最初からフラれてたらこんなに辛くなかったのかな

海は車に戻り自宅に向かう間、6年前のことを思い出していた。

自宅の廊下で、空と海が言い合っている光景だ。

「お前、親父がキレてたぞ。玲子さんと別れたってどうして・・・!」

海が空の腕を掴む。

「玲子とはもう会わない。そう伝えただけだ」

空は腕を掴む海の手を振りほどいた。

「いきなりどうして!?」

海が問い詰める。

「お前には関係ないさ」

空は静かに言った。

「俺は玲子とはもう会わないって決めたんだ」

「そんな・・・!玲子さんの気持ちはどうするんだよ?!本気で結婚の約束してたんだろ!」

空が歩き去ろうとするのを海が再び空の腕を掴んで引き留めた。

空が振り返って、海を見た。

海は真剣な眼差しだった。

「お前、玲子のこと、好きなんだろ?」

空が静かに言う。海は目を見張った。

「お前が俺の大学に編入したのも、玲子を追いかけてなんだろ?」

「それは・・・」

海が口ごもる。

「じゃあお前が玲子と付き合えばいい」

海が驚いて空を見る。

「じーさんは死んだ。お前は解放されたんだ。ウチも、出た方がいい」

「空、お前・・・」

「お前は『神宮寺海』だ。そうだろう?」

空の瞳は穏やかだった。



「・・・空は、玲子とどうして別れたんだろう」

海は独り言のように呟いた。

坂崎は静かに聞いている。

「玲子は、空を忘れられていないんだ」

海は話し出した。

「まぁ、全く同じ顔の俺が、目の前にいたせいなんだろうけど・・・」

海は申し訳なさそうに言った。

「・・・海様。差し出がましいことかもしれませんが・・・」

坂崎が運転しながら話し出した。

「海様は、玲子様を忘れられたのでしょうか」

海が驚く。

「なる様は、お気づきになられていると思いますよ」

「・・・」

海は、言葉を返せない。

「坂崎には、空様が玲子様と別れた理由は分かりかねますが、大切なのは、海様が海様自身のお気持ちと向き合うことだと思います」

「坂崎・・・」

「申し訳ございません。口が過ぎました」

「いや・・・」

海は窓の外を見た。

坂崎はそれ以上話さず、車は静かに自宅に向かった。



なるは海のいなくなった家で、一人食事を取った。

最近のなるは一人で取る食事も多かったので、その事自体は特に気にならなかったが、ソファの横にあった海の荷物がなくなったことを感じて少し寂しくなった。

・・・海はこのまま、帰ってこない気がする。

なぜかなるには、悲しい予感があった。



一人オフィスに残った玲子は、仕事を続けていた。

海がこのまま、戻ってこなかったら・・・

玲子は空と過ごした4年間と、その後海と過ごしてきた6年間を思い返した。

私は、後悔してしまう。きっと・・・

玲子の心は揺れていた。



海が自宅に到着し、部屋に入った。

「変わらないな・・・」

海が呟いた。

この部屋は6年前に家を出るまで、使っていた部屋だった。

但し、ここは『空』の部屋だ。壁を伝い隠しスイッチを押すと、隠し扉が開き、もう一つの部屋、『海』の部屋が見えた。

こっちも変わらないな・・・

海はため息をついた。

コンコン、とドアが鳴る。

「・・・はい」海が答えた。

「失礼します」坂崎が入ってきた。

「旦那様がお呼びです。旦那様のお部屋までお越しください」

「・・・ああ、わかった」

海は荷物をおいて部屋を出、階下の書斎に向かった。

海が書斎のドアをノックすると、中から「入れ」と声がした。

海がドアを開けて中に入る。

「・・・親父」

初老の恰幅のよい男性が机に座っている。

「海・・・久しぶりだな」

「・・・ああ」

「坂崎から聞いたと思うが、来週の会議に出てほしい。神宮寺コンツェルンの命運がかかった大事な会議なんだ」

「・・・ああ」

「今の神宮寺コンツェルンは危機的状況だ。恥ずかしい話だが、私の力はもはや及ばず、空のカリスマ性で何とか持っている状態なのだ。来週の会議での合弁会社設立の調印は、社運のかかった一大イベントなのだ」

「・・・ああ」

「今、空の事故が公になると、抑えてきた反乱分子が勢力を取り戻し、一気に形勢が悪くなってしまう。わかってほしい」

「・・・ああ」

海は単調に返事をしていた。

「持ち出せる資料は全部持ってきた。これを読んで勉強してほしい」

海の父は目の前にある資料の束を指して言った。

「わからないことは、ここにいる秘書に聞いてくれ」

横にいる秘書が挨拶した。海も会釈する。

海が資料の束を持ち、部屋を出ようとすると、海の父が「海」と言って引き留めた。

「空が目を覚ますまで、空として仕事をしてほしいのだが・・・」

海は振り返った。

「とりあえず来週の会議までだ。俺は空が目を覚ますと信じてる」

「・・・空は、目を覚まさないかもしれない」

海は父を睨む。

「どうしてそう思うんだ?」

父は海を見ながら告げた。

「・・・空は、自分で事故に遭ったんだ」

海は目を見張った。



部屋に戻った海は、父親からの言葉を思い出していた。

『警察が事故車を調べたら、タイヤ痕が真っ直ぐ中央分離帯に向かっていたそうだ。空は自分で運転していた車をぶつけた、という結論になっている』

空・・・どうしてそんなことを・・・

考えながら、海は携帯電話を取り出した。

『海様は、玲子様を忘れられたのでしょうか』

坂崎の言葉がよぎる。

『大切なのは、海様が海様自身のお気持ちと向き合うことだと思います』

俺の気持ち・・・

海は、なるに電話をすることができなかった。




その日も次の日も、なるに海からの電話は来なかった。

海は忙しいのだろう。なるはメールを送ろうか迷ったが、やめておいた。

海はメールが苦手って言ってた。下手に送って負担になっちゃいけないし・・・。それに・・・

なるは考えていた。

彼女になれれば幸せになれると思ってた。でも、そんなことなかった・・・付き合ってからの方が、辛いことばかり・・・

なるは海との日々に、少し疲れていた。



その日はアルバイトの日だった。なるがオフィスに来ると、坂崎が棚を掃除していた。

「坂崎さん・・・?」

なるが声をかけると、坂崎が振り向いた。

「これはなる様、お疲れ様でございます」

「何、してるんですか?」

「海様からオフィスの鍵をお預かりして、お掃除させていただいております。私には、これぐらいしかできませんもので」

坂崎が微笑む。

「は、はぁ・・・」

なるは調子を狂わせながら、パソコンを用意した。


なるはパソコンでホームページの製作に取り組んでいた。

掃除を終えた坂崎は、なるの隣、いつも海が座っている席に座り、本を読み始めた。

なるは気になって仕事に集中できず、諦めて話しかけた。

「坂崎さん、ここにいて大丈夫なんですか・・・?」

坂崎が本から目をそらしなるを見た。

「ええ。私は空様と海様専属の執事ですので、今は海様からいただいたこちらの会社の面倒を見るというお役目を果たしている最中でございます」

坂崎が微笑む。

「でも・・・」

お掃除くらいしかできないんじゃ・・・となるは言いかけたが、さすがにストレート過ぎかと思い言うのを控えた。

「私は一人でも平気ですよ。そのうち玲子さんも来ると思うし」

「玲子様は製粉所にお出掛けになられました。本日は戻らないそうですよ」

「あ、そうなんですか・・・」

なるは少しほっとしていた。

・・・海と付き合ってから、玲子さんとはまともに話ができないからな・・・

「・・・あ、でも大丈夫ですよ本当に」

なるは坂崎に言う。

坂崎は微笑んだ。

「でも、なる様のことは特に、海様から言付かっておりますので」



その日の朝、坂崎が海の部屋に入ると、海がオフィスの鍵を渡して言った。

「なるは最近両親を亡くして一人なんだ。特に気にしておいてほしい」

「かしこまりました」

坂崎は丁寧な口調で引き受けた。



「・・・そうなんですか・・・海・・・さんは、優しいですね・・・」

なるは力なく答えた。

坂崎がなるを見つめる。

「私が両親を亡くして間もないから、親身になってくれているんです」

・・・私は、その優しさを、勘違いしただけなのかもしれない・・・だって、海には玲子さんがいる・・・

「・・・坂崎さんは、車の中で訊いて知ってると思いますけど、私、海と付き合ってること、玲子さんには伝えていないんです」

坂崎は「はい」とだけ返した。

「最初は、伝えたい、話してしまいたいと思ってました。玲子さんが海さんと関係を進めようとしたら、私はフラれちゃうと思ったから・・・。先に、付き合ってるって言って、玲子さんに諦めてほしいと思ったんです」

坂崎は静かに聞いている。

「でも、それじゃ意味ないんだって、わかりました」

なるは俯きながら話を続けた。

「海と付き合ってから1ヶ月、楽しいこともあったけど、同じくらい辛かった。海と何してても、海は玲子さんを忘れてないんじゃないかと思って」

坂崎は静かに聞いている。

「二人がずっと一緒に仕事していることにも、ヤキモチ焼いちゃって・・・本当、子供ですよね」

なるはははっと力なく笑った。

「海は優しいから、『玲子のことは昔のことだ』って否定してくれるんです。・・・でもたぶん、私が海を信じてあげられてない」

なるは悲しい顔で俯きながら言った。

「私は海みたいに優しくないから、他の人を忘れられない人を好きでいるのが、辛いんです」

なるはそう言うと俯いたまま涙を流した。

坂崎は、少しの沈黙の後、静かに口を開いた。

「・・・海様は、とても複雑な環境でお育ちになられました」

なるは坂崎を見る。

「とてもお優しい方なので、自らの気持ちを犠牲にして、生きてこられました。そのせいで、ご自分の気持ちと向き合う術を、まだ見つけられていないように坂崎には見えます」

坂崎の瞳から、海を想う気持ちが表れているようになるには見えた。

「海様の本当のお気持ちは分かりかねますが・・・海様には、今一度、ご自分のお気持ちと向き合う時間が必要なのではないかと坂崎は思います」

「坂崎さん・・・」

『なるは、どうしたい?』

なるは海の言葉を思い出した。

『俺を、空だと思っていいから』

・・・そうだ。海はいつも、相手のことばかり考えていた。

「実は先日、海様をお迎えに上がりました時、車内で同じことを海様に申し上げました」

なるは少し驚いて坂崎を見た。

「海様がご自分のお気持ちに迷われているようでしたので、差し出がましいこととは存じ上げておりましたが・・・」

坂崎は申し訳なさそうに言った。

「坂崎さんは、本当に海を大切に思っているんですね」

なるが言うと、坂崎は微笑んだ。

「空様と海様がお生まれになった時からお側に使えさせていただいておりますので、つい親心と言いますか・・・おこがましいのですが」

坂崎が恥ずかしそうに言うと、なるは微笑んだ。


その日は坂崎がなるを車で家まで送ってくれた。

なるは坂崎に食事を振る舞おうとしたが、坂崎は丁重に辞退して帰っていった。

・・・坂崎さんて、執事の鑑だなぁ。

なるは坂崎に話を聞いてもらったことで、少し心が落ち着いたことに気がついた。



その後は、アルバイトに行くと必ず坂崎がいた。

なるはそこで坂崎に他愛のない話をして海のいない寂しさを紛らわしていた。

坂崎も自分の役割を認識しているかのようになるの話を丁寧に聞いた。

玲子は製粉所の開発に付きっきりでオフィスにおらず、なるとはすれ違いになっていた。

オフィスに早朝からいる坂崎とは顔を会わせるらしく、「玲子様が日に日にやつれられているのが坂崎は少々心配なのです」となるに話した。

海がいない分、玲子さん、無理しちゃってるのかな・・・

なるは坂崎に「お願いがあるんです」と言って、ある頼み事をした。



その日玲子がオフィスに戻ると、坂崎が残っていた。

「あら、坂崎さん。こんな遅くまでどうしたの?」

坂崎が「お疲れさまでございます、玲子様」と言ってから続けた。

「本日は今からもお仕事なさるのですか?」

玲子は力なく微笑んで答えた。

「いえ、少し書類書いたら帰るつもりです。どうして?」

「本日はお車でお越しでございますか?坂崎がお送りいたしますが」

玲子は驚いて「まぁ」と言った。

「今日は車じゃないの。・・・お願いしちゃっても良いかしら?」

「かしこまりました」と坂崎は答えた。

「玲子様、実は、なる様がご自宅で玲子様のお食事を用意してお待ちなのです」

「・・・え?」

玲子は驚いた。



坂崎が玲子をなるの自宅へ車で連れていき、二人はインターホンを鳴らした。

「はーい」と家の中から声がして、なるが玄関のドアを開けた。

「わざわざ来ていただいちゃってすみません」

なるが謝る。

「こちらこそご飯を作ってもらっちゃったみたいで・・・」

玲子が恐縮する。

「それは全然平気です!作った料理褒めてもらうの好きなんです」

ささどうぞ、と言ってなるは二人を自宅へ通した。



「なるちゃん、本当においしいわ!」

玲子は幸せそうになるの出した食事を食べる。

「玲子さん、またご飯ろくに食べてなかったんじゃないですか・・・?」

玲子は少しやつれていた。前倒れた時ほどではないが、顔色もよくなかった。

・・・仕事のこともあるけど、もしかしたら・・・

お兄ちゃんのことがあったからかもしれない、となるは思った。

「・・・お料理ができないから、ついつい面倒になっちゃって」

ふふふ、と玲子が笑ったが、元気はなさそうだった。

「玲子さん・・・海に電話しましたか?」

玲子は驚いてなるを見る。

「あっ私はしてないんですけど。まぁこんなに元気ピンピンですしね」

なるは力こぶを見せる。

「もし、私に気を使って海と電話しないようにしてたりするなら、申し訳ないなと思って」

「なるちゃん・・・」

玲子がなるを見つめる。

なるが、意を決して話し始めた。

「・・・私、1ヶ月位前に、海に告白しちゃったんです。言うつもりなかったんですけど、つい」

玲子が驚く。

「海、付き合ってくれたんですけど、仕事忙しくて全然帰ってこないから、恋人らしいことはほとんどしてないです」

なるは悲しげに笑った。

「それに、海は優しさで付き合ってくれたのかなって思ったんです」

玲子がなるを見つめる。

「だって、海の心には、玲子さんがいるってわかるから」

「そんなことないわ、なるちゃん・・・」

玲子が言いかける。なるが遮る。

「玲子さんはどうして、海の気持ちから目を反らすんですか?やっぱり空さんが、忘れられないからですか?」

玲子は、なるの真剣な眼差しに打たれ、少し考えてから話し出した。

「・・・海は、『海』として、私と向き合おうとはしなかったわ。だから、海を好きになるのが、怖かったの」

なるは玲子を見つめる。

「でも、それはお互い様。私も、一歩踏み出す勇気がなかったから、海を『空の代わり』として縛りつけた」

玲子は穏やかに続ける。

「私達はきっと意気地無しだから、友達のままだったの」

玲子はそっと微笑んだ。

「三人の中ではなるちゃんが、一番強い心を持っているかもしれないわ。真っ直ぐで、素直で。羨ましい」

なるは玲子に羨ましいと言われて驚いた。

「なるちゃんとなら、海は幸せになれるような気がしたわ」

なるは「そんな・・・」と言った。

「・・・でも」

玲子は決心したように言った。

「この前、海がこのまま戻ってこないかもしれないと思ったら、後悔したの」

なるは玲子を見つめる。

「空の時は、悲しくて悲しくて、逃げ出すことばかり考えていたわ。そこで海に出会って、空への気持ちからから逃げてしまった」

玲子はなるを見た。

「どうなるかわからないけれど、今度はちゃんと、自分の気持ちに向き合いたい」

玲子は悲しそうに言った。

「なるちゃんを応援するようなこと言ってたのにごめんなさい・・・本当に・・・」

「玲子さん・・・」

なるは言った。

「いえ、すっきりしました」

玲子はなるを見る。なるは笑顔だった。

「このままじゃ誰も幸せになれない気がしてたので、良かったです」

坂崎は二人の会話を、静かに聞いていた。



間もなく玲子と坂崎はなるの家を出、坂崎の車で玲子の家へ向かった。

「なるちゃんは、どうしてあんなに、真っ直ぐ海を見つめられるのかしら・・・」

玲子が呟いた。

坂崎は少し考えて、言葉を選ぶように言った。

「なる様には、海様しかいないからだと思いますよ」

「坂崎さん・・・」

「玲子様は特別な経験をなさいました。空様と海様の間で迷われてしまうのは、仕方のないことだと思います。なる様もわかって下さるでしょう」

「・・・なるちゃんこそ海と幸せになりたいと思ったでしょうに・・・なんで私なんかのために・・・」

玲子はそれきり無言になって、窓の外を見つめた。



なるは後片付けをして、誰もいないソファに座った。

・・・言っちゃった・・・

なるは心臓がドキドキしていた。

・・・玲子さんを応援しちゃったよ・・・

なるは、携帯電話を取る。

海から電話が来たら言おう。別れようって。

なるは決心していた。



海は自室に籠って空の仕事の資料を読み漁っていた。

携帯電話は何度も手に取ったが、なるに電話をかけることができなかった。

きっと電話じゃ伝えられない。でも・・・

海はなるの声が聞きたいと思っていた。

ブーーー。

海の携帯電話が鳴った。

なる・・・!?

海はディスプレイを見た。玲子だった。

「・・・もしもし」

『海?玲子よ』

「ああ。どうした?」

『製粉所、納期に間に合わないかもしれないわ』

「・・・そうか、戻ったら俺が謝りに行くから、今はちゃんとしたものを納品することだけ考えるんだ」

『ええ。・・・ごめんなさい。私の管理不足だわ』

「いいんだ。シュウじゃやりづらかっただろう。頑張ったよ」

『ありがとう。・・・空は、どう・・・?』

「まだ目を覚まさない。あとは本人の意思だそうだ」

『そうなの・・・』

海は少し躊躇ってから言った。

「・・・空は、自分で事故を起こしたそうだ」

『・・・え・・・?』

「空は、目を覚まさないかもしれない」

『そんな・・・』

玲子は、少しの沈黙のあと、優しい声で言った。

『海・・・我慢しないで』

海は目を見張った。

「・・・」

『辛くない?』

「・・・」

『誰かに、頼れてる?』

「・・・」

『私、海に頼ってばかりだった。本当にごめんなさい』

「・・・」

『今度は私が、海を助けたい』

海が、驚いたまま聞いている。

『海と向き合いたいと思ったの』

「玲子・・・」


『大切なのは、海様が海様自身のお気持ちと向き合うことだと思います』


海の心に坂崎の言葉が甦る。

「俺・・・なると付き合ってるんだよ」

『・・・知ってる。なるちゃんが教えてくれたわ』

なるが・・・

「なるを、傷つけたくなかったんだ」

『でも、私の背中を押してくれたのは、なるちゃんだったの』


『でも海は、玲子さんのこと好きなんでしょ?何で、自分は海なんだって、俺を見てほしいんだって、伝えないの?』


海の心になるの言葉が響く。

「なるが・・・どうして・・・」

『なるちゃんも、海を大切に思ってるからだと思うわ』

「・・・」

海は考えていた。

『焦らないでいいの。戻ってくるの、待ってるから』

「・・・」

『また、報告するわ』

「・・・ああ、ありがとう」

海はそう言って、電話を切った。



なるは一人ソファでテレビを見ていた。

今日は海から電話が来る予感がしていた。

案の定、携帯電話が鳴った。

「もしもし」なるが電話に出た。

『よっ。・・・今、平気?』

海だ。言葉とは裏腹に、とても静かな声をしていた。

「うん、大丈夫」

『電話できなくて、ごめんな』

「ううん、平気」

なるは空元気を出した。

『お前は、強いんだな』

「やっとわかったの?」

なるは笑った。

海も電話の先でふっと笑ったようだ。

『・・・』

海は言葉を選ぶように考え、言った。

『・・・玲子から、電話が来たよ』

なるはドキドキしてきた。

「うん。それで?」

努めて冷静に振る舞う。

『・・・お前から俺とのこと聞いたって言ってた』

「うん、話したの。言わないでって言ったのにごめんね」

『いや・・・ごめん』

それきり、海が黙りこんだ。

なるは心臓が張り裂けそうになりながら海からの言葉を待った。

少しの沈黙のあと、海が口を開いた。

『・・・玲子が、俺と向き合いたいって、言ってきた』

なるはドキドキしながら、小さく深呼吸して、「そっか」と言った。

『玲子がそんなこと言うの初めてで、驚いた』

「うん」なるが小さく頷く。

『玲子には、何の返事もしてない。俺、お前と付き合ってるわけだし』

なるは、もう一度小さく深呼吸して言った。

「それは、気にしないでいいんだよ」

『・・・』

「そんな口約束、意味ないって、わかったから」

『・・・』

「別れよ?もう一度、海に自分の気持ち、考えてほしいから」

『なる・・・』

「私は平気!最近海、全然帰ってこなかったから、一人の生活、慣れちゃったもん」

『ごめん・・・』

なるは、泣きそうな顔をして、でも声は淡々と続けた。

「玲子さんのこと、好きなんだよね・・・?」

海が息を飲むのがわかった。

しばし沈黙が流れる。

『・・・本当は、なるがどうしたいか、聞こうかと思った』

海がゆっくり、自分で自分の言葉を聞くように話しだした。

『・・・でも、それじゃいけないんだよな』

なるは、「そうだね・・・」と返事をする。

「それじゃ、海が幸せになれないよ」

『なる・・・』

海が小さな声で言う。

『なるを、傷つけたくなかったんだ』

「・・・」

『なると過ごした数ヶ月、本当に楽しかった』

「・・・」

『それも、本当なんだ』

「・・・」

『でも・・・』

来る。ついに来る。

なるは声を出さないように泣いていた。

『俺も玲子と向き合わないと、前に進めない気がする』

「・・・そう、だね・・・」

なるは声を絞り出した。

『ごめん、本当にごめん』

なるは泣いたまま笑った。

「海、私と付き合ってから、謝ってばっかり」

なるはははっと笑う。

『・・・お前は俺と付き合ってから、泣いてばっかりだったな』

なるははははっと軽く笑う。

「泣いてないもんね」

『・・・そっか』

「・・・オフィスには戻ってこれそうなの?」

なるは話をそらした。

『・・・わからない。空は、まだ目を覚まさないんだ』

「そう・・・」

『でも、ひとまず会議までだって、親父には言った』

「・・・戻ってこれるといいね」

『・・・ああ』

私は、どうしよう・・・

なるは、もう海に会わない方がいいような気がしていた。

「ウチには、戻ってこなくていいからね」

『・・・だめだよな?やっぱり』

海が悲しそうな声をする。

「何を言う。元カレ元カノが一緒に住んじゃだめでしょ」

なるが冗談めかして笑う。

『・・・そうだよな』

「・・・今までありがとう」

『・・・』

「じゃ、またね」

『なる・・・』

なるは素早く電話を切った。



海は切れた電話を見つめた。

・・・あいつ、最後までせっかちだったな・・・

海はベッドに倒れこんだ。

『飯飯ー!』

『もう!そればっかり!』

『ちょっと!部屋に勝手に入ってこないでってあれほど・・・!』

『海、帰ってきてよぉ・・・』

『掃除の邪魔邪魔ー!』

『美味しい?よかったーぁ!』

海はなるの笑顔を思い浮かべて、顔を腕で覆った。



なるは切った携帯電話をソファに放り投げて泣いた。

「最初からフラれてたらこんなに辛くなかったのかなぁぁぁ」

海との数少ないデートの思い出が辛く甦った。

「海のばかーーー」

なるは一晩中、わんわん泣いた。

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