第二章 レディ・ドラキュラ③【書籍用改稿版】

 視界が切り替わったと思った次の瞬間、彰文はスマホに映る〝悪魔の書架〟のポータル画像を見つめていた。


 あわてて顔をあげると、向かいの席に浩太郎の呆然とした姿がある。

 ふたりはしばらく無言で見つめあった。


「夢……じゃないよな?」

「ふたり同時に同じ夢を見るなんてことはないさ」


 彰文は時計を確かめてみる。


 午後五時十分前。何時からサイトを見はじめたかはわからない。念のため、何年何月何日かも確かめる。間違いなく今日の日付だった。


 ふたりは『レディ・ドラキュラ』の作品世界を出たあと、本の悪魔に報告し、かりんに別れを告げ、現実世界にもどってきたのである。


「疲れた……」


 浩太郎がため息をつきながら、テーブルに突っ伏した。


「まったくだ……」


 彰文は冷蔵庫から麦茶を取り出し、グラスに注ぎ足す。

 浩太郎のグラスにも入れてやった。


「だけど、面白かったよな!」


 浩太郎ががばっと起き直る。


「自分の作品世界に入って、自分が創ったキャラクターと一緒にストーリーを体験する。思い出しただけで、興奮するっての!」

「アーミリカと人狼の戦いは、迫力ありすぎだよ」

「たしかにな、アーミリカが負けるかもって冷や冷やした……」


 浩太郎が苦笑した。


「で、明日は夜の十時だっけ?」

「そうだよ。かりんが忙しくて、その時間まで入れないから」

「あいつ、高校だよな? 同学年?」

「リアルを詮索するのはやめておこう」


 彰文は笑う。


「あいつ、最初はキツい性格かって思ったけど、意外に気さくで茶目っ気あったよな。からかわれたのは癪に障ったけど」

「ふたりとも悪魔の書架の投稿作家だからかな? 傍で見ていて、サークル仲間みたいな感じだった」

「確かに仲間意識は感じたな。オフ会にでも行かないかぎり、作家になんて会えるもんじゃないし」

「僕はもうひとり知っているけど……」


 そう言いかけて、彰文ははっとなった。


 その投稿作家の名前が思い出せなかったからである。


(また……)


 彰文は額を指で押さえた。


(やっぱり、僕の記憶は欠落している――いや書き換えられている)


 それはもう疑いようがない。核になる記憶が失われているが、その周辺の記憶はまだ残っているのかもしれない。それが既知感になっているのだろう。


「大丈夫か?」


 浩太郎が心配そうに声をかけてきた。


「ああ……」


 彰文は頭をひと振りしてから、浩太郎にうなずきかえす。


「ところで、今、『レディ・ドラキュラ』の第一話を久々に覗いてみたんだ」


 浩太郎がそう言ってから、ふたたびため息をつく。


「なにか見つかった?」

「誤字、脱字が山ほど。あと、とにかく書き直したい! 作品世界に入って刺激を受けたってのもあるし、ダメなところがいろいろわかったしな」

「今は、あまり書き直さないほうがいいかもね。シミを退治してからにすれば?」

「そうか?」

「文章を変えると、あっちの世界も変わるかもしれないだろ?」

「なるほど……」


 浩太郎がスマホの画面を見ながら、腕組みをする。


「僕は、新作のほうを読ませてもらうよ」

「ああ、頼むわ」


 浩太郎がうわの空で返してきた。


 彰文は浩太郎が先月から書きはじめたという異世界ファンタジーのページを開く。見ただけでどういう話か予想がつく、いかにもなタイトルがつけられていた。


 読みはじめると、『レディ・ドラキュラ』に比べ、文章は格段にうまくなっているし、キャラクターも立っている。

 設定が甘々だという異世界をしっかり設定してあるところが、浩太郎らしくて好感を抱いた。


「……感想はいつでもいいから」


 しばらくすると、浩太郎が言って、今日は帰ると席を立つ。


 憔悴しきった表情である。あんな体験をしたわけだし、『レディ・ドラキュラ』を読み直して、いろいろ精神的にダメージを受けたのかもしれない。


 彰文もかなり消耗していた。


(夕飯まですこし寝よう……)


 浩太郎を送ったあと、制服を脱いで、ベッドに倒れこむ。


 目を閉じると、すぐに睡魔がやってきた。

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