第二章 レディ・ドラキュラ⑥【書籍用改稿版】

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「汚いところだけど、まあ入ってくれ」

 俺はアーミリカという少女を自分の家に連れて帰った。

「これが主殿の家か?」

 俺の家を見て、アーミリカは眉をひそめる。

「庶民じゃのう……」

「いちおう都内の一軒家なんだぜ?」

 俺はとりあえず反論してみた。

「そう言うオマエはどんなところに住んでるんだよ?」

「城じゃな」

「スイマセンでした……」

 俺は直立してから頭を深く下げた。



「俺はここでひとり暮らししてんだ」

 アーミリカを家にあげ、俺は自分のことを話しはじめる。

「兄弟姉妹はいないし、両親はレストランを経営していて、去年、海外に支店を出したんで、今は日本を離れているんだ」

「つまり、我は主殿とふたりきりで暮らすということか?」

「そ、そうなるな……」

 いろいろな妄想が膨らみ、俺はちょっとドキリとした。

(な、なにを期待してんだ。コイツは魔物なんだぞ。吸血鬼ヴラド・ドラキュラ伯爵の令嬢……)



「とにかくじゃ、我は主殿に穢されてしもうた……」

 アーミリカが怒りを抑えながら言う。

「ソウデスカ……」

 俺は謝るしかなかった。

 冷静に考えれば、傷口から血を吸いだすような真似がいかに愚かだったかわかる。だが、あのときは気が動転していたのだ。

「主殿を殺すことも考えたが、それは魔界の掟に反する。我が父ヴラドは〝境界の守護者〟を自認していてな。掟に厳しいのじゃ……」

 父親の名を出すたび、アーミリカの表情は強張る。

 ひどく恐れているように感じた。

「それゆえ、我は主殿の妻となることにした。だが、主殿が我が夫としてふさわしくないと判断したときには……」

 そう言って、アーミリカは殺意をこめた視線を向けてくる。

「ガンバリマス……」

 俺はそう答えるしかなかった。


                         『レディ・ドラキュラ』より

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〝栞〟から『レディ・ドラキュラ』の第二話に入ると、目の前に浩太郎の家があった。


 作品の主人公が暮らす家のモデルにしていたからだろう。


「やっぱ、こうなるか……」


 浩太郎がため息をつく。


「そうだと思ったよ」


 彰文は笑う。


 第一話の舞台となった公園からさほど離れていない古い一軒家だ。


 現実世界では、浩太郎はここで両親とふたりの兄と暮らしている。

 両親は近くの繁華街で小さなビストロを経営しているそうだ。

 飲食店系の情報サイトを調べてみたら、かなり高く評価されている。


「もしかして、ここは浩太郎くんの?」


 かりんは事情を察したようだった。


「なにを隠そう、そうなんだ」


 浩太郎が苦笑まじりにうなずく。


「お邪魔していいものかしら?」

「なにを遠慮してるんだ?」

「だって……男の子の家にあがるの……初めてだから」


 かりんがもじもじしながら言う。


 その瞬間、彰文は浩太郎と顔を見合わせた。

 本物のお嬢さまだと、視線だけで会話する。


「ま、汚いところだけど我慢してくれよ。二話からは、しばらく家のなかでストーリーが進むわけだしな」


 浩太郎がわざと気軽な口調で、かりんに声をかけた。


「大丈夫なのか? 昨日みたいにストーリーどおりに進めないといけないとしたら、かなり恥ずかしいことになるけど?」


 彰文は浩太郎に声をかけた。


 第二話から第四話まで、いかにもラノベらしい展開になる。

 アーミリカの着替えを覗いてしまったり、一緒の布団で寝たり、エロ本を見つけられたりというエピソードが続くのだ。


「そ、そうだった!」


 浩太郎が顔色を変えた。


「ストーリーをなぞらなくても大丈夫よ。すこしの間なら矛盾していても、作品世界に影響は出ないから。家に入って、シミがいないか確認すればいいだけ」


 かりんがくすくす笑う。


「助かった……」


 浩太郎が胸を撫でおろす。


「でも、アーミリカは呼びだしておいたほうがいいと思うわ……」


 かりんが助言する。


「パートナーにしておかないと、登場人物となって出現するかもしれないから」

「なるほど……」


 まるで、〝シュレーディンガーの猫〟だなと、彰文は思った。

 観測することにより、事象が確定する。

 こちらの世界の法則を理解するには、まだまだ経験が必要そうだ。


「それじゃあ、ゆくぜ!」


 浩太郎が気合いの声をあげながら、スマホを頭上に突きだすようなポーズを取る。

 そしてパートナーである闇の淑女を呼びだした。


「また会えたの」


 アーミリカが浩太郎に微笑みかける。

 呼びだされた記憶があるということだ。


「家にあがらせてもらうぜ」


 浩太郎が許可を求めた。


 この作品世界では、主人公とアーミリカの家である。

 もっとも浩太郎は今、主人公の代役のはずだ。


「おかしな真似はせぬようにの」


 昨日のことがあるからか、アーミリカが警戒しながら言う。

 あくまで、浩太郎は著者殿であり、主殿は作品の主人公ということのようだ。


「しないっての」


 浩太郎があわてて否定する。

 そして浩太郎はポケットから鍵を取り出し、玄関を開けて入っていった。


 どうやら身に着けている物は全部、こちらの世界に持ち込めるらしい。

 彰文のポケットにも生徒手帳やらハンカチやらが入っていた。


「家族が誰もいないと、ずいぶん広く感じるな……」


 家に入り、部屋をひと通り巡ってから、浩太郎がぽつりとつぶやく。

 たしかに、家はがらんとしており、生活感がない。


「ふたりのアニキも、普段はウザいとしか思わないけど」


 浩太郎のふたりの兄はラグビーをやっていて、六大学のひとつとその附属高校でそれぞれ不動のレギュラーを張っている。


 浩太郎もスポーツは苦手ではないが、兄たちほどではなかったので、今の高校に進んでからは、クラブに入っていない。


 そして兄たちにラノベ好きだと知られたら、絶対に馬鹿にされるからと、浩太郎は必死で隠している。

 グッズなどはいっさい買わないし、小説もコミックも電子書籍でしか読まない。

 アニメも配信されているものをスマホで観ているという徹底ぶりだ。


「シミの気配はなさそうね……」


 かりんがつぶやく。


「シミって、どう見える?」


 彰文は訊ねてみた。


「正体を現すと、黒い靄をまとったバケモノみたいな姿になるわ。ただ、人や物、建物などに潜んでいるうちは、違和感みたいなものを見つけるしかないの」

「間違い探しみたいなものか?」

「まあ、そうね……」


 浩太郎の問いに、かりんが曖昧にうなずく。


「私の作品では、宰相がシミに侵されていたわ。王妃に恋をしていたから、すぐにおかしいってわかった。他にも影響は出始めていたけれど、宰相を倒したら収まっていったの」

「宰相が? ずいぶん、重要なキャラにシミが取り憑いたんだね?」


『白蘭の三銃士』において、言うならば敵のボスだ。


「だったら、主人公やアーミリカがシミに侵されているってこともあるわけか?」

「我は問題ないぞ」


 闇の淑女が不満そうに言う。


「主人公も問題ないと思うわ。シミに侵されていたら、この家に現れるはずだから」


 浩太郎が代役となっている時点で、シミの可能性はないということだろう。


「建物や家具はどうかな?」


 彰文は部屋を見回しながら、浩太郎に声をかける。

 浩太郎の家には一度行ったことはあるが、家のなかの様子やどんなものがあったかは、さすがに覚えていない。


「たいした描写はしていないんだけどな……」


 浩太郎は部屋のなかにあるものを、手に取って調べてゆく。


「第二話だし、アーミリカの部屋は空っぽだったし」

「そう言えば、魔界から〝天蓋つき棺桶ベッド〟や〝反魂の姿見〟が送られてくるのは、もっと後の話だったな」


 彰文は作品を思い出しながら言った。


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「これが寝室なのか?」

 真紅のネグリジェに着替えたアーミリカが部屋に並べられた布団を見て言った。

 俺は空き部屋を使うようにと言ったのだが、今宵は〝初夜〟ゆえ、一緒の部屋で寝ると彼女が言ったのだ。

 俺のベッドは狭いし、身体がくっつく。そこで亡くなった祖母が使っていた和室に布団を並べることにした。

「ダブルサイズのベッドなんてないんだ。だけど、いい布団だぜ。最高級の綿を使ってるし、定期的に打ち直してもらっている。そっちは客用だから、変な臭いはついていないはずだ」

 俺はそう言いながら、客用の布団の臭いを嗅いでみる。

 防虫剤は使っていないし、ときどき日に干している。

 死んだ婆ちゃんがうるさい人だったので、今でも続けているのだ。

「ふむ……」

 アーミリカが戸惑いの表情を浮かべている。

「やっぱ、落ち着かないか?」

「なんと言えばいいか、開放的すぎるのじゃ。寝るときは、やはり棺桶でないとのう。いずれ、魔界から取り寄せよう」

 アーミリカがため息まじりに言った。

「ソウデスカ……」

 予想の斜め上をゆく返答だった。



「困った……」

 死んだ婆ちゃんが遺した鏡台に向かい、ブラシを手に取ったアーミリカがつぶやく。

「慣れないとは思うし、古臭いけど、それもいいモノなんだぜ」

 俺は声をかけた。

「それぐらいはわかる。作り手の魂を感じるからの。ただな、映らぬのじゃ。我の姿が」

「そう言えば……」

 俺は思い出した。

 吸血鬼は鏡に映らないと聞いたことがある。

「やはり、魔界から取り寄せるしかあるまいの。アレは魔界とのゲートにもなるゆえ」


                         『レディ・ドラキュラ』より

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「この家に、シミはいないようね。これは話を進めたほうがいいかも……」


 ひと通り、家のなかを見回してから、かりんが唇に指を当てながらつぶやいた。


「作品の舞台が変わるのは、五話だったかしら?」

「インビジブルストーカーの回か……」


 浩太郎が顔をしかめる。


『レディ・ドラキュラ』の第五話は、新宿に出た主人公とアーミリカが、人間界に潜んでいた透明人間――インビジブルストーカーを見つけだし、新宿御苑に誘いだして退治するエピソードだ。


「人は多いし、魔物との戦いがあるし、面倒だよな」

「魔物は調べる必要があるけど、小説に出てこない人々は、とくに気にしなくていい。新宿の雑踏という背景みたいなものだから」


 かりんが浩太郎に言う。


「ライラは変装させなくて大丈夫かな?」

「おそらくね。私や彰文くんもだけど、おそらく背景の一部になるわ」


 かりんがくすりと笑った。


「じゃあ、いったんポータルにもどって、入り直そうぜ」


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 俺はアーミリカを連れ、夜の新宿へと出ることにした。

 人間界のことを、よく知りたいと言ったからだ。

 彼女はデイウォーカーなので、昼間でも平気である。

 だが、やはり日には当たりたくないらしい。

 俺が学校に行っている間は、雨戸を閉め切り、遮光カーテンをひき、ほぼ真っ暗にして眠っている。

 布団は気に入ったそうだが、やはり棺桶でないと落ち着かないらしく、棺桶ベッドが届けば、その形と大きさに合わせ、布団を特注することにした。

「ここが新宿とやら、か……」

 アーミリカが目を輝かせている。

「意外だな。こういう場所は苦手かと思った」

「たしかに、騒々しいし、ヒトが多すぎるの。じゃが……」

 アーミリカはそう言うと、両手を広げ、大きく息を吸う。

「この街には、ダークエナジーが満ちておる。ダークエナジーはヒトの邪な感情から生まれる。つまり、ここは良き牧場ということじゃ」

「ぼ、牧場って。俺たちは牛や羊なのかよ?」


                         『レディ・ドラキュラ』より

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『レディ・ドラキュラ』世界の新宿は、現実とまったく同じに見えた。


 夜の八時を過ぎているのに、光と車と人に溢れている。


 彰文は何人かの通行人をさりげなく観察してみた。

 ひとりひとりに個性があり、表情がある。

 若いカップル、サラリーマンふうのグループ、大学のサークルと思しき一団……


 ただの背景とは思えない現実感があった。


「彼らに触ることはできるのかな?」


 彰文は小声でかりんに訊ねてみる。


「もちろんよ、話しかければ応じてくれるしね。だけど、やめておいたほうがいい。私たちが介入して、ストーリーと違う行動をすると、その後の展開が変わるかもしれないから。作品の修正力は働くけど、それに頼りすぎるのは危険よ」

「そんなつもりはないよ。ただ、不思議だなと思って」


 彰文はあらためて新宿のビル、車、人を見回す。


(この光景は、人々の記憶が重なりあって、作られたものなんだな……)


 そう思うと、何気ない景色がとても大切なもののように感じられる。


「実は、夜の新宿に来るのは初めてなんだ……」


 彰文は言った。


「家からは近いから、昼間には何度も来ているんだけど」

「私もよ」


 かりんが恥ずかしそうにうなずく。


「賑やかな場所ですねぇ……」


 ライラがきょろきょろ見回しながらつぶやく。

 彼女もこういう場所は、初めてのようだ。


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 新宿のあちらこちらを、俺はアーミリカとともに歩いた。

 彼女はとにかくダークエナジーの濃い場所に向かおうとする。当然、いかがわしい場所に近づくことになる。

 ラブホとか、風俗店とかだ。

 そして――

「この先は本当にヤバイって」

 大通りの向かいにある一画を指さし、行ってみたいと、アーミリカが言い出したとき、俺はさすがに慌てた。

「なぜじゃ?」

「え~と、ごにょごにょな人たちが集まる場所で……」

 俺にとっては、魔界とそう変わらない。

「とにかく、俺たちが歩いたら、こちらの世界の掟を破ることになって、警官に捕まってしまうんだ」

「掟か? それはいかんな」

 アーミリカが残念そうな顔をする。

 だが、そのとき、彼女の視線が違う場所に向く。大衆向けの中華料理のチェーン店だ。そこから出てきたコート姿の男を、彼女の視線は追いかけていた。

「ほう?」

 アーミリカがわずかに目を細めた。

 獲物を見つけた猫のように、舌なめずりをする。

「やはり、こういう場所には集まるものじゃのう」


                         『レディ・ドラキュラ』より

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 浩太郎が先導し、作品どおりのルートをたどった。


 かりんが興味津々というように夜の繁華街を見回す。

 いかがわしい看板を見るたび、浩太郎に説明を求めた。


 まるでアーミリカの代役をしているかのようだ。そして浩太郎は主人公の代役のように説明に窮する。


 やがて問題の場所にやってきた。


 大通りの向かいに、大衆中華料理店が見える。


「そろそろ、魔物が見つかるんじゃないか?」


 浩太郎がアーミリカに訊ねた。


「それなのじゃが……」


 答えようとする闇の淑女の表情は厳しいものだった。


「魔物の気配は、さっきからしておる。だが、ひとつではないのじゃ」

「えっ?」


 アーミリカの言葉に、全員に緊張が走る。

 この回に出てくる魔物はインビジブルストーカー一体だけなのだ。


「ストーリーから逸脱した?」


 彰文はかりんを振り向く。


「私たちが展開を変えてないならね」


 かりんがうなずいた。


「いよいよシミの登場ってか?」


 浩太郎がごくりと喉を鳴らした。

 アーミリカが忙しく周囲を見回す。

 そして右手にあるビルの窓で、視線が止まった。


「なんと……」


 アーミリカが目を見開く。


「ど、どうしたんだ?」


 浩太郎がうわずった声で訊ねる。


 アーミリカはゆっくりと指を向けた。


 全員がその指が示す先を振り返る。

 変わったものはなく、ただビルの窓があるだけだ。


 なにかの飲食店だろう。歩道側の壁のほぼ全面がガラス張りになっていた。

 ハーフミラーなのか、店内の様子はわからないが、みんなの姿がはっきりと映っている。


「どこがおかしいんだ?」


 浩太郎が身構えながら言う。


「気づかぬか?」


 アーミリカが横目で浩太郎を見た。


「なにをだよ?」


 浩太郎が怒鳴るように応じる。


 彰文にも、しばらくわからなかった。

 だが、それに気づいたとき、背筋にぞくりと冷たいものが走り抜ける。


「アーミリカが映っている……」

「それがなんなんだっての……って、ええっ!?」


 浩太郎がよろめくほどに驚く。


 アーミリカは吸血鬼なので鏡に映らない。

 いつからそうなったのかは知らないが、多くの作品でそう設定されているので、彼はそれに倣ったそうだ。


 それなのに映っている。


「間違いない、シミだわ!」


 かりんが窓に近寄り、じっくり観察してから言う。


「我が映る鏡は魔界のゲートともなる。来るぞ!」


 アーミリカが警告の声をあげる。

 それと同時に、派手な音を立てて、窓ガラスが砕け散った。


「きゃあ!」


 窓に近づいていたかりんが悲鳴をあげ、腕で顔をかばう。


 そして姿を現したものがあった。


 背の高い男性である。窓を突き破って、飛びだしてきたのだろうか?


 トレンチコートを着て、中折れ帽子を目深にかぶっている。

 そのうえサングラスをかけ、マスクまでしていた。

 両手には、アーミーナイフがすでに握られている。


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「ここなら、よかろう」

 夜の新宿御苑に逃げこんだコートの男に向かい、アーミリカは声をかける。

「まさか、ドラキュラ伯の令嬢が人間界に来ているとはな」

 コートの男が立ち止まり、ゆっくりと振り向く。帽子とサングラスとマスクで、顔は完全に隠れている。

「魔界警察の手に負えぬ魔物が、こちらに逃げこんできたゆえ、な。さて、貴様は何者じゃ? 我を知っているのなら、人間界で生まれた魔物ではあるまい」

「俺か? 俺に名はない。そして姿もない……」

 そして帽子を取り、サングラスとマスクをはずす。

 だが、そこに顔はなかった。


                         『レディ・ドラキュラ』より

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「インビジブルストーカー!」


 浩太郎が叫ぶ。


 いわゆる透明人間だ。


『レディ・ドラキュラ』では、この魔物は自身が透明であるだけではなく、身に着けたものも透明にする能力を持っている。

 間違いなく、第五話に登場する魔物だ。

 だが、出現の仕方は、小説とまるで違っていた。


 しかも――


 近くのビルの窓が、甲高い音を鳴らしながら次々と割れはじめる。


「な、なにが起こってんだよ!」


 浩太郎が叫びながら、首を左右に振る。


「わからぬ。ただ、魔界のゲートが次々開かれてるようじゃ……」


 アーミリカが浩太郎に答え、両腕を真横に伸ばし、ワイヤーアクションのようにふわりと宙に浮かんだ。


 彼女が言ったとおり、割れた窓の下には、様々な魔物が蠢いていた。


「何話か忘れたけど、魔界刑務所を集団脱獄した魔物たちが、アーミリカに復讐するため、人間界にやってくる回があっただろう?」


 彰文は浩太郎に向かって叫ぶように言う。


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 南米の吸血獣チュパカブラと思しき魔物がいる。

 カナディアンロッキーの雪男ビッグフットがいる。

 他にもマミー、人面犬、キョンシー、ぬらりひょんがいた。

 すべてアーミリカが人間界で捕まえ、魔界に送り返した魔物たちだ。

「我に復讐するため、集団で脱獄してくるとは、ご苦労なことじゃ」

 アーミリカがため息をつく。

「勝てるのかよ?」

 俺はアーミリカに訊ねた。

「さて?」

 アーミリカは首をかしげる。

「ちと数が多いからのう……」

 通行人たちは、突如として出現した魔物たちを見て、悲鳴をあげながら逃げはじめる。

 騒々しくも平和だった街は、怪獣映画さながらのパニック状態になっていた。


                         『レディ・ドラキュラ』より

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「インビジブルストーカーの回と脱獄囚の回のストーリーが混線してるってか?」


 浩太郎が呆然とつぶやく。


「あの回も、たしか新宿が舞台だった」


 彰文は唇を噛む。


「魔物たちは、どれもシミに侵されているわ!」


 左の上腕を右手で押さえながら、かりんが警告した。

 見ると、彼女の右手の指の隙間から真っ赤な血が滲み出ている。

 ガラスの破片で切ったのだろう。ひどい出血だった。


「大丈夫?」


 彰文はかりんに声をかける。


(この世界でも、怪我をするんだ……)


 わかっていたつもりだが、あらためて思い知らされた。

 そして怪我をするのだから、死ぬこともあるのだと……


「私のことより、今はシミよ!」


 かりんが痛みに耐えながら返してくる。


「なんとかなりそうか?」


 浩太郎がアーミリカに訊ねた。

 どうやら、かりんの怪我には気づいていないようだ。


「ちと数が多いからのう……」


 闇の淑女は作品内の台詞で答えると、いくつかの方向からゆっくりと近づいてくる魔物たちに視線を走らせる。


 どの魔物も黒い靄をまとっていた。


(これが、シミに侵されるってことか……)


 その姿には、強い既知感がある。

 どこかで、シミを見たことがあるのかもしれない。


「ライラ、戦える?」


 彰文はパートナーを振り返った。


「もちろんです! 彰文さまを守るためなら、いくらだって戦います」


 ライラが力強くうなずく。翼を大きく広げ、先端の尖った尻尾を蛇のようにうねらせた。

 真っ赤な瞳が妖しい輝きを放つ。


「こちらも数でゆきましょう。ダルタニアン! そして三銃士たち!!」


 かりんが右手でスマホを取り出し、そっとキスをする。


「皆は一人のために、一人は皆のために……」


 原典に出てくる有名な台詞が響いたかと思うと、花びら状の光が溢れ、まず白の銃士ダルタニアンが、ついでアトス、ポルトス、アラミスの三人が姿を現した。


 三銃士たちも皆、美形である。

 ただ『白蘭の三銃士』を読んでいたので、違和感はそれほどなかった。


「俺も、人狼レムスを呼びだすぜ! あいつは魔界の脱獄囚の回で、アーミリカの助っ人として再登場させたからな……」


 浩太郎が言って、変身ヒーローのようにスマホを構え、腕を前に突きだした。


「来たれ! 月下の走狗!」


 遠吠えの声とともに、ぴったりしたTシャツにだぶだぶのパーカーと迷彩柄のパンツというラフな服装の若者が現れた。


 サングラスをかけ、野球帽のツバを後ろにしてかぶっている。見た目は完全にラッパーだった。


 一話に出てきたときと、雰囲気ががらりと違う。

 レギュラーにするので、浩太郎がキャラづけしなおしたのだ。


「レムスよ、そちらは任せたぞ!」


 アーミリカが人狼に声をかけ、自らはインビジブルストーカーに向かって、ふわふわと近づいてゆく。


 だが、次の瞬間、いきなり霧になったかと思うと、相手の背後に瞬間移動した。


 そしてフィギュアスケートのように身体をスピンさせながら、強烈な回し蹴りを放つ。


 それは見事に後頭部にヒットし、インビジブルストーカーは前によろけた。

 だが、次の瞬間、その姿が忽然と消える。


 能力を発動させたのだ。


「ひとつ覚えよのう……」


 アーミリカが舌打ちする。


 そして気配をうかがうように視線を巡らせた。


 だが、この世界のインビジブルストーカーは透明になるだけでなく、音や気配すら消すことができると浩太郎は設定している。

 完全なステルスなのだ。


 アーミリカはしかたなく大勢の敵に囲まれたかのように、前後左右に攻撃を繰り出す。

 空手の演武をしているような鋭い動きだった。


 しかし――


「くっ!」


 インビジブルストーカーの振るったナイフが当たったのだろう。

 アーミリカの左腕がざっくりと切れた。傷口から、赤い血がどくどくと流れだす。


「レディ!」


 浩太郎が不安そうに声をあげる。


「案ずるでない」


 アーミリカは傷口に顔を近づけ、流れでる血を舐めとった。


 そして唇をすぼめ、ふっと吹き出す。

 口に含まれていた血が赤い霧となって広がり、まるで生き物のように形を変えながら、空中に広がってゆく。


 だが、ふたたび集まりはじめ、やがてそれは人の形を取りはじめた。


 インビジブルストーカーにまとわりついたのである。


「見つけたぞ!」


 アーミリカが今や透明ではなくなった魔物に向かい、びしりと指を突きつける。


 インビジブルストーカーは動じた様子もなく、両手のナイフを振るいつづけるが、アーミリカは余裕の表情でかわしてゆく。


「汝はシミとやらに侵されておる。我の世界には存在してはならぬもの!」


 そして闇の淑女は両腕を高く掲げると、上空からロープで引っ張りあげられたように高く浮かぶ。


 そして両腕を頭上で何度か回転させる。そこに赤い火の玉が膨れあがった。


「我が闇に堕ちるがよいわ!」


 アーミリカがそう叫び、両腕を振り下ろす。作品中の決め台詞だった。


 火の玉が、インビジブルストーカーに向かって奔る。


「紅の淑女の烙撃! 魔物のダークエナジーを焼き尽くす紅蓮の炎!」


 浩太郎が得意げに言う。アーミリカの能力のひとつだ。


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 すべてを焼き尽くす業火に照らされ、アーミリカの身体が赤く染まるとき、彼女は〝紅の淑女〟というもうひとつの異名で呼ばれるのだ。


                         『レディ・ドラキュラ』より

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 炎に包まれたインビジブルストーカーは苦悶の声をあげながら、地面を転がった。


 だが、その動きはしだいに鈍くなり、やがて動かなくなる。


 炎が消え、後には黒焦げの死体が残った。


 だが、その瞬間、周囲の光景がいきなり消滅する。


「な、なんだ? どうしたんだ?」


 浩太郎が狼狽えながら、周囲を見回す。


 さっきまで、そこには夜の新宿があった。


 だが、今はなにも見えない。

 特撮で使われるブルーバックのように、青い空間が無限に広がっていた。


「インビジブルストーカーの能力が暴走したのかもしれない……」


 かりんが言う。


 彼女はまだ傷口を押さえていた。

 だが、幸いなことに血は乾きはじめている。


「透明だった魔物が見えるようになり、反対に他のものすべてが見えなくなった。設定の破綻だわ……」

「シミが作品世界を蝕むって、こういうことなのか……」


 彰文はうめく。


 それから、他の魔物はどうなったのかと視線を転じてみる。


 ブルーバックのなか、パートナーたちと魔物たちは乱戦を演じていた。


 ライラは空を飛び、嬌声をあげながら、エジプトのミイラ男から包帯をはぎ取っている。


 レムスは人狼の姿になり、不思議なリズムで動きながら、カナディアンロッキーの雪男と肉弾戦を演じている。


 ダルタニアンは闘牛士のような外見さながらに、南米の吸血獣の突撃を優雅にかわし、レイピアを突き立てている。


 アトス、ポルトス、アラミスの三銃士は巧みに連携し、他の魔物たちを翻弄している。


「大丈夫そうだな……」


 彰文は安堵し、もう一度、インビジブルストーカーに視線をもどす。


 すると黒焦げの死体が、変化しはじめていた。


 黒い蒸気のようなものを立ち上らせ、徐々に姿を変えてゆく。

 最後には、ボールやキューブ状の物体が不規則に組み合わさった奇怪な形となった。


「ロジック――破綻した設定、やっぱりね……」


 かりんがつぶやく。


「シミにも種類が?」


 彰文は訊ねた。


「ええ、作品をどう蝕んだかによって、シミは形態を変えるようなの。クリエイター仲間のひとりが勝手に分類して名づけたのだけど、けっこう当たっていて便利なので、みんな使っている」

「それで、どうするの?」

「正体を現したからには、処分すればいいだけよ。この作品世界とは異質な存在だしね」


 かりんが答えて、浩太郎にうなずきかける。


「レディ! とどめを!」


 浩太郎がにやりとして、アーミリカに命令した。


「承知じゃ」


 アーミリカが頭上に手を掲げ、ふたたび烙撃を放つ。


 シミと化したインビジブルストーカーが一瞬にして蒸発する。

 そして夜の新宿の風景がもとにもどった。


「やったぜ!」


 浩太郎が歓喜の声をあげ、彰文とかりんを振り返る。


 だが、その表情がすぐに険しくなった。


「かりん! その腕?」


 浩太郎がようやくかりんの怪我に気づいたのだ。


「うん、ガラスでね。ちょっと深く切れたみたい」


 かりんが答え、痛みを思い出したように顔をしかめる。


「だ、大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃないわ。痛くて、気を失いそう……」


 そして、かりんはパートナーであるダルタニアンを呼ぶ。


 ダルタニアンはすべてを承知しているかのように、懐から陶器製の小瓶を取り出す。


「それって、原典にも出てくる膏薬?」


 原典である大デュマの『三銃士』では、ダルタニアンの母親がジプシーから作り方を習ったとある。

 そして息子の旅立ちのときに伝えたのだ。


「ええ、ダルタニアンが母親から処方をもらった塗り薬よ。怪我によく効くの」


 かりんがうなずく。

 ダルタニアンは、かりんの傷口に薬を塗り込んでいった。


「つ……」


 かりんは目をきつく閉じ、歯を食いしばって痛みに耐える。


 ダルタニアンは薬を塗りおえると、スカーフを襟から外し、包帯がわりに巻いていった。


「ありがとう……」


 かりんはダルタニアンに微笑み、彼の頬にお礼のキスをする。

 白の銃士は深々と返礼すると、仲間のところへもどった。


「三銃士たちもご苦労さま……」


 かりんはスマホを取り出し、ダルタニアンたちを『白蘭の三銃士』の世界に返す。


「ポータルにもどろう」


 浩太郎はかりんの怪我をしていないほうの腕を掴むと、引っ張るように〝栞〟のある方向へ歩き出した。


「ち、ちょっと……」


 かりんが顔を赤らめながら、当惑の声をあげる。


「ひとりで歩けるから」


 しかし浩太郎がかりんの手を離すことはなかった。


 そしてふたりは光のゲートへと入る。


 彰文もライラとともに後に続いた――

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