怪盗ルパン神秘録~半熟紳士と蒼い薔薇/華南蓮
「モーリス君、君は蒼い薔薇を知っているかね!?」
ある晴れた日の午後、我が親愛なる友、アルセーヌ・ルパンが突然、窓から飛び込んできた。
薄切りのきゅうりを挟んだサンドウィッチを喉に詰まらせる私に、ルパンが苦笑しながらカフェオレを手渡す。
「いや、知らないな。君が言うからには、有名な宝飾品かい?」
目を白黒させながら問い返した私に、彼は茶目っ気たっぷりにモノクルを指で押し上げた。
「おやおや、モーリス君。蒼い薔薇とは無論、植物の薔薇のことさ。その花弁は蒼穹のごとく透き通った青。まさに花の形をしたサファイアといったところか」
「そんなものがあるはずないじゃないか!」
蒼い薔薇はこの世に存在しない。
数多の園芸家が花を掛け合わせ、作ろうとしたが、未だその色を生み出せたものはいないのだ。
ゆえに蒼い薔薇の花言葉は、『奇跡』。
だが目の前にいる男は、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、ちっちと指を振ってみせる。
「それがね、あるのだよ、モーリス君」
彼の話によれば、南仏のとある遺跡の奥深くに隠された花園があり、そこにひっそりと一輪の蒼い薔薇が咲いている、という。
そして、朝露に濡れ咲いたばかりの蒼薔薇を摘むものには、奇跡の力が与えられるそうだ。
……うさんくさい。
「どうだい、
ルパンが子どものように目を輝かせ、テーブルに身を乗り出す。私とさして年も違わないはずなのに、この男はいつまで経っても無邪気なものだ。
初めて出会ったときから、何ひとつ変わりやしない。
「やれやれ、君はそう、うさんくさい話をいつもどこで仕入れてくるんだい?」
「ふっ、神秘が私を呼び寄せるのだよ」
かっこつけて帽子をかぶった彼が、私に手を差し出す。
「と、いうわけだ。さあ、行こうじゃないか、モーリス君! 神秘の旅へ!」
こうなっては、私に拒否権などない。
それに、彼の持ち込む冒険に心を踊らされているのは私もなのだ。躊躇うことなく、私は彼の手を握る。
かくて、私たちは奇跡の蒼い薔薇を求め、旅に出た。
南仏。遺跡の奥深く。
「危ないっ!」
ルパンが私のコートの裾を強く引いた。
ぐらりと体を後ろに傾がせた私の鼻先を、矢がかすめていく。
壁に突き刺さった矢の先端は、ぬらりと気味の悪い紫に染まっていた。
「だから言っただろう。私より先に歩くものじゃあない、とね。まったく君ときたら、不用心に過ぎる」
「すまない。だが、こうも興味深いことが多いと、ついメモが捗ってね。だいたい、君だって、さっきの部屋では――」
「あーあーあー、聞こえないな~!」
奇跡の蒼い薔薇が眠る遺跡というだけあって、トラップは満載だ。
元は著名な錬金術師が研究施設にでも使っていたのか。さきほど見つけた一室などは、持ち帰りたい書物に溢れていた。
ルパンと二人、夢中で漁った結果、部屋の罠に気づかず、あわや吊り天井につぶされかけて、ほうほうの体で逃げ出したのだ。
「とっ、とにかく! 私の方がトラップ探索能力には優れてるんだ。君は黙って、私の後をついてくればいい! 私のかっこいい姿を記録に残すためにもね!」
「はいはい」
そして、数歩歩いたルパンの身長が、突如、縮んだ。カチっと彼の足元で音がする。
「君、今、何を踏んだんだい?」
「さあ……ははは、しかし、こう奥から嫌な音がするね」
ルパンの言う通り、通路の奥からごろごろと何か硬く巨大なものが転がってくる音が響いてきた。ちらりと遠目で見ると――
巨大岩だ! 押しつぶされる!
「逃げるぞ!」「言われなくても!」
私たちはくるりと方向転換すると、必死で走り出した。
ドボォォォォンッ!
大岩から逃げ、曲がり道に飛び込んだ瞬間、足元が消えた。直後、全身をぬるりとしたものに包まれる。
「わぷっっ!」
どうやら沼に飛び込んだらしい。水面に顔を出すと、ルパンも泥まみれの顔でこちらを見ていた。憮然としている。
「……かっこいい君の姿を記録に残せばいいんだっけ?」
「このことを書いたら、君の大事なものを盗んでやる」
とんでもない脅しだ。だが、こっそり記録には残しておこう。面白いし。
「だが、見ろよ、モーリス君。怪我の功名とはこのことだぜ」
沼から上がり、ルパンが目の前を指さす。
そこには麗しい花園が広がっていた。
不思議な空間だった。
遺跡の中だというのに、そこだけぽっかりと天井がくりぬかれ、燦々と太陽が照っている。
穏やかな日差しの下、咲き乱れる花々は季節も植生もバラバラだ。
「神秘だ! この花園そのものが神秘だと思わないかね、モーリス君!」
ルパンが目を輝かせ、どろんこのまま、花園を走り回る。まったくまるで子どもじゃないか。何が怪盗紳士だ。
「さあ、肝心の蒼い薔薇はどこかな!? ……ん?」
だが、ルパンが唐突にその足を止めた。
「どうしたんだい、ルパン。何かあったのかい?」
私に質問にも返事をしない。ただ、ぼうっと突っ立っている。その視線を追えば、理由がわかった。
清らかな泉のほとりに一人の乙女が立っていた。
水晶のごとき髪が腰のあたりまで波打ち、肌の白さは雪のよう。何より鮮烈なのはサファイヤの輝きを宿す瞳だった。
「……可憐だ」
ルパンがふらふらと操られたように、乙女に近づく。乙女は私たちに気づくとやわらかかく微笑んだ。
「まあ! お客様だなんて珍しいわ。その姿はどうなさったの? 泥遊びかしら」
「いや、これは、その……ははは」
ルパンが頬を赤くし、乙女から目をそらす。こいつめ、また恋をしたな。
「よろしかったら、我が家にいらして。お洗濯くらいはできますわ」
「はいっ、喜んで! さあさあ、モーリス君、お邪魔させてもらおうじゃないか」
私が返事をする前にルパンはぐいぐいと私の手を引いて、彼女についていってしまう。……やれやれ、これが罠だったらどうするんだ。
まあ、面白そうだから、私はかまいやしないがね。
ローザと名乗った乙女の家は花園の片隅にあった。
こぢんまりとした小屋だが、家主の人柄を現すように暖かい雰囲気がある。
着替えまで貸してもらい、さっぱりとした私たちにローザはお茶を出してくれた。
薔薇の香りのするお茶は、ほのかな酸味がある。泥で濡れ、冷えた体にはとてもありがたかった。
「まあ、ではお二人は蒼い薔薇を探しにいらしたの?」
「ああ、そうなんだ。ローザはずっとここに住んでいるのだろう? 蒼い薔薇について知っていたら、教えてくれないか?」
ルパンはすっかり骨抜きになっているようで、にこやかに話をしている。まあ、なんだかんだいって勘の働く男だ。
これだけリラックスしているということは、彼女は危険な存在ではないんだろう。
しかし、これだけ罠の仕掛けられた遺跡に咲く薔薇だ。そう簡単に教えてくれるだろうか。
と、思っているとローザは嬉しそうに頷いた。
「ええ! ちょうど良かった。明日の朝、新しい薔薇が咲くの。あなたたちが来てくれて、とっても嬉しいわ」
「いいのかい? その……私たちが見ても」
不安になって尋ねるとローザはあえかな笑みを私たちに向けた。
「ええ。だって……誰にも見られることがないなんて、寂しいもの」
その言葉が何を指すのか、そのときの私たちは知るよしもなかった。
翌朝、私たちはローザに連れられ、泉のほとりへとやってきた。
水辺に白い薔薇のつぼみが今にも咲こうとふくらんでいる。
「これが、あなたたちの探している蒼い薔薇」
「これが? でも、これはただの白い薔薇じゃないのかい?」
ルパンが怪訝そうな顔をする。ゆっくりと首を振って、ローザがつぼみの前にひざまづいた。
「いいえ、これは蒼い薔薇。時は満ちた。今、二つのつぼみが合わさって、咲くときがやってきたの」
「二つのつぼみ? それはどういう――」
ルパンの問いが終わる前に、ローザが薔薇のつぼみに口づけた。
蒼くまばゆい光が、つぼみとローザを包み込む。
「ローザ、君はっ……!?」
乙女へと伸ばしたルパンの手がむなしく空を切った。ローザの全身が透き通り、つぼみの中へ、溶けて吸い込まれていく。
「忘れないでね。どんな綺麗な花も見る人がいなければ意味はないの」
「ローザ!」
「また会いに来てね。私は何度でも何度でも時が満ちるたびに咲くから……」
やわらかく澄んだ笑みだけを残して、ローザは消えた。
朝露に濡れ、咲き誇る蒼い薔薇だけを残して。
数日後。
パリの雑踏を足早に私とルパンは歩いていた。
花屋の店先で、ふとルパンの足が止まる。視線の先には色とりどりの薔薇。
赤、白、黄、ピンク。
けれど、蒼い薔薇はどこにもない。
「いいのかい? 手放してしまって。あれは君が探し求めていた――」
「……モーリス君、摘んではいけない薔薇というのも存在するのだよッ!」
拗ねたように吐き捨て、それでも彼は私を見れば、茶目っ気たっぷりに微笑んでみせた。
散々苦労した末のくたびれもうけだが、これだからルパンという男は憎めない。
あくまで紳士たらんとする姿勢に免じて、罠にはまって泥まみれになったことは記録から削除しておいてやることにしよう。
「さて、モーリス君。新たな神秘の話を聞いたのだがね――」
「はいはい、今度はどこだい?」
蒼薔薇のトゲに刺された痛みを飲み込み、次の冒険の話をするルパンに私も歩調を合わせる。
けれどきっと、またいつか私たちは見に行くのだろう。
可憐で寂しがり屋な奇跡の花を。
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