第二章 レディ・ドラキュラ②

「で、出ました!」


 ライラが緊張の声をあげる。

 ダルタニアンがゆっくりとレイピアを抜く。

 その瞬間、花びらのような光が散るあたり、さすが乙女系のキャラクターである。


 茂みから姿を現したのは、二メートルを超える人型の魔物だった。

 顔は狼、裸の上半身は銀色の体毛に包まれている。

 だぼっとした迷彩柄のズボンからはふさふさした尻尾が突き出ていた。


 狼男である。ワーウルフ、あるいは人狼――


(作品の描写どおりだな)


 彰文は思った。

 ヒロインが吸血鬼なので、浩太郎は最初に登場する魔物として狼男を選んだという。

 闇の淑女たるアーミリカが追いかける必要があるほどの強敵という設定だ。

 狼男は魔界の名門で男爵だが、なぜか人間界の満月を見てしまい、理性を失ったのである。

 そして魔界でひとしきり暴れまわったあと、人間界へやってきた。

 魔界警察では手に負えないと、吸血鬼ドラキュラ伯爵のもとに事件解決の依頼があり、令嬢アーミリカが派遣されたのである。


 そのアーミリカは本能に導かれたかのように誰よりも早く反応し、狼男と浩太郎のあいだに立っていた。


「久しいな、レムス」


 アーミリカが狼男に声をかける。彼女が作品で言っていた台詞だった。

 だが、月光に狂った狼男には、アーミリカの呼びかけは通じない。

 攻撃態勢を取りつつ、威嚇のうなりをあげる。


 戦いは避けられそうになかった。だが、作品としてはそれでいい。


「僕たちは、どうすればいい?」


 彰文はかりんに訊ねた。


「ここは吸血鬼の彼女と浩太郎に任せましょう」

「俺かよ!」


 浩太郎がうろたえる。


「戦うのは、アーミリカよ。あなたは実力を出せるよう応援してあげればいいの。彼女にどんな能力があって、どう勝つか思い描く。ここはあなたが創った世界なのだから、その通りになるわ。あの狼男が、シミに蝕まれていないかぎりね」

「蝕まれていたらどうすんだよ?」

「そのときには、シミごと狼男を退治する。でも、大丈夫、そんな気配はないから」

「我にまかせておればよい」


 闇の淑女アーミリカが言うなり、地面をとんと蹴り、空中に浮かんだ。

 狼男レムスがそれに反応し、驚くほどの速度で跳躍した。

 顎が大きく開かれ、鋭い牙が剥きだしになる。

 両手からは鋭く長い鉤爪が伸びていた。


 アーミリカは空中に見えない床があるように側転し、飛びかかってくる狼男の牙と爪を紙一重でかわす。

 そしてすれ違いざま、相手を労うかのように肩をかるく叩いた。


「ブラッドドレイン!」


 浩太郎が興奮ぎみに叫ぶ。


「アーミリカは触れただけで、相手のダークエナジーを吸収する。そして自分のエナジーに変えられるんだぜ!」

「そういう設定だったね」


『レディ・ドラキュラ』の作品世界では、人間界に満ちる“ダークエナジー”を吸収して、様々なモノが魔物に変異する。

 太古より魔物と人間とは争いが絶えなかったが、あるとき“闇の公子”と呼ばれた存在が、自らを犠牲にし、“魔界”を創造したという。

 それ以来、魔物は魔界で暮らすようになった。

 そのあたりの理由はシリーズが進むごとに徐々に明らかになるのだが、今は中断しているので、核心のところはわからない。


 要するに、魔物どうしの戦いは、ダークエナジーの削りあいということだ。

 エナジーがある程度まで減ると魔物は能力を失い、ゼロになると消滅する。


 浩太郎が言ったとおり、吸血鬼一族であるアーミリカは、相手のエナジーを吸い取り、自分のエナジーにする能力を持っている。

 攻撃と回復を同時に行うわけだ。ゲーム的に考えれば、かなり強い。

 もちろん、それ以外にも、彼女は様々な特殊能力を秘めている。

 魔界でも屈指の実力の持ち主なのだ。


 しかも、ある条件を満たすと、彼女はさらにパワーアップする。

 だが、それはもっと話が進んでから付け足された設定だ。


 狼男は高速で地を駆けると、力強く跳躍し、牙と爪で吸血鬼の娘を引き裂こうとする。


「レムスよ、それほどまでに我と踊りたいか?」


 だが、アーミリカは作品どおりの笑い声をあげながら、優雅な動きで狼男を翻弄した。

 狼男の猛攻をひらりひらりとかわしながら、エナジーをどんどん吸い取ってゆく。


 本来なら、相手はすでに動けなくなっているはずだった。

 だが、狼男はまったく衰えた様子を見せない。

 それどころか、怒りを高め、その動きがどんどん速く、激しくなってくる。


「猛々しいのう……」


 余裕の笑みを浮かべていたアーミリカの表情にも、焦りが見えはじめていた。

 そして、ついに爪の一撃が、アーミリカの右の太腿をかすめる。


っ」


 青白い肌に、ひと筋の傷が走り、真っ赤な血が流れ出す。


「レディ!」


 浩太郎が不安そうに声をあげた。

 今にも助けにゆきたそうな顔をしている。

 だが、魔物は生身の人間が勝てる相手ではない。

 浩太郎は著者だから、誰よりもそれはわかっているだろう。


「やっぱり、作品どおりだ……」


 彰文はつぶやいた。


「ええ、基本的にはストーリーどおりに物事が進んでゆくの。作品世界にはそういう力が働いているから。私たちは“修正力”と呼んでいるけど」


 かりんがうなずく。


「作品どおりなら大丈夫という理屈はわかるけど……」


 シミは作品を蝕む存在だからだ。


「それにしても、長くないかな?」


 浩太郎が書いた戦闘シーンは二ページほど。

 ちょっと物足りないと思うぐらいにあっさりと終わっていた。

 だが、吸血鬼の令嬢と狼男の戦いは延々と続いている。


「完全に同じというわけではないけれど……」


 かりんが言ったが、すこし不安そうだった。


「シミの気配もないしね」


 だが、それからかなり経っても、やはり戦いは終わらなかった。

 そしてアーミリカの苦戦は続いている。

 今や、狼男の攻撃をかわすのが精一杯で、相手からエナジーを奪うことすらできなくなっていた。


「猛々しいのう……」


 アーミリカが先程と同じ台詞を繰り返す。


(まるで同じシーンを、繰り返し読んでいるみたいだ……)


 彰文は思う。


(そうか!)


 それで、気がついた。


(きっと、ストーリーが進んでいないんだ)


 彰文は夜空を見上げる。

 スーパームーンかと思うような大きな満月が、煌々と輝いていた。


「浩太郎! 月だ!」


 彰文は大声で浩太郎に呼びかける。


「そうか! たしか、主人公は空を見上げて……」


 浩太郎があわてて顔をあげた。

 そして南の空に輝く満月に向き直る。


 作品では、主人公が月が雲に隠れてゆくのを目撃するのだ。

 だが、主人公代わりの浩太郎は、アーミリカのことが心配で、狼男との戦いから目が離せなかったのだろう。

 だから、シーンが進まなかった。


 この世界では、月光は狂気をもたらすとされ、ダークエナジーの供給源となるという。

 とくに狼男にとっては、無尽蔵のエナジータンクが空に浮かんでいるようなものなのである。

 作品でも、それでアーミリカは苦戦していたのだ。


「よしっ、雲がかかってきた!」


 浩太郎が夜空を見上げたのがトリガーとなったらしく、いつのまにか厚い雲が湧きだしていた。

 作品ではなんの伏線もなかったので、かなり唐突に感じたものだが、今は歓声をあげたいぐらいである。


(これが、修正力というものなのだろうな)


 しばらくすると、月は完全に見えなくなった。

 途端に、狼男の動きが鈍くなる。

 エナジーを失っただけではなく、正気にもどりつつあるからだと、作品では記述されていた。


「観念せい!」


 アーミリカは空中に見えない床があるように、体操選手さながらの動きで跳躍し、回転しつつ、狼男にパンチ、キックを加えてゆく。そして、その一撃ごとに、ダークエナジーを吸い取った。


 狼男はついに地面に倒れ、なぜか犬の姿になる。

 そして降参のポーズを取り、子犬のように鼻を鳴らした。

 このあたり、ラノベっぽい。


「やった……」


 浩太郎が呆然とつぶやく。

 そして闇の淑女こと、アーミリカを見つめる。

 吸血鬼の令嬢は、得意そうに鼻を鳴らしながら、腰に手を当てくいっとさせた。


「あ~、たしか、助けてくれてありがとうだっけ?」


 浩太郎が作品で主人公が言っていた台詞を思い出しながら言う。

 だが、すぐに彰文を振り返った。


「……このあと、主人公はアーミリカが怪我をしているのに気がつくんだよな?」

「そうだったね」


 ここからは、ちょっと無理のある展開なのだが、動転していた主人公は、アーミリカが狂犬病になるかもしれないと、いきなりその傷に口をつけ、血を吸い出してしまうのだ。

 そしてそれは吸血鬼にとって、結婚の儀式だったのである。


 純潔を奪われたと、アーミリカは主人公の嫁となると決め、同居をはじめるのだ。こうして『レディ・ドラキュラ』シリーズははじまる。


「もしかして、俺はあのシーンを、やらないといけないのかよ?」


 浩太郎の顔がひきつっている。

 さっき、月を見るのを忘れ、アーミリカが苦戦しつづけたわけだから、彼がそう思うのも当然だった。


「どうなんだろう?」


 彰文に判断がつくわけもなく、かりんを振り返ってみる。


「そういう作品なんでしょ?」


 かりんが平然と言った。


「ま、マジか?」


 浩太郎がふたたびアーミリカを振り返る。


「ち、著者殿!」


 アーミリカがあわてたように瞬間移動で遠ざかった。


「わ、我は夫を持つ身ぞ」

「わかってるって! だけど、今は俺が主人公の代わりだから……」


 浩太郎は救いを求めるように、ふたたび彰文に向き直る。


「でも、まずいよな? アーミリカは俺が書いたキャラクターで、娘というか、分身というか、そういうもんだろ? い、いや、もちろん、嫌いなわけじゃない。つーか、俺の理想をかなり入れてあるから……」


 浩太郎は『レディ・ドラキュラ』に出てくる本物の主人公のように動転していた。

 それを見て、かりんが口に手を当てて笑いだす。


「今すぐ作品世界から、出ればいいのよ。そしたら、無理にストーリーを進めなくていいでしょ? たぶん、この話にシミはいない。今日はこれぐらいにして、次は他の話に入ってみましょ」

「それを早く言えっての!」


 浩太郎が怒りを爆発させた。


「ごめんなさい。どんな反応をするか、見たかったのよ。ラノベ系の作者って、自分のキャラクターをすごく愛しているって聞いたことがあったから」

「それをいうなら、かりんこそどうなんだよ? ダルタニアンと結婚したいとか思ってるのかよ?」


 浩太郎が顔を赤くしながら、かりんを問いつめる。


「ダルタニアン?」


 かりんはちらりと側に控えていた白の銃士を見た。

 ダルタニアンは静かに微笑んで、一礼を返す。


「彼は、私にとって、理想の王子様よ」


 浩太郎に向き直ってから、かりんが真顔で言う。


「こんな人と恋愛できたらと思いながら書いたわ。でもね、ダルタニアンには作品のなかに恋人がいるし……」


 かりんはそう言ってから、悪戯っぽく微笑んだ。


「それにアトスも、ポルトスも、アラミスも、私にとって理想の王子様だから」

「なんだよ、それ?」


 浩太郎が顔をしかめる。


「物語の世界には素敵な王子様がいくらでもいるし、私自身、たくさんの王子様を書いてゆきたい。でも、それが本物の恋愛ではないことはわかっている」

「なんだよ、それ……」


 浩太郎が同じ言葉を繰り返した。


「僕は作品を書いたことがないから、わからないけれど、自分のキャラがいるのは羨ましいよ。僕には、アーミリカもダルタニアンもきっと書けないから」


 彰文はふたりに声をかける。


「それは、書かないだけだろ? 彰文は俺よりたくさん小説を読んでいるから、すぐ書けるっての」


 浩太郎が不満そうに返してきた。

 彼は事あるごとに、彰文にも小説を書くよう勧めてくる。


「それは、ないな……」


 彰文は首を横に振った。


「小説を読んで感動すると、僕は次の小説を読みたいって思う。そこで書いてみたいって思わないと、たぶん本物の作家じゃないんだよ」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ」


 彰文は笑う。

 そのとき、ライラがひょいと視界のなかに入ってくる。


「彰文さまには、わたしがいるじゃないですか!」


 ライラが声に力を込めた。


「それに、わたしは彰文さまと恋愛したいです!」

「ええっ?」


 あまりに唐突だったので、彰文は唖然となる。


「だってさ」


 浩太郎がにやにやしながら、肘でつついてきた。


「ライラは、彰文のキャラじゃないのでしょ? だったら、いいんじゃないかしら?」


 かりんが澄まし顔で言う。


「たしかに、僕はライラを書いたことはない。だけど、パートナーとして呼び出せたんだ。きっと、なにか繋がりがあるんだよ。まずは、それをあきらかにしないと」


 彰文はため息をつく。


「照れるなっての」


 浩太郎が歯を見せて笑う。


「さあ、“栞”から出ましょ。あまり長くいると、作品世界に影響が出るかもしれない。私たちがシミと同じことをしたら、本末転倒だから」


 かりんがそう言って、光のゲートにもどりはじめた。


「我は、ここに残るぞ……」


 アーミリカが浩太郎に告げる。


「ああ、ここはおまえの世界だものな」


 浩太郎がうなずく。


「いつでも、呼びだしてくれてよい」


 アーミリカはそう言うと、金色の蝙蝠に変身して飛び去っていった。


「ダルタニアンもご苦労さま。三銃士たちによろしくね」


 かりんが声をかけると、白の銃士は現れたときのようにひざまずき、彼女の手にキスをする。

 そして薔薇の花びらのような光を渦巻かせながら消えてゆく。


「彰文さま……」


 ライラがそっと身を寄せてくる。


「どうかした?」

「いえ、わたしには帰る作品がありませんから……」


 ライラが寂しそうに笑う。


(そうだった……)


 彰文は胸が締めつけられるような気がした。

 どの作品かの記憶もなく、彰文はライラを召喚したのである。

 全知であるはずの本の悪魔ですら、彼女のことは知らなかった。


(ライラは登場する作品は、僕の記憶のなかにしかいないはずはずだ。だけど、それが思い出せない……)


 彼女という存在が、ひどく儚く感じられる。

 抱きしめてあげたい衝動を覚えるが、彰文はそれを押さえた。


「一緒に探し出そう……」


 彰文はライラを励ますように声をかける。


「それは、僕にとっても大切なことだと思うんだ」


 どうすれば、探し出せるかはわからない。

 しかし、手がかりは悪魔の書架にしかないはずだった。


「彰文さま……」


 ライラが目を潤ませながらうなずく。


 そして三人のクリエイターたちは“栞”をくぐり、『レディ・ドラキュラ』の世界をひとまず後にした――

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