閑話30・『祟木、初めての殺人、おしっこ』

頬を殴られた、グロリアが小腹を空かせたので闇夜の街に買い物に出掛けた………酔っ払い同士の喧嘩は珍しくとも何とも無い。


若い男が若い男を一方的に殴り付けている、それが気に食わなかった―――今日の月は蒼くて大きい、血が滾るのは良いとして暴力に走るのは許せねぇ。


止めに入ったら振り上げた拳をそのまま俺に殴り付けて来た、回避しようとするが体が重い………ああ、坐五(ざい)を支配する為に多くの体力が奪われている……忘れてた。


「がっッッ」


「テメェ、良い感じにボコボコに出来てたのに止めやがってェ………ってガキじゃねぇか、こっちの方が柔らかくて殴りがいがあるな」


髪の薄い筋骨隆々の男だ、全身に刺青が彫られていて目が血走っている……華やかでカラフルな色彩をしたシャツを真っ赤に染めて激しく興奮しているようだ。


本体の俺に『体力』が無い…………一部を具現化しようにも激しい頭痛と殴られたショックで体が硬直している………そんな俺の状況を知るはずも無いそいつはさらに拳を振り上げる。


殴られていた兄ちゃんは逃げ出したようだ、腫れ上がった瞼の下で何とかそれだけを確認する、帰りが遅い事に気付いたグロリアが駆け付けてくれるまで殴られるとするか……痛みが無くなってゆく。


「キョウを殴っているのはお前か」


「な、何だ」


既に地面に倒れてうつ伏せになっている……欠けた歯なのか砂利なのか区別出来ない、じゃりじゃりじゃり、口の中が切れているのに呼吸する度にそいつらが傷口を痛めつける。


俺の意思とは別に筋肉が肥大する、背中から肥大したソレは服を破って世界に具現化する、最も少ないエネルギーで具現化出来る存在……当然だ、頭脳が優れていようが肉体的なポテンシャルは皆無に等しい。


どうして出た?お前も殴られるぞ……目の前のこいつは子供相手だろうが平気で拳を振るう事が出来るクズだ、俺だけ殴られていれば良いんだぜ………頭脳は天才でも肉体はひ弱だろう?


「ば、化け物っ」


違う、俺の可愛い祟木だぜ?…………美少女だけど獅子のような金色の瞳と金色の髪をして獅子のようだろ?――でも弱いんだ、殴るのは本体の俺で勘弁してくれ、お気に入りの可愛い一部なんだ。


瞼を開ける、残った力は残り少ない……坐五を侵食する力をこちらに戻す、しかし『強制的』に遮断されてしまう……駄目だ、俺の本能がソレを許さない、ダークエルフであり天命職でもあるあいつを求めている。


エルフライダーの能力は精神の力でも肉体の力でも無い、生理的な力だ…………食欲、睡眠、性的衝動……その三つとまったく同じものとして俺の中に存在する第四の欲求、自然に求めて貪欲に欲してしまう。


「五月蠅い」


苛立ちを超越した否定的な声、相手の全てを根本から否定するような冷たい一言…いつも天真爛漫な祟木からは想像も出来ないような絶対零度の声―――研究に人生を捧げた彼女は今や俺に全てを捧げている。


目の前のヤクザ崩れとは本来は交わる事の無い人種、しかし祟木は純粋に『殺意』を覚えている、自分にそのような欲求があった事を今ここで初めて理解している……俺の為だけに彼女は殺意を覚えた。


本来は薄暗い部屋で研究に明け暮れている少女は自分の本体を傷付けた巨漢に殺意を感じて睨み付けている、金色の瞳に浮かぶのは大切な本体を傷付けられた事に対する純粋な敵意―――ワラウ。


争いなどした事の無い研究者は嗤う、嗤う、嗤う。


「キョウを傷付ける奴は許さない、誰であろうと何であろうと許さない―――私の愛する『エルフ』であろうとも一切の妥協無しに許さないんだ、お前のようなゴミが許されるはずもない」


「に、人間に寄生する魔物めっ、死ねっ!」


「もう死んでいる、個人としてはキョウに食われた事で死んでいる、死ぬのはお前だ、私の愛しいキョウを意味も無く傷付けて、ダメだ、殺意が止まらん、あああああ」


草原を統べる王者の風格を纏った獅子は今や伝染病に侵されて膿とウジ虫に塗れている、自分の大好きな研究に命を捧げて明るく輝いていた笑顔は歪(いびつ)に歪んで狂いに狂った言葉を吐き出す。


男が振り上げた拳を振り落とす前に勝負は決した、異様な速度で俺の体から『剥がれた』祟木が男の首筋に噛み付く、弱い顎の力で顔を真っ赤にさせて必死に噛み付く――――愛だ、愛で動いている。


鮮血が闇夜に踊る、俺は倒れ込んだままソレを見上げている、男は祟木を引き剥がそうと無様に暴れるが血の泡を吐き出して膝から崩れ落ちる―――祟木、お前……そんなに体が頑丈じゃないだろ。


「ぐぇ、うえ」


口から肉片と血を吐き出しながら嗚咽する祟木、太陽の光を連想させる金糸のような髪を血に染めて顔面に貼り付かせている……何処かライオンを連想させるような大らかで強い瞳は疲労で濁ってしまっている。


デニムのホットパンツも床に広がった血に染まってまるで『あの日』のようだ……研究職で喧嘩もした事の無い知的な少女がこうも歪んで壊れてしまった、俺のせいだ、俺がそうした―――はは。


「この、キョウを虐めた、虐めた、こいつ」


床に落ちていた手頃な石に角度を付けて振り落とす、既に死んでいるそいつは物言わずに受け入れる―――何度も何度も何度も、祟木はその知性からは考えられないような原始的な暴力を叩き込む。


俺はその姿があまりに眩しくて神聖で………呆然と見つめる事しか出来ない、やがてそいつの顔が『顔と認識』出来ない肉片に成り果てる―――祟木を呼ぶ、飼い猫を呼ぶように気軽に……。


「キョウ」


「祟木」


「うん……あれだ、殺人は初めてだが興奮でおしっこ漏れたかも知れない」


殺人をした事も失禁した事も堂々と話す祟木、確かに血の匂いに僅かに尿の匂いが混じっている。


「そうか、じゃあ……宿に帰ってしーしーするか」


「これは?」


指差すのは己が作り上げた初めての死体。


「グロリアに言って揉み消して貰おう……………………………博士なのにおしっこすんなよ」


「?………安心したらもっと出た、どばーって」


体を震わせて祟木が笑う、頬がやや紅潮していて汗ばんでいる……震えている、怖かったのか………そりゃそうか、過去のトラウマだもんな。


ゆっくりと立ち上がる、体の節々が痛いが歩けない事は無い。


「あんがとな」


「ん?おしっこしてくれて?」


勇気を出して言ったお礼の言葉は最悪の受け取り方をされた。


凹んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る