閑話45・『仙人を食べようね』

羽人、僊人とも呼ばれる特殊な種族、仙人、山に住み世界を見下ろし俗世に干渉しない。


道(タオ)を体現した特殊な生体は不老不死を得て永遠に世界に居座り続ける、死滅する自身を術で縛って仙人化する者は尸解仙(しかいせん)と呼ぶ。


羽士を得て仙人になった我は正当な仙人であり尸解仙のような低俗な仙人とは大きな力の差がある、しかし世の中に干渉出来ない立場を考えれば力の大小など些細な事でしか無い。


導引術によって心身を正常に戻す、吐納によって全身に気を循環させて新陳代謝を高める、ここ数年、仙界が荒れている―――海を越えた場所から何かがやって来て天界に干渉している。


「何者かは知らないが仙界に干渉するだなんて、この大陸の人間では無いと思うけど……世も末やね」


どのように俗世が荒れようとも導く事は叶わない、絶対厳守、干渉してはならぬ、仙境の掟は未来永劫変わりはしない、未来永劫変わりはしない仙人と同じで………手段が気になる。


仙境に足を踏み入れられるのは仙人かそれに認められた人間だけ、不可視の霧が侵入者を拒み強制的に現世へと帰還させる、そのシステムには何一つ異常が無い、誰もが首を傾げて疑っている。


裏切り者はいない、邪仙であろうが妖仙であろうが仙人の本質が言霊を縛る、彼等は世界を惑わし時代を動かし人間で遊ぶ、だけれど仙境に人間を招き入れる事はしない、凶暴な鳥だろうが空を飛ぶのを止めないように。


性質と習性は別物だ。


「わからんなぁ」


深山幽谷(しんざんゆうこく)……目の前に広がる大自然を見下ろしながら溜息を吐き出す、広大で幽玄な趣に彩られた光景はいつ見ても素晴らしい、人間界では山が切り開かれて川は埋められているとか……欲が溢れて世界は汚れる。


蓬莱、方丈、瀛洲の山々は宙に浮遊してその景色を見下ろしながらゆったりと移動する、どの勢力にも属さない墓夢盧(はむろ)はその行き来を日々の習慣として見守る事にした、今頃は各々の指導者が頭を悩ませているに違いない。


仙人の数は少ない、それが何者かに狩られているとするならば事態は深刻だ、霞を食べるだけでは人間性は徐々に失われてゆく、仙草の備蓄が少なくなって来たので鼻歌をしながら霊山を走り回る、天才であるが故に誰も墓夢盧を欲さない。


突出した才気を持つ若い仙人を誰も身内に誘いはしないのだ、行き過ぎた才能は輪を乱す、100歳にも満たない彼女が羽士では無く仙人である事が何よりの証拠だ……………人間界でも仙境でも彼女にあるのは強い孤独だ、そもそも親の顔を知らない。


資質を認められ霊山で修行をして仙人になった、正式な師弟では無いが恩師に報いる為に日々の鍛錬に励んでいる、オオバコ、アカザ、ユキノシタ、セリ、スベリヒユ、ハコベ、紅棗、松実、乾葡萄、胡桃、腰果……仙草と仙果は季節に関係無く溢れている。


大食いやろうか?師匠に幾つか分けてやらなあかんね。


「へえ、仙人でもモノを食するんだ――――弟君、良かったね」


背を向けたまま体を停止させる、漢服の一種である真っ白な道袍の中には符術を行使する為の仕込みがなされている、袖が無駄に広いのもこの為だ、仕込んだ符に気を流し込む、背後には二人の人物がいる、気の流れからして人間では無い。


妖怪に近い気だが少し違う、雲履と呼ばれる下履きには簡易な縮地法を練り込んでいる、間合いを詰めるのも良し退却するも良し、そもそも派閥に属さない自分の事を心配してくれるのは師匠ぐらいだ、ならば噂の存在がどのような化け物か見極めるのも良い。


ゆっくりと振り返る。


「なんやの、あんたら」


「勇魔の第十使徒、重傘・ロックスター、今は少し『まとも』に頭を弄られているから第十一使徒、軽傘・スターロックかな……弟君のペット役、『主』である弟君に媚び諂って今日も幸せ」


「ぺっと?ゆうま?なんかよーわからんけど、どうやって仙境に足を踏み入れたんや?」


黒みを帯びた赤い髪、蘇芳(すおう)のソレ、そんな特殊な色彩をした髪を左右で括り両肩に掛かる長さまで伸ばしている、この大陸ではあまり見掛けない髪型だ、文明の差異を感じる。


瞳の色は雨上がりの後の晴天の澄んだ空のような爽やかな色彩をしている、真空色(まそらいろ)をしたその瞳は色合いに反してやや吊り目がちで切れ長である、長い睫毛と綺麗に整えられた眉毛が女性特有の美しさを濃縮している。


胴衣の上から板金を重ね合わせた鎧を着込んでいるがそれもこの大陸では見た事が無い、軽装の甲冑?年齢は人間で言うならば15歳程度だろうか?もう一つの気配はその後ろに隠れていて確認が出来ない、小さい子供やろか?


「そうね、この大陸では職業固定も天命職も無いからわからないわよね、小さな内から教育して弟君に好き嫌いが無くなるようにするのがアタシの役目」


「妖(あやかし)か?この大陸にもいるが海を渡った国にもいるとは驚きやな、悪い事は言わへんで、帰りぃ」


「良かったわね弟君、センニンで幼女よ、不老不死って便利よね、こいつなら前のセンニン達と違って信者では無く一部に出来るんじゃないかしら?」


「軽傘、どいて、見えないぜ」


「これはこれは申し訳ありません、後で如何様にも痛めつけて壊して殺して―――ワンワン、ちゃんと鳴きますからね」


「俺の駄犬」


「くぅん」


日焼けした肌に鋭い瞳、猫科の動物を思わせるしなやかな体つき……覇気に満ちた子供には似つかわしく無い荒々しい表情。


ボサボサの手入れのしていない黒髪に黒曜石を連想させるような深く底の知れない瞳……顔立ちは平凡だが一度見たら忘れられないような不思議な魅力があるように思える。


十にも満たない子供、それに対して恭しく頭を下げる少女、主従関係、ボロボロの使い古した農服を隠そうとせずに堂々とこちらを見ている、何故か背筋が凍る、この子供は危険だ。


「エルフは?」


「もう少し我慢して下さいね、不満があるのならアタシで遊んで下さいな、これも将来的には役に立つはずですから」


真空色の瞳を優しく細めて少年の気分を害さないように言葉を選んで対応する、なんなのこいつ、しかし絶対的な危機である事は変わらない。


この二人が海の向こうからやって来た噂の災い?仙人を狩って好き勝手している?白菫色(しろすみれいろ)の波打つ髪を掻き分けて符術を行使する―――この仙境に侵入する能力を見極めなければ!


「雷光、仙波ノ孵し」


符から解き放たれた術式が展開される、放電の際に放たれる熱量は三万にも達して空気を切り裂きながら対象に直撃する、人間であれば即死、妖(あやかし)でも即死、しかし油断はしない――誰か気付け。


粉塵の中から笑い声、子供の声だ、愉快そうに楽しそうに―――四肢を地面に……獣のような体勢で軽傘と呼ばれた少女が地面に座り込んでいる、その背中に少年が乗っている、なんやあれ、気持ち悪いわ。


人型であるのに四肢で動く、恍惚とした瞳で背中に跨る主を見上げている、それが当たり前のように、二足で立つ馬を目撃したような奇妙な光景、符術をどのようにして受け流した?


「軽傘は本当に良い子だ、重傘の時もこんな風に機能すれば良いのに」


「言わないで下さい、あのような愚劣なアタシ」


「うるせぇ、謝れ、口答え」


「あぅ、申し訳ありません、お許しをお許しを――――あれを取り込める段階まで痛めつけるので」


「いいぜ」


その瞬間、四足の人型が消える―――少年が耳を弄ったように思えた、愛撫のような繊細な指の動き。


符術による防御も間に合わずに体が吹っ飛ぶ、あかん、なんやのこいつら!


「はらへった」


あまりに無垢な言葉は何の感情も含んでいなかった。

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