第25話・『狐に騎乗、二人は狂う』
歪な『陣』が世界を侵食する、夜の闇を切り裂くように出現したソレには魔力の欠片も感じない。
当然だ、この力は魔力によるものでは無い、エルフライダーの基本的な能力、世界は真理を持って『陣』に抵抗して掻き消そうと圧力を加える。
無駄な事だ、空間を侵食した『陣』は気持ちの悪い軌跡を描きながら根を伸ばす……まるで癌細胞のように主である世界を蹂躙して破壊している……その中心からズブズブと出現する。
「ッァ!」
出現したソレは『陣』が消滅すると同時に黒塗りの世界を疾走する、二人の間に割り込んだそいつが勢いのままに坐五をぶん殴る――俺があれ程までに苦戦していた坐五が吹っ飛んでゆく。
骨が軋むような音と肺を圧迫されて吐き出された苦悶の声、防御が間に合わずにまともに胸郭を抉るように殴られた………坐五はそのまま城壁に衝突して噴煙の中に隠れてしまう。
城壁には鉄格子や鉄柵を通す空間や煮え湯を流す穴が設置されていてこの砦が本来は戦(いくさ)の為に建設されたものだとわかる、しかしまさか個人の戦いで城壁が破壊されるとは設計者も想像していまい。
「飛んだ飛んだ、キョウ、見ておったか?」
「おう、強いな」
「お前の為の『強さ』じゃ」
小さな背中が俺を守るように目の前に……灰色の髪が月明かりに照らされて鈍く光る、薄暗い空に漂う雲のような色合いの髪の色、襟首より短い位置にきっちりと切り揃えられたサイドの髪が印象的だ。
前髪も同じようにきっちりと切り揃えられていて几帳面さを強調している、肌の色はやや褐色に寄ったもので俺の肌色に近い、違いがあるとすればこいつの肌にはシミ一つない、若さからか漆器のような艶やかさがある。
服装は東の方で着られている『東方服』(とうほうふく)だ、服の脇からスリットにかけて幾つか紐を結ぶ部分が存在している……そして脇に近い部分は斜めに紐が取り付けられていてややエロい。
幾つかの紐は解けていて柔肌が見えるのは前回と同じ、黒の布地に蝶々の刺繍が良く映える………俺の『母親』である狐の登場に地面に力無く座り込む。
「いい子だ、灰色狐(はいいろきつね)」
「いい子じゃ、キョウ…………お前の敵を殺せるだなんて母の特権、喜びの極み、しかし急な召喚で無理をしていないか?」
「わかんねぇ、取り敢えずあいつボコボコにしてくれ」
「そうしたらキョウは嬉しいのじゃな?よ、喜んでくれるのじゃな?」
「ああ」
何とかそれだけを言葉にする、疲労と緊張により体は悲鳴を上げている………あいつの情報は既に『体の一部』達には伝わっている、伝達された情報を個々が自分の経験や知識を下地にして対処法を導き出す。
俺が灰色狐を召喚したように坐五にも『天命職』としての固有の能力があるはずだ、恐らくは俺の傷口を侵食していた『干草の塊』(タンブル・ウィード)がその能力のはず、魔力が感知されなかったしほぼ確実だろう。
どれだけ能力の幅があるのかはわからないが傷口から感染する事は確かだ、瞬発力と回避力、その二つに特化した灰色狐なら俺よりも優位に戦えるはず……そしてそんな理由を付けなくても単純に灰色狐は強い。
「少年…………手癖の悪いペットを飼っているな、魔力での強化が間に合わなかったら肋骨が折れて大変だったぞ」
「よく知っておるな、儂はキョウのペットでもある、クーン、クーン、息子に媚びるのは得意じゃぞ?」
「チッ」
小さな尻の後ろに垂れ下がっている『狐』の尻尾がご機嫌に左右に揺れる、灰色のそれは光沢のある毛並みをしており手入れの良さが伝わってくる……自分の『一部』の美しい部位に惚れ惚れする。
忌々しそうに舌打ちをしながら城壁に埋まった体を起こす坐五、先程までの余裕のある表情から一転して鬼気迫る表情をしている、対象を殺す事を夢想して悦に浸る修羅の表情……人間失格、そんな壊れた笑み。
それに対して灰色狐は実に楽しげに振る舞っている…………クルクルと意味も無く両手を伸ばして回転している……あいつが俺を傷付けた事は灰色狐に伝わっている、故に憤怒を超越した凄まじき感情の嵐が小さな体躯の中で渦巻いている。
「いいぜ、灰色狐、俺に対して『可愛く振る舞わなくても』―――いいんだぜ、感情のままにそいつの腸(はらわた)をぶちまけても、見せてよ、俺の為の『汚い母さん』……みてぇ」
「………あ」
静寂、夜の世界は本来の色を取り戻して『安定』を歓迎する、何処かで鳥の鳴く声がする………そして大地が軋む音が続く、灰色狐の尻尾が逆立って鋭い刃物のような形状に変化している。
小刻みに震える様は何かの中毒を連想させる程に激しく病んでいる、俺の許しを得て『ペットの母』から『化け物の母』へと変貌している、感情の表現すら俺に許可を得る様は見ていて爽快だ、そして痛快だ。
灰色狐、見せてごらん?
「あ、だめだ、おまえ、おまえ、キョウを、あ、なにを」
夢遊病者のような足取りで前進する灰色狐、刹那に恐ろしい爆発力で地を駈ける……姿が消えてしまったと錯覚する程の速度、蹴り上げる大地の音は小さな体からは想像出来ないほどに荒々しいものだ。
弾丸のように飛び出したソレは轟音で敵に肉薄する、空気を切り裂いて大地を蹂躙して敵を殺す為の一匹の獣に成り果てて―――実に頼もしい、実に愛おしい、実に醜い、全てが俺の為に正しく稼働している。
実に誇れる母狐。
「シャァアアアアアアアアアアアアアア」
「種族はわからんがこの異様な速度、アサシンの類か………いや、それ以前にぃ!」
前足のつま先を灰色狐に対して直線になるように向けて後ろの足は前足に対して45度~90度の幅で固定する……レイピアを構えた坐五はまるで一振りの剣のように無駄が無い。
突きを主体として攻撃に特化した剣技、足の裏全体を地面に擦れるように移動する独特の足捌き、『上げる』過程が無いので移動地点を読み取り難い……全てが理に適っていて無駄が無い。
目の前に迫った灰色狐に対して刀身が残像を見せる程の速度で突きを繰り出す……全ての突きが導かれるように人体の急所へと収束されてゆく、それに対して灰色狐は予想外の動きをする……急回転、相手に背を向けて無防備な姿になる。
奇策とも呼べない意味の無い行動、それに踊らされる事は無く無慈悲な一突きを与える為に腕を伸ばす坐五、しかしそれは奇妙なモノに巻かれて速度を軽減させる―――灰色狐の尻尾が蛇の様に巻き付いている……人体には本来無い部分。
どれ程の圧があるのか想像も出来ないがレイピアは停止した状態で軋んでいる、そのまま前進する事も後退する事も出来ない坐五はすぐにレイピアから手を離して蹴りを繰り出す、しかしそこに灰色狐の姿は無い。
地面に這い蹲るようにして坐五の蹴りを躱した灰色狐は尻尾を器用に動かしてレイピアをまるで尻尾の延長物(えんちょうぶつ)のように扱う、主を裏切るべく躍動したソレが刃先を躍らせて坐五の太腿を切り裂く―――深い。
「あはっはは、あっははっはははっははっはははははっはははっはは」
「狂人なのか狂獣なのかはっきりしろっ!」
「母親」
「ッ」
「母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母母」
子供のような体で子供のような声で母は母である事を高らかに謳う、異様な光景に坐五は傷口を押さえたまま後退するだけで追撃のチャンスを逃してしまう。
灰色狐の仕上がりは中々に形になっている、人間の感情の中で最も『力』に変換しやすい『愛情』が『母親』である事でさらに増大している、以前よりも確実に強くなっている。
「灰色狐?」
「あ…………うむ、すまん、血に酔った、キョウ、キョウ」
呼び掛けると正気に戻ったのか真っ当な返事をする、これより先もあるんだけどな……相手の出方を見ないと使用して良いものかわからない、個人的には仕上がりを見たい気持ちがある。
視線を坐五に向ける………ダークエルフ特有のコーヒー色をした滑らかな肌から血が滴り落ちている、手刺繍が施されたベールの下の表情は怒りに満ちている―――憤怒、美人は怒っても綺麗だな。
だけど俺を傷付けようしたよなァ?傷付けたよなァ?
「『罅』」
坐五が一言呟く、地面に手を当てて気怠い声で何気なく……どうしてだろう、それは俺が『オレ』を求める時に酔い痴れるのと同じだと直感的に思う―――『天命職』の異端の力、異様な現象、異常な能力。
地面に『罅』が一本走る、地割れなようなものか……恐ろしい、そう感じたのは一瞬でそれが間違いだったとすぐに気付く、地面に伸びる『罅』が石の上を通過する……石が割れる、その下の地面も割れている。
枯葉の上を『罅』が通る、枯葉が『罅』の這った後と同じように割れる……下の地面も割れている……あれが通過した後は等しく割れる、『罅』の軌跡の通りに破壊される―――ぞくり、背筋が凍る。
「灰色狐ッ!」
「これが……お主の能力か、ハッ」
罅は一本だけだが現象としてのヤバさが規格外だ、あれが這えば物質の『厚さ』は関係なしに破壊される―――俺の時はあれを球体に捩じって埋め込んだのか……咄嗟では『伸ばす』事は不可能だから……成程。
こうやって手の内を見せて『本気』になればその恐ろしさは増大する、速度もかなりのものだ……地面を這いながら灰色狐の後を追う、亀裂の入った物質は呆気なく砕けて崩壊する……目の前で木々が真っ二つに粉砕される。
「『罅師』(ひびし)……………それが坐五に与えられた職業、坐五の『罅』はあらゆる物質を透過して粉砕する……それが鉄だろうが魔力を帯びたものだろうがオリハルコンだろうが……関係無い」
「主ィ、こいつはヤバいぜ?自動追尾で何処まででも追ってきて隠れる事も止める事も破壊する事も出来ねぇわー、つんだわー」
ユルラゥはの言葉は正しい、終わりの無い攻撃は無限地獄に等しい……現に先程まで互角に近かった灰色狐が防戦一方になっている………地面を這う『罅』の速さは尋常では無く凹凸も障害物も関係無く移動する。
これでは坐五に近寄る事も出来ない、灰色狐の速度に劣る俺では相手にもならない、しかも『罅』を地面に走らせたまま坐五まで灰色狐を追っている……レイピアを失っても徒手空拳が冴えているぜ、チートか。
永遠に追尾する一撃アウトの『罅』に灰色狐とほぼ同等の実力の坐五、これはヤバい……くくく、笑みが溢れる、笑顔になってしまう……望んだ状況が転がり込めば人間は笑顔になるのだ、当たり前なのだ。
「おいで」
逃げ回る灰色狐を呼び戻す。
「キョウ!殺したいのに殺せぬ、すまん……お前の為に役立つ母でありたいのに」
俺の横に着地した灰色狐を抱き寄せる、子供特有の高い体温と戦闘によって高ぶった獣の香り、それを存分に楽しみながら体に手を這わせる。
『罅』が迫る、坐五も迫る………現状はピンチの連続で逃げ出してしまいたい気持ちになる、しかしそれは実に楽しい事、見た目は子狐、中身は母狐……果たしてその正体は?
「ぶるるるん」
「ァアアアアアアアアアア亜ァアああああ亜ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあアああああああああああああアああ亜」
特徴的な『狐』の耳を掴んで『駆動音』を呟く、さぁて、跨るのは久しぶりだな………………暴れるか。
暴れ狂うぜ。
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