「俺をここに住まわせてよ」

「・・・正確には、俺だった、かな」

リビングに戻り、海は軽い口調で続けた。

「俺ってほら、こんなちゃらんぽらんだろ?だから干されちゃったの」

海はあっははぁと笑って言った。

・・・何なんだこの男は。社長?干された?何でへらへら笑ってるの?

何だか全てが外国語のように理解できなかった。

頭にハテナが三つくらい浮いているなるをよそに、海は何かを思いついたらしく「そうだ!」と手を叩いた。

「俺をここに住まわせてよ」

「へ?」

なるは耳を疑った。

「家賃払うからさ・・・なるちゃんも一人よりはいいだろ?」

対面で座っていた海が急になるの横に座り、なるの肩に手をかけて引き寄せ顔を近づけて言った。

出た!「お兄ちゃんの顔」作戦か!もう騙されないぞ!

なるは海の手を振りほどいて言った。

「結構です!ってか社長ってどういうことですか?干されたって?もう何が何だかわからないんですけど!ちゃんと説明してください!」

なるは言い切ると勢い余って目の前のテーブルをバンと叩いた。

「おおっ、まぁまぁ落ち着けって」

海は相変わらずへらへら笑っている。

「ちゃんと説明するからさ」



「学生時代に知り合った友達とベンチャー立ち上げたんだよ、俺。今は資本金1円から会社を立ち上げられるからね。でも俺のやり方についていけないって反旗を翻されちゃったわけ。簡単に言えばそんな感じ」

海は友達と喧嘩しちゃったんだぁとでも言うかのようなノリで言った。

「それも今日ね」

なるは目を見張った。

「まぁ取締役会で代表権を剥奪されただけなんだけど、俺についてこれないならこんな会社辞めてやるってね、辞めてきちゃったの、はははぁ~」

海はあっけらかんと言った。

「だから空がこのメールを送った時は社長だったんだけど、今はプー太郎。はははぁ~」

なんということだ。会社って、そんな簡単に辞められるものなのだろうか。しかも社長が。アルバイトだってこんな簡単には辞められないぞ。

結局説明されてもちっともわからなかった。やはり住む世界が違うのだろう。



「わかりました、でもそれとこの家に住むのは何の関係が・・・」

全くわからなかったが取り敢えず話を進めようと思い、なるは言った。

「空はお前を俺に任せようとしたんだろ?じゃ俺がこの家に住んじゃえばいいかなと思ってさ。どうせプー太郎でどこにいたって一緒なんだから」

「それは・・・」

確かにお兄ちゃんはどういうつもりでこの人に私を任せようとしたんだろう。お兄ちゃん本人が会いに来れないのはどうしてなんだろう。

なるは聞いた。

「空さんが私と会えないと言ったのはどうしてなんですか?」

海は少し驚いたような表情をして言った。

「あれ、お前知らないの?今の空」

「はい、知らないですもちろん」

「ネットで検索すればすぐ出てくるよ、調べたことないの?」

今度はなるが驚いた。

お兄ちゃんをインターネットで調べようなんて思ったことがなかった。

何だか有名な財閥の人みたいだから確かに調べれば出てくるのか。

両親はあれから結局パソコンをモノにできなかったので、そこまで思い至らなかったのだろうが、なるが気づかなかったのは、なるにとって空はただの『パソコンを教えてくれた近所のお兄ちゃん』であるからだと思った。

金持ちやら財閥やら関係ない、あの優しい笑顔のお兄ちゃんが、憧れの存在だったから。

なるはそう思って言った。

「空お兄ちゃんが有名人だとかそういうの、考えたことなかったから・・・思いつかなかったです」

海はふっと笑った。

「『なるちゃん』らしいな」

なるはまた海の中に10年前の空を見た。



二人は再びなるの部屋に戻り、パソコンでブラウザを立ち上げた。

なるが検索ウィンドウに『神宮寺空』と打ち込む。

「お前タイピング速いな」

つっけんどんな言い方だったが海が驚いていたのでなるは鼻が高くなり、えっへんと胸を張って言った。

「これでもタイピングだけは速いんです」

お兄ちゃんが教えてくれたタイピング。お兄ちゃんが褒めてくれて嬉しかった。

なるは空と別れた後もタイピングソフトだけはプレイし続け、パソコン自体には詳しくなれずタイピングばかり速くなっていったのだった。

「そう言えばスマホないの?スマホで調べればいいじゃん」

海が聞いた。

「私ガラケーなんです、パソコンあるしパソコンでいいかなと」

「へぇー珍しい、まっ俺もそうだけど」

「あっ、あった」

なるが検索結果からとある企業のホームページを開いた。

企業の沿革が載っている。創業100年以上の老舗の商社のようだ。社員数は数万人規模の大会社だ。関連会社も数えきれないくらい載っている。

ホームページを辿り、役員一覧の中に空の名前を見つけた。

『取締役副社長 神宮寺空』

・・・副社長?!

なるは口が開いたままふさがらない。

「こんな大きな会社の、副社長・・・?」

海はしれっと返す。

「そうさ。社長は親父さ」




空は神宮寺コンツェルンの遠縁どころか、筆頭当主の御曹司だった。

「さすがに忙しくて会いに来れないんだろ、だから俺に任せようとしたんじゃないの?」

海は他人事のように言った。

空が御曹司なら、双子の弟の海だって同じではないか。どうして海はここにいるのか。

不思議に思ったなるは聞いた。

「海さんは・・・同じ仕事してないんですか?」

「できないさ。資格がないからね・・・」

海はパソコンを遠い目で見つめ、それ以上言わなかった。

お兄ちゃんと同じ、言いたくないときの表情だ。なるはそれ以上聞かなかった。

そういえば両親もお兄ちゃんがこの表情をするとそれ以上は聞かなかった。我が家ながら何て聞き分けの良い家族だろう。

・・・でも、それがお兄ちゃんにとっては良かったんだよねきっと。

なるはパソコン上の名前を見つめつつ、そう自分に言い聞かせた。



結局わかったようなわからないような状態のまま、二人は再びリビングに戻ってきた。

「ま、空は『なるちゃん』を気にかけていて、俺に任せようとしたと、そういうわけだ」

海はしゃあしゃあと纏めに入った。

「だから、俺がこの家に一緒に住んで面倒見てやると」

ん?それは違うと思うぞ?

そもそも居候するほうが面倒見るとかおかしくないか?

「と、いうわけで、よろしく、なるちゃ・・・」

海がわざとらしく近づいてきて「お兄ちゃん作戦」を実行する前になるは立ち上がり言葉を遮った。

「そう何度もお兄ちゃんの顔で騙されませんから!さっきも言いましたがお兄ちゃんはお兄ちゃんで、海さんは海さんです、ちゃんと区別つきますから!」

「強がっちゃって」

海は茶化すように言ったが、なぜか瞳は寂しそうだった。

なるはその瞳に気づいてしまった。

・・・この人も、干されちゃった?りして、落ち込んでるのかな・・・。へらへらしてるのは強がってるだけなのかな・・・。

なるは自分も強がりなので、その気持ちは良くわかった。

・・・どうせ私には身寄りがない。これから私がどうなろうと困る人もいなければ心配する人もいないし、こんな人でもいないよりはいることでほんのちょっとくらいは役に立つ事があるかもしれない。

「・・・でもまぁ、面倒見てもらわなくて結構ですけど、住みたいなら住んでもいいですよ。ただし、いろいろ手伝ってくださいね」

なるがそう言うと、海はぱっと笑顔になった。

「言ったね!今度こそ決まりだな!」

よろしく、と海は握手を求めてきた。

なるが握手を返すと、海はふっと微笑んだ。

・・・そうやってちょいちょい「お兄ちゃん」を入れてこないでほしいなぁ。でもこれはわざとじゃないんだろうなぁ。

顔が一緒って、本当に調子狂うなぁ・・・。

なるはドキドキしてるのを隠すのに必死だった。

海の微笑みには、まだまだ慣れそうにないなるであった。



お母さん、お父さん、お兄ちゃんの声が聞こえる・・・ここはどこ・・・?

「・・・お父さん、男の子だったら『カイ』、女の子だったら『なる』にするって聞かなくてねえ・・・」

「『カイ』と『なる』・・・、いい名前ですね・・・」

「いつかなるが大人になったら、三人で行きたいなぁ、なぁ、なる・・・」

「大丈夫だよ、なるちゃん・・・なるちゃん・・・」



「なるーーー!まだ起きないのかーー」

・・・お兄ちゃん・・・?

がちゃっとドアが開く。

「お兄ちゃん・・・」

なるは寝ぼけて呟いた。

「だーかーらー!俺は空じゃないっつーの、早く起きろよもう昼だぜ」

海が不機嫌そうにドアを閉めて去っていった。

ああそうだった、またやってしまった。

・・・ってか!また!

なるは飛び起きてパジャマを着替え階下のリビングへ急いだ。

「ちょっと!私の部屋に勝手に入ってこない約束って何度言ったらわかるの!」

「いーじゃんどうにかするわけじゃなし。てかお前また空の夢見てたの?病気なんじゃねぇの?」

海はリビングのソファでくつろぎテレビを見ている。

「夢は見ちゃうものはしょうがないでしょ!病気じゃないわよ失礼ね!」

「まぁどっちでもいいから飯作ってよ飯ーー」

「~~~っ!」


海を住まわせる約束をして二週間。

海はすっかり寛いで、そして何もしない男だった。

初日に作った食事にあの「お兄ちゃんスマイル」で「すごく美味しいよなるちゃん、毎日作ってほしいな・・・」と言われ、突き飛ばしてやったが結局喜んだ自分がいけなかった。

何だかんだ毎日食事を作り、アルバイトでいない時は作り置きを用意し、これじゃ体の良い家政婦だ。

今日こそ追い出そう。二週間毎日思ってきたが、「ずっとなるちゃんに会いたかったんだよ・・・」と顔を近づけて言ってくると、また突き飛ばしてやったが・・・以下ループ。

これじゃ完全にヒモじゃないか。

・・・ヒモは語弊かな、ヒモってお金も養われてる人のことだっけ。

海は「お金は任せろぃ」と、我が家の食事代と水道光熱費を全て負担すると約束した。

金持ちは恐ろしい。やっぱりこれじゃ家政婦だ。

海は26歳だという。私はまだ18歳だ。未成年をこき使って何の痛みも感じないのかこの男は。

もはや「さん」付けする気も起きない。海め。海大魔王め。今日こそ追い出してやる。



「今日はバイトラストまでだから、帰るの遅くなりそう」

なるはパンを頬張りながら言った。

「あん?もうシフトやりきっただろ?ちゃんと店長に辞めますって言ったか?まさか新しいシフト入れたりしてないよな?」

海は私にアルバイトを辞めろと言う。なぜそんなことをお前に決められなければならないのか。

「辞めたら毎日朝から晩まであんたと顔合わせなきゃいけなくなるでしょ、ごめんだわ。てか、今日こそ私が帰ってくるまでに荷物まとめて出て行ってね」

まぁ、まとめるほどの荷物はないか、となるは思った。海は我が家にそれほど荷物を持ち込んでおらず、身軽な男だった。

「えー、なるが住んでいいっていったんじゃーん、約束だぜ」

「手伝いする約束も部屋に入らない約束も守らないで良く言えるわね」

「だってなるちゃんのご飯、美味しいから・・・」

「・・・うるさい」

海もすっかり「なる」呼ばわりで、お兄ちゃんの真似する時だけわざとらしく「なるちゃん」と言ってくる。

かと言って私がお兄ちゃんと間違えると機嫌を悪くするから面倒臭い。間違われたくなければ真似しなければ良い話だ。

・・・そんなこんなで二週間。寂しさは和らいでいる。そこだけは感謝している。

でも海はこの生活をいつまで続ける気なのだろう。これが家政婦じゃなければまるで・・・夫婦みたいじゃないか。



あれから一回だけ、海の目を盗んでインターネットで『神宮寺空』を調べた。

画像付きのインタビュー記事が載っていて、思わずクリックしてみた。

海と瓜二つの人物がそこに載っていた。眼鏡をかけていないところが海とは違うが。

ただ海の眼鏡はだて眼鏡だと思う。眼鏡を取っても全く困っているように見えないからだ。

本当のことを言うと、まだ『神宮寺海』という存在を信じていない。

彼は何らかの理由で自分が『神宮寺空』であることを隠したくて、『神宮寺海』という架空の人物を演じてるのではないかと思ってしまう。

名前が『カイ』なんて、偶然にしてはできすぎてるし。

実際、こうして『神宮寺空』が存在していることはわかるが『神宮寺海』が存在している証拠がどこにもない。

実は『神宮寺海』もインターネットで調べてみたが、見つからなかった。そのことも怪しさを助長している。

だが、あんな男が初恋の人だとは思いたくない気持ちもある。

それなのに彼がお兄ちゃんだったらと思ってしまうのは、私がやっぱりお兄ちゃんに会いたくて仕方がないからなのだろうか。

確かに海の言う通り、私は何かの病気なのかもしれない。



なるが様々な憶測をしているのを知ってか知らずか、海はなるがアルバイトに出掛けている間に、こっそりなるの部屋に入り、パソコンを立ち上げた。

ブラウザを開き、検索ウィンドウに適当な文字を入力してみる。

最近の検索サイトは、過去の検索履歴を故意に消さない限り残ってしまう。

予測変換のごとく、『神宮寺空』『神宮寺海』と表示された。

あいつ・・・俺のことも調べたのか・・・。

『神宮寺海』の検索結果が0件なのを確認して、海はブラウザを閉じた。



なるがアルバイトから帰ると、海はいなかった。

ついに荷物をまとめて出ていったか。

そう思うと少し寂しい気もした。

でもこれでいいんだ。付き合ってもいない男女が一緒に住むなんておかしい。

・・・まぁ、最近はルームシェアとかいうのがあるのか。別におかしいことでもないのかな。

料理も本当に嫌なら突っぱねれば良かったし、何だかんだ人に料理作って喜ばれるの嫌いじゃないから、勝手に作ってただけなんだよね・・・。

料理はしなかったけど掃除はそれなりにやってくれてたし、私の帰りが夜遅いと理由つけて夜道を迎えに来てくれてた。今日はなかったけど。まぁ、私が出ていけって言ったからだよね・・・。

『強がっちゃって』

二週間前に言われた海の言葉を思い出す。

わかってるんじゃん。そうだよ。強がってるだけだよ。

本当はいてほしいよ。本当にお兄ちゃんじゃなくても、本当はお兄ちゃんだけど隠してても、もうどっちでもいいよ。

「海ぃぃぃ・・・」

なるは半分涙目になって呟いた。



「おいおい、寂しがるの早すぎだろ、もう少し強がれよ」

なるは驚いて振り返った。

海がコンビニのビニール袋を下げて立っていた。

「コンビニ行ってきただけだぞ、何勘違いしてるんだ?」

・・・?!

「だって・・・いつもだったら迎えに来てくれて・・・」

「え?・・・あぁ、別に迎えに行ってるわけじゃないけどな、そう思ってたとしたら悪かったな」

??!!?!

なるはいろいろと恥ずかしくなってきて、なぜか怒りが込み上げてきた。

「・・・んんんもぉぉぉ、出てけーーー!」

なるは海をぽかすか叩いた。

「おおおい何だよいきなり、出てくわけないだろ、いててて」

「なんでさーーー!」

海はぽかすか自分を叩くなるの腕を掴み、引き寄せた。

「なるちゃんにずっと会いたかったからだよ」

「!??」

なるはゆでダコになった。

「きぃえぇぇぇ!成敗してやるーーー!!」

なるはどうしたらよいかわからず奇声を発して海を突き飛ばした。

「いてぇぇ、なんだよその声は、あはは」

海は顔をくしゃくしゃにして笑った。

さらにお兄ちゃんに見えた自分を振り払うようになるは海をぽかすか叩き続けた。



海を叩き疲れたなるは「もうお風呂入って寝る!」と風呂場へ去っていった。

「何てサンドバッグだ」

海はふっと微笑みながら一人呟いた。

ブーーーーー。

海がジーンズのポケットに入れている携帯電話が震えた。着信のようだ。

海は折り畳み式携帯電話を開いて確認する。

『有栖川玲子』とディスプレイに表示されていた。

海は携帯電話の通話ボタンを押して電話を受けた。

『あっ、海?玲子よ。さっきは急いでたみたいだけど、引き留めちゃってごめんなさい』

「あぁ、いや・・・」

海が答える。

『でも、来てくれて嬉しかった』

「あぁ・・・」

『答え、出そう?』

「あぁ・・・もう少し、考えさせてくれないか」

『わかった。待ってる』

海はそっと電話を切った。

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