閑話46・『雌仙人を美味しく食べたね』

防御符が一瞬の抵抗をした後に紙切れになって風に消えてゆく、丁寧に練り込んだ強力な気がまるで灰のように抵抗も無く空気に溶けてゆく。


墓夢盧(はむろ)は死を予感していた、過ぎた才能は身を滅ぼす……師匠の言葉が延々と脳裏に鳴り響いていた、人間界で生活していた時も自覚していた当たり前の事だ。


皆が成長する、皆が老いる、なのに三十を過ぎても十歳のまま……奇異なモノとして見られて差別されて石を投げられた、気を読めば万物の軌道を読み取る事が出来る……余裕で避けるものだからより化け物扱いされた。


枯葉に文字を書き込んで動かすのが趣味だった、今ならばソレを符術と認識出来るがあの頃は自分が呪われた存在であるからだと認識していた、過去の大罪が差別されるべき奇異な能力を自分に与えている、前世の大罪。


誰もが口を揃えて前世の大罪のせいだと口にする、父も母も身内もいない少女には他者の言葉こそが全てだった、忌み子として鬼子として振る舞えと言われているようでそれに応えて来た、悪戯も笑えない悪事もやるべき事はやった。


誰かとの繋がりはそれだけ、村の隅で枯葉を動かして悦に浸る、皆が大人になりその横を足早に通り過ぎてゆく、幼い時に出会った化け物なんて大人になれば興味を無くす、それよりも家庭を命懸けで守る事、現実が大人を急かす。


何処までも幻想でしか無い自分、このような体では結婚どころか恋愛も難しい、蓄積されてゆく技術と知識でやがて枯葉を操る事から万物に干渉する事へと興味が転じてゆく、石像を動かし風を発生させて落雷で樹木を切り裂く。


悪童が悪鬼と呼ばれる程に成長するのに大した時間を必要としなかった、やがてその悪行は天界にまで鳴り響き現在の師匠に誘われる形で仙人として生きる道を選んだ、しかし何の教えも無く符術を独学で覚える程の突出した才能は前例が無い。


誰も彼もが墓夢盧を危険視した、それは教え導いた師匠でさえも……………師匠は自分と住まいを同じにする事を拒んだ………師弟関係はまやかしでしか無かった、それっきりこの世界で一人で生きている、他者の力を必要とせずに一人っきりで。


「おなかへった」


腹の上に乗った少年の瞳はかつての自分に良く似ていた、触れる者を全て傷付ける荒々しい瞳、なのに何処か空虚さを感じさせて吸い込まれそうになる、普通の人間が持つ感情を多く欠落させている。


符術を行使しようにもこの少年の『干渉』で気も符術も空気に溶けて消えてゆく、仙道に身を置いている人種には見えない、何処にでもいる農民の息子、しかし何処にでもいる農民の息子にこんな事が出来るのか?


頬を掴まれて覗き込まれる、頭の中を覗き込もうとする興味心に支配された表情、符術も無く気も扱えない現状では自分は普通の少女に過ぎない、十歳の少女、何も知らずに悪事を働き人を傷付けていた空しい過去の自分。


空しい?虚しい?だって仙人になってもそれは同じだったじゃないか、過ぎた才能は輪を乱す、誰にも必要とされず一人で生きて来た、それは人間であった頃から何一つ変わらない、このような危機にあっても誰も助けに来ない。


そこで閃く、ああ、もしかしてこいつ等と『上』で話は通っている?裏切り者を探す必要なんて最初から無かった、裏切り者はこの仙人界そのもので仙境そのものと言える、狩られていたのは何処にも属さぬ野良仙人ばかり――記号が繋がる。


「あかんね、わかってても抵抗したくなるわ……蓬莱、方丈、瀛洲、全部叩き落としたくなる」


「減った」


「なんや、お腹が減ってんの?」


そこでやっと少年を意識した、勝ち負けで言えば自分は負けている、この少年は間違い無くは妖(あやかし)の一種だ、しかも人間を惑わす妖とは大きく違って仙人を惑わす特殊な妖(あやかし)……………無視をしようとしてもその声が妙に心地よい。


軽傘と呼ばれた少女はニタニタと品の無い笑みを浮かべながら近くで気配を消して待機している、あれもまた曲者、こちらが少年を害しようと体を動かしたなら先程と同じように圧倒的な力で自分を屈服させるだろう、つまり勝てる見込みはもう無い。


符と気を汚染させて塵芥に変化させる能力、これは何の力だ?外の世界にはこのような恐ろしい存在が沢山いるのか?自分も結局は井の中の蛙でしか無かった?それは嬉しい情報だ、仙人は何も差別されるべき対象では無かったのだ、幼かった自分を肯定する。


仙人の持つ力を容易く凌駕する存在、こいつこそが真の化け物で差別されるべき存在、こいつがいたら自分は差別される事無く悪鬼になる事も無く仙人になる事も無く……………師匠に見捨てられる事も無かった、沢山の悲しい過去が無かったはずだ。


もっと早く来てくれよ。


「減ったぜ、食わせて」


「嫌やわ、まだ何も出来て無いもん……百歳になったけど小さな村と大きな仙人界しか知らへん、もっと色んなモノが見たいねん」


出会ったばかりの少年にそんな事を言ってどうする…………しかしそれが隙間だったのだ、防波堤が決壊する隙間だったのだ、何も知らない、能力の正体も少年の習性も何も知らないからこそ呟いた一言、それに対して少年は実に楽しそうに笑う。


墓夢盧の気も符も侵食して崩壊させてそれでも楽しそうに笑う、墓夢盧の腹の上に馬乗りになった少年、何だかそこが蕩けるように疼く、服の上から透明な触手が蠢いている、やがて内臓を直接触れるように……皮膚も筋肉も無視して内部に侵入する。


仙人として他者に体を弄られる事は死ぬ事よりも屈辱的だ、己の体を自然の一部として自覚して自在に操るのが仙人なのだから……だけど受け入れてしまう、どうしてだろうと考えたら答えは単純な事だった、少年がお腹を空かせている――その事実。


悪童と蔑まれて悪鬼と恐れられた頃は常に腹を空かせていた、荒々しい瞳と空虚な瞳、矛盾する二つを内包して暴れ回った、誰も自分に食べ物をくれない、ならば枯葉を操って石像を使役して食料を奪う他に道は無い、学が無いとはこの事だ。


選択肢が極端に少なくなる、最終的には生きるか死ぬかしか残らない、この少年は自分と良く似ている、幼い時から突出した仙道の才能を発揮して疎外されて腹を空かせていた自分、この少年も奇異な力を操り腹を空かせている、そして恐らく孤立している。


世界から、それは祝詞のようだ、墓夢盧と同じような存在が海の向こうにいただなんて……………あらら、おかしいかな、うちはおかしいか?何でかわからんけどこのガキが愛しく思える、くーくーくーと腹を鳴かせてとても愛らしい。


「でもなぁ、うちを食べてもええ事ないよ?お腹壊すよ?それでもええんかな」


「いいぜ」


「どして?」


「あんたが綺麗で美して優秀だから俺の一部にしたい、一部にして軽傘のように自由に使役して都合の良いように使いたい」


「あんた……どうしてそんなに壊れてしまってるん?」


「壊れて……俺が」


自覚症状が皆無、後ろで佇む人影を睨む、選択肢の無い子供をここまで歪ませるだなんて………しかも特殊な力があって世間から忌み嫌われるであろう子供をここまで!これは天性の資質もあるが後天的に教育された結果でもある。


過去の自分が裏切られて一人になったように、きっとこの少年も裏切られ続けながら育っている、まるで自分を犯されているような奇妙な感覚、気持ちが悪い、守ってやりたいと心の中でそんな感情が疼く、芽吹く、弾ける、一瞬で支配される。


この事実を前にしたら仙人である自分の身がどれだけ下らないものか、過去の自分を見つけて今の自分が育ててあげる、これはとてもとてもとても素晴らしい過去の改変だ、あああああ、ええことやない、これってええことやないかな、こんな下らない生き方をしているより。


首を噛まれる、犬歯が食い込む、少年がうちを食べている―――――食事が始まったのだ、痛みで喉から奇妙な声が、意思とは別に体が逃げ出そうと弓形になる、しかし少年はそれを、キョウはそれを許さへん、食われている部分から様々な情報が流れ込んでくる。


ちゃうちゃう、流れるのでは無く溶けている、ああ、気持ちええ、皆に疎外されて師匠に見捨てられて一人っきりだった荒れは果てた心が補完されてゆく、うちのぺちゃんこな胸を手で押さえ付けながら食事は長々と続く、出血量がやばい、血の絨毯は温くて気持ちいい。


「一部になぁれ、一部になあれ、ぐちゃぐちゃぐちゃ」


「え、ええよ………一人はもう辛い」


「俺と同じ?墓夢盧は俺と同じで嫌われてる?人間から嫌われてる?」


「――――――同じや、同じやから守ってやりたい」


「ぷぷ、食べられている分際で」


「―――――――――――食べられているからこそ、血肉として守ってやりたいわぁ」


「いい子いい子」


血と油で染まった手で頭を乱暴に撫でられる―――それは他者に与えられた初めての愛情だった。


まもってあげる、ずっと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る