第二章 レディ・ドラキュラ⑧【書籍用改稿版】
かりんの無事を確かめたあと、彰文は浩太郎と別れ、自宅にもどった。
夕方になり母親が帰宅したので、今日は学校を休んだことを打ち明ける。
ネットゲームで知り合った友達が怪我をしたので、浩太郎と見舞いに行ったと説明しておく。
母親はすこし驚いたようだが、叱りはしなかった。
彰文は真面目なほうだし、大きな問題を起こしたことはない。
これまでは親に嘘をついたり、秘密にするようなこともなかった。
だが、クリエイターとなり、アカシックレコードでシミと戦っていることは、絶対に言えない。
言っても信じてもらえないだろうし、信じてもらったとしたら、今度は猛反対されるに決まっているからだ。
(もしも僕が向こうで死んだとしても、父さんや母さんが悲しむことはないんだな)
彰文という子供はもともといなかったと、現実のほうが書き換わるからだ。
そう思うと、すこし心が軽くなる。
やがて時間が来て、彰文はスマホを起動し、〝悪魔の書架〟に入った。
「彰文さま!」
すぐにライラが走り寄ってくる。ひどくあわてている様子だ。
「浩太郎さまとかりんさまが大変なんです!」
「ふたりがどうかした?」
彰文は驚いて訊ねた。
「あちらで……」
ライラが振り返る視線の先を追いかけると、かりんがいつも紅茶を飲んでいるテーブルでふたりが向き合っている。
何事か激しく口論していた。
本の悪魔の姿はない。
彼はアカシックレコードの擬人化だから、こちらの世界には遍在しているはずだ。
だが、必要ないかぎり、あるいは都合の悪いときには、姿を見せない。
「どうしたんだ?」
彰文はふたりのところに行き、声をかけた。
「浩太郎くんが、もうやめようって言い出したのよ」
かりんが憮然と言う。
「だって、そうだろ? かりんは怪我をしたんだぜ。傷は残らなかったけど、痛みはまだあるらしい……」
浩太郎が同意を求めるように振り返ってくる。
「怪我なら治せる。だけど、死んでたかもしれないんだ」
たしかに危ないところだった。
作品世界では、修正力が働くため、物事は基本的にストーリーどおりになる。
だが、いったんそこから離れると、なにが起こるかわからない。
昨夜はそれを思い知らされた。
「そのリスクは、承知していただろ?」
彰文は浩太郎を見つめる。
「わかってたつもりさ。けど……」
「かりんが怪我をしたのを見て、恐くなったとか?」
「それもある……」
浩太郎はそこで言葉を切る。だが、しばらく待ったが、それ以上は続けなかった。
(かりんや僕を危ない目に遭わせたくないのだろうな)
友達になって間もないが、浩太郎の性格はわかっている。
「あなたの作品がどうなってもいいの? あなたの分身ともいうべき主人公や、アーミリカがいなくなってもいいの?」
「よくないさ。決まってんだろ!」
かりんに問いかけられ、浩太郎が声を荒らげる。
「アーミリカは『レディ・ドラキュラ』の世界に存在していた。俺たちとまったく同じように、生きていたんだぜ。俺が勝手に創ったキャラなのに……」
浩太郎が歯を食いしばる。ぎりっという音が聞こえたような気がした。
「それでも、俺たちにとって大事なのは、現実世界のほうだろ?」
「私にとっては違うわ……」
かりんが静かに首を横に振る。
「私は小説を読むのが好き。書くのも好き。いろんな妄想をして、それを文章にして残したい。悪魔の書架に来て、すべての作品にそれぞれの世界があることを知って、とても素敵なことだと思った。私は愛読している作品世界に入って、大好きな王子――キャラクターに会った。そんな作品を消そうとするシミを、私は許さない」
「かりんなら現実世界でだって、王子ぐらい見つけられるだろ?」
浩太郎がテーブルに両手をつき、かりんのほうに身を乗り出す。
「無理よ……」
かりんがゆっくりと首を横に振った。
「だって、私には婚約者がいるもの」
「……婚約者?」
浩太郎が唖然として、彰文を振り向く。
「結婚を約束した相手ってことだろ」
彰文は辞書をひくように言った。
「それぐらい、わかるっての!」
浩太郎がテーブルをどんと叩く。
「こういうことを聞くのはどうかと思うけど、もしかして政略結婚ってやつ?」
彰文はかりんに訊ねた。
「まあ、そうね……」
かりんが曖昧に返す。
たぶん違うのだが、説明するのが面倒だったのだろう。
「今時、そんなことって……」
浩太郎が唖然となる。
「あるのよ……」
かりんが苦笑まじりに言った。
「おかしいでしょ? 親が決めた相手と結婚するなんて。でも、私の学校には、他にも何人かいるのよ。現代の日本でも、そういうことはあるの」
「つまり、その結婚相手が嫌いなんだな? だから妄想に逃避している……」
浩太郎は混乱しているのか、視線があちこちに泳いでいる。言葉選びもおかしい。
「誤解しないで。私の婚約者は立派な人よ。すこし年は離れているけど、顔はいいし、性格は優しい。高校のときには、テニスでインターハイに出てるわ。アメリカで経営を学び、今は商社で働いている。そして将来は実家の会社を継ぐことが決まっている」
かりんが憤然と言い返す。
「なんだよ、ホンモノの王子じゃないか?」
浩太郎が大きなため息をついた。自分と比べたのかもしれない。
「たしかに、少女マンガのキャラみたいだな」
彰文はうなずいた。
そういうなんでも持っている人間が本当にいるのだなと思う。
かりんの学校を見たときにも薄々感じたが、かりんと自分たちとは同じ現実世界にいるのに、異なる作品世界の登場人物のようだ。
「大学を出たら、私はあの人と結婚する。ただ、私はまだ本当の恋をしたことがない。だから、知りたいのよ。こちらの世界でね」
「よくわからねぇけど……」
浩太郎が首をさかんにひねる。
「それは、かりんにとって、大事なことなんだな?」
「ええ……」
かりんがゆっくりとうなずく。
(だから、かりんは『白蘭の三銃士』でヒロインじゃなく、王妃に感情移入していたんだな……)
婚約者がいるという自分の境遇を、フランスの王妃に重ねていたのだろう。
『白蘭の三銃士』で、王妃はひとりのイギリス貴族と恋に落ちる。だが、最後にはフランス王と真実の愛を築き、世継ぎを産み、フランスのために尽くす――
(かりんは自分を納得させようとしているのかもしれない。だとしたら、彼女の本当の気持ちは……)
だが、彰文はその先は考えないことにした。それは、かりん個人の問題である。
「俺は、まあ、いいんだけどな……」
そのとき、浩太郎がぼそりと言う。
「なにがよ?」
かりんがいらっとして、続きをうながす。
「いや、かりんは今、本当の恋をしたことがないって言ったよな? だったら、その婚約者のことを、どう思っているのか、って……」
浩太郎はかりんから目を逸らしながら答えた。
言うべきかどうか、迷ったのだろう。
(さすがだよ)
彰文はつい笑ってしまった。思ったことしか言えない、思ったことは黙っていられないのが浩太郎だった。
「そんなこと、あなたに関係ないでしょ!」
かりんが顔色を変える。
「わ、わかってるって。悪かったよ」
浩太郎があわてて謝った。
「とにかく! 浩太郎くんが降りるのは自由。でも、私は行くわ」
かりんが強い口調で言う。強引に話題を打ち切った感じだった。
「コイツは降りないよ……」
彰文は浩太郎の腕を肘で突く。
「そうだよな?」
「しゃあねぇだろ……」
浩太郎がため息をついた。
すでにさっぱりとした表情になっている。
切り替えが早いところも、彼の長所だ。
「俺の作品世界だものな。どうせ、彰文もやめるつもりはないんだろ?」
「もちろん」
彰文はうなずく。
「最初は浩太郎を手伝いたかっただけだ。でも、今は違う。僕の記憶からなにかが欠落していて、とても大切なことだという気がする。それは、こちらの世界でしか見つからない。その手がかりがライラなんだ」
そう言って、赤毛の少女に視線を向けると、ライラは照れたように笑った。
翼がぱたぱた動き、尻尾が左右に揺れる。
「ところで、どの話に入るんだ? もう一度、五話か?」
浩太郎が言った。
「それなのよね……」
かりんが怪我をした左腕を右手でさすりながら言う。
「シミに侵されていた魔物は倒した。でも、シミはまだ消えていない。つまりシミの〝核〟は他にあるということよ」
「だったら、これまで通り、順番にストーリーを追いかけてゆくのか? いつ、魔界の扉が開いて、魔物が現れるかわからないんだぜ?」
「そうね。あまり気は進まない」
かりんがうなずく。
「シミがどういうものか、まだよくわかっていないけど……」
彰文はそう前置きしてから、提案してみる。
「最初に魔物が出現したとき、ハーフミラーになっているビルの窓に、アーミリカが映っていた。『レディ・ドラキュラ』の世界では、アーミリカが映る鏡は、魔界とのゲートになる。そうだよね?」
「たしかに、そう設定したけどな」
浩太郎が苦笑する。
「たぶんだけど、『レディ・ドラキュラ』の世界は、シミの影響で、すべての鏡がアーミリカが映るように変わってしまったんじゃないかな?」
「ありえるわね……」
かりんが唇に手を当てながら言った。
「だとしたら、絶望的じゃねぇか?」
浩太郎の顔が強張る。
「そうね、鏡から出てくる魔物がすべてシミに侵されるわけだから」
かりんがため息をついた。
「核を叩けば直るのなら、まだ希望はある。『レディ・ドラキュラ』を読んだという記憶を書き換えられたくはない」
「彰文……」
浩太郎が感動したような表情を向けてくる。
「おまえって、ホント最高の読者だな」
「同感だわ。『白蘭の三銃士』以外の私の作品も、ぜひ読んでね」
かりんが笑顔で言う。
「ただ、小説を読むのが好きなだけだって」
彰文は照れた。
最高の読者というのは、褒めすぎだと思う。
自分より凄い読み手はいくらでもいる。
「で、シミの核がどこにあるかだけど……」
「それな? すべての鏡を壊してまわるなんて、できっこねぇし」
「その必要はないよ。壊すべき鏡はひとつでいいはずだ」
彰文にも確証はない。だが、設定的に、それしかないと思う。
「どうして?」
かりんが訊ねてくる。
「すべての鏡にアーミリカは映る。だけど、アーミリカを映さない鏡はひとつしかないからだよ。今はそれが逆転している」
「そうか〝反魂の姿身〟……」
浩太郎がはっとなる。
「アーミリカを映すただひとつの鏡。それがシミに汚染され、アーミリカが映らなくなった。逆に、普通の鏡にアーミリカが映るようになった」
「ロジックが完全に逆になったわけね」
かりんが言った。
「彰文! アーミリカが魔界から帰ってくるのは何話だった?」
「第七話だよ」
彰文は即答した。
「よしっ、さっそく行こう! オレの『レディ・ドラキュラ』を蝕むシミに引導を渡してやるぜ」
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