第二章 レディ・ドラキュラ④【書籍用改稿版】
片倉彰文は自宅近くにある小さな公園のブランコの柵にもたれかかっていた。
目の前では、誰もいないブランコが、風もないのにゆっくりと揺れている。
金属の軋む音が、かすかに響いていた。
(これは夢だ……)
中二の夏、両親から転校を知らされたときの夢。
東京に越してから、何度も見ている。
なぜ、こんな夢を繰り返し、見るのかわからない。
印象に残るようなことは、なにもないはずなのに……
だが、得体の知れない感情に突き動かされ、彰文は柵を跳び越え、公園から逃げるように走り去る。
夢ではよくあることだが、うまく走れない。
足が地に着かず、身体がふわふわする。
だが、気がついたときには、自宅に帰っていた。
生まれてから中学二年まで暮らした家だ。
部屋に入ると、ひとりの少女がいた。
赤い髪、ベレー帽、蝙蝠のような翼、そして先端が尖った細長い尻尾――
少女は彰文のベッドのうえで、膝を抱えるようにして眠っている。
「ライラ!」
彰文は驚いて呼びかけた。
彰文のパートナーである夢魔の少女が、ゆっくりと顔をあげる。
そして彰文を見て、あわてて目をこすった。
「彰文さま!」
ライラが立ち上がり、ベッドから飛び降り、そのままの勢いで抱きついてくる。
「どうして、ここへ?」
「えっ? これは夢だよね?」
彰文はライラと抱擁してから訊ねた。
夢だからなのか、なぜか自然にできた。
「夢? 彰文さまは眠っておられるんですか?」
ライラが不思議そうに訊ね返す。
「『レディ・ドラキュラ』の世界から現実に帰って、ひどく疲れていて、夕食まで寝ようとして……」
彰文は思い出そうとした。
制服を脱いでからベッドに入ったはずだが、今は着ている。
中学のではなく高校の制服だった。
もちろん、これは夢なのだから、どんな格好でも不思議ではないのだが。
「夢だと思う。生々しいけど……」
「まあ、わたしは夢魔ですからね。本来なら、わたしが彰文さまの夢に現れて、誘惑しないといけないのですが……」
ライラがそう言って、嬉しそうに笑う。
「彰文さまのほうから、訪ねてくれるとは思いもしませんでした」
「考えてみれば、ライラは僕の心のなかにいる。夢で会っても不思議ではないけど……」
彰文はすこし混乱していた。
「だけど、なんで東京に来る以前の僕の部屋なんだ?」
「ここはですね、本の悪魔さまに造っていただいたんですよ。わたしの記憶を再現してくださったのです」
ライラがなぜか誇らしげに部屋を見回した。
「本の悪魔? つまり、ここは悪魔の書架、アカシックレコード……」
彰文はつぶやく。
「悪魔が僕を呼んだのか? いや、寝てるんだから、スマホを操作しようがないな。それとも僕は勝手に来たのか?」
アカシックレコードは人間の深層心理で繋がっているわけだから、驚くことではないのかもしれない。
もちろん、ただの夢ということもある。
「ライラは、僕の夢魔だよね?」
「はい!」
ライラが元気にうなずく。
「なので、誘惑しちゃいますよ。そこにベッドもありますからね。ここはエッチな夢を見たと思って……」
「いや、今は遠慮しとくよ。それより、なぜ、ライラが僕の部屋にいるかだ……」
彰文はライラの言葉を遮り、様々な可能性を考えはじめた。
「僕は作品を書いたことはない。アイデアを考えたこともない。もちろん、キャラも。ただ、夢のなかで無意識に考えていたのか? 公園の夢を繰り返し見るのは、そのせい?」
そう声に出して自問する。
「ライラは本当に僕の夢のなかにいる存在だったのか?」
それがいちばん納得がゆく。
だが、こんな夢を見ていたのかと思うと、かなり恥ずかしい。
「わたしが登場する作品はないってことですか?」
ライラが特にショックを受けた様子もなく訊ねてくる。
「夢というのも、ある意味、作品かもしれないけど……」
ただ、それなら、悪魔はライラの正体を知っていたはずだ。
いや知っていながら、黙っていたのかもしれない。
夢のなかで、ライラのような夢魔を妄想していたとしたら、かなりイタイ。
浩太郎やかりんにバレないよう配慮してくれたとも考えられる。
「でしたら、わたしは彰文さまの理想の恋人ということで、どうでしょう?」
ライラが勢いこんで言う。
「いや、どちらかといえば、ライラは真逆かな? 僕の理想は……」
そう言いかけて、彰文は頭がずきりとなった。
額を指で押さえる。
一瞬、誰かの姿が浮かびかけたのだが、黒い靄がかかったかのように見えなくなった。
(また……)
例の既知感だ。
「彰文さま、ひどいです」
ライラがそう言って、頬を膨らませた。
「ごめん、ごめん……」
彰文はあわてて謝る。
「ただ気になるんだ。ライラとキスをすれば、僕は大切な人を失うんだろ? 大切な人って、誰なんだろ?」
「おられないんですか?」
「両親とか友人は、もちろん大切だよ。先生や親戚、お世話になった人たちだって。つまり、ライラとキスをすると、そういった人たちの魂が代償に?」
「彰文さま、ひどいです……」
ライラは、今度はひどくショックを受けたようだ。
「ごめん……」
彰文はふたたび謝る。
「ただ、なにが事実かわからないから。もしかしたら、ライラが登場する作品を読んで、僕が脳内で自分の部屋に置き換えただけかもしれない。そして、元の作品はシミによって失われた。ただ、ライラの印象が強かったから、つまりキャラクターとして魅力的だったから、僕の記憶から消えなかった……とか?」
「えへへ……」
彰文の言葉に、ライラが照れたように笑った。
「わたしにも、わたしが何者なのかはわかりません。ただ、彰文さまを想う気持ちは、本物だと思うんです。他の誰かではありません、彰文さまなのです」
ライラはそう続けて、まっすぐに彰文を見つめてくる。
「ありがとう……」
彰文はうなずいた。ライラの気持ちは素直に嬉しいと思う。
そのとき、母親の声がどこからか聞こえてきた。
晩御飯だから起きろと言っている。
そして感覚がぼやけてゆく。
(目が醒めようとしているんだな)
彰文は思った。
「彰文さま!」
ライラが悲しそうな顔になる。
「また、来るから」
彰文はライラにそう言い残し、目を醒ました――
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