第230話・『恋文墓の氷』

激しく動揺する、理由としてはそこにある物が無いからだ、あるべき物が無い、カタカタと奥歯を震わせながら周囲を見回す。


生活の痕跡はある、そして私と過ごした時間を感じさせる痕跡、だけどそこには誰もいない、いるはずの者が存在しない、あの怪我で逃げられるはずが無い。


獣に襲われたのかと疑ったが山小屋の中は特に荒らされた痕跡も無い、夕焼け色に染まった室内は何時もと何一つ変わらない、そこにあるべき物が無い、『者』が無い。


そう、あの日から彼女は物では無く者になった、気紛れで拾ったと思っていた存在はちゃんとした人格を有していた、そしてそれに強く惹かれた、彼女は決して物では無い。


ああ、ペットですら無い、一人の人間として愛してたのにっ、冷静に冷静に分析する、考えられる可能性は二つ、彼女に仲間が存在していた……集落の誰かが彼女を攫った、心に冷たいモノが走る。


「…………どちらにせよ、奪われたのか、私は」


前者だとすれば絶望的だが後者だとすればまだ希望はあるはずだ、そもそも集落の者は顔見知りばかりだ、一人一人会って探る?いや、それよりもどうして彼女が奪われたかだ、彼女の価値がわかる者がいる?


可能性として高いのはキョウと自分の戦いを見ていた者だ………あの時の構成を考える、十人、無論自分は除くとして九人か?その中に犯人がいるとして、いや、たまたま立ち寄った者が彼女を攫った場合もあり得る。


だけどここはエルフの集落の者でも一部の者しか知らない、さらに違和感が強くなる、昨日の晩から今の時間に掛けてこの山小屋に侵入した者、冷静になれと言いながら嫉妬心で思考が激しく乱れる。


「あの力を欲したか、あの美しさを欲したか」


「違いますわ、戻るべき所に戻っただけですわ」


「――――誰だ、キョウの仲間か?」


「仲間、そのような関係ではありませんわね、伝言を貴方に」


瘴気と魔力によって全身に緊張が走る、最初に戦ったキョウと同じ醜悪な気配……エルフとは正反対の魔に属する気配に息を飲む、しかし緊張しながらも何処かで期待している自分がいる、キョウが私に伝言を残してくれた?


それは私と一緒に居たいって事では無いのか?それは私が特別って事では無いのか?この伝言を受け取って選択する事で私の人生は大きく変わると何故か確信する、この集落に未練は無い、そもそもは他所者なのだ、居るべき人間では無いのだ。


白魚のような腕が手招きしているのがわかる、キョウの腕、細くて柔らかくて少し力を入れたら折れてしまいそうなか細い腕、そうだ、逃げたわけでは無い、キョウには理由があるのだ、私の元から居なくなったのには理由が存在する。


「長老と妹を捧げろ、ですわ」


「長老と……妹を、捧げろ?」


「エルフライダーは可哀想な生き物ですもの、貴方は知らないでしょうけど、食事をしないと死んでしまうのですわ」


「し、え?」


「エルフライダーはエルフを捕食しないと生きていけない生き物、ここで貴方がどれだけ監禁して果実を与えようが無駄な事なのですわ、ふふ」


「き、きょうが、し、し、しぬ、え、しぬのか、死ぬ、食べないと」


「ええ、元々はそれで立ち寄ったのに貴方が邪魔をするから少しずつ弱ってます、貴方のせいで、折角十人も餌がいたのに」


「しぬ、あのこが」


「ふふ、ママを殺すのは貴方」


「いや、嫌だ、私はあの子をっ、あの子を」


「ママを救うのも貴方ではありませんの?ママは貴方はお腹が空いたら果実をくれる優しい人だと言ってましたわ」


「ち、長老と妹以外は駄目か?」


「駄目ですわ、シスターが教えてくれた夢見の力が欲しいのです、別に他のエルフを差し出しても良いですが単純に貴方が嫌われるだけですわよ?」


「わたしが」


「ええ、エルフライダーは望んだ者しか口にしませんから、その二人を食べたいと言っているのですわ」


少女の言葉は何処までも残酷だ、キョウとどのような関係にあるのだろうか?……絹の法衣を纏った煌びやかな格好をした少女はキョウをママと呼んでいる、宝剣に王笏、王杖、指輪、細かい刺繍の入った手袋、様々な情報が視覚から一気に流れ込んで来る、絵物語の王女のようだと心の中で思う。


ゆるやかで幅広な広袖のチュニック、十字に切り取った布地の中央に頭を通す為の穴を開けてさらにそれを二つ折りにして脇と袖下を丁寧に縫ったものだ、肩から裾に向かって二本の金色の筋飾りが入っている、どれも高価な代物だ、この少女は一体?


「ああ、名乗るのがまだでしたわね、ママは礼儀には細かいので、ママの一部の墓の氷ですわ」


「一部?キョウの一部と言ったのか?」


「そうですわよ、もし上手に餌を提供出来たのなら貴方も一部にするとママが仰ってましたわよ……あの美しいママの一部になれるのです、永遠に一緒に」


「あ」


筋状に裁断した別布を縫い付けている、袖口にも同じ色彩の筋飾りが縫い付けられている、本繻子(さてん)と呼ばれる繻子織(しゅすおり)で編まれた素材、経糸と緯糸の五本以上の糸で構築される織物組織の一種だ、経糸と緯糸のどちらかの糸の浮きが極端に少ないのが特徴的だ、経糸か緯糸のどちらかだけが表面に見えるのだがその職人技に驚く。


エルフの裁縫技術には無い代物だ、知識だけで知っている、密度が濃く層も厚い、さらに柔軟性もあるらしい、中央では高値で買い取りされると聞いている、光沢が恐ろしい程に強く服の形をした宝石のようだ、唯一の欠点は摩擦や引っかかりに弱い所だ、欠点と言える欠点はそれだけで非常に優秀な衣服。


そしてその豪華絢爛な衣服に劣らない幼女の美しさ。


「お誘いしてるって理解してらっしゃるかしら?ママは貴方が良いと言っているんですもの」


「私が、良い、私を一部に?」


それがどのような意味なのかはわからないがキョウと永遠に一緒にいられる?


「選ばれた自覚があるのでしたらやるべき事もわかるはずですわよ、ふふっ、貴方、ママにメロメロですわね」


「う、裏切れと言うのか、育ての親を、義理の妹を」


「ママは裏切れと仰ってますわね」


青色のサテンは鮮やかな光沢を放ちながら彼女の幼い体を包み込んでいる、裾の隙間から紅色のサテンが見える、裏地に付けて作られているようだ、薔薇の縁飾りを付けて三日月の紋章が刺繍されている、それ以外にも多くの箇所に金糸刺繍がされている。


首を僅かに傾げると頭部にある小さな王冠が僅かに傾く………アーチやキャップが無い、内部被覆が皆無な独特の形状、サークレットと呼ばれる王冠だ、素材は銀だろうか?幼い少女がするには不相応だと思うが何故か自然と馴染んでいるようにも思える、キョウの一部である彼女には相応のものだ。


肌は雪のように白い、いや、氷のように透明度のある白さだ、不純物を一切含まない水を凍らせる事で出来た氷、産毛すら見えないきめ細かいその肌は透明度が在り過ぎて生物のものとは思えない、最初に感じた違和感はコレだ、見た目は美しいのに瘴気が凄まじいのだ。


「魔物なのか?魔物すら一部にしてキョウは平気なのか?」


「状況が理解出来たらすぐにママの心配とは感心しますわね、平気ですわよ、エルフライダーは雑食ですもの、でもエルフを食べないと死んでしまう、代替えは無理ですもの」


明るい薄青色の瞳はやや切れ長でこちらの心の中を覗くように細められる、人間の姿をした高位の魔物、遭遇するのは初めてだ、最初から彼女と行動を一緒にしていれば私に捕縛される事も無かったのでは?キョウは私に捕まりたいから一人で行動していた?


ああ、可愛い奴だ、露草色(つゆくさいろ)のその瞳に視線が集中する、路傍や小川の近くに生える可憐な露草(つゆくさ)と同じ色合いをしていて実に綺麗だ、キョウはこの幼女を愛でているのだろうか?私も一部になれば愛されるのだろうか?


「二人を捧げればキョウは死なないのか?」


「死なないですわね、お腹が一杯になって可愛らしくげっぷをしますわね」


「み、みた、い」


「ふふ、あらあら」


露草はその花や葉の汁に布を漬ける事で素晴らしい色彩に染める事が出来る、古名も様々あり、着き草や月草や鴨頭草とも呼ばれる、『うつろう』や『消え去る』の意味合いを持つその花の色彩は健気で実に愛らしい。


そんなキョウの愛らしい一部がちゃんと私の行く末を誘導してくれる、夢遊病者のような足取りでそこを歩く、捧げれば可愛いげっぷが見れる、お腹一杯になって微笑むキョウが見れる、私はそれが見たい、私が初めてしたいと思えた事。


墓の氷と名乗った一部、その髪の色合いも草花に由来している、可憐で明るい青色、勿忘草(わすれなぐさ)の色彩、瞳の色も髪の色も清楚で可憐だなと感心する、キョウはこんなにも美しい下僕を私の元へと送ってくれた、それは恋文と同じだ。


絶対に同じだ。


「げ、げっぷをする、あの子が可愛らしくげっぷするのが見たい、私は、どうなってしまったんだ、どうしてこんな事に」


「けぷぅとそれはそれは可愛らしいですわよ、貴方の育ての親と妹を捕食した時はどんな風に鳴くのでしょうね」


口調に反したクールなショートヘアーも愛らしい、毛先に遊びが出るように左右に振っている、この愛らしい恋文に私は屈服してしまうしかない。


これで良いんだろ?キョウ。


「さ、捧げる、私に捧げられるモノは全部っっ!」


「じゃあこれを食べるのですわ、ママのお肉です♪」


びち、びちちちちち、びちちちちちち。


巨大なミミズのようなモノを掴んだ彼女が笑った。

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