14

 同時刻。剛流は汗の浮く額を床にこすりつけ、無言で土下座を続けていた。ひやりとしたコンクリートの冷気が体温を奪い、骨が氷になったような感触が全身を襲う。頭上でかすかな駆動音。さらに長狭谷のドスの利いた声が降って来る。

「説明しろ」

「はっ、はいッ! ブツを持ってお待ちしている間に襲撃を受けまして……そしたらいつの間にかガキがブツごと消え去ってましたッ!」

 弁解する剛流の頭に、何をバカなと自分の声が響き渡る。小学生以下の言い訳であるが、今回ばかりは事情が違う。脳内再生されるチンピラの腕寸刻み映像を打ち消しながら言い聞かせる剛流に、長狭谷は怪訝けげんそうに尋ねた。

「消え去ってた、だ? 盗られた、じゃなくてか」

「いいえ! 消え去っていた、ですッ! 監視カメラに映像が……ッ!」

「出せ」

「た、ただいまッ!」

 弾かれたように起き上がり顎の下を指で押す。視界に現れたメニュー画面を手繰たぐりビデオフォルダを開いて『監視』ラベルのファイルを選択。上から下までズラリと並ぶビデオクリップをスクロールして目当ての映像を見つけると、ドラッグして長狭谷へ素早くフリック。彼の反応を固唾を飲んで待つ。

 実のところ、剛流はすぐさま逃げたい気分であった。襲撃を受け、上納品を消失し、トップの時間を浪費させてしまった。不可抗力と言える部分こそあるが、セキュリティの甘さや商売をいたのも事実。長狭谷がこれを致命傷と捉えれば、自分は信用を失い処刑されるだろう。腕を寸刻みにされた、あのチンピラのように。

 今までの貢献と築いた信頼を盾に、この妄想を否定したい。しかし、長狭谷が寛大ではなかったら? 心臓の早鐘が音量を増す。永遠じみた時間間隔の果て、長狭谷が神妙な顔で口を開いた。

「……確かに、パッと消えてんな。わかった。お前の話は信じよう」

「有難う御座います!」

 剛流は脱力めいて再土下座。同時に、長狭谷のそばに痩身そうしんの男が接近し、静かな声で耳打ちをした。鍔広つばひろの黒いハットを被り、円環状のバイザーを装着した男は小さく長狭谷に一礼。

「報告します。死亡した襲撃者の身元が特定できました」

「ああ。どこのどいつだ」

「こちらに」

 男が空中をフリックし、長狭谷がタップする。三本トゲの義眼を動かす長狭谷に男は続ける。

「全員二十代前後。住所はまばらですが、おおよそ千代田区から品川区付近。通信ログは軒並み削除されておりました。現在サルベージ中ですが、契約会社の関係で難航しそうだ、と」

「金積めそうなら積んでやれ。できなきゃクラッキングしろ。何があっても探し出せ」

「はッ」

 小さく礼し、男は滑るように下がっていく。長狭谷は空中を払うようにフリックすると、剛流の方へ視線を戻した。

「さて、剛流。今回の一件、お前にも一理非はある。わかってンな?」

「も、もちろんです! セキュリティ管理を怠りました!」

 何度も頷く剛流に、連合の長は平淡に言う。

「今までの功績も加味して、今回は不問にしてやる。ただし条件付きでな」

 剛流は皮膚から汗が引くのを感じ取った。動悸どうきが収まり、心臓のビートが元に戻るのを感じながら、サングラスを押し上げる。この状況で言い渡される条件は、ひとつ。

「落とし前……ですね?」

「そうだ。失くしたブツ……この際ガキは死んでもいいが、あれはなんとしても欲しい。攻めてきたガキ連中は一人残らず血祭りにあげて見せしめにする。探す当てはあるんだろうな?」

「当然です。さっきの映像、見て頂けますか」

 言いながら、剛流は監視映像ファイルからコンテナ内部の映像を取り出して再生。あの少女が消える寸前の状況を映したそれを早送りしていくと、発光ケーブルで縛られた少女は突如青い光に包まれ、弾けるようにして消えた。はらりとケーブルが落ち、二拍ほど遅れてコンテナ内に押し入る目出し帽の男。

「ウチ、連れてきたガキが逃げないように特注の首輪嵌めとくんです。いつもはしつけ用に使ってるんですがね?」

「首輪つけたガキを探しゃあいいのか。GPSとかねえのか」

 痛いところを突かれた。バツが悪くなり、剛流は後頭部をかきながら頭を下げる。

「あー、それがそのー……脱走防止の機能はつけてあるんですが、さすがに消えられんのは予想してなくて。だから今、無事な連中に街灯使って探させてます。もうじき結果が出んじゃないかと」

「そうか。追跡はどうする」

「ハッキングさせた面子にそのままやらせようかと。なにぶん、さっきの出入りで何人かケガしちまって人手が……」

 剛流が言い終わる前に、長狭谷は胸元からペンを取り出した。義眼のトゲ一本をうごめかせると、ペンの尻を二度プッシュ。数秒と経たず、警官二人が長狭谷の両隣に駆け寄った。捜査の名目でここに駆け付けた警官は、全て連合の息がかかった汚職警官だ。長狭谷が冷たく命じる。

「ガキが一人逃げた。こいつの指示に従って生け捕りにしろ」

「はっ」

「こいつらを貸す。何があっても捕まえろ。ブツ云々は抜きにしてもだ」

 剛流は口元を引き締め、重く頷いた。チンピラの襲撃を受けて打撃を食らい、商品に逃げられ商売に失敗。そんな話が出回れば、自分の面子は丸潰れ、上に泥を塗り込むハメになる。あまつさえブルージェットによる大惨事の後。これ以上ナメられればお終いだ。

 改めて危機感をつのらせる剛流。その時、彼の耳奥に電子的な着信音が轟いた。立ち上がり、長狭谷に頭を下げる。

「す、すいません。ちょっと連絡が……」

「出ろ」

「失礼します」

 ズボンをはたきながら視界に浮いたCALLボタンをタップ。右上に小さくポップするSOUND ONLYの文字列をにらみ、頭の中で問いかける。

『どうした』

『社長、例のガキを見つけました。場所はすぐ近くで通りを……誰かとタクシーで移動中!』

『なんだと……!? 映像寄越せ!』

『すぐに!』

 三秒ほどで出現した映像を、剛流は顎下を指で一直線になぞって映像を凝視した。通話が途切れ、体感時間がクロックアップ。ゆっくり流れる鳥瞰風景ちょうかんふうけいに映るのは、スーツ姿の青年と幼女が、オーバーオールにマフラーを着けた少女を連れてタクシーに乗り込む光景の一部始終。青年に手を引かれ、タクシーに入る少女の顔は、忘れもしない商品の顔。

『クロックアップ、解ィィ除ッ!』

 体感時間が戻ると同時に剛流は映像を指で縮小。視界端にずらして長狭谷を振り返った。

「ガキが見つかりました! ただ、妙な連中と一緒にいまして!」

「見せろ」

 すぐに縮小した映像をフリックし、右上のKEEPの文字列をたたく。保留された通話が再開。

『こいつらの身元は!』

『調べていますが……情報にロックがかかってます! かなり高度なセキュリティで……』

「ロックだァ……!?」

 部下の報告に剛流は奥歯を噛みしめた。警察と癒着した長狭谷連合は、他人の個人データにアクセスできる。氏名・年齢・住所と略歴、現在の職業だけなら閲覧は自由。それができないということは……剛流は即座に判断を下す。

『じゃあタクシーのルートを探れ!』

『了解しました!』

 SOUND ONLYを指で弾き飛ばして通話を終了。顔を上げると、長狭谷が渋い表情で腕を組んでいた。

「お待たせしました! 今、ガキ共のタクシーを追跡中です」

「身元は」

「まだです。なんでも、ロックかかってるとかで……」

 報告する剛流の口に苦い味が広がっていく。

 個人情報が守られるのは、基本的に司法のトップや閣僚、裏社会で高い地位を築いた人間のどれか。しかし、高い地位の人間が道端の子供を拾うとは思えず、加えて映像の二人は見た目があまりに若過ぎる。あるとすれば、名高い裏組織の子息という可能性だが……。

 長狭谷は胸ポケットのペンを引き抜き、もう一度ボタンをプッシュする。一分と経たず歩いてきたのは、先の鍔広の帽子に円環状バイザーの男。男は長狭谷から二歩離れた距離で一礼し、一歩前に踏み出した。

「お呼びでしょうか」

「左右田、さっきの命令は撤回だ。こいつの手伝いをしろ」

「御意に」

 即座に承諾した男の肩を気安く叩き、長狭谷は背を向けた。肩越しに三つトゲの義眼が剛流を見つめる。

「俺は一度事務所に戻る。後は任せたぞ」

「ははッ!」

 直角に腰を折った剛流は離れていく靴音を耳にする。最後に見えた上役の横顔。無言の内に放たれた完遂の指示を、彼は焦燥と共に飲み込んだ。

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ルヴァード×ヘリュテュアレー 闇世ケルネ @seeker02

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