孤剣の絆/フラッグノーツ
みんな、言ってる。
お日様は、ぽかぽか温かいと。
お月様は、さらさら優しいと。
お星様は、きらきら綺麗だと。
でも、私は知っている。
お日様は、灼熱の炎だ。
お月様は、冷たい岩だ。
お星様は、遠くの幻だ。
だから、私は別にそんなの欲しくない。
空ばかり見て歩いたら、きっと転んで怪我してしまう。
必要なものだけを求めるんだ。
そうやって私は歩いて、彷徨って、生きていく。
* * *
壬生狼学園、放課後。
女生徒がひとり、中庭のベンチに腰を下ろし、饅頭の包み紙を開けていた。
ガサガサッという音はいかにも粗雑だが、「饅頭食べたいし! 一刻も早く!」という微笑ましい熱意を感じさせる。
彼女の名は、近藤イサミ。
泣く子も黙る学生侍集団、壬生狼学園新選組の隊長だ。
「うぇへへ……じゃ~、いただきますかっ!」
……饅頭を前にゆるみ切った表情からは、とても信じられないことだろう。
艶やかな饅頭を手に、口を大きく開けた。己の拳もすっぽりと入りそうな大口だった。
近藤イサミは、“一呑み”が好きだ。
そして、まるごと一気に放り込む。もぐもぐごくん!
飯も菓子も、なんであれ、そうやって食べるのが良いと思っている。
「びゃああ、旨いっ! 旨すぎる! 風が語りかけてくるっ!」
「……あの、隊長。花も恥じらう年頃れでぃーなんですから、もう少し、その」
「おお~! いっちゃん! いいトコ来たね。ひとつ食べる?」
「いただきましょう。その前に、これを。先日頼まれていた調べ物です」
「お、サンキュー。助かるよ! それじゃあ食いねぇ食いねぇ、老舗・十万億土饅頭の新商品だよっ」
いっちゃん――新選組隊士・斎藤一乃。
凛とした佇まいは、イサミとは対照的だ。
しとやかに饅頭を一口齧って飲み込む一乃に対し、イサミはぽぽいぽいぽいといくつも丸呑みしていく。
「いつも疑問なのですけど、それで本当に味わえているんですか?」
「うん! なんでも丸呑みが一番美味しいじゃん? 呑み込んで、お腹全部で味わうの!」
「『鳴かずとも 呑んでしまおう ホトトギス』……といったところですか。あなたらしい」
「……まぁ、もっと美味しい食べ方もあるんだけどね」
「それは……?」
問いには答えず、にぱっと笑みだけを返すイサミ。
残りの饅頭を一乃に放り、ただ一言、「行ってくる」。
それだけ言い残し、軽やかに去って行った。
(ああ、これから何か、大事なことをするのでしょうね)
あの笑みを、一乃は好いていた。
決まって何か、素敵なことを企んでいる笑みだから。
* * *
誰かが居ると、嫌われる。
誰かが居ると、疎まれる。
だから、誰も居ないここだけが、私の居場所。
ここなら、余計なモノを見なくて済む。
“先”のことを“視”て困る相手は居ない。
木と、獣と、石と、水。
そして、一振りの刀。
在るのはただ、それだけ。
なのに。
なのに最近、余計なモノが増えてしまった。
お日様みたいな、あの人が。
* * *
鷹尾山。
壬生狼学園からほど近い場所にそびえる山だ。
その中腹に、イサミはいた。
登山道を外れた藪を、どこか楽しげに進んでいる。
「前に来たときは、この大岩を越えた先に確か……あれれ?」
何本もの倒木が、行く手を塞いでいた。
そこから先への侵入を拒絶するように配置され、明らかに人為的なものであるとわかる。
「たはは……ウチも随分と、鷹尾の天狗さんに嫌われちゃったなぁ。でもね!」
手は、既に背の後ろに伸びていた。
銀光と共に朱槍が一閃。
たちまち倒木は寸断され、刹那の炎に包まれ、塵と崩れていく。
斬り焦がし、断ち燃やす。
それこそは近藤イサミが持つ〈士魂〉、即ち卓絶した武人としての異能であった。
「悪いけど、新選組は図々しさが信条だから。このまま進んでくよっ!」
「…………帰って」
どこからともなく、か細い声。
拒絶。
はっきりわかる。
だが---
「帰らないよ。帰れない理由があるっ!」
「…………」
イサミの耳に届いたのは、返答ではなく、刃が鞘走る音。
続いて、次々と木々が倒れ始めた。
イサミに向かって。
「ちょちょちょっ、ちょっとぉぉぉぉ!?」
* * *
また、森は静かになった。
あの人は、諦めて帰ってくれたんだ。
随分と怖い思いをさせたと思う。
ごめんなさい。
でも、これでもう二度と来ることはないだろう。
二度と……?
ううん、今日のは四度目だった。
だから、五度目はない。
そのはず。
* * *
大岩の上に、ボロ布が風に吹かれてはためいている。
……否。
ボロ布を外套のようにまとう人間だ。
全身が土埃に塗れた中、腰に佩く刀だけが清らかに輝いている。
その“ボロ”は大岩からしばし周囲を見回し、くんくんと鼻を鳴らした。
どこからともなく、香ばしい匂いが漂ってくる。
麓の街から風に乗って運ばれて来たのだろうか?
ボロの腹が、ぐぅと音を立てる。
慌て、恥じるように周囲を見回すも、誰も居ない。
「お腹、空いたな……」
呟いたボロの頭に、ぽとんと何かが落ちてきた。
「ひっ!? ……これは……お饅頭?」
頭の上に乗っていたのは、饅頭だった。
焼き饅頭だ。表面はこんがりと焼け、例の香ばしい匂いを放っている。
ありえない。
「老舗・十万億土饅頭の新商品だよっ。さっきのドタバタで、うっかりちょっぴりこんがり焼けちゃったけど……味には自信あり!」
ボロが見上げた先、樹上でイサミが笑っていた。
* * *
そして、私の目の前にお日様が来てしまった。
どうしよう。
あたたかい。
* * *
「ウチの名前は、近藤イサミ。壬生狼学園で新選組の隊長やってるんだ。まぁ、できたばかりで人も少ないけどね。一応、〈学園帝国〉の連中に対抗して、みんなを守るのが目的……かな?」
「……最初に来た時、大声で言ってましたね。無視しましたが」
「そっか。でさ、鷹尾山で遊んでたウチの生徒が沢筋で足を挫いたけど、何者かに助けられたって言うじゃない。こりゃ~、お礼しなきゃでしょ!」
「……二度目の訪問時に、叫んでましたね。居留守を使いましたが」
「人助けをする、鷹尾の天狗。何としても会いたいと足を運んできたけど……まさか、あんなに強い剣士だとは思わなかった」
「……三度目には刃を交えさせていただきました。追い払うために」
「正直、ウチじゃまったく敵わないよ。こう、何をやっても先を読まれてるみたいに返されてさ。強いね~、キミ!」
ボロは戸惑っていた。
散々に打ち負かしてやったのに、イサミは屈託なく笑っている。
自分の技倆に対する報いは、憎悪や嫉妬、あるいは恐怖が常だったのに。
「……初めて」
「ん?」
「初めて、です。私と仕合って、散々に負かされて……なのに、そんな風に笑う人に出会ったのは。……怖くないんですか」
「全然。むしろ……惚れた?」
「惚れっ……!?」
「だって、そうでしょ。すごい剣士と仕合えたんだよ! ウチも、それとウチの仲間なら、みーんな絶対に喜ぶってぇ。いっちゃんやトッシー……あ、新選組の仲間なんだけど、その子らに話したら、羨ましがってたし!」
「…………」
ボロは、胸に不思議な疼きを感じた。
初めてのことだ。
嫌な感じはしない。
「……お、面白い話を聞かせていただいたこと、感謝します。生徒を助けたことへの感謝も、承りました。……それでは、私は、これで」
「どこに、行くの?」
イサミの問いには、それまでと異なる響きがあった。
洞察に富むボロのこと、秘められた意図はわかる。
だが、わかるわけには――いかない。
「か、帰ります……」
「どこに?」
「…………」
帰る場所なんて、どこにもない。
人の未来が視えるから、嫌われて。
人の運命がわかるから、疎まれて。
だから、ここへ逃げてきた。
居場所も、行き場所も、ない。
逃げ場所しか、ない!
「失礼します。これ以上、あなたには関わりたく……ありません」
駆け去ろうとするボロの腕を、イサミが掴んだ。
振りほどけない。
そうさせない意志が、伝わってくる。
「行くなっ、沖田ソウっ!」
「ッ……!」
数年ぶりに名を呼ばれた瞬間、ボロはボロであることを止めた。
沖田ソウ。
それが、彼女の名だった。
「悪いけどさ、調べさせてもらったよ。太刀筋を見れば、流派がわかる。そして腕が立つ剣士なら、高名やら悪名やらが刻まれちゃうものだからね」
「……私のことは、放っておいて……ください」
「いやだ。そんなの、悲しすぎる」
「かな、しい?」
「そうだよ! だって、キミは何も悪くない! ちょっと人より強くて、先が見える。それだけじゃん! なのになんで、追い払われなきゃならないのさ!」
沖田はイサミを“視”た。
偽りや方便ではなかった。
そして、さらにその先に視えたものは……。
「……じゃあ、私は、どうすれば……いいんですか」
「一緒に行こう!」
「ダメです……」
「新選組の仲間になって欲しいんだ! キミの腕に惚れた!」
「強引、すぎますね……。少し立ち合って、少し話しただけじゃないですか……」
「なんでも一呑み、丸呑みが一番美味しいからね」
「私は、方々で恨みを買ってます。きっと、その余波があなたにも……」
「ウチは気にしないし。むしろ、仲間に手出しはさせない、みたいな?」
仲間。
沖田の胸が、高鳴る。
「私には、無理です……むぎゅっ!?」
突如、沖田の口の中に、甘い何かが入り込んだ。
餡だ。饅頭の半欠片。もう半分は、イサミが食べている。
ひどく……旨い。
「うん。やっぱり、こうして仲間と分け合って食べるのは一番に美味しいよね」
「あの……もう、仲間にされてる……?」
イサミは、答えない。ただ、にぱっと笑っただけだ。
その笑顔にはもう逆らえないと、胸の鼓動が告げている。
だから……沖田は、観念した。
* * *
お日様は、ぽかぽか温かかった。
お月様は、さらさら優しかった。
お星様は、きらきら綺麗だった。
私は、何も知らなかった。
知った気で、目を逸らしているだけだったんだ。
私は、守りたい。
お日様を、お月様を、お星様を。
大切なみんなと過ごせる、この居場所を。
* * *
その夜、街は修羅の巷と化していた。
〈帝国〉に雇われた不逞浪士団と、それを迎え撃つ新選組。
血刀を手に、駆け合い打ち合う無数の影。
そこには、イサミたちの姿もあった。
「全員、無事!? よーし、無事か!」
「『三千世界の阿呆を殺し ぬしとゆっくりめいくらぶ』……やれやれ、身の程知らずのせいで、私達はしっとりと夜を楽しむ自由もありませんね」
「……そもそも恋人がいた試しがないじゃないですか、いっちゃん」
「むむっ。ソウ、人の恋愛事情を“視”るのは禁止っていったはずですけどー」
「確かに私は天才剣士ですけど……その力を使わなくても、わかります……」
「はいはいはいっ、そこまでー! 隊長命令だよ! あと一息だから、一気に追い込むよ!」
「承知しましたわ!」
「……うん、イサミ。あなたも気をつけてね」
「任せてっ! どいつもこいつも、一呑みさ!」
にぱっと笑う、イサミ。
沖田もまた微笑み返す。
みんな、笑顔だった。
――そして、新選組は夜へと駆けて行く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます