閑話69・『勉強ってあれか、下のか、上ではなく下のか』

使徒を開発する、その目的の為に膨大な時間と膨大な実験体を必要とした。


幼き日に見た幻影は脳裏に刻まれた、それを誕生させる為だけに生きて来た、そしてその間違いを正された、修正された。


神様の一部になれた、そして両目を抉られた、体は溶け合って一つになって都合の良い時に使われるツールになった、神様がササを上手に使ってくれる事が嬉しかった。


それだけで満足なのに現状は何だ?両目も復元されて完全な状態で本体から召喚された。


「わかんなーい」


「え、あ」


「ササって教え方が下手だよね?自分が頭が良いからって何か勘違いしていない?」


「も、申し訳ございません、そのようなつもりは決して………」


「祟木や影不意ちゃんは教え方が上手なのに不思議だね、あ、内心では私の事をバカにしてるとか?」


「そ、そのような事はッ」


神であり本体であるお方に忠義心を疑われる、ササにとってそれは何よりの苦痛、とある街の人気のない図書館でササは神様に勉強を教えている。


他人に何かを教えるのは初めてだ、一時期弟子のような者もいたが実験体のストックが切れたので代わりに使った、そっちの方が正規の実験体より良い結果を出すのは笑った。


そして今は笑えない状況にある、ササの外見年齢は10歳程度に固定してるので神様に勉強を教える姿は奇妙な光景だろう、神様以外の他者などはどうでも良いが神様の世間体を気にしてしまう。


「なぁに、ササは私の言葉を否定するんだァ?へぇ、祟木は何時も肯定して褒めてくれるのにササは酷いねェ」


ウォルナットで出来た机の上に上半身を預けながら神様はクスクスと笑う、頬を机の上に貼り付けて上目遣いでササを見詰める、最初からまともに授業を受ける気なんて無い。


一部として若干共通部分がある祟木や影不意と比較する事でササをからかっているのだ、二人はササと同じ卓越した頭脳を持っている、そして人間の世界でちゃんと立場を持って生活して来た。


だけどササは違う、世俗から離れ己の欲求に従い研究を続けて来た、そのツケが今こうしてササを苦しめている、神様に色んな事をお教えしたいのに上手に伝えられない、少し不機嫌に睨まれるだけで頭が真っ白になる。


「返事も出来ないの?私を苛立たせるのは祟木より上手ね」


「お、お許し下さい、お許しください」


「だぁめ、許さない、謝ったら許してくれると思っているでしょう?」


ウォルナットの木理は美しい、そしてその上で気怠そうに寝転がっている神様はもっと美しい、勉強を教えて欲しい、それは口実で単純にササを弄って遊んでいらっしゃるだけ、祟木なら会話で神様を楽しませる事が出来るのにッ。


悔しさに項垂れる、今日の神様は女性寄りの人格をしている、同一の人格だが生理的な現象のように自然に入れ替わる……入れ替わるというよりはいつの間にかそうなっている?クスクスクス、ササを見上げて神様は意地の悪い笑みを浮かべる。


濡れた瞳がジーッとササの言葉を待っている、瞳の色は右は黒色だがその奥に黄金の螺旋が幾重にも描かれている、黄金と漆黒、、左だけが青と緑の半々に溶け合ったトルマリンを思わせる色彩をしていて神様の想い人を連想させる。


「にゃーにゃー」


「神様?あの」


「ササがあまりに私に厳しいから猫になっちゃった、ねえねえ、どうする?こんな毛並みの猫は嫌いかしら?」


頭の上に手を乗せてピコピコと動かす、猫の耳を思わせるその動きは愛らしい、そしてあまりに無邪気でササは何も言えなくなる、本当は言いたい、そんな美しい毛並みをした猫がいるはずが無い、ササの錬金術でもそんな生命体は生み出せない。


金糸と銀糸に塗れた美しい髪、太陽の光を鮮やかに反射する二重色、黄金と白銀が夜空の星のように煌めいている、やや癖っ毛のソレが窓から差し込む太陽の光を受けてキラキラと輝く、古来から人々を魅了して来た金と銀の魔性の煌めき。


全てはササが悪いのだ、神様にご満足して頂ける授業が出来ない、自分の知識を蓄えるのは得意なのに誰かにソレを伝える術を持たない、祟木や影不意はちゃんと神様が満足する授業をしているのに、この感情は生まれて初めて感じるもの。


劣等感、天才錬金術師として生きて来たササに縁の無かった感情、神様はササに新しい感情を与えてくれる、何時もなら喜んで受け入れられるソレも今日は苦しい、俯くササに冷たい手の感触、頬に触れるソレは神様の手、柔らかい。


「ササみたいにべんきょーは出来ないけど毛並みは良いでしょう?頭が悪くて躾の出来ていない猫は嫌い?ねえ、ササァ」


「あ」


「やっぱり頭が良い猫の方が良いのォ?」


「………神様なら、神様ならどんな風でも好きです」


抽象的な物言いになってしまう、これの何処が天才なのか?咄嗟に口から出た無礼な言葉、なのに神様は叱る事もせずに大袈裟に笑い転げる、机の上を叩きながら何度も何度も、耳障りの良い天使の美声、この図書館に誰もいなくて良かった。


誰にも聞かせたく無い。


「あ、ひぃ、はは、ササは天然だねェ、そんなに頭が良いのに何でだろォ?勉強はもう良いよ、つまんないし」


「は、はい」


「ねえ、ササァ、ねえねえ」


長くて細い指がササの顎の下を摩る、声を出さないように注意するが無駄な抵抗で数度撫でられると甘い声が漏れる、神様が気紛れで孤高な猫ならササは飼い殺された犬だ、主人の愛撫に腹を見せながら全身を委ねる。


様々な魔眼が混ざり合ったササの瞳でも捉えられない神様の心、一部として与えられる感情に反応はするけど完全には読み取れない………甘い声でササの脳内を蹂躙する、庇護欲と母性を刺激されてササの幼くも女である体が奇妙に疼く。


太腿を擦り合わせながらされるがまま、甘美な時間が流れる。


「呼び捨てにして、クロリアの時に一度だけキョウ様って呼んでくれたよねェ」


「あの時は……」


「今日は様もいらないからねェ、呼んでよォ、寂しい、寂しいよ」


情緒不安定、罅の入った精神、神様がササに強請るなんて夢のような光景、しかしそのお願いはササにとってかなりの難問、ひう、意味も無く呼吸が乱れる、か、神様のお名前を呼び捨てにする?


寂しい、異性を求める少女のような表情でササに強請る神様、戦慄する、他の誰でも無くササだけを求めてくれている、口内が乾燥する、舌が回らない、しかし求めには答えないと行けない、ササの自我が崩れようともッ。


「き、キョウ」


「わぁぁ、いいね」


ササの言葉に満面の笑みを浮かべる神様、愛する人、尊敬する人、護るべき人、ササにとって全てであるこのお方が自分だけの『キョウ』になったような錯覚………一瞬、気が遠くなる。


思春期の少年のように激しくなる鼓動を意識してしまう、大好きな人を呼び捨てにした何とも言えない気持ち、何度も何度もお名前を口にする、お勉強ではご満足して頂く事が出来なかったからその分も兼ねて。


「ササァ、二人だけの時は呼び捨てにしてねェ」


「し、しかしそれはッ」


「めいれーい、けってーい、後ね…………耳を寄せて、ないしょ、みんなにはないしょだからねッ!」


「は、はい」


小さな桃色の唇を意識してしまう、潤いに満ちた唇、柑橘系のフルーツの果肉を連想させる。


耳に甘い吐息。


「ササが一番だぁいすき、じゃないとこんな風に甘えないもん」


「――――――――――――――――」


「みんなやグロリアからちゃあんと奪ってね?」


頷いでしまった。

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