第二章 レディ・ドラキュラ

第二章 レディ・ドラキュラ①【書籍用改稿版】

 家の近くにある人気のない夜の公園を、俺は歩いていた。

 俺は馬飼翔。

 都内の中学に通う、どこにでもいる中学三年生だ。

 二学期になり、秋も深まると、いよいよ高校受験のプレッシャーがきつくなってくる。

 直近の模試の成績は、志望校の合格ラインぎりぎりだった。

 怠けることもできないし、あきらめることもできない。

 そういう成績だ。

 しかたなく、夜遅くまで勉強する日々が続いている。

 今は、その気分転換だった。

 コンビニに行き、雑誌を数冊立ち読みし、眠気覚ましの飲料を買い、店先で呑んだ。カフェインがたっぷり入っていたはずだが、まったく効いた気がしない。

 夜食のおにぎりとお茶のペットボトルが入ったレジ袋をぶら下げながら、俺は夜空を見上げ、大きなあくびをする。

 東京の夜空は、明るすぎて星がほとんど見えない。

 だが、今夜は月が綺麗だった。

 仲秋の名月とやらが終わった次の満月で、南の空高くに青白く輝いている。

 ただ、夜半から天気は下り坂になるとの予報で、西の空には雲がかかりはじめていた。

 風も強くなりつつある。

 公園の木々が枝を揺らし、ざわざわと鳴った。

 どこからか、犬の遠吠えが聞こえてくる。

(犬……だよな?)

 どことなく狼に似ていたような気がしたのだ。

 だが、この近くに動物園はないし、ニホンオオカミはとっくの昔に全滅している。

 気味が悪くなり、俺はいくらか早足になった。

(怖いわけじゃねぇぞ! 帰って、もうひと勉強したいからだ)

 俺は自分に言い聞かせる。

 ガサガサッ!

 すぐ側の茂みが激しく揺れたのは、そのときだった。

 そして茂みをかきわけるようにソイツは姿を現したのである――


                         『レディ・ドラキュラ』より

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〝栞〟をくぐると、そこは夜の公園だった。


 背の低いビルに囲まれた緑地に、遊歩道が設けられ、簡素な遊具が設置されている。


「浩太郎の自宅近くの公園がモデルだって聞いていたけど、まんまだな」


 彰文は笑いながら言った。

 浩太郎の家に行ったとき、一度だけここに来たことがある。


「作品には夜の公園としか書いていないのにな。まあ、俺のなかでは、間違いなくここをイメージしてたけど」


 浩太郎が感心したようにうなずく。


「作者が曖昧に書いたとしても、作品世界では驚くぐらい補完されるものなのよ……」


 かりんが説明しながら、遊歩道の感触を確かめるように歩きはじめた。


「現実世界の時間とは違うよな?」


 浩太郎が不安そうに空を見上げる。


 雲はないが、満月と街の灯りに照らされ、夜空は白っぽく、星はほとんど見えない。


「たぶん……」


 彰文はスマホを取り出し、調べてみた。

 午後十時二十二分と表示されている。この作品世界の時間だろう。


「本の悪魔の言葉が本当ならだけど、現実世界の僕たちはリビングでスマホの画面と向かいあっているはずだよ。そして現実世界の時間はほとんど経過していない」


 学校から家に帰ったのは、午後四時半ぐらいだった。


「その通りだから、安心して……」


 かりんがうなずきかけてくる。


「こちらでの出来事は、ちょっと微睡んでるあいだに、長い夢を見ているようなものよ」

「浦島太郎にはならない?」

「玉手箱を開けなければね」


 かりんが笑顔で答える。


「夜の公園、雰囲気ありますね。これは手を繋ぐしかありませんね。そして彰文さまはわたしを木の幹に押しつけてキスを……」


 ライラが既成事実のように言う。

 かりんが親指を立ててうなずく。彼女的には、OKらしい。


「しないから」


 彰文はそっけなく答えた。


「おまえのパートナーは友好的でいいよな」


 浩太郎がため息をつく。


「我は慎みぶかいのじゃ。令嬢だからの」


 浩太郎のパートナーである闇の淑女アーミリカが冷ややかに言った。


 最初の印象が悪かったせいか、彼女は浩太郎のことをあからさまに警戒している。数メートルほどの距離を取り、常に監視の目を浩太郎に向けていた。


「わたしは令嬢じゃありませんからね。ばんばん誘惑しちゃいますよ」


 ライラが元気に言う。


(そんな宣言をされてもな)


 彰文は苦笑した。


「ところで、作品を読ませていただいたけれど……」


 かりんが浩太郎に向き直って言う。


「コ、コメントはしないでくれ。いろいろ自覚はあるんだ」


 浩太郎が胸を押さえ、荒く息をつく。


「そんなつもりはないわ。そもそも上手い下手なんて関係ない。私たちは書きたいから書く。そして書き続けるだけよ……」


 かりんが真顔で返した。


「私だって、他人の作品をどうこう言えるレベルじゃない。書いているものだって、『三銃士』の二次創作だし、歴史考証なんか気にしていないし」

「へぇ、歴史好きかって思った」


 浩太郎が意外そうに言う。


「嫌いではないけれど、書きたいのはそこじゃないの」

「そこじゃないなら、どこなんだよ?」

「どこって……」


 浩太郎の追及に、かりんが答に詰まる。


「今は、浩太郎くんの作品のことよ……」


 かりんは、はぐらかすように話題をもどした。


「第一話は主人公が魔物に襲われるところをアーミリカに助けられるシーン。つまり、戦いがあるのよ。緊張感を持たないと」

「まあ、そういう作品だしな」


 浩太郎がうなずいてから、アーミリカをちらりと見る。


「だけど、そのアーミリカがここにいていいのかよ? 彼女が登場するのは、魔物が現れたあとだぜ? そんなシーンは書いちゃいないが、設定的には今頃、魔界から逃亡してきた魔物を追いかけているはずだろ?」

「作品世界というのは……どう言えばいいのかしら、案外ふわっとしているのよ」


 かりんが言葉を選びながら答えた。


「ふわっと?」


 浩太郎が首をひねる。


「小説の場合、文章が核になっているのは、もちろん間違いない。だけど、それに作者や読者の想い、他の作品からの影響、現実世界の情報などが雲のように取り巻いているらしいの。これは、クリエイター仲間の推測なのだけれど……」


 かりんがそう前置きしてから説明を続ける。


「作品世界では時系列に関係なく、様々な設定や情報がひとかたまりになって存在しているんじゃないかって。本だって、そうよね? 誰かが読んで初めて時間が動き、ストーリーが進んでゆく」

「つまり、僕たちがここに来てから、時間が進みはじめたということ?」

「そんなところ。そして、私たちも作品世界に組み込まれることもあるから、気をつけてね」

「さっぱりわからねぇ……」


 浩太郎がため息をついた。


「どうやら、アーミリカがふたりいるわけじゃなさそうだ。そして浩太郎はたぶん主人公の代役なんだ。『レディ・ドラキュラ』は主人公の一人称で書かれているし、名前や設定は違うけど、モデルは浩太郎自身だろ?」

「それじゃあ、魔物に襲われるのは……」

「浩太郎ってことかな?」


 確信はないが、彰文の推測が正しければ必然的にそうなる。


「うへっ」


 浩太郎が顔をしかめた。


「わたしは場違いではないでしょうか?」


 ライラが不安そうに言って、翼をたたみ、尻尾をベルトのように腰に巻きつける。


「それを言うなら、ダルタニアンもよ……」


 かりんが苦笑しながら自分のパートナーを見る。

 たしかに、彼の服装は現代の日本だと違和感しかない。


「誰かに見られたら、騒ぎになりそうだな」


 彰文は心配になり、周囲に誰もいないか確かめてみた。

 幸いなことに、誰もいない。作品では人気がないと書かれていたのを思い出す。


「作品世界にいるはずのないものは、いないことにされるの。ただ、ここだとどうかしらね? ふたりとも魔物扱いされるかも?」

「すでに、魔物の匂いが漂いはじめておるぞ。もちろん、そのふたりからではない」


 浩太郎のパートナーであるアーミリカが目を細めながらつぶやく。


「ま、マジかよ?」

「安心せい、著者殿。我が守ってやるゆえ」

「魔物が襲ってきたら、どうすりゃいいんだよ?」


 浩太郎が焦ったように言う。


「主人公は殺されていないから、たぶん大丈夫よ。大事なのは、シミがどこに潜んでいるか、見つけだすこと。誤字や脱字、破綻した設定やロジック、過剰なレトリック、陳腐なトリック、凡庸なアイデアなんかがヤツらの温床になるらしいけど」

「……全部、思い当たるわ」


 かりんの言葉に、浩太郎が頭を抱える。


「初めて書いた作品なんだし、しかたないって」


 彰文は慰めの言葉をかけた。


「処女作と言ってくれ。そのほうが萌える」

「まったく……」


 かりんが呆れ顔になる。


 公園と道路を隔てる茂みが、激しく揺れたのはそのときであった――

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