閑話93・『その姿でどうしてそんな事になる?母親の姿を奪った息子は――こわれて』

竜種が出た、風の噂でそれを聞いたキョウくんは万歳しながら喜んだ。


見たい、触りたい、乗りたい!竜種がどれだけ危険な魔物かわかっているのだろうか?魔王の眷属の中でも強靭な肉体と圧倒的な魔力を持つ飛び抜けた存在。


しかしその噂も何処まで信用して良いものかわからない、このような辺境の地に竜種?一応は魔物を統べる勇魔の使徒だ、魔物の生息地域は把握している、やはり違和感しか無い。


だけど喜んでいるキョウくんを見ていると何故か何も言えなくなる、惚れた弱味とでも言えば良いのだろうか?だからこうして深い森の中を二人で歩いている、止めないと駄目なのにどうしましょう。


「竜ー、竜ー、どらごーん」


「帰ろー帰ろー、お家に帰ろー♪」


「ん?アク、お前………歌上手いな!美声だぜっ!今度子守歌を唄ってくれよ」


「え、べ、別に良いですけど、あ、そうじゃねぇですよ!そんな事よりも危険な事は止めやがれですよ!」


「でもドラゴンライダーになりたいのにドラゴンを恐れていたら意味無くね?」


「無くねぇですよ!」


のほほんとした顔で笑うキョウくんの姿があまりに間抜けです、真剣に怒っても悲しい事に何も伝わらねぇです……必死に訴えかけても意図が伝わらないのは本当にイライラする。


こんなに誰かと深い関係になったのは初めてです、だからこんなにイライラするのも初めてです、使徒と竜、そりゃ使徒の方が上位の存在ですが誰かを護って戦うのは経験が無い。


もしキョウくんが怪我でもしたら、想像したら頭が真っ白になる、天と地がわからなくなる、右も左もわからなくなる、前後もあやふやで軽い吐き気がする、部下子もずっとこんな不安を抱いていたのですか?


愛する人がいる事はこんなに幸せでこんなに不安なのですか?勇魔の第三使徒である悪蛙が人間の子供に全てを支配されている、主の支配とは違う、心がポカポカして安らぐのにより圧倒的な強制力で悪蛙を支配してしまう。


「どんなドラゴンかな?!」


「森ですからね、翼を持たないタイプの竜種だと思うです、うーん、住んでいる動物もそんなに大きいのもいないし、餌がソレなら小型から中型の竜種じゃねぇですか?」


「どんな竜種でも愛せる自信があるぜ!」


「はいはい、前を見て歩くですよ、昨日の雨で水溜りが出来てるから気を付けて」


「はーい」


「返事ばっか上手になって、まったくです」


水溜りに映り込んだ自分の姿を確認する、人間はどうして自分の容姿を確認するのだろうか?そこに映り込むのは毎回自分であるはずなのに意味も無く確認してしまう、自分が誰かになるのが不安なのでしょうか?


自分の容姿にはやや自信がある、鴉(からす)の濡羽色(ぬればいろ)の美しい髪は部下子と同一のものだ、肌は白でも黒でも無い中庸の色をしているが張りがあって触り心地は最高ですよ、キョウくんは同じベッドで寝る時に良く指で突いて来やがるのです。


瞳の色は夜の帳を思わせる底無しの黒色で主の趣味、一切の光を映さない黒色は世界の淵のように絶望的だ、普通の人間が見たら気持ち悪いと思うんでしょうか?キョウくんの反応は薄いですが、つか薄過ぎですよ!そして綺麗とか言って口説くのも無しですよ。


髪型は毛先軽めの黒髪ボブです、ふふん、内側からの毛量調節でボブっぽさを残して重たくならないようにしてるです、前髪を軽めにしておかっぱ風にならないように苦心しました、毎朝気合いをいれて仕上げてるのでキョウくんには笑われています、乙女の嗜みです。


「しかし空を飛べるのは便利だな、歩きだと数日は必要だぜ、俺も飛びたい」


「飛べ」


「今日のアクはご機嫌斜めだぜ、まったく、俺のモノなのに、俺の女なのに生意気だぜ」


「飛べ」


「ご、ごめん、何でそんなに不機嫌なんだよ!」


「ふん、この少し先に竜種の気配がします、悪蛙がどれだけ心配しているのかわからねぇですか?」


「わからん」


「飛べ」


「俺は飛べん!アクが守ってくれるんだろ?でも俺も惚れた女ぐらい自分で守るぜ」


「う、埋まれ」


「地と空を支配しろと?」


上半身と下半身が一続きになった黒塗りのローブ、上衣とスカートが一体化した形状の薄緑色のローブをもう片方の手で握り締める、部下子と同じローブだが彼女が地味な色合いを好んだのとは逆に悪蛙は明るい色を好んでます。


不安なのでしょうか?どれだけの魔物が出て来ても勝てる自信はある、しかしキョウくんを怪我させ無いで竜種を倒す?部下子だったら初めての事でも完璧に出来るでしょう、でも悪蛙はそこまで器用では無いのです、力があるだけで細かな技術が圧倒的に足りない。


蛙を模した薄緑色の帽子を手で押さえる、この先です、木々の向こうで呼吸している。


「うお、竜、これ竜?」


「――――――――――――これは」


ウールや麻を連想させる短い糸が宙を舞っている、幻想的な光景だ、地面に落ちた糸が体を捩じらせながら地面に沈んでゆく、そしてまた浮かび上がる宙へと昇って行く、その動作が何度も何度も繰り返されている、見ているだけで頭が痛くなる不可思議な光景。


絹のような長い繊維の糸は竜種と思われる存在から木々に伸びて固定されている、短繊維と長繊維を自由自在に操りながらそいつはゆっくりと呼吸している、呼吸する度に固定された木々が震えて枝が大きく揺れる、成程、木々を分解して繊維を取り込んでいるのか。


植物を加工して製造される糸は原則的には細胞壁で構成されているはずだ、浮かんでいる糸を掴んで手の中で泳がせる、悪蛙の体に侵入しようともがいているようですが格が違うのですよ?一瞬でその細胞の全てを読み取る、我ながら便利な体なのですよ、ふふん。


植物の表皮から伸びる細胞の細胞壁でもあり、内部で発達する維管束や皮層にある線維細胞のモノでもある、これを魔力で硬質化させて伸ばしてやがるのですか?


「糸竜(いとりゅう)ですね、高位の竜ですよ、人間の世界にまだいたんですね」


「へえ」


「かつての魔王である糸の王・繊維奇(せんいき)の眷属ですが人間の世界では知られてませんかね?」


「しらねぇ、古い魔王の記録は失われちまってるからな、誰がどうして無くしたのかしらないけどよぉ」


「それは………」


しかしこいつはヤバいですね、竜種の中でも特別にヤバい存在だ、主がいれば喜んで眷属に迎えそうだが敵になると厄介だ、そう思った矢先に糸が硬質化して飛んで来る、あ、悪蛙の魔力に反応しやがったですよ、勇魔も魔王である事は変わり無いのに!


キョウくんを掴んで回避する、空間転移は得意なのです、そのまま無色器官を展開させて全力でぶん殴るです、糸の集合体にしか見えないそいつは体を捩じらせて吠える、糸の隙間から血と鳴き声を垂れ流す、怨念、人間を憎んでいる?いや、人型を殺すように命令されている?


繊維奇は人間に対して好戦的でしたっけ?いや、そんな記録は無い、強力な魔物だがここまで好戦的では無いはずだ、だとすれば誰かが操っている?糸が飛来する、キョウくんの腕が千切れては大変だ、魔力を流し込んでキョウくんの体を強化する、使徒の魔力を!


刹那。


「――――――――――――――――――」


キョウくんの体が縮む、え、肉と骨が恐ろしい速度で収縮する、使徒の魔力は決して有害なものでは無いはず、何故なら魔王の魔力が勇者の魔力で相殺されているからだ、勇魔から誕生した悪蛙達の魔力は安全なはずなのにっ、何が起こった?


いや、コレは悪蛙の魔力に共鳴してキョウくんの内から溢れ出しているのか?……発光、光り輝くキョウくんの姿、攻撃的な意思が伝わる、糸竜も体を震わせて怯えている、それ程までに圧倒的な存在感、それ程までに圧倒的な殺意、まるで子を守る母親のような獰猛さ。


それは形となる。


「ぶか、こ」


「ん?どうしたアク」


キョウくんなの?にやりと笑ったその顔は無表情の部下子からは想像出来ない……しかし姿は部下子、なんだ、何だコレ、主は勇魔は悪蛙のキョウくんに何をした?どうしてあの人のせいだとわかる??当然だ、あの人はキョウくんに執着して愛に狂って壊れている。


部下子の細い腕が振るわれる、糸竜が一瞬で四散する、有り得ない、竜を愛しているキョウくんならこんな事はしない、コレでは使徒では無いか、いや、使徒の姿をしているけど、キョウくんのはずなのに!悪蛙より凶悪な無色器官を展開させて笑う、キョウくんの笑みで。


その時、初めて勇魔を憎いと思った。


「何か体が軽いな、それに、はは、見ろ、弱い生き物が死んだぞ、面白い」


「キョウ、くん」


「よし、飛んで帰るか」


「飛べるのですか?」


「?飛べるに決まってるだろ、おかしなアクだぜ」


違う、おかしいのは悪蛙でもキョウくんでも無いのです。


あいつだ。


主だ。

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