第26話・『狂狐病』

耳を無造作に掴まれた時に感じたのは快楽と自身の体が融解する何とも言えない奇妙な感覚だった、自身は種族の特性として人と獣の姿の二つを併せ持つ。


狐の姿に転じる時はこのような奇妙な感覚は無い、骨が軋んで肉が肥大して神経を圧迫する、自分の意識とは別に体が『主』の望むままに変化して変貌して変容している。


体が自然と前屈みになるのは増大している背骨に圧迫されて体が折れ曲がっているからだ、犬歯が上唇を弾くようにメキメキと成長している………これなら我が子の敵を容易く噛み砕ける。


獣の咆哮は人に原始の恐怖を思い出させてくれる、儂の場合は人であり獣でもあるから愉快なモノとして聞いていられる、それが自分のものなら尚更だ―――――灰色の毛が汚染されるように足元から黒塗りに変わる。


キョウの髪の色と同じ黒い毛並み、そうじゃ、灰色である事がおかしかった―――肌の色は同じなのに、毛髪の色が違うとはおかしいではないか……儂が正しい姿に転じているのをキョウはニヤニヤと『見下している』。


犬ぐらいなら一呑みに出来そうな巨大な体躯、初めての変化のはずなのにこれが正しい自分だと理解出来る、変化したのは体だけでは無く世界を捉える感覚も……風が肌に触れるのを今までより細かく感じれる。


素晴らしい、キョウの母狐として実に素晴らしい姿、誰に見せても恥ずかしくないキョウの為だけに特化した戦闘形態、我が子は儂の首に足を挟んで耳を掴んでいる―――全てが一つで『全』である。


母に子が帰結して一つに戻る、誕生する前に……混沌として血肉が同じだったあの頃に……一匹の獣は一人の息子を得て完全な姿へと戻る――――声がする、幸せを叫ぶ声、我が子との愛を見せつける優越感に染まった咆哮。


狐の咆哮。


『クォォオオオオオオオオオオォォオオオオオオオオオオォォオオオオオオオオオオン』


「あは♪」


我が子が笑う、伝わる心は強烈な熱になって儂の体に浸透する―――どのような命令でも容易く行うぞ、お前の為の体と心じゃ、実にわかりやすい仕組みで動く単純な愛の奴隷じゃ。


敵はお前と同じ『天命職』……『罅』で万事を支配する強敵、しかし母と子の絆があれば有象無象の羽虫になる―――ん?少しおかしい、些細な違和感、今の姿になって幸せの絶頂にいるはずなのに……。


それは想像したくない事、想像してはならぬ事、ええい、考えないで目の前の敵を抹殺しろ、これを考えてしまっては儂は狂ってしまう、子供の為に聖母でありたいのに!!子供の為にそうあると誓っているのに。


過去の暗殺者だった自分を捨ててこのように新たな『過去』を『創造』して幸せの絶頂にいるのに……ダメだ、考えてしまう、キョウがそれを『思考』する自由を与えている……ニタニタと儂の上で蔑んで笑っている、嬉しい、やめて。


『あぅ』


「そうだ、灰色狐、想像していいんだぜ?その現実を………ああ、そうなんだな、可哀想な事にな」


『い、言わないで、言わないで、キョウ、頼むから』


「許してのそれはポーズだろ?俺の為に嫉妬で狂って醜い女の性を見せてくれるんだ、俺はそいつも愛するぜ?」


『い、、言ったら、ヤダぁ』


「あいつと俺は同じ天命職、同じ魂から派生した存在―――――もしかしたら灰色狐より俺に近いかもな」


――――――――――――――――――――――ォ。


何も言えずに何も反応出来ずに暗転する世界は儂の名前と同じ灰色に染まってゆく、獣の体がグラつく、このような立派な四肢を持っていてもこの言葉の前には無意味。


それは想像する事を禁じていた事実、いや、事実のはずでは無い、そんな事は認められないし認めるわけには、認め―――――何だ、コレは、どうなっているんじゃ。


キョウは儂の息子、儂はキョウの母親、それは完結した最高の関係で他者が入り込む余地のない素晴らしい血縁関係、儂の肉がこの子の肉になりこの子になって……なのに、それよりも近い?


それを他者が口にすれば八つ裂きにして終わりだ、何と愚かな嘘を吐くと口にして殺してしまえばいい……誰が口にしてもそれを否定できる、例え神が口にしても神を殺して事実を修正すればよい。


『ォ』


なのに、『だのに』――――――――それを愛する我が子が口にした、愛らしい声で、我が子の声で儂が最も聞きたくない事実を最も聞きたい声で口にした、ォォ、脳の神経が焦げる、焦げる、消し炭になる。


ダラダラと狂犬病を患った獣のように涎が絶えず溢れる、愛しいキョウは儂の上にいる―――主従の関係のままにあの子が上で儂が下、最も素晴らしい時間のはずなのにそれが邪魔された、壊された。


誰が壊した、ああ、キョウはいいんじゃ、その言葉は儂にとって絶望なのだとしてもキョウが与えてくれるものなら全てありがたく受け止める、憎悪の塊であろうが飲み込んで血肉へと変えてみせる。


でもでも、酷いじゃないかキョウ、ここまで母を獣に変化させて遊んでくれているのに……あんなものを、あんなものと母を―――儂だけを見てて、儂だけに跨ってて、儂だけの名を口にして。


『ォォオォオオ』


でないと酷いぞ、キョウ………キョウに近い?あのダークエルフの末路は酷いものになるぞ…母は嫉妬深い、母はお前に他の雌が近寄るのを許さん、無論―――お前が望めば事はなるじゃろうがな。


それでも儂にその『反抗心』だけは与えてくれている、嫉妬している儂が滑稽で笑えるのじゃな?よいよい、お前が楽しんでくれるなら母は尻を振り上げて媚び諂う事も喜んでしよう、しかしこれは許せぬ。


儂からキョウを奪う可能性がある存在、天命職の同胞―――――――そんなものはいらん、母だけいれば良いだろう、母は何でもお前に与えてやれるぞ、そう、何でもだ……腹が減れば儂の肉を食え、喉が渇けば母乳を出してやろう。


『オォォアああああああああああああああああああああ』


「鳴け鳴け鳴け、ははははははは、もっと言うぞ?あいつは俺の姉だぜ、お前が育てたお前が嫉妬するタソガレと同じだ、みんなお前より俺に近いぞ?」


『ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』


「どうする?どうする?お母さんである灰色狐より俺の事を知っているかもよ?俺と仲良くなるかもな、俺と一緒に暮らす未来もあるかもな、姉と弟だもんな」


『―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――』


「灰色狐より、あっちに跨ろうか?」


『―』


みてて。


わしのほうがいいから。


きょう。


『キョウ、すき、あいしてる』


「うるせぇ、イケ、倒せ」


イク。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る