第二章 レディ・ドラキュラ⑥


『レディ・ドラキュラ』世界の新宿は、現実とまったく同じに見えた。

 夜の八時を過ぎているのに、光と車と人に溢れている。

 彰文は何人かの通行人をさりげなく観察してみた。

 ひとりひとりに個性があり、表情がある。

 若いカップル、サラリーマンふうのグループ、大学のサークルと思しき一団……

 ただの背景とは思えないリアルさだった。


「彼らに触ることはできるのかな?」


 彰文は小声でかりんに訊ねてみる。


「もちろんよ、話しかければ応じてくれるしね。だけど、やめておいたほうがいい。わたしたちが介入して、ストーリーと違う行動をすると、その後の展開が変わるかもしれないから。作品の修正力は働くけど、それに頼りすぎるのは危険よ」

「そんなつもりはないさ。ただ、不思議だなと思って」


 彰文はあらためて新宿のビル、車、人を見回す。


(この光景は、人々の記憶が重なりあって、作られたものなんだ……)


 そう思うと、ありふれた景色がとても大切なもののように感じられる。


「夜の新宿に来るのは初めてだな」


 彰文はつぶやく。

 家からはもっとも近い繁華街なので、昼間には何度も来ていているのだが……


「私もよ」


 かりんが恥ずかしそうに言う。


「賑やかな場所ですねぇ……」


 ライラがきょろきょろ見回しながらつぶやく。


「やっぱり、初めてなんだ」


 彰文はつい笑ってしまった。

 彼女が登場する作品がどんなものかはわからない。

 ただ、彼女が都会慣れしていないのは間違いなさそうだ。


「ライラはどんな景色を覚えている?」

「それがですね……」


 ライラが指を頬に当てる。


「部屋のなかの記憶しかないんですよね」

「部屋?」

「はい、机があって、本棚があって、ベッドがあって……」

「机があるってことは、勉強部屋かな?」

「彰文さまの部屋ではないでしょうか? 彰文さまのことは覚えていたわけですから」


 ライラはそう言って、表情を輝かせた。


「どうだろう?」


 彰文は苦笑する。

 ライラを召喚したのは、他でもない自分だ。

 そして彼女の名前と姿の記憶はある。


「わかったぜ!」


 浩太郎が唐突に声をあげた。


「ライラは彰文の妄想なんだ。キャラから先に考えて、ストーリーは後から考えることって、よくあるからな」

「それはないな」


 彰文は即座に否定する。


「作品を書く気もないのに、キャラを考えるわけがないだろ?」

「顔、怖ぇよ。悪かったよ……」


 浩太郎が彰文の視線から逃れるように、アーミリカを振り向く。


「そろそろ、魔物が見つかるんじゃないか?」

「それなのじゃが……」


 答えようとする闇の淑女の表情は厳しいものだった。


「魔物の気配は、さっきからしておる。だが、ひとつではない」

「えっ?」


 アーミリカの言葉に、全員に緊張が走る。

『レディ・ドラキュラ』の第五話に出てくる魔物は一体だけなのだ。


「いよいよシミの登場ってか?」


 浩太郎がごくりと喉を鳴らした。

 アーミリカが忙しく周囲を見回す。

 そして右手にあるビルの窓で、視線が止まった。


「なんと……」


 アーミリカが目を見開く。


「ど、どうしたんだ?」


 浩太郎がうわずった声で訊ねる。

 アーミリカはゆっくりと指を向けた。


 全員がその指が示す先を振り返る。

 変わったものはなく、ただビルの窓があるだけだ。

 なにかの飲食店だろう。歩道側の壁のほぼ全面がガラス張りになっていた。

 ハーフミラーなのか、店内の様子はわからないが、みんなの姿がはっきりと映っている。


「どこがおかしいんだ?」


 浩太郎が身構えながら言う。


「気づかぬか?」


 アーミリカが横目で浩太郎を見た。


「なにをだよ?」


 浩太郎が怒鳴るように応じる。

 彰文にも、しばらくわからなかった。

 だが、それに気づいたとき、背筋にぞくりと冷たいものが走り抜ける。


「アーミリカが映っている……」

「それがなんなんだっての……って、ええっ!?」


 浩太郎がよろめくほどに驚く。


 アーミリカは吸血鬼なので鏡に映らない。

 いつからそうなったのかは知らないが、多くの作品でそう設定されているので、浩太郎はそれに倣ったそうだ。


 それなのに映っている。


「間違いない、シミだわ!」


 かりんが窓に近寄り、じっくり観察してから言う。


「来るぞ!」


 アーミリカが警告の声をあげる。

 それと同時に、派手な音を立てて、窓ガラスが砕け散った。


「きゃあ!」


 窓に近づいていたかりんが悲鳴をあげ、腕で顔をかばう。

 そして姿を現したものがあった。


 背の高い男性である。窓を突き破って、飛びだしてきたのだ。

 コートをまとい、帽子を目深にかぶっている。

 そのうえサングラスをかけ、マスクまでしていた。

 両手には、アーミーナイフが握られている。


「インビジブルストーカー!」


 浩太郎が叫ぶ。

 いわゆる透明人間だ。

 この魔物は自身が透明であるだけではなく、身に着けたものも透明にする能力を持っている。

 『レディ・ドラキュラ』の第五話に登場する魔物だった。

 だが、出現の仕方は、小説とまるで違っている。


 しかも――


 近くのビルの窓が、甲高い音を鳴らしながら次々と割れはじめた。


「な、なにが起こってんだよ!」


 浩太郎が叫びながら、首を左右に振る。


「魔界の門が開かれたようじゃ……」


 アーミリカが浩太郎に答えると、両腕を真横に伸ばし、ワイヤーアクションのようにふわりと宙に浮かぶ。

 彼女が言ったとおり、割れた窓の下には、様々な魔物が蠢いていた。


 南米の吸血獣チュパカブラと思しき魔物がいる。

 カナディアンロッキーの雪男ビッグフットがいる。

 他にもマミー、人面犬、キョンシー、ぬらりひょんといった時代も地域もばらばらな魔物たちがいた。

 こういう“なんでもあり”のところは、作品の魅力だと思う。

 だが、リアルで見ると吐き気を覚えるほど不気味だった。


「たしか、魔界刑務所を脱獄した魔物たちがゲートを開いて人間界にやってくる話があったよな?」


 彰文は浩太郎に呼びかける。


「だいぶ後の話だぞ!」


 浩太郎が大声で返してきた。


「だったら、話が混同しているんだ。あの魔物たちは、その回で出てくる脱獄囚だよ」


 ビッグフットやマミーらはそれぞれ別の話で、アーミリカと戦い、敗れて魔界刑務所に収監されていたのである。

 刑務所を脱走した魔物らは、アーミリカに復讐しようと人間界にやってきた。

 その話では、複数の魔物を同時に相手をせねばならず、闇の淑女もさすがに苦戦を強いられる。


 通行人たちは、魔物たちの出現に、悲鳴をあげながら逃げはじめた。

 騒々しくとも平和だった街は、一瞬にして怪獣映画さながらのパニック状態になる。

 それは脱獄囚の回の光景だった。ストーリーが完全に入り混じっている。


「魔物たちは、どれもシミに侵されているわ!」


 左の上腕を右手で押さえながら、かりんが警告すた。

 見ると、彼女の右手の指の隙間から真っ赤な血が滲み出ている。

 ガラスの破片で切ったのだろう。かなりの出血だった。


「大丈夫?」


 彰文はかりんに声をかける。


(この世界でも、怪我をするんだ……)


 わかってはいたが、あらためて思い知らされた。

 そして怪我をするのなら、死ぬこともあるのだと……


「私のことより、今はシミよ!」


 かりんが痛みに耐えながら返してくる。


「なんとかなりそうか?」


 浩太郎がアーミリカに訊ねた。

 かりんの怪我には、まだ気づいていないようだ。


「ちと数が多いのう……」


 闇の淑女はいくつかの方向からゆっくりと近づいてくる魔物たちに視線を走らせる。

 どの魔物も黒い靄をまとわせていた。


(これが、シミに侵されるってことか……)


 その姿には、強い既知感がある。シミを見たことがあるのかもしれない。


「ライラ、戦える?」


 彰文はパートナーを振り返った。


「もちろんです! あいつらが彰文さまを害するなら……」


 ライラが力強くうなずく。

 翼を大きく広げ、先端の尖った尻尾を蛇のようにうねらせる。

 真っ赤な瞳が妖しい輝きを放った。


「こちらも数で行くわ。ダルタニアン! そして三銃士たち!!」


 かりんが左手でスマホを取り出し、そっとキスをする。


「皆は一人のために、一人は皆のために……」


 原典に出てくる有名な台詞が響いたかと思うと、花びら状の光が溢れ、まず白の銃士ダルタニアンが、ついでアトス、ポルトス、アラミスの三人が姿を現した。

 三銃士たちも皆、美形である。

 ただ『白蘭の三銃士』を読んでいたので、違和感はそれほどなかった。


「俺も、人狼レムスを呼びだすぜ! あいつは魔界の脱獄囚の回で、アーミリカの助っ人として出したからな……」


 浩太郎が言って、変身ヒーローのようにスマホを構え、腕を前に突きだした。


「来たれ! 月下の走狗!」


 遠吠えの声とともに、ぴったりしたTシャツにだぶだぶのパーカーと迷彩柄のパンツというラフな服装の若者が現れた。

 サングラスをかけ、野球帽をツバを後ろにしてかぶってる。

 見た目はラッパーだった。一話に出てきたときとは、雰囲気ががらりと違う。

 レギュラーにするので、浩太郎はキャラづけしなおしたのだ。


「レムスよ、そちらは任せたぞ!」


 アーミリカが人狼に声をかけ、自らはインビジブルストーカーに向かって、ふわふわと近づいてゆく。


 だが、次の瞬間、いきなり霧になったかと思うと、相手の背後に瞬間移動した。

 そしてフィギュアスケートのように身体をスピンさせながら、強烈な回し蹴りを放つ。

 それは見事に後頭部にヒットし、インビジブルストーカーは前によろけた。

 だが、次の瞬間、その姿が忽然と消える。


 能力を発動させたのだ。


「ひとつ覚えよのう……」


 アーミリカが舌打ちする。

 そして気配をうかがうように視線を巡らせた。

 だが、この世界のインビジブルストーカーは透明になるだけでなく、音や気配すら消すことができる。完全なステルスなのだ。


 アーミリカはしかたなく大勢の敵に囲まれたかのように、前後左右に攻撃を繰り出す。まるで空手の演武をしているような鋭い動きだった。


 しかし――


「くっ!」


 インビジブルストーカーの振るったナイフが当たったのだろう。

 アーミリカの左腕がざっくりと切れた。

 傷口から、赤い血がどくどくと流れだす。


「レディ!」


 浩太郎が不安そうに声をあげる。


「案ずるでない」


 アーミリカは傷口に顔を近づけ、流れでる血を舐めとった。

 そして唇をすぼめ、ふっと吐きだす。

 口に含まれていた血は赤い霧となり、まるで生き物のように形を変えながら、空中に広がってゆく。

 やがてそれは人の形を取りはじめた。

 インビジブルストーカーにまとわりついたのである。


「見つけたぞ!」


 アーミリカが今や透明ではなくなった魔物に向かい、びしりと指を突きつけた。

 インビジブルストーカーは動じた様子もなく、両手のナイフを振るいつづけるが、アーミリカは余裕の表情でかわしてゆく。


「汝はシミとやらに冒されておる。我の世界には存在してはならぬもの!」


 そして闇の淑女は両腕を高く掲げると、大きく跳躍した。

 そして両腕を頭上で何度か回転させてから、左右に広げるように振り下ろす。


「我が闇に堕ちるがよいわ!」


 アーミリカが叫ぶ。作品中で使う決め台詞だった。

 そして、インビジブルストーカーに向かって、紅蓮の炎を放つ。


「紅の淑女の烙撃!」


 浩太郎が得意げに言う。アーミリカの能力のひとつである。

 すべてを焼き尽くす業火に照らされ、アーミリカの身体が赤く染まるとき、彼女は“紅の淑女”というもうひとつの異名で呼ばれるのだ。


 灼熱の炎に包まれたインビジブルストーカーは苦悶の声をあげながら、地面を転がる。

 だが、その動きはしだいに鈍くなり、やがて動かなくなった。


 炎が消え、後には黒焦げの死体が残る。

 周囲の光景が消滅したのは、その瞬間だった。


「な、なんだ? どうしたんだ?」


 浩太郎が狼狽えながら、周囲を見回す。

 さっきまで、そこには夜の新宿があった。

 だが、今はなにも見えない。

 特撮で使われるブルーバックのように、青い空間が無限に広がっていた。


「インビジブルストーカーの能力が暴走したのかもしれない……」


 かりんが言う。彼女はまだ傷口を押さえていた。

 だが、幸いなことに血は固まりはじめている。


「透明な魔物が見えるようになり、反対に他のものすべてが見えなくなった。ロジックの破綻だわ……」

「シミが作品世界が蝕むって、こういうことなのか……」


 彰文はうめく。

 そして、他の魔物はどうなったのかと視線を転じてみる。

 すると、ブルーバックのなか、パートナーたちと魔物たちは乱戦を演じていた。


 ライラは空を飛び、嬌声をあげながら、エジプトのミイラ男から包帯をはぎ取っている。

 レムスは人狼の姿になり、不思議なリズムで動きながら、カナディアンロッキーの雪男と肉弾戦を演じている。

 ダルタニアンは闘牛士のような外見さながらに、南米の吸血獣の突撃を優雅にかわしながら、レイピアを突き立てている。

 アトス、ポルトス、アラミスの三銃士は巧みに連携し、他の魔物たちを翻弄している。


「大丈夫そうだな……」


 彰文は安堵し、もう一度、インビジブルストーカーに視線をもどす。

 すると、黒焦げの死体が、変化しはじめていた。

 黒い蒸気のようなものを立ち上らせ、徐々に姿を変えてゆく。

 最後には、ボールやキューブ状の物体が不規則に組み合わさった奇怪な形となった。


「ロジック。やっぱりね……」


 かりんがつぶやく。


「シミにも種類が?」


 彰文は訊ねた。


「ええ、作品をどう蝕んだかによって、シミは形態を変えるようなの。クリエイター仲間のひとりが勝手に分類したのだけど、便利だからみんな使っている」

「それで、どうするの?」

「正体を現したからには、処分すればいいだけよ。この作品世界とは異質な存在だしね」


 かりんが答えて、浩太郎にうなずきかける。


「レディ! とどめを!」


 浩太郎がにやりとして、アーミリカに命令した。


「承知じゃ」


 アーミリカが頭上に手を掲げ、ふたたび烙撃を放つ。

 シミはインビジブルストーカーは一瞬にして蒸発した。

 そして夜の新宿の風景がもとにもどる。


「やったぜ!」


 浩太郎が歓喜の声をあげ、彰文とかりんを振り返った。

 だが、その表情がすぐに険しくなる。


「かりん! その腕?」


 浩太郎はようやくかりんの怪我に気づいたようだった。


「うん、ガラスでね。深く切れたみたい」


 かりんが答え、痛みを思い出したように顔をしかめる。


「だ、大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃないわ。気を失いそう……」


 そして、かりんはパートナーであるダルタニアンを呼ぶ。

 ダルタニアンはすべてを承知しているかのように、懐から陶器製の小瓶を取り出す。


「それって、原典にも出てくる膏薬?」


 原作では、ダルタニアンの母親がジプシーから作り方を習ったとある。

 そして息子の旅立ちのときに持たせたのだ。


「ええ、ダルタニアンが母親からもらった塗り薬よ。怪我によく効くの」


 かりんがうなずく。

 ダルタニアンは、かりんの傷口に薬を塗り込んでいった。


「つ……」


 かりんは目をきつく閉じ、歯を食いしばって痛みに耐える。

 ダルタニアンは薬を塗りおえると、スカーフを襟から外し、包帯がわりに巻いていった。


「ありがとう……」


 かりんはダルタニアンに微笑み、彼の頬にお礼のキスをする。

 白の銃士は深々と返礼すると、仲間のところへともどった。


「三銃士たちもご苦労さま……」


 かりんはスマホを取り出し、ダルタニアンたちを『白蘭の三銃士』の世界に返す。


「ポータルにもどろう」


 浩太郎はかりんの怪我をしていないほうの腕を掴むと、引っ張るように“栞”のある方向へ歩き出した。


「ち、ちょっと……」


 かりんが顔を赤らめながら、当惑の声をあげる。


「ひとりで歩けるから」


 しかし浩太郎がかりんの手を離すことはなかった。

 そしてふたりは光のゲートへと入る。


 彰文もライラとともに後に続いた――

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