閑話17・『死んでもやっぱり君が好き』

黄昏時、真っ赤に染まった世界で俺は立ち尽くしている……周囲を見渡すと何処までも砂地が広がっていて風紋を織りなしている、知識にはあるが記憶には無い光景。


どうして俺は砂漠に立ち尽くしているのか?ここまで純粋な砂砂漠(すなさばく)だと確か南の……極小の砂粒である砂礫(されき)で構築された世界は何処までも広くて何処までも統一されている。


「最近は怪我してばっかだからな、夢か……」


血を流して寝込む事が多い気がする、夢の為に故郷を出てからそこそこの時間が経過した――疲労と怪我の連続で毎日が忙しない、しかし村にいた時より生きている実感がする。


このまま立ち尽くしていても仕方が無いので歩き出す…………砂丘にはその地域で最も多く吹いている風の向き……卓越風で統一されて形成される縦砂丘(たてさきゅう)と直角に形作られる横砂丘が存在する。


風の強弱で形成される形が決まる場合が多く……風が強いと縦砂丘、風が弱いと横砂丘になると言われている、ここは横砂丘が何処までも広がっている、頬を撫でる程度の風が火照る体に心地よい。


「?誰かいる?」


砂漠の過酷さは書物や伝聞で知っている、それなのにこうも容易く適応出来るのは紛れも無く『夢』って証拠だ……深々と砂礫に沈んだ足を持ち上げながら砂嵐の向こうに見える人影に首を傾げる。


人影が立っている丘は僅かだが植物が生い茂っている、植物が存在する事で灰砂丘と呼ばれるそこは近く見えるのに歩けど歩けど辿り着けない、汗を拭って気合いを入れ直して歩き出す。


灼熱の太陽が照り付ける砂漠は妙にリアルで生々しい、砂漠の民がゆったりとした服を身に着けるのは締め付けの少ないソレが汗や熱を逃がす役割をしてくれるからだ……半袖の俺にはキツい現状。


「夢だったら長袖でも良いじゃねぇか、しかしあの人影……………女性っぽいな……砂漠の解放感で全裸とか頼む、頼むぜ俺」


自分自身がこの世界で最も信用出来ないが自分の卑猥さだけは誰よりも信用出来る、夢の中で後の展開を願う間抜けは世界で俺ぐらいだろうと自虐する。


太陽の日差しが強くなって来たので日陰で少し休憩する、俺は何時間も歩いているが遠くの人影は微動だにしない、夢だよな?………頬を指先で捩じると痛みがある……ように思える。


辺獄(リンボ)にでも迷い込んだか……冗談にしてはキツいぜ?呵責も希望もない永遠に変わらない退屈な時間なんて最悪も最悪だ、アカシアの一種であろう樹木の下で大きく溜息。


ムカついて来た。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおお、何で夢の中でこんな辛い思いをしないとならんのだ!!砂漠では無く砂浜!砂丘を出すなら乳丘!エロい姉ちゃん出せやっ!」


青い海が広がる砂浜で乳のデカい姉ちゃんが全裸でご接待――そんな夢でいいじゃん、何で現実でもボロボロなのに夢の中でもボロボロにならないと駄目なんだよっ!!


怒りに任せて走り出す、砂礫に足が沈む前に次の足を前に出す、冗談のような力任せの技で全力疾走……砂丘の天辺に到着したらジャンプしてそのままバランスを崩して転げ落ちる。


絶叫しながらそれを繰り返す、他人が見たら発狂しているようにしか見えないだろうが本人から見ても発狂しているようにしか見えない、つまり現在進行形で発狂しているんだな俺。


「相変わらずエッチな事に夢中なんだから」


声がした―――いつの間にやら人影は声の聞こえる範囲にまで近付いたらしい、何処か懐かしいようで胸が締め付けられるような声、誰の声でもあるようで誰の声でも無いような特徴の無い声。


汗が砂漠の上に零れ落ちて蒸発する、前髪が額にべったりと貼り付いていて気持ち悪い………そんな理由付けをして顔を上げる事を戸惑っている、どうしてか俺はその声に恐怖している――胸が張り裂けそうだ。


砂漠の強い日差しが俺を責め立てる、さっさと楽になれと責め立てる………恐る恐る視界を上げる。


「やあ」


「……………部下子」


天命職に選ばれてから明確では無いが自分の胸の内に隠れていた存在、はっきりと思い出せないがかつての俺には彼女が全てで彼女の為に存在していた記憶が僅かにある。


黒髪ロングのストレートは俺が言ってその髪型にして貰った記憶がある……当時は言語を扱えなかったので『勇魔』に魔力で意思を伝えてたっけ、鴉(からす)の濡羽色(ぬればいろ)の美しい髪だ。


肌は白でも黒でも無い中庸の色をしている、顔の造りは整っていて美少女と言っても良いのだが何処か陰がある、瞳の色は夜の帳を思わせる底無しの黒色――垂れ絹が世界を黒く染めるように冷徹なものだ。


年齢は人間で言うならば10歳ぐらいの姿で固定されている部下子、その経緯と愚痴を子守歌に俺は育った、ジト目つーか全てがどうでも良いって感じの瞳が懐かしくて少し狼狽えてしまう……懐かしい。


嬉しい。


「部下子だよ、弟君」


「いや、それ言ったし………えっと、なんつか、元気だったか?」


彼女が滅んだ時に俺の心も砕け散ったはずなのに自然とそんな言葉が出た、一夜の夢である存在に聞く様な事では無いし、それを口にしても余計な事を言ってしまった後悔が残るだけだ。


砂嵐は俺の言葉を掻き消す事は無く部下子に伝える、俺の夢ならタイミング良く風が吹き荒れて欲しいのに……現実もままならないが夢もままならない、自分の思い通りになる事なんてこの世界には無い。


「フフッ、なぁにそれ………おいでなさい」


俺の最悪の台詞も聞き流して部下子が手招きする、死人の手招きは生者を貪り尽くす……だけど相手は部下子でここは夢だ、それに求めていたものが俺を求めてくれる……ゆっくりと歩き出す。


目の前にいる部下子は俺より身長がかなり低い、腰の位置より若干上な彼女――記憶の中では俺は丸い球体で彼女より常に目線は下にあったように思う……浮遊してた時は別だが……それもまた懐かしい。


部下子の濡羽色の長髪が風に揺れる、あまりに美しいソレは頭頂部が円を描くように光沢を放っている……『勇魔』の第一使徒なのに天使の輪とはどうなのよ?昔と違ってボキャブラリーの引き出しが多い俺。


「大きくなったね」


「いや、部下子が小さくなったんじゃね?」


冗談を口にしたら脚の外側をローキックで蹴られる、相手が攻撃する刹那に前に踏み込んだ足が力んで硬直する……そこに放つローキックを躱す事は不可能に近い……部下子が子守歌で教えてくれたっけ。


痛みで砂の上で悶絶する俺を『目線が下がって昔みたいで懐かしい……泣いちゃいそう』と母性に溢れた視線を向けてくる、俺には甘かったが体罰はエグかったし子守歌もあらゆる意味で失敗だった。


……ローキックの教えが子守歌って。


「イテェ、ば、バーカ!バーカ!部下子のバーカ!」


「驚いた……『ミ―ミ―』時代より明らかに知能が劣化して幼児レベルのボキャブラリーになっている」


「見た目はそっちが幼児じゃん」


「…………キック、キック、キック、パンチ、キック」


「たまに来るパンチが対処出来ねぇ!?」


フェイクを織り交ぜたかく乱攻撃にダメージが蓄積される、部下子が本気になったら俺なんて一瞬で粉々なのでこれも戯れの一種なのだが……無駄に攻撃的な一面があるのは親である勇魔と同じだ。


俺みたいな丸くて素敵なマスコットがいなかったら相当殺伐した場所だったぜ?……仲の良かった『勇者』と『魔王』は俺と同じようにこの世界に生れ落ちたのかな?記憶が確かである今だからこそ考える事が出来る。


目覚めれば生れ落ちる前の記憶はまた封印される、予感では無く確信だ……誰の仕業かは大体想像出来る……自分が再会した時に憎まれない為だ、用意周到なやり方はあの人の十八番だものな。


「ふう、そっちこそ元気にしてた?」


「さっきまで元気だったよ、今は蹴られた足と殴られた顔面が痛いから全然元気じゃねぇよ」


「足が蹴られても顔面が殴られても全然元気そうじゃない、次はパンチの数を増やします」


「予告!?」


クスクスクス………口元に手を当てて笑う部下子……俺と二人っきりの時はこんな穏やかな表情を見せてくれた、俺はそれが大好きで独り占めしたくていつもどうやったら二人になれるかを考えていた。


育ての親に持つべき感情では無いのかもしれない―――勇魔を除けば魔王城には勇魔直属の部下である十三体の使徒と『勇者』と『魔王』の魂ぐらいしか俺の遊び相手はいなかった、その中で部下子は俺のおもり役だった。


国を滅ぼして俺の相手をして結構大変だったと思う、部下子の姿は記憶の中にある姿そのままで『夢』である事を再度意識してしまう。


「部下子」


「?抱き着いていいのよ?おいで―――部下子の可愛い坊や」


その言葉は勇魔の前では絶対に言えなかった台詞、あの人から俺を奪うような行動をすればどのような結果になるかはわかっている……あの人の愛は粘着的で執着的で愛憎に近い澱んだ感情だ。


俺は膝を地面に着けて部下子に抱き着く、自然と抵抗の言葉も無く体が勝手に動いてしまった……俺の護衛役として生まれて世界の災厄としてあの人に使役された少女……懐かしい、愛おしい。


上半身と下半身が一続きになった黒塗りのローブもあの時のままだ、上衣とスカートが一体化した形状のローブは彼女の個性を隠すように『地味』な構造と色合いをしている……もっと違う姿も見たかった。


もう、見れないのに。


「子供じゃねーんだから頭撫でるなよな」


「じゃあ、トントンしてあげるね」


背中を優しく叩かれる、無性に泣きたくなる。


目の奥が痛い、ポロポロと意識する暇も無く涙が零れる。


「俺、ちゃんと部下子のお陰で世界に生まれたよ」


「うん」


「実家は農家でさ、貧乏だったけど家族みんな仲良くて楽しかった、師匠も出来て『夢』も出来た」


「そう」


「やっぱりあの人と同じ『天命職』になってその力に溺れる事もあるけど楽しくやってる」


「良かった」


部下子のローブが涙で濡れる事も構わずに顔を擦り付ける、いつの間にか砂漠は夜を迎えている。


冷たい風が吹くがそれでも俺の中に灯った火は消えない。


「あとさ……部下子のような女の子に惚れたぜ?強くて怖くて腹黒くて………繊細で優しくて可愛いんだ」


「ふふ、なら安心だね」


見上げる、部下子も泣いている……夜空を連想させる黒塗りの瞳から星のような美しい涙が零れる。


俺の瞳に零れて涙と涙が混ざり合う、これは夢だ………夢だけど部下子が目の前にいる。


「俺、ずっとずっと部下子が好きだ………お母さん」


「部下子もずっとずっと弟君が大好きだよ?ずっと見守ってるから……だから目覚めなさい、貴方の好きな人が待っている世界に……」


涙で歪んだ視界が徐々にぼやけていく。


俺はまた忘れる……そしてまた思い出す


いつだって。

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