第二章 レディ・ドラキュラ⑤


“栞”から『レディ・ドラキュラ』の世界に入ると、目の前に浩太郎の家があった。

 作品の主人公が暮らす家のモデルにしていたからだろう。


「やっぱ、こうなるか……」


 浩太郎がため息をつく。


「そうだと思ったよ」


 彰文は笑う。


 第一話の舞台となった公園からさほど離れていない古い一軒家だ。

 現実世界では、浩太郎はここで両親とふたりの兄と暮らしている。

 両親は近くの繁華街で小さなビストロを経営しているそうだ。

 飲食店系の情報サイトを調べてみたら、かなり高く評価されている。


 ただし、『レディ・ドラキュラ』の世界では、主人公に兄弟はおらず、両親は海外に店を出しているため、ひとり暮らしをしているという設定になっている。

 浩太郎のひそかな願望なのかもしれない。


「もしかして、ここは浩太郎くんの?」


 かりんも事情を察したようだった。


「なにを隠そう、そうなんだ」


 浩太郎が苦笑まじりにうなずく。


「お邪魔していいものかしら?」

「なにを遠慮してるんだ?」

「だって……男の子の家にあがるの……初めてだから」


 かりんがもじもじしながら言う。

 その瞬間、彰文は浩太郎と顔を見合わせた。

 本物のお嬢さまだと、視線だけで会話する。


「ま、汚いところだけど我慢してくれよ。二話からは、しばらく家のなかでストーリーが進むわけだしな」


 浩太郎がわざと気軽な口調で、かりんに声をかけた。


 第一話で主人公に血を吸われてしまったため、闇の淑女ことアーミリカは吸血鬼の流儀に従い、心ならずも主人公の妻となり、同居をはじめる。

 当然、ラブコメっぽい展開になってゆく。

 着替えを覗いてしまったり、一緒の布団で寝たり、エロ本を見つけられたりというエピソードが続くのだ。


「大丈夫なのか? 昨日みたいにストーリーどおりに進めないといけないとしたら、かなり恥ずかしいことになるけど?」


 彰文は浩太郎に声をかける。


「そ、そうだった!」


 浩太郎が顔色を変えた。


「厳密にストーリーをなぞらなくても大丈夫よ。少しの間なら矛盾していても、作品世界が変化したりはしないから。家に入って、シミがいないか確認すればいいだけ」


 かりんがくすくす笑う。


「助かった……」


 浩太郎が胸をなでおろす。


「でも、アーミリカは呼びだしておいたほうがいいと思うわ……」


 かりんが助言する。


「パートナーにしておかないと、登場人物となって出現するかもしれないから」


 まるで、“シュレーディンガーの猫”だなと、彰文は思った。

 観測することにより、事象が確定する。

 こちらの世界の法則を理解するには、経験が必要そうだ。


「それじゃあ、ゆくぜ!」


 浩太郎が気合いの声をあげながら、スマホを頭上に突きだすようなポーズを取る。

 そしてパートナーである闇の淑女を呼びだした。


「また会えたの」


 アーミリカが浩太郎に微笑みかける。


「家にあがらせてもらうぜ」


 浩太郎が許可を求めた。

 この作品世界では、主人公とアーミリカの家である。

 もっとも浩太郎は今、主人公の代役のはずだ。


「おかしな真似はせぬようにの」


 昨日のことがあるからか、アーミリカが警戒しながら言う。


「しないっての」


 浩太郎があわてて否定する。

 そして浩太郎はポケットから鍵を取り出し、玄関を開けて入っていった。

 どうやら身に着けている物は全部、こちらの世界に持ち込めるらしい。

 彰文のポケットにも生徒手帳やらハンカチやらが入っている。


「家族が誰もいないと、ずいぶん広く感じるな……」


 家に入り、部屋をひと通り巡ってから、浩太郎がぽつりとつぶやいた。

 たしかに、家はがらんとしており、生活感がない。


「ふたりのアニキも、ウザいとしか思わないけど」


 浩太郎のふたりの兄はラグビーをやっていて、六大学のひとつとその附属高校でそれぞれ不動のレギュラーを張っている。

 浩太郎もスポーツは苦手ではないが、兄たちほどではなかったので、今の高校に進んでからは、クラブに入っていない。


 そして兄たちにラノベ好きだと知られたら、絶対に馬鹿にされるからと、浩太郎は必死で隠している。

 グッズなどはいっさい買わないし、小説もコミックも電子書籍でしか読まない。

 アニメも配信されているものをスマホで観ているという徹底ぶりだ。


「シミの気配はなさそうね……」


 かりんがつぶやく。


「シミって、どう見える?」


 彰文は訊ねてみた。


「正体を現すと、黒い靄をまとったバケモノみたいな姿になるわ。ただ、人や物、建物、などに潜んでいるうちは、違和感みたいなものを見つけるしかないの」

「間違い探しみたいなものか?」

「まあ、そうね……」


 浩太郎の問いに、かりんがうなずく。


「私の作品では、宰相がシミに侵されていたわ。王妃に対し、恋をしていたから、すぐにおかしいってわかった。他にも影響は出始めていたけれど、宰相を倒したら、収まっていったの」

「宰相が? ずいぶん、重要なキャラにシミが取り憑いたんだね?」


『白蘭の三銃士』において、言うならば敵のボスだ。


「だったら、主人公やアーミリカがシミに侵されているってこともあるわけか?」

「我は問題ないぞ」


 闇の淑女が不満そうに言う。


「主人公も問題ないと思うわ。シミに侵されていたら、たぶん、この家に出現していたはずだから」


 浩太郎が代役となっている時点で、シミの可能性はないということだろう。


「建物や家具はどうかな?」


 彰文は部屋を見回しながら、浩太郎に声をかける。

 浩太郎の家には一度行ったことはあるが、家のなかの様子やどんなものがあったかは、さすがに覚えていない。


「たいした描写はしていないけどな……」


 浩太郎は部屋のなかにあるものを、手に取って調べてゆく。


「第二話だし、アーミリカの部屋は空っぽだったし」

「そう言えば、魔界から“天蓋つき棺桶ベッド”や“反魂の姿見”が送られてくるのは、もっと後の話だったね」


 彰文は作品を思い出しながら言った。

 主人公との結婚を認めたアーミリカの父、ドラキュラ伯爵が娘に持たせた婚礼用品である。

 棺桶ベッドはアーミリカが屋敷で使っていたもの、反魂の姿見は普通の鏡に映らないアーミリカが映る魔界の鏡であり、魔界と行き来するためのゲートにもなる。


「どうやら、話を進めたほうがよさそうね……」


 かりんが唇に指を当てながらつぶやいた。


「作品の舞台が変わるのは、五話だったかしら?」

「あの回か……」


 浩太郎が顔をしかめる。

『レディ・ドラキュラ』の第五話は、新宿に出た主人公とアーミリカが、人間界に潜んでいた魔物を見つけだし、新宿御苑に誘いだし、退治する話だ。


「人は多いし、魔物との戦いがあるし、面倒だよな」

「魔物は調べる必要があるけど、小説に出てこない人々は、とくに気にしなくていい。新宿の雑踏という背景みたいなものだから」


 かりんが浩太郎に言う。


「だったら、ライラは変装させなくて大丈夫かな?」

「おそらくね。私や彰文くんもだけど、おそらく背景の一部になるわ」


 かりんがくすりと笑った。


「じゃあ、いったんポータルにもどって、入り直そうぜ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

Androidでは正しく
設定できないことがあります。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

新規ユーザー登録無料