『七徳の聖騎士』/藍藤遊


 少年は騎士に憧れていた。

 正義を背負い、悪と戦う気高き騎士に。

 語り始めはそんな彼が、思いがけぬ幸運に見舞われた聖夜。

 師となり従騎士となった少女との出会いと、

 贈られた希望の聖剣のお話。








 院のシスターにおやすみを言った子供たちが、浮かれた気分を押し殺すようにベッドに入っていったのがもう数刻も前のこと。

 少年カルムはただひとり、寝床に潜ることもせず寝室のカーペットを剥がして寝そべっていた。冷たい木製の床にぴったりと身体をくっつけて、耳と高揚感と一緒に呼吸さえも抑えつけて。


 今日はクリスマスイブ。

 日を跨いでしまえばクリスマス。


 皆がそれぞれのベッドの縁に下げた靴下はまだ空で、それはつまり未だサンタクロースが来訪していないことをそのまま意味するもの。

 カルムの目的はただ一つ。

 サンタクロースに出会うことその一点だった。


「……」


 しんしんと降り注ぐ雪は窓の外。十字に支木が入った小さな窓には、ふわりふわりと舞い降りる白が数刻前から続いている。


「……っんあ」


 かくん、と首が動いて、ぼやけた視界がはっきり戻ってきた。

 肌寒いとはいえもう真夜中。横になって身動きも取らずにいれば、まだ齢十歳にも満たぬカルムの身体は眠気で現界を迎えても不思議ではない。


 去年も一昨年も、それで睡魔に負けてベッドに潜り込み、起きて靴下の中を見て、「今年も会えなかった」と悔しがっていたのだ。


 三度目の正直。今度こそ、サンタクロースと会うんだ。

 カルムは決めた心を奮い立たせるように息を呑み、また無音との格闘に意識を戻す。


 何故だか今年は、起きていられそうな気がするのだ。


「いつ、来るんだろう」


 一夜を起きたまま明かしたことのないカルムには、あとどのくらいで朝日が顔を出すのかなど分からない。それどころか時計も読めないし、せいぜいが眠れば明日の朝が来る、という程度の認識しか持ち合わせていない。


 だからこそこの闇はカルムが眠るまで続く気の長いものであったし、逆に言ってしまえば睡魔に負けない限りは延々とサンタクロースを待てる静かな闘いでもあった。


 もう何度目かの欠伸が口から漏れ出して、勝手に瞳を閉ざそうとする瞼との無言の交渉に興じていたころ。

 

 火の落ちた煤けた暖炉に、物音がしたのは草木も眠る真夜中だった。


「っ! 来た!」


 ごとん、と重い荷物を下ろしたような音はきっと、暖炉で組んでいた大きな薪が落ちたか折れたかによるもの。

 であればきっと、煙突からやってきた誰かが居るに違いない。


 カルムは勢いよく飛び起きて、廊下に足音が鳴り響くのも構わず螺旋階段を駆け下りた。暖炉のある談話室は階下すぐにある部屋だ。つんのめる身体をそのままにタックルをかますように肩で扉を叩き開ける。


 広がっていたのはいつもの談話室。

 首がちぎれるほどの速度で周囲を見渡せば、暖炉からずる、と這うように出てくる黒い影があった。

 扉すぐそばの燭台を手にとって、ぼんやりとした灯りの中カルムは暖炉の方へと進む。


 サンタクロースが来た。そんな胸の高鳴りに、眠気は吹き飛んでしまっていた。


 しかし。


「い、たた……」


 聞こえてきた声に、カルムは首を傾げた。

 どう考えても、伝承に聞くような老人の声ではない。それどころか、男性のモノですらなかった。シスターの中でも年若いエリナと同じような、それでいてエリナよりも綺麗で透き通ったソプラノ。


 カルムは手に持っていた燭台を暖炉の方へと近づける。

 すると、そこにいたのは大きな白い袋を持った赤い衣装の——壮麗な少女であった。


「……お姉ちゃん、だれ?」

「わ、起きてる子が居たのですね。なるほど、しかしそうなると」


 ぱっちりとその翡翠のような瞳を瞬かせて、降ってきた少女はカルムを見やった。なんだか照れくさくなって、カルムは目を逸らす。


「あの」

「なんでしょう。……ああ、そうですね。私は、そう。サンタクロースですよ」

「え? でもサンタさんはお爺ちゃんだって院長先生が」

「少し色々ありまして。今は私を含めた数人が、サンタクロースの代理をやっているのです。紛らわしいですから、私のことはクローゼと。そうお呼びください」

「え、あ、うん」


 お爺ちゃんのサンタクロースは何故か今動けなくて、その代わりにこの少女がサンタクロースをやっている。そして名前はクローゼ。突然の情報量にカルムが目を白黒させているのを後目に、クローゼと名乗った彼女は白い袋を担いで暖炉の中から談話室へ出てきていた。


「しかし、失敗しました。重量オーバーでソリの導炉が切れてしまうとは。こんなことを毎年ひとりでやっている老師はおおよそ同じ人とは思えません……ところで」

「ひゃい!?」


 袋をカーペットの上にどさりと置いた彼女は、つらつらとよくわからない独り言を連ねていたかと思いきやカルムに振り返った。

 綺麗なお姉ちゃんだなあとぼんやり思っていたところへの不意打ちに、カルムは思わず背筋を伸ばす。


 その様子を見て表情を和らげたクローゼは、その優しい顔のまま穏やかなトーンでカルムに問いかけた。


「お名前、聞かせてもらえますか」

「か、カルム」

「なるほど、カルムさん。ちなみに、お歳は?」

「た、たぶん九歳……」

「……サンタクロースが訪れる時間まで起きていられた、十歳未満の子供。私がピンポイントでこの孤児院の煙突に落ちてしまったことといい、もしかしたら——」


 またしても、自分の世界に入ってしまったのかぶつぶつと何か唱えだしたクローゼ。彼女は白い袋から幾つもの玩具を取り出してはテーブルに並べていく。中には、カルムが欲しいと思っていた玩具の剣もあった。


 ぼんやりとカルムがその光景を眺めていると、クローゼは白い袋を置いたまま談話室の扉へと向かい始める。


「カルムさん、皆さんの寝室に案内していただけますか?」

「え!? あ、うん。でも」


 テーブルの上の玩具と、玩具が入っているであろう袋はそのままでいいのだろうか。そんな思いを込めてテーブルを振り向くカルムに、彼女は「ああ」と合点がいったような声を上げて。


「それらは勝手についてきますから」

「ええ!?」


 言うが早いか、玩具たちが浮かび上がった。


「では、お願いします」

「う、うん」


 あまりに幻想的な状況に、もしかしたら自分は夢を見ているのではないかと疑うカルム。しかし目を擦っても頬を抓っても、感触は現実のそれであった。


「……くす、何をしてるんですか?」

「わ、笑うなよぉ」

「確かに不思議かもしれませんが、すぐに慣れることでしょう。それよりも、皆さんにプレゼントを届けないと」

「あ、うん、案内する! するから!」


 そうだ、せっかくサンタクロースが現れたのだ。ちょっと想定外のこともあるけれど、皆にも教えてあげよう。

 そんな思いを胸に、カルムはクローゼに先んじて駆け出す。螺旋階段を駆け上り、ちょうど談話室の真上にある自分たちの寝室へ。

 先ほどまでと変わらず子供たちは二段ベッドで寝静まっており、カルムは手近な一人を揺り起こした。


「サンタさんが来たよ! おれ、暖炉で会ったんだ! 見せてあげるよ!」

「……」


 しかし反応がない。体温もあるし、寝苦しくもなさそうなのに、まるで起きる気配がない。カルムは不思議に思って、もう一度肩をゆすろうとして——後ろから来たクローゼに止められた。


「残念ですが貴方以外は、私が居なくなるまで目を覚ますことはないでしょう」

「なんで!?」

「貴方が、選ばれた子供だからです」

「選ばれた……?」


 クローゼが入口から合図するように部屋に指を向けると、後ろに浮いていた玩具たちがまるで意志でも持っているかのように靴下目掛けて飛んでいく。それぞれがそれぞれの靴下に飛び込んでいく光景を凄いと思うのと、自分が選ばれたなどというこれまた突然の衝撃で、カルムは目を白黒させていた。


 歩きながら話しましょう、というクローゼの提案に乗っかって、シスターの部屋や他の子供たちの部屋にプレゼントを届けながら道すがらクローゼの話を聞く。


「そもそも、サンタが現れる時に人が起きている、ということがまずありえないのです。老師——貴方の知っているお爺さんのサンタクロースの時もそう。私たちが家に入ると、皆眠りに落ちる。そうなっているはずなのです」


 でも、と言いかけるカルムの唇を、クローゼは人差し指でふさいだ。


「そう。貴方は起きていられた。だから、選ばれた子供なのです。——最近、変な噂を聞きませんでしたか? 子供が居なくなっただとか、家ごと一家族が消滅しただとか」

「あ、そういえばエリナたちが話していたような——え?」


 まさか、という顔でクローゼを見るカルム。

 クローゼは何かを察して慌てて首を振った。


「ち、ちち違いますよ? 今からカルムさんを攫ってやるぅとかじゃありません!」


 どことなく頬に朱がさしたクローゼの言い訳に、カルムがほっと溜息をついたのを確認して。彼女はそのまま言葉をつづける。


「むしろ、そういうことをしている悪い人を、私たちはやっつける側です。サンタクロースの代理は私を含めて全部で七人。それぞれが、子供たちの夢を守るために戦う聖騎士なのです」


 えっへん、と胸を張る彼女に、理解が追いつかないカルムは頬を掻いた。


「……えっと?」

「カルムさん、お願いがあります」

「な、なに?」

「私と一緒に、戦ってくれませんか?」


 ぱちくり。

 何度目になるか分からない驚きに、カルムは目を見開くことで答える。

 どういうこと? と。


「私たちが戦うのに必要なのは、子供の持つ夢の力。綺麗な欲の心。純粋な想い。カルムさんはそれが桁外れに大きい、"選ばれた子供"なのです。だからこそ、その想いの力で今日起きていることが出来た。貴方が居れば、私は負けることはないのです」


 誰と戦っているんだろう。

 そんなカルムの思考をよそに、クローゼは続ける。


「邪剣士。子供たちの夢を奪う、良からぬ騎士たち。それが老師——サンタクロースを攻撃しました。それからというもの、夢を持つ子供たちが襲われ続けています。我々はそれを止めるため、そして強い想いを持つ子供を探すため、今日という日を利用してそんな子供を探していました。そして見つけた。貴方という人を」


 よく、分からない。

 けれど、今日はずっとよくわからないことばかりだ。


 サンタさんを待っていただけのはずなのに、気付けばサンタクロースは綺麗なお姉さんだったりだとか、玩具が浮いたりだとか、極め付けは自分が選ばれた子供だったりだとか。


「おれ、別に力も強くないし頭も他の子よりいいわけじゃないよ?」

「それでも、聖夜は貴方を選んだ。無理にとは言いません。ですが、貴方が来てくれるというのならこれ以上の喜びもありません」


 真摯にカルムと向き合う、翡翠の瞳。

 クローゼと名乗った、美しい少女。

 まっすぐに見つめられると少し照れてしまうけれど、こんなに誰かから頼られるのも初めてのことだ。


「……おれ、何をすればいいの?」

「邪剣士との戦いを共に」

「邪剣士との、戦い……」


 ごくり、とカルムは生唾を飲み込んだ。

 確かに、騎士に憧れていた。けれど何故だろう。こうしていざ目の前に戦いが来るとなると、少しだけ気おくれしてしまう。

 ……けれど。そんなもの、夢がかなうことに比べたらどうってことない。


「やるよ、おれ。やる」

「……宜しいのですか?」

「うん。任せて」

「……ありがとう、ございます」


 心底ほっとしたように微笑むクローゼ。

 なんだかその嬉しそうな顔がカルムにとっても嬉しくて、自然と表情が綻んだ。


「それでは、契約をしましょう」

「けいやく?」

「約束です。共に勝利を、と」

「……うん。約束する」


 じゃあ、はい。とカルムは小指を突き出す。


「……?」

「しないの? 指切り」

「あ、ああ。なるほど。そうですね。約束です。じゃあ、指切りと一緒に契約を結びましょう」


 クローゼの小指と、カルムの小指が絡まる。

 その瞬間、足元にぼんやりと緑色の光が灯った。

 顔を向ければ、重なりあった幾何学模様が円を描くように回っている。


「カルムさん。貴方が今日起きていられたのには、理由があるはずです。強い願い、強い想いがある人だけが、眠らないことを許される。何かになりたい、何かが欲しい、何かをしたい。そんな想いが貴方を覚醒させ続けていた。その願いを今、もう一度込めてください」


 そう。今日は、普段から何かの願いを持っている子供のみ、起き続けることが出来る。そういう風に、クローゼたちは聖騎士の法術を使った。

 カルムにもきっとそれがある。

 クローゼがカルムを見つめると、彼は何かを思い出すように上を見上げて。


「え? えっと」


 起きていられた理由。理由。

 騎士になりたかったから、という答えが出てきて、すぐに首を振った。

 確かにもともとから騎士になりたいとは思っていたけれど、それだけだったら今日はベッドに潜って眠っていたはずだ。

 今日は、今日に限ってだけは別の理由があった。


 目の前の少女を見れば、彼女はきょとんと首を傾げている。カルムにとって、今日の夜更かしは簡単なことだ。

 ただ一つ純粋に。


「サンタさんに会いたい。……会いたかった?」

「……へ? それだけで起きていたんですか?」

「う、うん」

「……そうですか」


 ふふ、と面白いものでも見たような微笑みをクローゼは見せる。

 そして。


「では、その想いはとても強かったのですね。ごめんなさい。代理で」

「う、ううん! 叶わなかったけど、もっと良かった!」

「それは……嬉しいです」

「うん!」


 純粋で力強いカルムの頷き。

 次の瞬間、ぶわりと風が噴き上がる。

 緑色の燐光はいつの間にか消えており、クローゼは小さく息を吐いた。


「……契約が完了しました。明日から宜しくお願いしますね」

「わ、分かった! 待ってる!」


 まだよく分かってはいないけれど。

 それでも今日起こった不思議なことを、カルムは楽しんでいた。


 だから、彼女に応えよう。



 談話室に戻ってきた二人。

 クローゼは白い袋を抱えて暖炉に潜ると、小さく手を振った。


「それでは、メリークリスマス」

「うん、メリー……クリスマス!」


 片手には、欲しかった玩具の剣。けれど何故だか、不思議な力が宿っているような気がした。







 これから始まるのは、選ばれた少年カルムが彼に付き従う騎士と共に七人の邪剣士に挑む英雄譚。奪われた子供たちの夢をもう一度贈り届ける、小さくも壮大な物語である。

 この時はまだ、何も知らぬまま——。

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