閑話160・『この時間だけは下さい』

「さ、流石に痛いナー」


「それだけ噛まれたら当然でしょう?ふんっ、アンタに子守りが出来たとはね」


「嫉妬するなら包帯をもっと巻いて欲しいナー、この街での傷は現実世界に反映される、いたたたっ、キクタっ!このバカっ!」


「騒ぐな、キョウが起きる」


あれからキョウは呵々蚊に飛び付いて猫のように遊ぶ事を強請った、会話は出来無い、しかしその全てに応える呵々蚊、キョウの鋭く伸びた爪で肌を蹂躙されても笑顔で対処する。


灰色狐の細胞ね、能力は使えなくても細胞を活性化させればその位の事は出来るか、キョウの新たな習性に納得しつつ呵々蚊の手当てをする、こいつの手当てをするなんて何年ぶりかしら?


旅に出てからもこいつが怪我をした記憶は無いわね、路地裏に居た頃も要領良く振舞っていたし身軽な体を利用して様々な悪事を働いていた、包帯をきつく締めると絶叫するので面白い。


呵々蚊の膝の上で眠るキョウの顔は遊び疲れた子供のソレだ、心の中でお疲れさまと呟く、アタシと呵々蚊が揃った事でキョウの精神が大きく揺さぶられた?いや、それなら一度目の邂逅の時も同じ条件だ。


既にキョウがエルフライダーとして飽和状態に入っていてからの邂逅がまずかったのか?どれが原因なのかわからないしどれが原因とも思えない、それはキョウの心の中にあるもの、三人で仲良く談笑した事?


それが過去の記憶を思い出させて一気に退行させたの?


「怖い記憶はもう大丈夫ナー、キョウ」


「アンタ」


「あの後、どうしてキョウが死んだのかナー、ふふ、そしてこうやって生まれ変わって何度も苦しんでいる、見ていられるか、こんなの?」


「それは」


「完全に殺せる方法も見付けたナー、もう苦しむ事も無いナー、なのにどうしてキクタは邪魔をする?」


紫檀(したん)や紅木(こうき)のように赤みの強い紫黒の髪がサラサラと肩に流れる、呵々蚊の声音は何処までも優しい、キョウだけでは無くアタシをも包み込もうとしている、余計なお世話よ。


眉の上で一文字に切り落とされた前髪、腰の辺りで同じように直線に切られた髪、全てが整然としていて面白味は無い、だけど色合いと合わさってとても綺麗、キョウが褒めてくれてからずっとその髪型よね。


紅染を基本としてその上に檳榔子(びんろうじ)で黒を染み込ませる事で完成される色、その髪の色に少し憧れもあった、キョウが良く褒めていたのを聞いていたからね、今更何を思い出しているのだろうか?


明るく濃い青紫色の瞳は全てに対して達観しているような薄気味の悪さがある、年齢は10歳ぐらいなのにその瞳の奥にある知性や経験が僅かに表面に出てしまっている、ふふ、しかしそこには母性がある、キョウに対する母性。


「そんな顔をして邪魔をするも糞も無いでしょうに、自分を殺してとキョウが言ったんでしょう」


「そうナー」


「アタシの大好きなキョウはそれを言える女の子だったわ、レイの付属品ぐらいにしか自分の事を考えられない学の無い女の子」


「あの路地裏で育ったナー、あまりキョウを悪く言うナー」


「いいえ、アタシが言いたいのはアンタよ……アタシの好きだったアンタはキョウのそんな願いを聞き入れるような奴では無かった、それでも生きろと言うのがアンタだった」


「お前」


「何があったの?」


二藍と呼ばれる色合いをした瞳、紅、または紅藍(くれない)とも書かれるその色に藍を合わせた事で二つの色合い=二藍と呼ばれるようになった。


昔と同じその瞳に浮かんだのは今まで呵々蚊がアタシに見せた事の無い感情だ、悲痛なソレがアタシに何かを伝えようと微かに光る、こいつはキョウの何を見た?


「言えない、ナー、キョウは………あの時のキョウは呵々蚊だけのものナー」


ゆっくりとキョウの頭を撫でる、呵々蚊の作務衣に頬を寄せてキョウは嬉しそうに笑う、嫉妬はしない、だってこいつはもう諦めている。


こいつがキョウを手に入れる事は無い、大好きで愛していたのにキョウを手放している、キョウのお願いの為にキョウを手放している、酷い矛盾だ。


「お前は一度でもキョウの全てを手に入れてキョウの一番になれたんだナー、だから……死を願うキョウぐらい呵々蚊にくれよ」


「っ」


「……お願いだから、お願いだから」


それはとても寂しい呟きだった。

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