閑話77・『キョウ・キス(男寄りキョウ視点)』
自分自身を殴った感触は最高に心地よいモノだった、鼻血を垂れ流しながら袖でそれを拭うキョウを見た時に俺は確かに感じた。
こいつは素晴らしい、自分自身を傷付ける様を映像として見れる、幼気な少女の姿をしたキョウを思う存分に蹂躙出来る、新しい自慰行為、思春期真っ盛りの俺には麻薬に等しい。
しかしすぐに気付く、この苛立ちは何だ?俺が俺自身を傷付けるには理由があるはずだ、刹那、脳裏に過ぎるのは俺でも私でも無い気持ちの悪い自分、あんなものは知らない、知りたくも無い。
殴られたのに満面の笑みを浮かべて俺を抱き締めようとしたキョウを振り解いて俺は無我夢中で走り回った、いや、逃げ去ったのだ、あのままキョウに抱かれてしまえばこの苛立ちも消えてしまう。
キョウはアレの正体を知っている、同じ女性の部分だ、何か繋がりがあるのだろうか?しかし俺はアレを俺とは認められない、強制的に自分を上塗りされたかのような嫌悪感、吐瀉する、夢の中でも胃に消化物があるのかよ?
「うぇ」
小まめに吐き出すのは吐瀉としては気持ち悪い、一回で全てを吐き出してしまいたい、湖畔のすぐ近くにある古木に背中を預けながら座り込む、苛立ちで誤魔化している、その根本にあるのは不安だ、弱い自分が悲鳴を上げている。
あの上塗りは何だったのか?心では無く記憶の再生、人形のようでいて感情があるような奇妙なモノ、ゾンビ?炎水はそうだがあんな風に嫌悪感は抱かない、自分自身だから?あれは自分自身と言うよりは勝手に行動する記憶だ。
記憶は魂では無い、しかしその記憶が勝手に魂を上塗りして自立したかのように行動した、あんなのは嫌だ、俺は俺でありたい、なのにどうしてそれを邪魔する?俺から俺を奪う奴は俺の記憶であろうが許さない、敵だ、蝉の声がやけに響く。
一定のリズムで刻まれるその声は催眠術のようだ、いつまでもいつまでも頭の奥で鳴り響いて俺をおかしくさせる、何故だか涙が出て来る、もう一度あの記憶に上塗りされたら果たして俺は俺でいられるのか?グロリアが大好きな俺で、バカな俺でいられる?
最近は不安で心が悲鳴を上げている、だからセクハラ発言をする、だからバカな行動をする、そうしないと自分自身を失ってしまいそうだからだ、女寄りの私が俺に優しいのは精神を何とか維持しようと深層心理が働いているから?
「キョウー、おーい、あんまり逃げたらダメだよォ、だってキョウは私でしょう?」
キョウの声が聞こえる、私の声が聞こえる、男を誘惑する甘ったるい声、粘度があるのに妙に透き通っている、矛盾したその声に俺は体を強く強く抱きしめる、放置しろ、この俺を放置しろ、なのにここに来るって事は俺が望んでいる?
女寄りのキョウは俺に甘く優しい、外の世界では全ての存在を玩具程度にしか思っていないエルフ達の女王、しかし自己愛が強い、俺自身の本音、だから俺に対して姉のように振る舞う、そこにどんな意味がある?姉代わりだったクロカナは裏切ったんだぞ。
その裏切りが俺や私をこんなにも歪ませた、なのにそれを思い出させるような振る舞いはやめろよ、しかし、それを続けるって事は結局は俺がクロカナのような存在を欲しているって事、それをお前がする必要は無いんだぜ?お前は俺で私なのだから。
エルフを蕩けさせて見下して支配するだけの私で良いのにどうして俺にそこまで深い感情を向ける、グロリアで良いだろっ、ふざけんな、バカにすんなっ。
「酷いね、声が聞こえてるのに無視するんだァ」
「―――――――――――――――――」
鼻血の痕跡が生々しい、頬も紫色になっている、その美貌を崩した事に性的な快楽を感じる、お前が俺に馴れ馴れしいからだ、俺はもうあんな風になりたくないから一人になりたいのに、あ。
お前も俺なのにどうしてそんな矛盾を、近付くな、近付くな近付くな近付くな、また殴る、殴るのは楽しいぞォ、ふふ、その涙目になった表情がそそるんだァ、んふふ、虐めてあげるねェ、私がァ。
わ、わたしィ、俺は、俺はお前を遠ざけたい。
「不機嫌そうだねェ、過去の残像に怯えなくても良いよォ、キョウは私と俺だけ、あれは記憶だよ、魂じゃない」
「―――俺は」
「取り込まれると思った?んふふ、意外と子供っぽい、大丈夫、そんなに怖がらなくても大丈夫だよォ、今は思い出せる?」
クロカナの事か?アクの事か?後はわからない、思い出したと自覚出来るのはその二人だ、キョウはそんな俺の心を受信してクスクスと笑う、本当に無邪気に、何も知らない無垢な少女のようにクスクスと。
その質問には返答出来ない、だって言葉のままだったから、上塗りされて消される恐怖、俺はこんなにも怯えているのにキョウは悠然と構えている、透明な景色の中で透明な笑顔を浮かべている、湖畔の妖精。
「あいつに、アレになるのは、嫌だ」
あの嫌悪感は俺の精神をより悪い方向へと誘惑する、自我を失いたくは無い、グロリアにも誰にも言えない素直な気持ち、こいつにだけは本音で話せる。
弱音を吐いても良い、クロカナの時もアクの時も俺を慰めて愛してくれたのは私だ、様々な傷が俺を愛する私の存在を強固なモノへと変化させた、始まりは俺だったのか私だったのか。
もう思い出せない、思い出す必要も無い。
「だよねェ、でも力で抑え込めたでしょう?キョウは優しいねェ、あんなの無理矢理抑え込んで消しちゃえば良いじゃんかァ」
「お前、あれは、それでも」
「害は無いってェ?あるよォ、あるある、だってキョウが傷付いてるじゃんかァ、私はやだなァ、私の愛しい俺が泣いちゃうなんて」
「俺は私以外の俺になるのは嫌だ」
私にはなるよォ、んふふ、でもな、俺は私は大好きだがアレは大嫌いだ、憎んでいる、俺から俺を奪う奴も俺から私を奪う奴もみんな許さない、俺に干渉する害悪部分は必ず滅ぼして見せる。
素直な気持ちを口にしただけなのにキョウは呆けたようにして俺を見詰めている、ベールの下から見える金糸と銀糸に塗れた美しい髪、太陽の光を鮮やかに反射する二重色、黄金と白銀が夜空の星のように煌めいている。
太陽の光を受けて輝く水面もこの輝きの前では色褪せる、瞳の色は右は黒色だがその奥に黄金の螺旋が幾重にも描かれている、黄金と漆黒、左だけが青と緑の半々に溶け合ったトルマリンを思わせる色彩をしている、互いの瞳が瞳に映し出される。
「俺がなるのは私だけだ、あれは……俺でも私でも無い、だから……怖い」
あまりにも眩しいキョウの姿が心に影を落とす、俯いたままさらに蹲ると額にさわりと何かが振れる、額がくっ付きそうな距離にキョウの笑顔、何かを含んだような企んだような奇妙な笑顔、見た事の無い俺の私の表情、ど、どうした?
ゆっくりと近付くキョウの顔、鏡に映った自分が接近するだけ、避ける必要は無い、唇に触れるのは他者の温もりでは無く自分の温もり。
「ん」
「――――――――」
冷める、いや、冷めているフリをしている、だって伝わる熱は確かなもので表情だけでもそうしないと頭がおかしくなってしまいそうだから、睨み合うようにキスをする。
俺は怒っている、キョウは何かを決意しやがった。
「私、キョウの事が好きだよ」
エルフだったらその場で失神しているだろう、エルフに関する者だったらその場で祈りを捧げているだろう、しかし俺はエルフライダー、お前もエルフライダー……私は俺で俺は私、その魔性の甘ったるい言葉も意味が無い。
意味が無いのに何故それを口にする?俺の唾液で濡れた唇の上をピンク色の小さな舌が踊る。
「それで?」
「んふふ、冷たいィ」
何を期待しているのかキョウが頬を赤くしたまま俺の額に触れる、心配してくれている、あれに上塗りされて押し潰されそうになった俺を、その感情は理解出来る。
しかしそれは何だ?おい、その感情をお前だけのものにするな、ズルいぞ、寄越せ。私にも頂戴よォ、くれ。
「俺は私だけが俺と言っただけだ………………どうした?そんな行動も感情も俺は知らない……どうしたんだ」
ついつい早口になってしまう。
その理由がわからねぇ。
「教えてあーげない♪キョウはねェ、『弟』で起動するアレの事なんか忘れて私だけ俺だと認識してれば良いの」
「してるだろうが」
年上に甘えるような声音でついつい怒鳴ってしまう、こいつは俺だぜ?
どうしちまったんだ、オイ。
「キスもしちゃったら良いのォ」
「へ」
照れくさそうにそう呟くキョウの表情はエルフを統べる女王の顔でもグロリアを虐める少女の顔でも俺である私の顔でも無くて。
俺は激しく動揺した。
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