プロローグ②【書籍用改稿版】


 彰文は自分の身体を確かめてみる。


 着ているものが、黒の学生服から黄色のブレザーに替わっていた。

 今通っている高校の制服だ。

 そういえば、さっきまで数学の授業を受けていた気がする。


 視線を巡らせ、千尋を見つけだすと、彰文は全力で駆け寄った。

 もうひとりの自分のような超人的な速さではなかったが、うまく走れないということもない。


 千尋のところに着くと、すぐ彼女を抱きかかえ、転がるようにその場から離れた。


 一瞬後に爆発が起こり、背中に強い衝撃を感じる。


「彰文……くん?」


 腕のなかの千尋が、驚いたような視線を向けてきた。


 彰文は千尋を立ち上がらせると、怪我をしていないか確かめる。

 ざっと見たかぎりだが、大丈夫そうだった。


 そのとき、赤毛の少女がもどってきて、新田恵利花の首を翼を一閃させて斬り落とす。


 切断されたところから黒いもやを蒸気のように噴きあげ、新田先輩の身体は徐々に消滅していった。


「千尋さま!」


 赤毛の少女が、空中から声をかける。


「心配しないで、ライラ……」


 少女を見上げて、千尋が答えた。


 ライラというのが、この翼と尻尾を生やした少女の名前なのだろう。


「だけど、逃げられそうにないね」

「はい……」


 赤毛の少女――ライラが千尋の側にふわりと降り立ち、不安そうにうなずいた。


 彰文はあわてて周囲を見回す。

 たしかに、グラウンドはバケモノに埋め尽くされていた。

 目鼻のないドール、直立したムシ、そして宙に浮かぶキューブ……


「罠にかかったかな? 仲間に手伝ってもらっていたら……ううん、この世界には、わたしたち以外の誰にも入ってほしくない」


 千尋がつぶやく。


「ですが、このままでは……」


 ライラが不安そうに尻尾を自らの身体に巻きつけた。


「うん、囲まれて、終わりだね」


 ライラに答え、千尋はちらりと右手のスマホに視線を落とす。


(終わりって、どういう意味なんだ?)


 彰文は自問し、背中がぞくりとなる。


(死ぬってことか?)


 これは夢に違いない。

 たとえそうでも、千尋を死なせたくはない。


 だが、どうすればいいかはわからない。

 彰文には、もうひとりの自分のような超人的な力はないのだ。


「なんとかして逃げないと! 僕に、なにかできないかな?」


 訴えるように千尋に声をかける。


 彼女はすぐに答えず、しばらくじっと彰文を見つめた。

 それから口を開く。


「……やっぱり、彰文くんなの? だけど、なぜ、ここに? ……もしかして、契約したの?」

「契約? なんのこと? これって、夢なんだろ?」


 彰文は訳がわからず訊ねかえした。


 すこし考えてから、千尋がうなずく。


「うん、これは夢。すぐに目が醒める」


 彰文も心からそう願った。

 千尋に会えたのは嬉しい。

 だが、どうせならこんな悪夢ではなく、楽しい夢のなかで再会したかった。


 千尋が校門の方を振り返る。


 つられたように視線を向けると、校門の外に光るゲートのようなものが見えた。


「"栞"……あそこからなら出られる」


 千尋が指差す。


「でも、バケモノが……」


 彰文は千尋に向き直った。


「うん、溢れているね。このままだと、突破できない。だけど……」


 そして千尋は手にしていたスマホを唐突に渡してくる。


 なにも考えずに、それを受け取った瞬間、彰文はいきなり心が膨張した気がした。

 意識が拡大し、世界と自分が繋がってゆくようだった。


「千尋さま! 彰文さまからチカラを感じます。千尋さまと同じチカラを……」


 ライラが驚いたように翼をパタパタさせる。


「そうね……」


 千尋がうなずく。


(チカラ? コイツを渡されたから?)


 彰文は思わず、スマホに視線を落とす。


「悪魔の書架……」


 そこには、見慣れた画像が映っていた。


 “悪魔の書架”というのは、十年ほど前に開設された書物の総合サイトである。

 版権の切れた書物を膨大に取り揃えていることで知られていた。

 ネットの噂では人類がこれまで著したあらゆる書物がデータ化されているという。

 ただ、権利関係やその他の理由で、公開していないだけなのだ、と。


 本当かどうかは知らない。

 ただ、千尋に影響されて、本好きになった彰文にとって、ありがたいサイトだった。


 悪魔の書架は、五年ほど前から投稿作品も扱うようになっている。


 彰文は読むだけだが、千尋は自分でも小説を書いていた。

 ランキングは総合でも上位だし、内容も高く評価されている。

 有名な文芸誌に作品が転載され、その雑誌が主催する文学賞の新人賞に選ばれたほどだ。


 スマホの画面では、独自の装飾を施されたフレームのなかに、文章がつらつら並んでいる。

 おそらく、誰かの作品だろう。

 もちろん、今は読む気にはなれない。


「ね、彰文くん。あの作品を覚えている? わたしの家にあった古いライトファンタジーだけど?」


 千尋が唐突に訊ねてくる。


「小五のときに読ませてもらったシリーズのこと? もちろん、覚えてるよ。あれから、ファンタジーやライトノベルを読むようになった」


 彰文は戸惑いながら答えた。


「あのシリーズに森の妖精ハイエルフの少女が出てくるでしょ? 彼女を呼びだしてみて」

「呼びだすって? そんなこと、できるの?」


 彰文は驚いて訊ねかえす。


「できるわ……」


 千尋が優しく微笑む。


 幼い頃から、この笑顔に見守られてきた。

 そして憧れてきた。


「だって、ここはわたしの作品……ううん、わたしの夢だから。ここではね、想像が創造になるの」

「想像が創造に……」


 彰文は千尋の言葉を繰り返してみる。


「森の妖精が登場しているシーンを思い出して。それから彼女がここに存在すると、強く思い描く」


 スマホを持つ彰文の右手に、千尋が励ますように手を重ねてきた。


「やって……みるよ」


 彰文は千尋が言ったライトファンタジーの記憶をたどり、ハイエルフの少女が登場するシーンをいくつか思い出す。

 そして外伝の短編のひとつから、彼女が故郷の森を蝕む“霧”を焼き払うため、フェニックスを召喚するところを選んだ。


 グラウンドを埋め尽くすバケモノを浄化し、そして校門までの道を切り開くためである。


(華奢な身体、白樺の幹より白く透明感のある肌、先端の尖った細長い耳、柔らかに流れる白金色の髪……)


 小説の一文とともに、彰文はハイエルフの姿を脳裏に描く。


 そして次の瞬間――


 スマホが緑色に強く輝き、その光のなかから、ハイエルフの少女が旋風のように舞いながら姿を現した。


 少女はすべてを理解しているというように、くくっと微笑みかけてくる。


「できた……」


 彰文は呆然となる。


 だが、すぐ我に返り、彼女に願いを伝える。


「あのバケモノたちを消滅させてほしい」


 ハイエルフの少女はこくりとうなずくと、人差し指を立てながら胸の前で両手を浅く交差させる。


不死鳥フェニックスよ、始原の巨人の希望の心を伝えるものよ……」


 森の妖精は澄んだ声で精霊魔法の呪文を詠唱をはじめる。


 すると、赤い炎の塊が浮かんだ。

 それは次第に大きくなり、鳥のような姿となる。

 そして優雅に羽ばたくと、バケモノの群れに向かって飛んだ。


「浄化と再生の炎を!」


 呪文が完成し、炎の精霊は空に向かって一直線に上昇してゆく。

 そして真っ赤な炎がバケモノたちのいるグラウンドを覆う。

 炎はやがて黄色から白、最後には青へと変化していった。


 熱はほとんど感じない。

 だが、炎が消えたあとには、バケモノたちは跡形もなく消滅していた。


 そして森の妖精ももう一度微笑んだあと、くるりと一回転して姿を消す。

 『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫のように、その微笑みだけが残った気がした。


「さあ、行こう!」


 彰文は千尋の手を握り、光のゲートに向かって走りだす。


 ライラも空を飛んで、あとに続く。


 だが、そのとき、右手にある校舎の屋上から、舞い降りてくるものがあった。




 巨人である。


 純白で膝まであるローブのような服に身を包んでいた。

 だが、その背中には六枚の黒い翼が生えている。

 彰文は天使を連想したが、バケモノたちと同じく、黒い靄をまとっていた。

 堕天使なのだろうか?


 彰文は息を呑み、足が止まる。


 あの六翼の姿をしたモノの前を駆け抜けるのは、どう考えても危険だった。


「そう、わたしの世界に入り込んできたのは、あなただったの……」


 千尋が険しい顔でつぶやく。


 彼女は、あの六翼を知っているようだ。


「どうすればいい?」


 彰文は尋ねる。


 しばらく考えてから、千尋は振り返った。


「大丈夫、考えがある」


 千尋は静かにうなずく。


 そしてライラを手招きして呼び、何事か耳打ちした。


「えっ?」


 ライラが驚きの声をあげる。

 そして、ちらりと彰文に視線を向けてきた。


「……いいのですか?」


 千尋に視線を戻してから、ライラがかすれた声で言う。


「うん、それしかないから」

「わかりました」


 ライラが決意の表情でうなずく。


 そして、いきなり彰文に抱きついてきた。


「彰文さま……」


 顔をゆっくり近づけながら、ライラが囁きかけてくる。

 温かな息が顔にかかった。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。


「わたしとキスしてください」


 そう言ったライラは長年秘めていた想いを告白するような表情をしていた。


「キス? ここで? 今? どうして?」


 彰文は混乱しながら訊ねかえす。


「ですが、わたしとキスをすれば、彰文さまは大切な人を失います……」


 ライラが続けた。


 それは彰文の問いに対する答ではない。

 おまけに大切な人を失うと宣告されては、求めに応じられるわけがなかった。


 だが、なぜか彼女を押し退けることができない。


 ライラの翼はいっぱいに開かれ、尻尾は彰文の足に何重にもからみついてくる。

 赤い瞳に見つめられると、熱い欲望が心の底から突きあげてくるような気がした。


 助けを求めるように千尋を振り返るが、彼女は複雑な表情を浮かべながら、静かに首を縦に振る。


(どうして?)


 それは肯定の意味だが、彰文はむしろ拒絶されたように感じた。


 しかし、千尋は彰文に考えがあると言っていた。

 ライラにはそれしかないと言っていた。


(その言葉を信じよう)


 彰文は決意すると、目をつぶってライラと唇を重ねてゆく。


 柔らかな感触が伝わってくる。

 脳が痺れるようだった。

 このままこうしていたい。

 この少女をもっと求めたいという衝動にかられる。


 それに気づいたように、ライラが薄く口を開く。

 そして舌の先が、彰文の唇に触れた。


 その瞬間、彰文は我に返り、あわてて彼女から離れようとする。


 だが、できなかった。ライラは彰文を強く抱えたまま、空中に浮かびあがると校門に向かって、全力で飛んだのである。


「ライラ、彰文くんをお願いね」


 千尋が寂しそうな目をしながら声をかけてくる。

 そして、六翼に向かって走りだした。


「千尋!」


 彰文は声を限りに叫び、彼女を引き戻そうと、スマホを持っていないほうの手をいっぱいに伸ばす。


 だが、届くはずがなかった。


「彰文さま、わたしたちを探し出してくださいね……」


 ライラが耳もとで囁く。


 光のゲートに飛び込む寸前、彰文が見たものは六翼に絡め取られる千尋の姿だった。




 そして、片倉彰文は目を醒ました――

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