第二章 レディ・ドラキュラ⑦【書籍用改稿版】
〝栞〟を出ると、本の悪魔が出迎えた。
「無事でなにより」
悪魔が労いの言葉をかけてくる。
「無事じゃねぇよ!」
浩太郎が大きく腕を振り、声を荒らげた。
そして本の悪魔に挑むような視線を向ける。
「かりんが怪我をしたんだぞ?」
「ふむ……」
悪魔がうなずく。
仮面なので表情はわからないが、かりんの怪我のことは知っていた様子だ。
「クリエイターの諸君には、いつも申し訳なく思っている。だが、私にはシミを消滅させる手立てがないからね」
「とりあえず、シミは退治したわ」
かりんが悪魔に報告する。
「そのことなのだがね……」
悪魔がため息まじりに一冊の書物を虚空から取り出す。
タイトルを見ると、『レディ・ドラキュラ』だった。
「残念ながら、この作品はまだシミに蝕まれているようだよ」
「えっ?」
三人のクリエイターは驚いて、顔を見合わせる。
「インビジブルストーカーは、シミの核じゃなかったの?」
かりんが眉間に皺を作った。
「もちろん、他の魔物でもない。だとしたら、いったいなにが……」
「そんなこと、今はどうだっていい!」
浩太郎がかりんを叱りつけるように言う。
「とにかく早く、現実世界に帰れって。病院で診てもらわないと」
「これぐらい、大丈夫よ」
かりんが答えたが、顔色はひどく悪い。まるで紙のようだ。
出血のせいなのか、痛みのせいなのかはわからない。
「大丈夫じゃないっての!」
浩太郎が怒鳴る。
「勝手に決めつけないでよ」
かりんがむっとして、浩太郎に言い返す。
「喧嘩している場合じゃないだろ?」
彰文はあわててふたりのあいだに割って入った。
「シミを取り除けなかったのは残念だけど、今日は解散しよう。僕もひどく疲れた」
彰文はふたりを交互に見ながら、提案する。
「……そうね。明日、同じ時刻に集合しましょう」
かりんが深く息をつく。
そしてスマホを取り出すと、画面に指を走らせた。
「ごきげんよう……」
力のない声を残し、かりんの姿は悪魔の書架から消える。
「あいつ、本当に大丈夫なのか……」
浩太郎が一瞬前までかりんがいた場所に、無意識に手を伸ばしながら言う。
「どうだろう?」
彰文はそう言って、本の悪魔にちらりと視線を向ける。
大丈夫だと言ってほしかったのだが、悪魔は無言だった。
「心配だな……」
彰文はため息をつく。
「ここで起きたことは、現実世界を書き換えてしまうわけだから……」
「出血多量で死ぬなんてことないよな?」
すがりつくような表情で、浩太郎が同意を求めてくる。
「わからない……」
彰文は首を横に振るしかなかった。
かりんの怪我はひどいものだったが、出血は止まっていたし、処置も受けている。
常識的に考えれば、命に別状はないだろう。
だが、そう言い切れるほど、医学的な知識があるわけではない。
「会いにゆくしかねぇ……」
浩太郎が決意の表情で言う。
「現実で?」
「決まってんだろ」
「いいのかな?」
彰文はあまり乗り気になれなかった。
かりんに迷惑がかかりそうだし、明日の夜には悪魔の書架で会う約束もしている。
「いいに決まってんだろ! あいつは仲間なんだぜ! しかも、俺の作品のために怪我をさせちまって……」
泣きそうな声で言い、浩太郎がうつむいた。
「わかったよ……」
彰文はうなずく。
浩太郎は明日の夜まで、待っていられないのだろう。
「制服から、彼女の高校を調べてみる。明日、行ってみよう」
女子高の制服をネットで検索するという、恥ずかしくもあり、後ろめたくもある作業の結果、予想どおりというべきか、かりんは超がつくお嬢さま学校の生徒だとわかった。
校則は厳しく、男女交際はもちろん禁止されている。
男子高校生が普通に訪ねてゆくわけにはゆかない。
そこで浩太郎と連絡を取り、いろいろ作戦を練った。
翌朝、いつもより早く家を出て、彰文の家の最寄り駅で待ち合わせる。
そこから電車をいくつか乗り継いで、かりんの女子校に向かう。
途中のトイレで、私服に着替える。
目的地に着くと、GPS機能を使うスマホゲームで遊ぶふりをしながら、通学路をうろうろ歩き、登校中の女子生徒のなかから、かりんの姿を探す。
校門には警備員が立っているし、周辺は教師も巡回している。
質問されたら、中卒のフリーターだと答えるつもりだ。
幸い、浩太郎の髪型はそう見えなくもない。
だが、スマホゲームのおかげか、さほど怪しまれなかった。
このあたりは、レアなユニットが出現する〝穴場〟なのである。
彰文たちの他にも、何人か立ち止まってスマホを覗く通行人の姿があった。
それでも、警備員や教師らはちらちら見てくる。
今にも声をかけられそうで、不安だった。心臓がばくばく鳴る。
だが、びびったら挙動がおかしくなりそうなので、できるかぎり堂々と振る舞った。
しかし登校時間には、かりんを見つけることはできなかった。
あれだけの怪我である。学校を休んだのかもしれない。
もちろん、単純に見逃したということもある。
「どうする?」
彰文は浩太郎に訊ねてみた。
「下校時間にもう一度来よう」
予測どおりの答が返ってくる。
それから、ふたりは下校時間まで、近くの公園やコーヒーショップ、本屋などを巡って時間を過ごした。
会話はほとんどしない。彰文は本屋で買った好きなラノベの新刊を読み、浩太郎は異世界ファンタジーの新作を書いていた。
だが、ふたりともまったく落ち着かず、彰文は本を一冊読むのがやっとだったし、浩太郎もため息をつくばかりで、筆はほとんど進まなかったようだ。
そして下校時間が近づき、もう一度、かりんの学校へと向かう。
警備員から見えない場所で、ゲームをしながら待っていると、女子生徒らが何人かのグループを組んで、次々と校門から出てくる。
彰文と浩太郎はかりんが出てくるのをじっと待つ。
そして下校時間になって、十五分ほどが過ぎたときだった。
「いた!」
浩太郎が声をあげた。
彰文はあわてて顔をあげ、かりんの姿を確認する。
「作戦どおりに」
彰文は浩太郎に呼びかけた。
「お、おう!」
浩太郎がうなずくと、スマホを持ちながら、小走りで校門のほうへ走る。
「待てよ! 抜け駆けすんなよ!!」
彰文がわざとらしい声をあげながら、浩太郎を追いかけた。
レアなユニットが出現し、取り合いをしているふりである。アイデアは彰文が出し、シナリオは浩太郎が考えた。
「俺のだっつーの」
浩太郎が足を速める。彼の演技のほうがあきらかに自然だ。
名門の女子校とはいえ、そこは社会現象にすらなっているスマホゲームである。知っている生徒も多いようだった。
何人かの女子生徒が彰文たちを振り返り、くすくす笑っている。
正直、かなり恥ずかしい。だが、今は我慢するしかなかった。
そして、ふたりはかりんの側を通りすぎる。
「ゲットした!」
浩太郎が声をあげた。
「ひっでぇ~」
彰文が文句を言って、浩太郎の背中を叩く。
当然だが、かりんに声はかけない。視線すら向けない。彼女との関係を疑われるわけにゆかないのだ。
「本屋へ寄ろうぜ。『レディ・ドラキュラ』の新刊が出てるはずなんだ」
彰文は浩太郎に声をかける。もちろん、かりんにも聞こえるように、だ。
「ああ、あのシリーズか、おもしろいんだよな」
浩太郎が大袈裟にうなずく。
まるでステマだが、ふたりとも必死だった。
このまま駅前の大型書店に向かうつもりである。
かりんが後から来るかどうかはわからない。
彼女が無事だとわかっただけで十分だ。
彰文と浩太郎は、書店に入り、参考書の並ぶ棚の前に立つ。
幸いなことに、近くに他の客はいない。
彰文と浩太郎は参考書を選ぶふりをしながら、かりんが来るのを待った。
そして彼女はしばらくして姿を現す。
何食わぬ顔をして、彰文たちに背を向けて立つ。
「……どういうつもり?」
かりんが参考書を一冊取り、それを開きながら言った。口調が厳しい。
「気を悪くしたら、ごめん」
彰文はまず謝った。
「言い出したのは俺なんだ。彰文は付き合ってくれただけで」
浩太郎が感情を抑えながら言う。
「ま、そうでしょうね」
かりんがため息をつく。
「昨夜は怪我をさせて、すまなかった! 俺の作品のせいで……」
「私はクリエイターよ? あなたたちが悪魔と契約しなかったら、私ひとりで入るつもりだった。だから、気にしないで」
「……怪我は大丈夫?」
浩太郎は言葉が出ないようなので、彰文は訊ねた。
「ひどく痛むわ……」
かりんがため息をつく。
「でも、傷痕は残っていない。『白蘭の三銃士』でのダルタニアンは、ああ見えて〝ヒーラー〟なのよ。怪我をしたアラミスを治したり、毒を呑まされて昏睡状態だった恋人をキスで目醒めさせたりね」
「そういえば……」
彰文はそれぞれのシーンを思い出す。
「それに、シミを退治することになって、パートナーであるダルタニアンたちの能力は、ちょっと盛ったのよ。脳内設定で、いろいろ加えているの」
そう言って、かりんがくすりと笑う。
そのとき、他の客がこのコーナーに近づいてくるのが見えた。
「私はもう行くわ……」
かりんが手にしていた参考書を本棚に戻す。
そして出口に向かって歩きだしながら、浩太郎と彰文をちらりと見る。
「心配してくれてありがとう」
小声でそう言い残し、かりんは去ってゆく。
「……よかった」
かりんの姿が見えなくなるのを待ってから、浩太郎がその場にしゃがみこみ、膝に顔を埋めた。
そのまましばらく動かず、やがて小さく肩を震わせはじめる。
「本当に……」
彰文は浩太郎の肩に手をかけ、軽く揺すった。
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