第116話・『主人公にあいつを殺してと言われて』

ターコイズブルーを基調とした街並み、海沿いに続く断崖絶壁が圧倒的な存在感を誇示している……海岸線は複雑に入り組んでおり壮大で優雅な光景を見せつけくれる。


険しい岩壁の続く地形は住むには困難な土地だと容易に想像出来る、様々な作物の段々畑が広がっていて鮮やかな緑を太陽の下に晒している……果樹園や放牧地も広がっていて目に楽しい。


紺碧の海に映し出された光景はまるで絵物語の中の世界だ、グロリアに手を掴まれているので足を止めてゆっくりと観光も出来ない、何が何でも俺を休ませる、グロリアはそう言った。


「グロリアぁ、宿も決まったんだし、何を急ぐ必要がある?」


「ああ、すいません、食事を………」


「急ぐ必要はねぇだろ?ほら、あんまり引っ張るから手が赤くなっちゃった」


「す、すいません、気付かなかったです」


「ご飯は逃げないぜ?」


「………少し無理をさせ過ぎたので少しは贅沢を……そう思って」


グロリアらしく無いぜ?何時ものようにドーンと構えてて欲しいがどうやら俺の体を心配してくれているようだ、最近何かヤバい事したっけ?思い出せない、娘二人と母一人、素敵な時間が流れただけで何も無茶はしていないぜ?


エルフライダーの能力も使って無いよな??そもそもエルフライダーの能力って何だっけ?全てが彼方へと消える、んふふ、大丈夫だよぉ、最近は情報が多い個体を取り込み過ぎたからねェ、少し忘れてすっきりしちゃおうよ。


キョウの声は蜂蜜のように粘度があって凄まじく甘い、聞く者の脳味噌を蕩けさせる、それはとても心地よい甘美な時間、もう一人の自分、二重人格よりも近い性的な衝動で切り替わる反応としての自分、汗を流すように息をするようにキョウはここにある。


「ありがとう、嬉しいぜ、贅沢って何にする?」


「取り敢えず街を回って決めようかと、何だかスッキリした表情ですがどうしました?」


「キョウが色々と不要なモノを消してくれたんだっ、すっきりしたぜ」


「キョウさん、それは―――――」


「だからグロリアを心配させないで済むぜ」


「そうですか、そうですよね、貴方はそういう人でした」


青と緑の半々に溶け合ったトルマリンを思わせる美しい瞳が探るようにゆっくりと細められる、優しそうで悲しそうでその複雑な感情の波が読み取れない、グロリアは頭が良いから思考も複雑だ、俺のように単純明快な思考だったら生きるのも楽なのにと思ってしまう。


こうやってもう一人の自分に記憶を管理して貰えば俺は何も悩まなくて済むだろ?誰にだって生理的に切り替わるもう一人の自分がいるものな?ベールの下から覗く艶やかな銀髪を片手で遊びながらグロリアは下唇を噛み締める、不快感、焦燥、そんな感情。


紺碧の海に向けて垂直に落ちる凄まじい崖の上に建造された港町、洗練された町並みが気分をわけも無く高揚させる、どうしてこんなに美しい街に来て落ち込んでいるの?俺はいらない記憶を消去してこんなにもスッキリしているのにおかしいな、グロリアの手を引く。


「行こうぜ」


「ちょ、ちょっとキョウさんっ!」


「わはは、さっきの仕返しだぜ、頭が軽くなって体も軽いぜ」


「キョウさんは少し痩せ過ぎなのでもう少し食べないと駄目ですね」


「冗談だぜ!?グロリアを見ていると食べてもあんまり変わら無いような気がする」


漁を終えた漁師の一団が大声を出しながら食事を楽しんでいる、おしゃべりに花を咲かせる光景は見ていて楽しい、この地域の気候が温暖なせいか誰の表情も晴々としている、そんな中でグロリアだけ辛気臭い顔をしていて何だか切ないぜっ!


そもそもここら辺は急な斜面ばかりで平地がほぼ皆無だ、土地も痩せ細っているし緑も少ない……そんな土地を人々は長い年月をかけてこのような楽園へと変化させた、急斜面の恐ろしく固い岩盤を何度も叩いて砕いて石垣を築き、岩盤を砕いた時に出た砂を土壌にした。


その努力には頭が下がる、グロリアの白くて細い華奢な手を引きながら街の中を観察する、何だかグロリアの頬が赤い、目も潤んでいる、こうやって俺が主導で何かをする時は黙って従ってくれる、二面性とまでは言わないがグロリアも中々に複雑な娘なのだ。


「母乳ばっかり吸われて栄養が奪われているからな」


「しかしその母乳を飲んでも私の体に変化はありません、残念です」


「の、飲むとか言うなよっ!周りに人がいるんだぞっ、は、恥ずかしい事を言うの禁止」


「キョウさんの母乳を飲んでいるのは事実ですし隠すような事でも無いでしょう?お互いに好いているのですから」


「す、好いて?吸いて?」


「おーい、戻って来て下さいキョウさん」


恥ずかしさで混乱して動揺のままに両手を意味も無く動かす、ぶんぶんぶん、それに付き合わされる形でグロリアの腕も上下する、誰にも聞かれていなかったようで少し安心する。


繋いでいない方の手で胸を触る、微かな膨らみ、グロリアのと見比べて溜息を吐き出す、俺の方が胸があるだなんて認めたくない現実だぜ、どぉする?それも嫌なら改善しちゃおう?キョウの囁きが頭に響く。


記憶を軽々しく捨てる行為、キョウのソレを恐ろしいとは思わない、他の一部も静観しているようだし俺の世話はキョウに任せているのだろう、ふん、俺はガキじゃないぜ、刹那に悪寒を感じて立ち止まる。


「ん、何だコレ」


「どうしましたキョウさん?」


「いや、変な気配を感じるぜ、殺意?」


「確かにおかしな気配がしましたね、キョウさんに向けて……ですかね?」


色彩豊かな家々の壁は空がまだ暗い時間に海から帰ってくる漁師たちの為に塗られたと言われている、自分の家をすぐに見つけられるように塗り分けたらしいがまさかそれが観光資源になるとは当時の人たちも思うまい。


狭い階段路地を歩いて高台へと向かうそこに一人の少女の姿、明確な殺意、しかしグロリアも俺も受け流すのみ、ここからでも相手の実力がわかる、雑魚では無いが苦戦するような相手でも無い、しかし殺意を向けられるとは些か驚きだ。


「誰だ、あいつ、まずそう」


「さあ?だけど殺意は本物ですよ?」


「ふーん、じゃあさ」


「ええ」


「俺の為にグロリアがあいつを殺してよ、誰だかわからねぇけど」


そぉ、そぉだよキョウ!グロリアに命令するのっ!んふふ、いいよ、キョウ、記憶が洗われて少しずつ歪みが明確になってるっ、あはぁ、かっこいいよ。


もっともっと、グロリアを使っていいんだよぉ。


その資格がそいつに改造されたキョウにはある。


「キョウ、さん?」


「ん?出来ないの?」


「――――――――――――出来ますよ、誰よりも上手に」


花開く笑顔でグロリアは答えた、白磁の肌は朱に染まり瞳は喜びで潤んでいる、夢見る少女の笑顔だ。


まるで生涯の主を見つけたかのようなその表情に俺は何も思わなかった、だけどキョウは何処までも浮かれて喜んで、不思議だった。


あいつは誰なんだろ?

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