色いバンダナ――黄巾から、チケットの半券が吐き出される。チケットを、口にくわえているのだ!
半券を思い出として大事に取っておくアイドルファンなら決してしないような所業。
黄巾党を“
ステージ上にいたアイドルたちが、慌てて控室に逃げ込んでいく。
カラオケ音源だけが虚しく響き、黄巾党たちは、主なき伴奏に向けて「ウリャ! オイ!」と怒声を上げている。
地獄絵図であった。
「SOSOさん、私たちも逃げないと……」
劉備は怯え、SOSOの服の裾を引っ張った。
黄巾党たちにアイドルだと知られれば、どんな乱暴な握手や、チェキでのツーショットを強要されるかわからない。彼らに道理は通用しないのだ。
「逃げる? なぜ?」
「なぜって、だって、私たちはアイドルだから……」
「そう、私たちはアイドルよ。だから逃げない」
帽子を剥ぎ取り、顔を跳ね上げ――髪の毛が舞う。
闇夜に差し込んだ月光のようなその美貌。
「ヒャッハー! アイドルだー!」
「襲え襲えーッ!」
「黙りなさい」
一声。
ただの一声で、黄巾党たちはその動きを止めた。
覇気――本物のアイドルだけが持つ、超常のオーラ。
静まり返ったライブハウスを、SOSOは歩く。
黄巾党たちが道を開ける。神話の一場面のように。
小さなライブハウスだ。
ステージといっても、ささやかに、一歩、客席より高いだけ。
だというのに、彼女が登った瞬間、そこは天上の舞台のように、高く、輝いて見えた。
あれほど、ライトは明るかったろうか。
先程までは手を伸ばせば届くものだったステージは、いまや、遥かの高みに思える。
なのに、壇上のアイドル――SOSOの表情は、先程よりもはっきりと見える。
視線を吸い寄せ、だが狼藉者は近づけない。
「これが……アイドル」
劉備は震えていた。
あれがアイドルだというなら、自分は――
「アイドル――曹操孟徳。義によって飛び入りするわ」
PAブースに視線ひとつ。
計ったようなタイミングで、前奏。
前のグループが歌う予定だったカバーソング。
大アイドル時代の始まりとなった“始皇帝”、A-SAYのヒットソング「朕はアイドル」だ!
「ウ、ウリャ……?」
「ウリャ……オイィ……?」
「ソウ、ソウ……?」
戸惑う黄巾党たち。
気圧されているのだ。
困惑の中、凛とステージに立った曹操。
そして、歌が始まった。
* * *
ねえ、|SOSO〈曹操〉。
私たちの出会いを覚えてる?
初めて聞いたSOSOの歌声は、眩しくて、苦しいほど愛しくて。
だから私は――。
* * *
圧倒する。
これほど、その言葉にふさわしい光景はなかった。
曹操の歌声に、先程まで奇声を上げ、飛び回っていた黄巾党は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
完全なる支配。
完璧な――パーフェクトアイドル。それは、後に曹操孟徳のニックネームとなる。
だが――
そう、完璧であるならば、これで終わるわけがない。
アイドルのライブで“ファン”が棒立ちでいいわけがない。
Aメロ。切り裂くようなハイトーンと共に、曹操が客席を一瞥。
まるで操られたように、黄巾党が叫ぶ。
「そ……曹操!」
「お~れ~の、曹操!!」
コールである。
先程までの、曲のリズムや空気を無視した奇声ではない。
曲を引き立て、アイドルを応援する――
“真のコール”であった。
しかも、初めて曹操を見たはずの巾チケたちまでが、曹操の“推し”になっているのだ……!
「すごい、SOSOさん……」
劉備は震えていた。
気圧されていた。
あまりにも完璧で、あまりにも遠く。
これが、アイドル。
魅入られて立ち尽くす。
一ファンとなって、共にコールする。
曹操の前に、一塊の、“ファン”となる。
それも、幸福だったかもしれない。
曹操孟徳、後の“パーフェクトアイドル”には、それだけのアイドル力があった。
だが、しかし。
彼女は劉備玄徳なのである。
「へえ……私をそんな目で見るアイドルが、まだいたのね。ふふっ、野には面白い者がいる」
間奏である。
黄巾党たちは既に、黄巾を剥ぎ取り、ただの――正当なる“ファン”として声を上げている。
その中を、劉備は進んだ。
前に、ステージに。
「もうひとりのSOSO、あなたも“こちら側”に来るのね?」
「SOSO……いえ、曹操さん。私は――SOSOではない。私は――」
跳んだ。
たった一段上の、だがとてつもなく遠いステージに上るため。
劉備は跳ぶ。光の中へと飛び込んでいく。
「私は劉備、字は玄徳! ――アイドルです!」
ふっ、と。曹操が笑う。
アイドルとしての“魅せる”笑いではない。
面白くてつい笑ってしまった、そんな、素の笑みだ。
「いいわ、劉備。――歌いましょう」
「はいっ、曹操さん!」
そして、歓声――――。
* * *
ねえ、|SOSO〈曹操〉。
私たちの出会いを覚えてる?
ふたりで歌った初めてのライブ。
正直、なにひとつ敵わなかった。
私はやっぱり、まだアイドルの卵で、
あなたはもう、“パーフェクトアイドル”。
あの頃から、ずっと。
でも――ねえ、|SOSO〈曹操〉。
今のあなたは、とても孤独に見えるよ。
私はもう一度、あの時のようにあなたが笑うのが見たい。
そのためには――。
* * *
そして――しばし後。
ライブハウスを出たふたり、劉備と曹操は、駅までの道を歩いている。
「曹操さん……あの、えっと……」
「なによ、偽SOSO」
「いやっ、違うの、騙すつもりはなくて……!」
「冗談よ、劉備。で、なに?」
「楽しかった……ですね」
「……」
「あの、ふたりでの……ライブ」
「ふん、ライブなんて言えたものじゃないわ」
「え……」
「ピッチは安定しない、リズムは崩れる、歌詞は間違える、振り付けもできていない、表情も作れていない……『朕ドル』くらいの定番、覚えていて当然でしょう?」
「うっ、す、すみませ~ん……!」
「でも――」
曹操は不思議そうに劉備を見る。
「まるでなってない、けれど、あなたは“アイドル”だった」
うん、と劉備は頷く。
晴れやかに笑う。
自分は、アイドルなのだ。
圧倒的な“上位”である曹操を見て、思い知ったのだ。
いくら実力が足りなくても、アイドルでなくなることはできない。
だから――進むしかない。
「私は、アイドルだよ」
「……そうね、個人としては何一つ“アイドル”に達していないのに……まるで、そう、ひとりなのに、三人くらいいるような……」
「はいっ、あの、雲長ちゃんと益徳ちゃんと一緒に歌ってるつもりで、歌いました!」
ステージに立った時、いや、立つ前から、劉備にはわかっていた。
曹操は、自分が並び立てるような存在ではないと。
だが――ひとりではダメでも、三人なら――。
――デビューの日は違っても、引退する日は一緒なの!
――ウチら、なんかマジファミリー感ある~♪
――ライブハウス“桃園”での誓い……“桃園の誓い”ってところね。
「三人で歌った……か。面白いわね、あなた」
「えへへ、ありがとう、曹操さん」
「SOSOでいいわ……あなたなら、いえ、あなたたちなら、いつか、この曹操の隣に立てるかもしれないわね」
「うん、いつか一緒にライブしよう!」
この後――。
黄巾党の乱は、曹操を筆頭に、新たに当確を現したアイドルたちによって平定された。
劉備玄徳、関羽雲長、張飛益徳による三人組アイドルユニット「Shock-Can」は、その後、“パーフェクトアイドル”曹操孟徳のライブにて、オープニングアクトを務めることになる。
しかし、やがてアイドル天下は三分され、劉備は曹操の最大のライバルとして対立することになる……。
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