第259話・『いただきまーす、めしあがれ』

サエズリは目の前で起きた光景を理解出来無かった、集落で一番の戦士であるテレルルお姉ちゃんが異形の姿になって戻って来た。


それ以降の記憶は曖昧で希薄なモノだ……お母さんが逃げてって言ったような気がする、何から逃げるのだろうか?だってテレルルお姉ちゃんは集落で一番の戦士なんだよ?


サエズリ達を護ってくれるのにどうして逃げる必要があるの?絶叫、悲鳴、断末魔、長い耳が捉えたのはそんな声、何時までも何時までも耳の中に木霊している、消え去れ消え去れ消え去れ。


あの光景を思い出すな、そして森の中で震えていたサエズリの前に長老が現れた、何時もの長老だ、長老はサエズリの事を頭が良いと言って褒めてくれた、だから様々な事を教えてくれた、嬉しかった。


だけどあの長老は違った、何故だろう、見た瞬間に全身が震えてしまった、この人はサエズリを見ていない、他の誰かを見ているし他の誰かの為に動いている、今までの聖女のような長老では無い、瞳には明確な意思が感じられた。


大きくなったらエルフの歴史を書物にしたい、そう言ったサエズリを抱き締めてくれた長老、色んな事を教えてくれた大切な人、だけどあの絡み付くような視線は何だろう、恐ろしい視線、ヘビのような視線、餌を餌と見ている視線。


あれは本当に長老だったのだろうか?サエズリは何か悪い夢でも見ていたんじゃないかな、しかしこの深く暗い森がそれが現実だと告げている、魔物の住まう範囲にまで足を運んでしまった、どうしてこんな事になったの?


「長老にやっぱり会おう、この寒気はきっと間違いだもん、集落の状況も確認しないと」


「賢いですねサエズリ、その年齢で状況と立場を理解している、薄気味悪い子供です、頭が良いだけならまだしもここまで逃げる行動力、子供が持っていて良いモノではありませんよ」


「あ」


「賢いです賢いです、賢い女の子は脳も発達しているから食べ応えがありますね」


「ち、長老、ここには魔物が多く生息しているんだ、一度集落に戻ろう、テレルルお姉ちゃんもきっと」


「そして人を思い遣れるのは美点です、心も美味しいですね、貴方は素晴らしい、余が育てた三番目の餌」


「ちょうろう?」


ひょっこり、小さな体を揺らしながら木々の隙間から顔を出す長老、年齢的にはサエズリと変わら無いように見えるけど悠久に近い時を生きているらしい、その足取りが奇妙に軽い事に違和感を覚えてしまう、ああ、長老だって集落の状況を知っているはずなのに!


みんなの断末魔を聞いたはずなのにこの足取りはおかしい、まるで見た目そのままの子供が森で遊んでいるようなそんな足取り、大好きな長老のはずなのに自然と後退してしまう、魔物が巣食う森の方がマシだと体が告げている、どうして?長老は何時もと変わらないのに。


何時もと変わらない美しい長老、その足取りは何処までも軽い、背中に羽が生えているようなそんな感じ、あんな災厄に遭遇してどうしてそんな風に振る舞えるのだろうか?まったく理解出来無い、理解しようとも思わない、後ずさる、怖い、優しい長老が怖い。


「おいで、キョウがお腹を空かせて待っています」


「ちょ、ちょっと待った、何を言ってるの?こ、ここからまずは去って」


「おいで、キョウが泣いている」


「泣いて、え」


脳裏に直接流れ込んで来た映像、瞼の裏で光が弾ける、必死で意識が途切れないように歯を食いしばる、家族の事を考える……そう、ここで気絶するわけには行かないのだ、もしかしたらまだ生き残りがいるかもしれない。


最後まで希望は捨てたく無い、それなのに弾けた光の巨大さに驚いてしまう、世界観が変わるような強烈なイメージ……一人の女性、人間だと17~18に見える少女だ、大人と子供の境目に立つ美しい少女、そんな映像。


何故か恭しく頭が垂れる、体が勝手に屈服してしまう、降伏してしまう、自分の意思では無い、肉体が喜びに満ちて精神を汚染する、嬉しくなるような錯覚、嬉しく無い、だって集落があんな事になってッ、こうやって生き延びてっ。


何一つ喜ばしい事は無い、なのに、どうして耳がピコピコと動いてしまうのだろうか?どうして涙が溢れてしまうのだろうか???悲しみの涙ならわかるけどコレは違う、喜びの涙、土下座する、本で読んだ事のあるソレ、土下座?


圧倒的な尊崇高貴な対象に恭儉の意を示す肉体、それが少しずつ少しずつサエズリの精神に働きかける、何を、何をしてるんだろ。


「余の育てた餌は本当に躾が行き届いていて素晴らしい」


「なんだ、ロリの土下座か、見たくねーわ」


「キョウ、サエズリは大変に優秀な子供です、この年齢でもう学術書も読めるんですよ?」


「へえ、どうして土下座してるんだ、言え」


美しい女性、何だろう、どうしてこの人に土下座をしているんだろう、じりりりりりり、精神が焦げる臭い、臭い、臭い、臭い、良い匂い、良い臭い、匂い、臭い、サエズリの心が焦げて剥がれてゆく。


長老の事なんて既に視界に無い、様子を窺うように上目遣いになる、あああ、この人はだれ?エルフじゃない、耳が丸い、だったら人間?エルフなんかよりも遥かに美しい少女、エルフなんか、なんか。


取るに足らない?


「言え」


「あぁあ」


「可愛い声だなァ、へえ、お前頭いいのか、でも一部はもういい、お前は餌になるだけだ」


「あ、貴方は―――」


「キョウ、お前達エルフの王様だ、えっへん」


「キョウの仰る通りです、サエズリ、このお方はエルフを統べる王です、わかりますか?賢いのでしょ?」


長老の言葉には何処か棘がある、まるでこの人とサエズリが話しているのが気に食わない?そんな子供じみた人だっただろうか?


顔を上げた瞬間にその人の顔が目の前に、真っ白い肌―――――真っ白い、口が大きく裂ける。


「いただきまーす」


「光栄です」


嬉しそうにはにかむその人、あ、可愛い、自分の台詞と思えない台詞が口から零れた。


それがサエズリの最後の言葉だった。

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