みなとみらいセンチメンタル
森水鷲葉
みなとみらいセンチメンタル
赤レンガ倉庫の近くで、海からの風が吹いている。
11月のみなとみらいは、コートを着ていても、潮風がちょっと冷たい。
汽笛の音が響き渡って、私は振り返る。
きっと大きな船が沖へと出ていくのだろう。
私はいつだって、汽笛の音を聞くたびに、ある想いに駆られる。
大勢の人がひしめき合って、出港する船。
立派な船の出港は新たなる門出で、お祝いのムードが漂っている。
おそらくは、外国へ。
新天地への旅路を多くの人が祝福される。
紙テープが色とりどりに舞う。
時代錯誤の郷愁交じりの幻想だった。
けれども、私は、その船に乗り遅れてしまう。
あるいは、乗船の切符すら、手にすることができないのかもしれない。
空想の中の私は、いつも、出港していく船を追いかけて、追いつくことができない。
そして、港に取り残されて、大海原へと出ていく客船を見送るのだった。
焦燥が私を襲うけれど、出港した船は戻ってこない。
そして、私が望む新天地への旅も始まることはないのである。
横浜港は太平洋に面していて、青空は燦然と輝いている。
未来に向かっていく大勢の人々の通過点である場所だ。
「みなとみらい」という地名もまた、未来に向かっていく人々と世界をはっきり示している。
11月の青空は、透明な空気の中で輝いている。
コスモクロックの大きなデジタル時計が視界に入る。
よこはまコスモワールドの名物であるコスモクロックは、この地域でも有名な大観覧車である。
観覧車の中央に大きなデジタル時計の文字盤がついているのが特徴である。
ゆえに、ランドマークとして横浜で知らない人はいないだろう。
きっと、これからも、いつまでも、私は取り残されてしまうのだろう。
想像の世界の中で、取り残されたように。
そして、同じように多くの人が、「船で出港していく人々」を見送って、そして……。
見送る人たちは、どうなるんだろう?
旅立つ人を待ち続けるのか。
それとも、旅立たないでずっと、同じ場所で生きるのか。
きっと、多くの場合は私とは違うだろう。
自分が取り残されたなんて思ったりしないだろうし、同じ場所で生きることに疑問も抱かないのではないだろうか。
そもそも、旅立つことがいいことなのだとは限らない。
だけど、私は、賭けに出たかった。
それでも、空想の世界であっても、私は新天地に旅立つことはできない。
再び、汽笛の音が響き渡る。
我に返り、空を見上げる。
急に現実の世界がヴィヴィッドに感じられるようになる。
肌寒い11月の潮風が身体にまといつく。
人工的な、みなとみらいの風景が、赤レンガの倉庫が、ずっと具体的に感じられるようになる。
ちょうど、コスモクロックのデジタル時計の数字が切り替わるのが見える。
あのデジタル時計は音がするのかどうか、私は知らないけれど、仮に音が鳴っていても、ここまで届くわけがないのに、「カチッ」という音がしたような気がする。
幻想は幻想に過ぎない。
私はここにいる肉体を持った人間でしかない。
今の私は、私以上の存在にすぐに変わることなどできはしない。
コスモクロックのデジタル時計は、1分ずつ、数字が切り替わる。
アナログな存在である私は、努力しないと、少しずつしか変われない。
けれども、どうしても、私は遠いどこかに旅立ちたかったのだ。
ここではないどこかへ。
私が自分らしくいられることが当然であり、そして、それが望まれる場所へと。
自分探しの旅をするために外国に行く人や、バックパッカーは同世代にたくさんいたけれど、そんな人たちのことは軽蔑していた。
無目的に世界をさまよって犯罪に巻き込まれるなんて、ただ恐ろしい目にあうだけのことだと思った。
なにより「自分探し」なんて、旅をしたらみつかるようなものなのだろうか?
とはいっても、自分を投げうつこともできない私は、評論家気取りの臆病者に過ぎない。
もう一度、汽笛の音が響いた。
私は、海の方を振り返った。
港は複雑に入り組んでいて、太平洋の大きな姿はしっかり把握できるわけではない。
本当に海の大きさを実感できるのは港を出てからなのだろう。
私は、足元の、昔の路面電車の跡をじっと見つめた。
文明開化の歴史を持つ横浜にはこうした遺構や古い建物が残っている。
すぐ近くには、「キング・クイーン・ジャック」という、それぞれトランプにちなんだ愛称の建物がある。
路面電車の跡は、やがて途切れている。
汽笛の音を背にして、私は、JRの桜木町駅に向かい、歩き始める。
11月の風は、相変わらず肌寒い。
観光客か、地元の会社員か、道行く人たちと通り過ぎる。
私と同じく、桜木町へ向かう人も、地下鉄へ向かう人もいる。
いつかは、どこかに行かなくてはいけない。
それが今ではないのだとしても。
駅の線路は日本のどこかにつながっている。
私は、どこかに行くのだ。
ここではないどこかへと。
そして、もう一度、この港町に来たいと思う。
いろいろなことに納得できたその時に。
強く旅に出たいと願ったのだとすれば。
あるいは、すでに、人生の行き先は決まっているのかもしれない。
みなとみらいセンチメンタル 森水鷲葉 @morimizushuba
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