第226話・『ヒヨコは何時までもヒヨコのままで、キクタは何時までもキクタのままで』

幼い時から憧れていた、何時も背中を追い掛け回していた、親友からはまるでヒヨコのようだと笑われた。


この人の背中を追い掛けられるならヒヨコでも何でも良い、お姉さまのご両親はこの集落の人間では無い、長老の親戚の子供らしい。


偶然立ち寄ったこの集落で事件に巻き込まれて命を落とした、全てが不幸としか言いようが無い、集落の者は差別しなかった、どちらにせよ両親を失ったのは同じだからだ。


そもそもソレを発表したのは長老だ、皆で焚き火を囲いながら他愛無い話をしている時にだ、どのような流れで口にしたのかは覚えていない……お姉さまは以前から知っていたのか黙って頷いていた。


子供心に何て酷い事をする人なんだろうと思った、黙っていればその事実を知る者はいない、当時子供だった者達の記憶は曖昧で不確かだ、姓を忘れた者も多い、全てを失った後に長老が再構築したのだ。


長老の言葉が事実である証拠が何処にあるのだろう?そしてお姉さまが差別されるように会話を誘導したのはどうしてだろう?集落の者や特にお姉さまは長老を盲目に信じ過ぎる傾向がある、しかし自分は慧十十(えとと)は違う。


育てられた事に恩義は感じない、長老とその周りの者に何とも言い難い不快感を覚えていた、8歳の時にこの集落を抜け出そうとして魔物に襲われてお姉さまに救われた、そこから義理の姉妹になった……少しだけ年上の彼女は自分のヒーローだった。


だから背中を追い掛けた、何度も何度も倒れても倒れても、お姉さまを追い掛けている間は幸せだ、この集落の異常さを忘れられる、お姉さまはその資質を見出されて特に厳しく長老に躾けられた、愛犬のように、番犬のように、己の忠犬になるように。


誰もソレを疑問に思わない、この集落の者では無いと皆の前で発表した癖に、それにより孤独を深めたお姉さまはさらに長老に忠実になった、そして慧十十と距離を置くようになった、仕舞いには疎まし者を見る目で慧十十を見るようになった。


今回のエルフライダーの件も同様だ、何処からどう聞いても魔物以外の何者でも無いのに魔物では無いと断言する………そこは断言する癖にその正体を教えてはくれない、それなのに命を失う様な危険な任務だと平然と口にする、皆もそれを平然と受け止める。


この集落は何だ?長老の下僕によって構成された素敵な楽園か?あの幼い少女は巧みな手腕で集落を盛り上げて発展させている、そしてエルフである誇りを売り渡して人間に媚びている、何もかもが彼女の掌の上だ、少ないながらも同志を集めて活動を開始した。


別に現状をどうしようだとかそうでは無く、事実を語って欲しいだけだ、18年前にこの集落で何があったのか?そして今回のエルフライダーと呼ばれる化け物の襲来を予期して置きながら情報を小出しにして曖昧にしたのはどうしてなのか、あの化け物の姿が浮かぶ。


「美しかった、美し過ぎて怖かった」


あれは何だったのだろう、この集落に訪れる人間とは根本から違っていた、魔物よりもおぞましくエルフよりも美しく人間よりもエゴに満ちた存在………全身に突き刺さった矢を自力で体内から排出しながら彼女は笑っていた、とても嬉しそうだった。


恐ろしい身体能力で一瞬で距離を詰められた、そして奇声や意味不明の単語を発しながらお姉さまに襲い掛かった、加勢したかった、何だかとても良く無い予感がした、このまま二人を一緒にしていると何か不吉な事が起こるような、それはお姉さまの死では無い。


それよりももっとおぞましい様な、自分はあの長老の血に連なる者らしい、一瞬見えたように感じた不吉な未来、それは映像としてでは無く印象として脳裏に刻まれている、不完全な夢見?しかし誰にも打ち明ける事はしない、それが長老に知られたらどのような事になるかっ!


「しかしあの化け物をお姉さまが一人で退治した?それこそバカなっ、あり得ないよっ」


全身に矢が突き刺さろうがピンピンしていた、体に幾つも空洞を作りながらそれでも美しさを損なわない、エルフは神に愛された種族、あらゆる亜人の中でも最も美しいとされている、それは種族間の感性の違いを容易に飛び越える、故に様々な種の権力者はエルフを妻に欲する。


だがエルフの結束は固い、手に入れられるのは何か理由があって里を失ったエルフだけだ、例え泥に塗れようがノミを飼っていようが洗って着飾れば絶世の美少女の完成だ、だからこそ誰もがエルフに手を伸ばす、そうだ、エルフの言い伝えにもある。


記録に残らないような遥か昔に魔王を倒したエルフの少女の伝説、彼女はエルフでありながら勇者であったらしい、神に愛されし種族であるエルフ、神に愛されし英雄である勇者、その二つを同時に得た類稀なる勇者の伝説、短命の人間の世界では既に失われた伝説。


キクタ、そう、キクタと言ったか、お姉さまが憧れた勇者の名前、しかし彼女が魔王を滅ぼした後に行方を眩ませた、エルフの英雄でありながらエルフの輪に入る事を嫌い一人の少女を追い求めたらしい、その執念たるや凄まじく彼女が残した秘術や技術はエルフ達によって秘匿されている。


人体実験、それこそ同族であるエルフを用いて行った実験、彼女は勇者でありながら悪魔でもあった………お姉さまは全く信じていなかったが長老は真実だと語っていた、キクタの英雄としての伝説を信じる者と残された遺産を見てその残虐性に恐怖する者、結局人は認めたい事実だけを認めたがる。


お姉さまが長老の事を信じ切っているように、しかしここ数日は違和感がある、そう、長老の元へと足を運ぶ回数が減った、見回りをする意欲が減った、何か大量の食べ物や娯楽品を手にして集落の外へと足繁く通っている、一体何をしているのだろうか?」


「……騙されている、騙されているよ」


お姉さまが騙されているのか慧十十達が騙されているのか定かでは無い、しかしエルフライダーを屠った事でお姉さまは英雄視されている、多少の違和感があろうが誰も聞こうとはせずに黙って見守っている、そもそもお姉さまは誰とも深い関係になろうとはしない。


この集落の者とも壁がある、それは長老があの日あの時にあんな事を言わなければお姉さまも孤独に徹しようとは思わなかったはず、既に一日は終わりを迎えようとしている、皆が自分の仕事を終えて安らいだ顔を見せている、しかしお姉さまの姿が見当たらない。


表門では無く裏門、きっと何処かに出掛けるはず、門番に渡すには少し高価過ぎる代物だったが情報を聞き出しておいて良かった、昼の見回りはサボり気味な癖に一人で夜の見回りに出掛ける?違和感しか無い、お姉さまは何処に行こうとしているのだろうか?


まったく慣れない様子で多くの果実を手にしたお姉さまが足早に裏門に向かっているのが見えた、それを誰に渡すの?


「お姉さま」


声を掛ける、振り向いた瞳は既に拒絶では無く憎しみすら垣間見えた。


何処へ行くの?そんなにも多くの荷物を抱えて、そんなにも敵意に満ちた瞳をして何処へ?………慧十十を置いて。

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