「俺、この生活気に入ってるんだぜ」
なるの生活は、海の言う通り目まぐるしい忙しさになった。
海はなるのアルバイトを、平日は大学の講義の時限が少ない2日と週末のどちらかの週三日でシフトを組んだが、大学の講義、アルバイトの他にも、講義の予習復習や、アルバイト中に勉強している情報処理参考書の予習復習もあり、家にいるときもなるは勉強に明け暮れた。
海はオフィスで小さなシステムの開発をしながら、外出して営業活動をこなした。玲子も数日後には復帰し、経理としてお金の管理と海の傍らでシステムの開発をし、時には海と一緒に外出することもあった。
海が有能なシステムエンジニアであることを、なるは玲子から聞いた。
ある日のこと、海が外出しており、オフィスに玲子となるの二人だけだった時に、玲子がなるに海の有能さについて語ったのだ。
「前の会社の時も最初は私も含めて技術のない人間ばかりだったから、海が社長として仕事を受注しエンジニアとしてシステムを作って売上をあげていたの。海は一人二役、いえ三役くらいやってたわ。今もそう。私も多少はシステム開発ができるようになったけど、まだまだ海に頼りっぱなし」
「海ってすごいんですね・・・」
なるが言うと、玲子がくすっと笑う。
「そうよ。あれでも敏腕社長なのよ。・・・そして少しずつ仕事を増やして、売上を元手にエンジニアを雇って開発させて、さらに売上を伸ばして・・・前の会社はあっという間に従業員50人規模にまで成長させたのよ」
「50人・・・このオフィスじゃ入らないですね・・・」
玲子はまたくすっと笑った。
「そうね。シーウェイヴも大きくなったら引っ越ししないとね」
なるはふとした疑問を聞いてみた。
「そんなすごい社長なのに、海はなんで辞めさせられちゃったんですか?」
玲子は微笑みながら言った。
「ゼミの友人二人と立ち上げた会社だったんだけど、その人たちが利益至上主義でね。従業員が増えてきて欲が出ちゃったのかな、海が『顧客のために』って言ってシステム開発に拘りを見せたりすると、『それじゃ利益が出ない』と言って対立するようになったの」
「じゃあその人たちに辞めさせられちゃったんですか?」
玲子はうーん、という顔をしてから言った。
「・・・ある意味ではそうね。取締役は取締役を辞めさせる権利があるから、ある日その人たちが取締役会で海の取締役権を剥奪してしまったの」
でもね、と玲子は続けた。
「その友人たちは海の能力を知ってるから、会社にはいてほしくて解雇するつもりはなかったんだけど、今度は海が『こんな会社辞めるわ』って言ってあっさり辞めちゃったのよ」
海らしいな、なるはふふっと笑った。
「私は取締役は辞退していたから、そんな状況だったって知らなくて、海が辞めてから聞いて初めて知ったわ」
玲子が続ける。
「私、海は必ずまた会社を起こすと思ったの。6年仕事を見てきて、海は誰かに雇われて満足するタイプじゃないってわかってたし、海にはその力もある。人を惹き付けて、動かす力と言うのかな。どうせまた会社を起こすなら、また私も雇ってくれないかな、と思って、私も前の会社を辞めて、海を誘ったの」
玲子はふふっと笑った。
「私は起業家じゃなくて、雇われるほうが向いてるのよ」
「海と玲子さんって、本当にお互いの仕事、信頼しているんですね・・・」
なるは海と玲子の仕事のパートナーとしての信頼関係に、憧れ始めていた。
「うーん、『友達』のままだから、良いのかもしれないわね」
玲子はなるにウィンクをした。
なるは元気になった玲子を見て、少しほっとした。
また別のある日、なるは家で一人勉強をしていた。
夜19時をまわったところで、海から電話があった。
『今日も会社で食うから、飯はいいや』
海は会社が始動してから、ろくに帰ってこなくなった。
海はスーツを含めた着替えもオフィスに並べており、オフィスを半分家のように使っていた。
シャワーと一眠りをするために、なるが大学に行っている間になるの家に戻ったりもしているようだが、なると会うのはなるのオフィスでのアルバイト中、ということも珍しくなくなっていった。
社長って、こんなに大変なんだ・・・
なるは驚き、海の体調を心配していた。
海は海でなるに心配かけまいとしてか、毎日『飯はいらない』だの『今日はオフィスで寝る』だのの報告を電話ですることは欠かさなかった。
その電話もそんな中の一つだった。
「大丈夫?ちゃんとご飯食べてる?」
なるは心配して言った。
『大丈夫さ、まだ若いからな』
「でももう20代後半だよ」
『う・・・お前からするとおじさんかもしれないがな、世間一般からすればまだ若いの』
「まぁ、そういうことにしとくよ。本当にちゃんとご飯・・・」
そこまで言ったところでなるは閃いた。
「・・・あっ!ご飯持っていくよ!」
『えっ?!ここに持ってくるの?いいよ、もう夜なんだから』
「大丈夫大丈夫私ももう子供じゃないんだから!玲子さんもいるんでしょ、二人分持っていくよ!」
『お、おい!そんな勝手に・・・』
なるは海の言葉は無視して電話を切り、作っておいた夕食を一通りまとめてお弁当箱につめ、急いで家を飛び出してオフィスへ向かった。
「・・・おい?!なる?!」
海は切れた電話に叫んだ。
「・・・おいおい・・・」
前の席で仕事をしていた玲子がくすくす笑って言う。
「なるちゃん、どうしたの?」
海が呆れ顔で言う。
「これから二人分の夕食持ってくるってさ。あいつ、言い出したら聞かないんだから、ったく・・・」
「まぁ、嬉しいわ。なるちゃんのご飯、また食べられるのね!」
玲子が手を叩いて喜ぶ。
「おいおい、そうやって喜んでなるを調子づかせるなよ、毎日来ちまうぞ」
「いいじゃない。なるちゃんの手料理、恋しかったんでしょ?」
玲子が茶化す。
「何言ってるんだ。なるに夜道を走らせてここに向かわせてることのほうが心配だ」
海は「ったく・・・自転車でも買ってやるかな・・・」と頭をかきながらキーボードを叩き始めた。
玲子はそんな海を見て微笑んでから、言った。
「あーあ。私もいい人見つけよっと」
海が手を止める。
「空でも、海でもない、いい人見つけるんだ」
海はパソコンのディスプレイを見つめたまま、静かに言った。
「・・・そうだな、その方がいい。応援するよ」
玲子も静かに自分のパソコンのディスプレイを見つめ、仕事を始めた。海も、何かを振り切るようにキーボードを叩き始めた。
「こんばんは!」
なるは勢いよくオフィスのドアを開けて入ってきた。
「こんばんは、なるちゃん」
玲子がにこっと微笑む。
「お前なぁ、もう外は暗いんだから子供・・・」
「まぁまぁそんなお小言ばっかり言ってると老け込むよ、ほら、おにぎり食べて!玲子さんもどうぞ!」
なるは海の言葉を遮っておにぎりを配り出す。
海は「くっ・・・」と一旦は不服そうにしたが、しっかりおにぎりを受け取り貪り始めた。
「わざわざありがとうなるちゃん。おいしいわ」
玲子が小さい口でおにぎりを少しずつ食べる。
「いえいえ!こんなでよければ毎日でも・・・」
「だめだ!」海が即答する。
「なんでさー」なるがふくれる。
「子供は寝る時間なの、こんな夜中に出歩いてはいけません」
「何それーまだ20時にもなってないじゃん!今時子供だってこんな時間寝てないし!」
なるは海に「いーだっ」という口をする。
「だめなものはだめ!」
「けちっ!」
なるはふてくされた。
玲子はそんな二人を見てくすくす笑った。
三人がなるの用意したお弁当を食べ終わり、なるが「じゃあ帰ります!」と敬礼した。
「あら、帰っちゃうの?」玲子が聞く。
「はい、お仕事のお邪魔になっちゃうので・・・」なるは恐縮している。
「・・・ちょっと待て」
海が言った。
なるが「?」という顔で海を見る。
海が小さなボイスレコーダーをなるに渡した。
「確か明日は大学遅いな?夜更かしは推奨できんが、小一時間帰るのが遅くなっても平気だろ?ちょっとそれの中身、書き起こしてほしいんだ」
なるがボイスレコーダーを再生してみる。
『では早速。今回のご要望は・・』
海の声だ。
「打ち合わせを録音したレコーダーだ。その客
、話がまとまらないから聞くだけ聞いて帰ってきたんだ。議事録を作りたいから、叩き台を書き起こしてほしいんだ。Wordにひたすら打ち込んでくれるだけでいい」
なるは「ふむふむ」と話を聞きながらロッカーからパソコンを取り出している。
「もちろんバイト代は出す。タイムカード打ちな」
「りょーかーい!」
なるは元気よく返事をした。
なるはイヤホンでボイスレコーダーの声を聞きながら驚異的な速さでキーボードを叩き続ける。
端から見てる玲子がかなり驚いている。
「なるちゃん・・・」
海が横でふっと笑った。
「速いな。タッチタイピングだけなら俺らより速いかもしれないな」
「すごいわ・・・これも空が教えたの?」
「どうだろうな・・・」
なるはイヤホンをしているため聞いていない。
「こりゃ議事録は次回からなるに頼むか。打ち合わせに連れて行きたいくらいだな」
海がにやっとする。
なるはひたすら打ち続けている。・・・と見せかけて、打ち合わせの内容にも興味があった。
『ここでカレーパンを作りたくてですね・・・』
『こっちはあんパンなんですよ、行程がちょっと違くて』
『サラダパンはレタスがしなびるからギリギリまで挟みたくねーんだ』
・・・パンばかりだ。
なるはイヤホンを取って、一息つくついでに海に聞いた。
「ねぇ海、この打ち合わせ、パンの話ばっかりしてるよ?」
海がははっと笑った。
「ああそうさ、パン屋なんだよ」
「え!海、パン屋さん行ったの?」
ああ、と海は言った。
「すぐそこの商店街のな。何だか困ってそうだったから話しかけたんだよ。そしたらいろんな種類のパンを効率的に焼いて店頭に並べたいって言うから、詳しく話を聞いてみることにしたんだ」
なるは意外に思って言った。
「システムエンジニアっていうから、すごい大きな会社とかに行ってるのかと思った」
海はふっと笑う。
「まぁ、最初は仕事を選べないから、そういう仕事も来ればやるが、俺はパン屋が好きなんだ」
それで食えればなー、と冗談めかして海は嘆いた。
「海、パン屋さんやりたかったの?」
なるが言葉の真意がわからずきょとんとしてると、玲子がふふっと笑った。
「海は『町のIT屋さん』になるのが夢なのよね?」
海が「まぁーね」と軽く返事をする。
「『町のIT屋さん』?」
なるが聞く。
海がなるを見て答える。
「今はパソコンが普及して、システムは一部の大企業のものだけじゃなくなったんだ。商店街のパン屋が毎日考えてる『できるだけ焼きたてのパンをお客さんに届けたい』っていう気持ちに答えることだってできるんだよ。どんな仕組みが『できるだけ焼きたてのパンをお客さんに届けたい』と思ってるパン屋を最大限助けることができるのか、そこを考えるのが仕事なのさ」
なるは「へぇー」と言った。
「俺は俺が作った仕組みで、喜んでる人の顔が見たいんだ。システムの規模が大きくなると、どうしても先にいる『喜ぶ人の顔』が見えなくなる。俺は小さく商売する方が向いてるんだよ」
玲子が「あら」と微笑んだ。
「残念ね。海が頑張れば頑張るほど、会社は大きくなっちゃうわよ」
海ははぁーと大袈裟にため息をついた。
「じゃあ俺頑張らなーい。なる、キリがいいところで辞めていいから帰ろうぜ」
なるは微笑んで「うん」と言った。
・・・『町のIT屋さん』か・・・
なるは10年前の空がパソコンを教えてくれたあの光景を、思い出していた。
『大丈夫だよ、なるちゃん。ほら、もう自分の名前だって書けるんだ』
それから三週間後、海はなるをそのパン屋に連れて行った。
二人がパンを物色してると、店主と見られる中年の男性が挨拶に来た。
「おっ、兄ちゃん、休みの日まで様子見に来てくれるんかい?」
海は微笑んで言った。
「こんにちは。今日は本当に休みですよ。仕事はしません、パン下さい」
店主はがはははと笑う。
「うまくやるなぁ兄ちゃん、パンを買ってもらったら断りにくくなるじゃねぇか」
「いえいえ、効率的に作られたパンを食べたいだけですよ」
海は笑顔で言う。
店主もふっと笑った。
「兄ちゃん、新しいパンを作ったんだ。そいつをうまいこと工程に入れたいんだよ。金はあまりないが、力を貸してくれないか」
「もちろん。ただし、週明けに。今日は、休みですから」
海が笑顔で言うと、店主は「そーだったな、がははは」と笑った。
二人はカレーパンを買って店を出、食べながら歩き出した。
海は食べてるカレーパンをなるに見せながら言った。
「このカレーパンと、あんパンとサラダパンが全部ぴったり開店時に出来立てで焼き上がるように工程を考えるプログラムを作ったんだ。簡単なやつだけどな」
なるは「へぇーー」と感嘆した。
「あのパン屋みたいな個人経営の店は、ちょっとしたプログラムでも膨大の金を取るような大手のシステム会社に仕事を頼むことなんてできない。でもプログラムなんて知ってるやつが作ればすぐ作れるもんなんだよ」
なるは海とカレーパンを見つめる。
「大手の会社は社員を抱えてる分、エンジニアの単価も上がりやすいんだ。その点俺らはまだ三人しかいない。玲子の給料は優先させるとして、最悪、俺とお前の飯が少し寂しくなるくらいだ」
海は冗談めかして肩を落とす。なるは少し笑う。
「飢え死にするまでは、パン屋のおやっさんみたいな人を助けられる人間でいたいなと思うのさ」
「海・・・」
「まぁでも」海はカレーパンを頬張る。
「お前が飢え死にしちゃあ困るから、お前が言ってた『すごい大きな会社』にも、たまに行ってくるよ」
海はカレーパンを頬張りながら、ふふんと笑った。
なるは海の志に感動して言った。
「海、すごい!じゃあ私、ご飯節約して美味しいもの作る!」
なるが目を輝かせて言うと、海は微笑んだ。
「美味しいおにぎり期待してるぜ」
二人は海の久しぶりの休日を噛み締めつつ家路を急いだ。
「・・・海、もう少し、ほんのちょっとでいいから多くお金もらってきてくれない?」
数日後、オフィスで玲子が困った声で言う。
なるはアルバイトで勉強中だ。
「はっはー、すまん玲子。計算間違えた」
海がへらへら言う。
「嘘おっしゃい。・・・まぁ仕方ないわね、今に始まったことじゃないし、やりくりしてみます」
玲子が折れると、「さすが!玲子様!」と海が拝む。
「調子いいんだから」
微笑む玲子。なるはそんな玲子を見て少し心がちくちくした。
『人を惹き付けて、動かす力と言うのかな』
玲子が言っていた、海の能力だ。
・・・玲子さんも私も、まんまとやられてるのかなぁ・・・
それでも幸せを感じるなるであった。
それから数日後のある日。
「お疲れさまです!きゃー!」
なるが大学を終えオフィスにやってくると、トランクス一丁の海が目に入り、なるは思わず叫んだ。
「おーなる、お疲れー。そろそろ慣れろよ家で散々見てるだろ」
なるは久々のゆでダコで叫ぶ。
「慣れるわけないでしょ!家でだってそんなまじまじ見ないわよ!」
「玲子を見ろよ。全く物怖じしてないぜ。これが大人の女というものだ」
玲子は二人に目もくれずパソコンを見つめ仕事をしていたが、パソコンを見たまま言った。
「褒めているのかしら。だとしたらありがとう。でも私だって見たい訳じゃないから、オフィスで着替えるのやめてくれない?」
なるが「そーだそーだ!」と言う。
「しゃーないだろ家にスーツ置いて取りに帰るの面倒なんだよ」
海は普段私服で仕事をしているが、時々こうしてスーツに着替える。そしてそういう時は決まって玲子を外回りに連れていくのだ。なるはそれを不思議に思っていた。
「よし、玲子行くぞ。なる、留守番頼むな」
案の定、海は玲子を誘った。玲子がそそくさと用意を始める。
「海、どうしてわざわざスーツなの?」
なるが聞くと、海がにやっとした。
「ハッタリかましに行くのさ」
「はったり・・・?」
なるがきょとんとする。海が続ける。
「大きめな会社や老舗の会社の広報は、こんな若造じゃ相手にしてくれないんだよ。立ち上げたばかりの会社じゃ尚更な。だから、大企業の社長を装う。玲子は秘書役だ」
「・・・へ?」
なるは驚いた。詐欺じゃないのか。
海はははっと笑う。
「もちろん嘘はつかないさ。装うだけ。あっちが勘違いしてくれることを祈ってな。まぁ大体バレるが、最初の掴みさえ取れればどうにでもなる」
海は「行くぞ」と言って玲子を引き連れる。
確かにスーツの海と仕事中はいつもスーツを着ている玲子が並んで歩くと、颯爽としていて、やり手の若手社長とその美人秘書と見えなくもない。
「お似合いだなぁ・・・」
二人が去った後、なるはそう言って自分のほぼ金髪の髪をくしゃっと掻いた。
「なる!デカいの取れたぞ!これで来月は贅沢できる!」
二時間後、海が勢いよくオフィスのドアを開けて入ってきた。玲子も続いて入る。
一人黙々と勉強をしていたなるは少し驚いたが、笑顔で言った。
「良かったね!ご馳走考えとくよ!」
「ああ!」
海はそう言うなりデスクに座ってパソコンを起動し仕事を始めた。
「玲子、誰かアテはあるか?」
「多分何人かは・・・シュウに声かけましょうか?」
「そうだな、シュウはほしいな、頼む」
海と玲子は慌ただしく働きだした。玲子は何人かに立て続けに連絡している。海はパソコンで何か資料を作っているようだ。
なるはそんな二人を見て思った。
・・・海の隣にはいつも玲子さんがいる。私には到底敵いっこないってわかってるのに、海の隣にいたいと思っちゃう。どうしたらいいんだろう・・・
なるはちくちくする心と闘いながら勉強を続けた。
その『デカい』案件は、なんとパン屋の店主の紹介だった。
パン屋に小麦粉を卸している製粉所の所長が店主と懇意で、所長が改善したいシステムがあると愚痴った時に店主が海を紹介したのだそうだ。所長は最初は乗り気じゃなかったが、店主の顔を立てるために会うことだけは了承してくれ、それが今日の打ち合わせだった。
「ごり押しで取ってきた。製粉所の工程管理システムの改修だ。外から5人は雇わないといけないな」
今回は外注するようだ。玲子は同業者に連絡を取っていたのだ。
「管理は俺がやる。これから当分週の半分は製粉所に常駐だな」
なるは少し寂しい気持ちになった。
・・・仕事するようになってから、海は全然家にいなくなった。確かにこれじゃあ辞めたら一旦のんびり過ごしたくなるよね・・・
なるは海と過ごした夏休みを、まるで宝物のように大事に心にしまっておいて、時々思い返していた。
・・・あの夏休みみたいに、また二人で過ごしたいなぁ・・・でも恋人でもない私が、そんなこと言う権利ないんだよね・・・
なるは日に日に海を束縛したい気持ちが大きくなっていることに気づき始めていた。
そんな中、珍しく海が家にいた。
とある週末のことだった。
日々の疲れがたまっていたせいか、いつも早起きの海がその日は昼頃まで寝ていた。
ソファで目を覚ました海は、すぐさま二階のなるの部屋に向かって声をあげた。
「なる?なるー?!腹へったぞー!」
階上に気配がない。なるは出掛けているようだ。
・・・ソファで寝てたのに出掛けたのに気づかなかったのか。俺疲れてんだな。
海がふとダイニングテーブルに目を落とすと、ラップに包まれた食事があった。なるが用意しておいてくれたようだ。
海はふっと微笑み、食べ始めた。
「あれ、珍しい。今日はまだいるんだ、ただいまー」
海が昼食を食べ終えた頃、なるが帰ってきた。
「ああ。・・・お前、その髪・・・?」
海はなるの髪の色が金髪でなくなったのに気づいた。落ち着いたダークブラウンになっている。
「美容院で戻してきたの。ちょっと色が抜けすぎちゃってたから」
海はふふんと鼻をならした。
「やっと気づいたか。外人じゃあるまいし金髪なんて似合わないぜ。日本人なんだからその方が合ってる」
なるは少し恥ずかしそうに鼻をかく。
「まぁ、そうだね・・・」
「素直でよろしい」
海はそういうと、なるの頭を撫でた。
その途端、なるはぼっとゆでダコになった。
「ん?どうしたお前?」
「い、いいいいやいやいあ何でもない!」
なるは階段をかけ上がって自室に入りドアを勢いよく閉めた。
「・・・?」
海が階上を不思議そうに見つめた。
・・・ついに顔に出てしまった・・・
なるは自分の気持ちに気づいてから、顔に出ないように出来る限り気持ちを抑えていたが、ついに耐えきれなくなってしまったようだ。
自室で落ち着こうとしても、逆に意識してしまいゆでダコが引かない。
・・・久しぶりに海がいて、嬉しくてつい・・・これじゃ部屋からも出れないよ・・・
「おいなるー!俺オフィス行ってくるぞー!」
階下から海の声がした。
「お前もいくかー?バイト代出すぞー!」
なるは自室から出ずに答えた。
「今日は予定があるからいいー!」
嘘だ。予定はないが今は海に会えない。
「おー!暗くなる前に帰るんだぞー!」
海がそう言うと玄関ドアが開く音がし、家に静寂が訪れた。
「はぁぁーー。どうしよう・・・」
なるは自室でへたりと腰を落としため息をついた。
なるはベットに寝転がり、自問自答していた。
「海は私が顔を赤くするとすぐ『惚れたのか?』とか言うから、多分すぐバレちゃうよ・・・」
・・・もしバレたら、大人しく白状する?「好きです」って。
もう一人のなるが問いかけてきた。
「言えないよおおぉお。絶対フラれちゃうもん。海と会えなくなるなんて辛い」
・・・でも顔赤くしてたらすぐバレちゃうよ?
「じゃあどうしたらいいのさぁぁ」
・・・もう、思いきって告白しちゃうとか!
「だめだって言ってるでしょぉおお」
・・・もしかしたら、万に一つ、うまくいくかもよ?!
「どうしてさ?」
・・・海優しいし、玲子さんのこと、諦めてくれるかも・・・?
「そんな訳ないじゃぁぁあん。あんなに毎日一緒にいて忘れるわけないよぉおお」
・・・じゃあ、忘れないでいいから、一緒にいてほしいって言うとか・・・
『俺を、空だと思ってくれていいから・・・』
「そんなの、切ないよ・・・」
なるは海の言葉を思いだし、自分には耐えられないと悟った。
もう一人の自分との相談の結果、なるはとりあえず当分海を出来るだけ避けることに決めた。
・・・どうせ海は最近はそんなに家に帰ってこない。バイトさえ入らなければそこまで会わないはず・・・ほとぼりが冷めれば私の気持ちも落ち着くかもしれないし・・・
しかしもう一人の自分は不満だった。
そう、本当は海に気持ちを伝えたい。伝えて恋人になりたい。そんなのわかってる。
でもなるには自信がなかった。フラれて避けられたりする辛さと引き換えに告白する勇気がまだ出なかった。
なるは「勉強は家の方が集中できるから」と言ってアルバイトに入らないようにした。海は「仕事も教えたいのに」と不服そうだったが、「一度に何でもできるタイプじゃない」と赤い顔で押しきった。
一週間もすると海も薄々避けられているのに気づき始めていた。
・・・相手しないから不貞腐れたか?それとも彼氏でもできたか・・・?
海は気にはなったが仕事の忙しさで考える時間が取れず、落ち着いたら聞いてみるか、と考え仕事に打ち込んだ。
そんなこんなで二週間、なるがアルバイトを始めて二ヶ月が過ぎようとしていた。
暦は10月の終わり。だいぶ秋らしくなってきた。
なるは楽しかった夏休みを思い出しては悩んでいた。
フラれないようにと避けてたら意味がない。本当は話したくてたまらないのに。
避けるのは逆効果だった。話せない分気持ちが膨らんでしまったのだ。
ただ話しかける勇気が出ず、相変わらず避け続けていた。
ソファに腰掛け、テレビを見ながら、しかしテレビの内容は全く頭に入らないなるは、思わずため息をついて言った。
「はぁ・・・会いたいなぁ」
「誰に?」
突然背後から聞こえた声に驚いたなるは「ぎゃー!」と言いながら振り向いた。
「ただいまー」
海が真後ろに立っていた。
気づかなかった!まずい!
なるはソファから立ち上がり急いで部屋へ逃げ込む・・・準備をしたところで海に腕を掴まれた。
「おい、お前・・・俺を避けてるだろ?」
なるが驚いて振り返り海を見る。
「こうでもしないといつまでも捕まらんと思って、忍び足で家に入ったんだよ。何で俺を避けてんの?」
なるは「いや、その・・・」と言葉に詰まった。
・・・言っちゃいなよ、好きだって。
もう一人の自分が囁く。
・・・本当は気持ち、わかってほしいんでしょ?
「・・・お前、彼氏でもできた?」
海が聞いてきた。なるは驚いた。
「・・・え?」
海はなるの腕から手を離し、ソファに座ってテレビを見ながら続ける。
「いやー、彼氏できちゃったらさすがに同居はまずいよな。彼氏にあらぬ疑いをかけられるのもあれだし。・・・って感じで、もしや俺を追い出したがってるとか?」
海がちらっとなるの方へ顔を向ける。
なるは自分の顔が赤くなるのがわかった。
「・・・?!お前・・・」
きゃーっ!今度こそばれる!
「お前・・・図星か?」
・・・え?
なるは赤い顔のまま海を見る。
海はたははっと笑った。
「俺は御役御免かなー、実家にでも帰るかぁ。安心しろなる、俺はお前の恋路の邪魔はしない。」
えっへんと言わんばかりの海に、なるは思わず言った。
「ちがうよ・・・」
「・・・ん?」
「・・・彼氏なんかいるかバカー!」
なるは走って階段をかけ上がって自室に入りドアを勢いよく「バタン!」と閉めた。
海は「お、おい?!」と言って階段を上ってなるの部屋に向かった。
海がなるの部屋のドアの前で言う。
「変なこと言って悪かったよ。理由が知りたいだけなんだ」
なるは部屋の中でドアに寄りかかりながら聞いている。
・・・何て言えばいいんだろう・・・どうしよう・・・
なるが悩んでると、海が外で静かな声で言った。
「お前に避けられると、辛いんだよ。お前と飯食いたいんだよ」
・・・海・・・
「怒ってるなら謝るからさ、出てき・・・」
海が話してると、なるがドアを開けた。
二人が向かい合う。
「・・・なる?」
「・・・ごめん、海」
なるは何故か謝った。
「・・・どうかしたのか?」海が聞く。
「・・・私、海のこと、好きになっちゃったんだよ・・・」
海が驚いて目を見張った。
「・・・だから私達、ルームシェア、辞めないと・・・」
なるはそう言うと、思わず涙が出た。
「ごめんね・・・」
なるは急いでドアを閉めた。
「なる!」
海がドアを抑えようとしたが間に合わなかった。
言っちゃった・・・言っちゃったよ・・・これでもう海とはさよならだ・・・
なるは部屋のベッドに潜って、声を立てないように泣いた。
「・・・なる」
ドアの外で海の声がした。
「なるは、どうしたい?」
なるが少し驚いて布団から顔を出した。
「開けても・・・いい?」
なるは少し考えて、涙を拭いてから、「いいよ」と言った。
海がドアを開ける。
なるは布団を剥いでベットに腰掛けた。海はなるの前に立て膝をつき、向かい合った。
「なる・・・ごめんな。全然気づかなかったんだよ」
「海・・・」
「なるは、どうしたい?」
海はもう一度聞いてきた。優しい瞳だった。
「私は・・・」
私は・・・
なるは俯いて、少し考えてから言った。
「私は・・・海の彼女になりたい」
なるはゆでダコになった。
言っちゃった・・・全部言っちゃったよ・・・
なるは俯いたまま顔を上げられなかった。
「・・・じゃあ、なってよ、彼女」
「!」
なるは耳を疑った。俯いたまま驚く。
「そしたら、一緒に飯食ってくれる?」
なるは恐る恐る顔を上げる。
海は優しく微笑んでいた。
「海・・・いいの?」
「ああ。なんでだめなの?」
なるは、躊躇いながら言った。
「玲子さんが・・・」
海は顔を一瞬、曇らせたが、気を取り直したように笑顔を見せて言った。
「昔の話だって言ったろ?玲子と俺は何もないさ」
「でも・・・」
まさか告白を受け入れられると思わず、何だか自分が玲子を裏切ってしまったようで、なるは罪悪感を感じていた。
「・・・俺、お前と飯食いたいんだよ」
海が静かに言った。
「そこから始めちゃだめかな?」
なるは海を見つめた。海が少し不安そうに見えた。
なるは一粒、涙を流した。海が驚く。
なるは涙を流したまま、笑って言った。
「・・・海、食い意地張りすぎだよ」
えっ、と海が驚いた。
「そ、そこ・・・?」
なるはふふふっと笑う。それを見て海もほっとしたように笑った。
「じゃあ、飯食お、飯」
海はなるを部屋から連れ出し、二人で階段を下りた。
なるはキッチンで食事の準備を始めた。
・・・これは、どういう状況なんだろう・・・
なるはキッチンからちらっと海を探す。
海はリビングのソファでいつもの姿勢でテレビを観ている。
・・・何だかいつもと同じ状況だけど、恋人同士になったって、思っていいんだよね・・・?
全く予測していなかった展開になるは戸惑っていた。
「いただきまーす!」
なるが食事を用意すると、海は待ってましたと言わんばかりに食らいついた。
なるはひたすら夕食を貪る海を見て、さっきのは夢だったのだろうかと不安になった。
「あ、あのー・・・」
「んふ?」海は口にご飯をたっぷり含ませて言った。
「い、いえ・・・とりあえず食べてていいです」
何だか邪魔しちゃいけない気がして、なるもご飯を食べることにした。
「なるってさ、何で料理できんの?」
海がおもむろに聞いてきた。
「え?どうして?」
なるが驚いて逆に聞く。
「いやぁ、同じ一人っ子の玲子はちっとも料理できないって言ってたぜ。台所に立たせてもらったことないって」
海が玲子の話をするとなるの心がちくちくしたが、それはひとまず置いておいてなるは答えた。
「え・・・それは、玲子さんがお金持ちだからじゃないの?」
「そうなのかぁ?関係ないだろ」
なるは「うーん」と少し考えて、
「両親とここで話すのが好きだったからかなぁ」と言った。
なるの家はキッチンとダイニング、リビングがひと繋がりの空間になっている。キッチンとダイニングは対面式で、キッチンにいるなるとダイニングテーブルに座る海もよく会話をしている。
「いつも海とここで話すみたいに、キッチンにお母さん、テーブルにお父さんがいて、私はキッチンにいたりテーブルにいたりして・・・」
なるが思い出すように遠い目をする。
「キッチンにいるとお母さんが料理を教えてくれるの。私が手伝ってご飯を作るとそれを食べたお父さんが美味しくなくても喜んでくれるの。それを見てお母さんが『お父さんはなるに甘い』って笑うの。そんな日々が・・・」
幸せだった・・・と思った途端、なるは涙が出てきた。
「なる・・・」
海が箸を持つ手を止める。
「ごめん、最近何だか涙脆くて・・・」
なるが急いで涙を拭く。
「・・・なるはもう少し、自分のために泣いた方がいいんじゃないか?」
なるが驚いて海を見る。
「両親を同時に亡くすって、凄い辛いことだと思うんだ。俺にはまだわからないけど・・・」
海が真面目な顔して言う。
「無理して泣くのを我慢しなくていいんだよ。だってここは、お前の家だろ?」
「海・・・」
なるはせっかく拭いた涙がまた出てきたが、止めないでみた。
「ありがとう・・・」
なるは泣きながら夕食を取った。
・・・お母さん、料理を教えてくれてありがとう。お父さん、美味しくなくても褒めてくれてありがとう・・・
海はそんななるを見つめ、「いつも飯、ありがとな」と言った。
一通り泣いて泣きつかれるのと同時になるの食事が終わった。
海はだいぶ早く食べ終わっていたが、なるが落ち着くのを向かいに座って待っていた。
なるが「ごちそうさま」と言って食器を片付けようとすると、「今日は俺がやるよ」となるの食器をキッチンに持っていった。
「ありがとう・・・」なるは素直に礼を言った。
キッチンで食器を洗い始めた海に、ダイニングテーブルに座るなるが言った。
「今日もこれからオフィス戻るの?」
最近の海は夕食を取りシャワーを浴びてまたオフィスに戻ることもしばしばだった。
この忙しさを見越して電車を使わなくてすむ場所にオフィスを借りたのかなとなるは思っていた。
「うーん、今日はいいや」
食器を洗いながら海は言った。
「そっか・・・」
なるは少し俯いて微笑む。
「・・・喜んだ?」
海がにやっとした顔で聞いてきた。
「!」
なるがゆでダコになった。
「はははは、わかりやすすぎだろ」
海が笑う。
「もー!しょうがないじゃん!」
なるはぶーたれた。
・・・もー、海は茶化してきてばっかり。・・・あれ?これじゃあ・・・
「・・・何だかいつもと変わらないや」
なるはふと言った。
海は食器を洗いながらふっと笑う。
「いいんじゃないの?それで。俺、この生活気に入ってるんだぜ」
なるは海を見た。俯いて食器を洗う海は、少し嬉しそうに見えた。
何だかよくわからないけど、ひとまずこのまま海と一緒にいられるんだ。
なるはそれが嬉しくて、とりあえず今はその幸せに浸っていようと思った。
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