外伝3・『果てて変わり果てて出会うまで』

病(やまい)で寿命が尽きる前に『暴れ川』の治水の為に役立てて欲しい―――彼女は村長にそう言ったらしい。


人柱(ひとばしら)―――辺境の人間が自身の力では何も出来ない事を認めて無垢な命を神に差し出す事、バカバカしい……しかし、実際行われている。


余所者の私がその行為がどれだけ無意味なのか口にしても状況は着実に悪い方向に転がってゆく、生きているだけで貯蓄を減らす『厄介者』を村の為に役立てる事が出来るのだ。


これが地方の現実で地域の悪習で世界の常識だ、それがどれだけ無意味な事であろうと一瞬の安定の為に子供を犠牲にする大人たち……キョウはそれに対して何も言わない、黙って鍛錬をする。


「……………」


あの少女はキョウに対して淡い恋心を抱いている、雪がパラパラと降り注ぐ寒い冬空の下でキョウはいつもの様に素振りを始める………夜には雨になるだろう……そしてあの子は今日の夜に神の供物として捧げられる。


子供の恋愛に口を挟むつもりは無いが世界の常識に異議を唱える事は出来る―――このままあの子を見捨てて良いものなのか?いや………無理矢理に助けたとしてもその後はどうする?


彼女の寿命はあと半年も無い……あれは流行り病の類では無く持って生まれた資質が原因だ、苦しむ事も無く静かに息を引き取るだろう……本人が望むのならそのままにするのが……。


「ふう」


息を吐き出す、もしも……もしもだ、仮定の話をしよう……もしもあの少女では無く、目の前で熱心に木刀を振るキョウが生贄の候補になっていたら私はどうしただろう?


少なくとも今のように冷静ではいられないような気がする、彼を自分の懐に入れ過ぎたのが私の敗因だ、今更それを追い出そうとしても家族に向けるような感情が私自身を許さない。


あの時から何一つ反省できていない、あいつが世界の敵に変貌した時も私は止める事も殺す事も追う事も出来なかった、黙って状況を静観しただけ……だからここまで堕落した、逃げてきた。


「どうしたものか、困るな」


幼い子供が自分の意思で命を捨てようとしている、しかしその命の期限は短い、ならば自分は誰かの為に役立てたと『迷信』を信じて死んだ方がマシなのか……考えて見たらこれが最良なのか?


キョウを見る、汗ばんだ肌とやや思いつめたような表情、興味が無いと言っておきながら彼女の事を心配している……ここ数日は無言で修行に没頭しているがわかりやすい子だ、ホントに。


死にゆく人間に未練を残しても仕方が無い、冷たいようだが助言は出来ない………キョウなら助ける、彼女なら助けない、理由は結局それだけだ……私にとって彼女は世間を敵にしてでも助けたい存在では無い。


それだけなのだ……それがどれだけ非情な事か……それがどれだけ残酷な事か私は知っている、人間は選択する生き物であり区別する生き物である、あれは味方であいつは敵で……決めつけて区別する。


出会う人間全てに情を向けていたら生きていけない、必ず誰かを見捨てて『心の中から追い出す』ようにする、そうする事で自分の精神は保たれる、あの人は自分とは無関係だったと開き直れる。


こんなにも毒々しい私の内面を知ったらキョウはどうするだろうか?―――嫌って私を見捨てる?そうしたら私はどうするのだろう―――追いかけてもう一度………『あいつ』の時とは違う。


『あいつ』とキョウは似ている………人を惹きつける明るい面と人を『狂わせる』危うい魅力を兼ねているように思える、今日生贄として捧げられる少女はどちらのキョウに惹かれたのだろう。


どちらに惹かれたとしても救いは無いのに、どちらに惹かれたとしてもキョウの隣に『明日』いるのは私なのに――――無駄な想い、無駄な感情、無駄な死………私は今……何を考えている?


汚らしい感情だ……少なくとも年下の死にゆく少女に向ける感情では無い。


「クロカナ?どうした?」


「え、あ、いや、何でもないよ、アハハハ」


どうも、落ち着かない………自分が自分ではないような奇妙な感覚。


しかしそれは悪く無いものだ。


この子は私の愛弟子なのだから。


私のものなのだから。


私の。


私の。















ザ―ザーザー、雨の音が忙しない、まだ大丈夫、まだ川は暴走しない………しかしそれがいつになるのかは誰も知らない。


だから命を使ってソレが無くなるなら良いと思った……お医者様に言われた余命はとうに過ぎている、『長過ぎた』命をここで使うのだ。


父と母は兄がいるお陰で将来の事を心配していない、心配があるとすれば体が弱く嫁にも出せそうに無い厄介者、村の皆は知らないが両親は当然知っている……自分が誕生した時から定められた命だという事。


村の男連中が数時間かけて拵えた穴の底で身を振るわせる…………足首に荒縄で固定された岩が自分の運命をはっきりと伝えている、この大雨で穴はいつか水で埋まってしまう、私は人柱になる。


「寒い」


カタカタと身を震わせるがこの感覚とも今日でお別れなのだ、それはそれで良好と納得する―――死ぬ事で解放される事があれば自分の存在価値への悩みと恋で不安定になる自分の心だ……私なんかが恋をして良いはずないのに。


兄が欠かさず毎日『虐めている』少年は私より幾つか年上だ、名前は『キョウ』……不思議な雰囲気をした子供で儚げに見える時もあれば誰よりも逞しく見える時もある……冷たい雨が思考を混濁させてゆく。


初めて意識したのは何時だったかな?兄が虐めている少年、兄曰く『自分以外をバカにしているガキ』らしい、それをバカにしている兄はどのように評価されるべき人間なのだろう?


「あぅ」


彼はいつも村の片隅で木の枝を振るっている、その行動をバカにされようが注意されようがお構いなしにだ……何やら夢があるらしい、昔はソレを大声で叫んだらしいが最近は叫ばなくなった。


兄に虐められている時も瞳は真っ直ぐに前を見据えている、死の恐怖に怯えて自分の存在価値に悩んでいる私とは反対の瞳、魂の根底から放つ輝きが瞳に宿っている―――だから兄も皆も気に食わないのだ。


俺たちと同じように農民として『腐って』愚痴を吐きながら生きていれば良いだろと…………しかし『キョウくん』は諦めない、石ころの山にダイヤが転がっているようなものだ……疎まれ、嫉妬される。


そして女の子は恋をしてしまう…………私はそんな彼に恋をした、大好きになった、少し話すだけで有頂天になった――――――私の中の唯一の輝かしい記憶、彼にとってはきっと何てことの無い記憶。


「ごほっ」


可愛さの欠片も無い咳だ、恋をしているからこんな事を考えるのかな……思えば咳を可愛くするだなんて恋をしないと考えない事だろう―――――――ここ数週間、咳が止まらない、胸の奥が咳をする度に灼けるように痛い。


声が枯れて老婆のようだ……でもいい、こんな声をもう聞かせたくない……キョウくんは私が人柱になる事をどう思ったのかな?―――きっとあの人がいたからこの選択をした、少しでもあの人の為に役に立ちたい。


家族の為でも無く、村の為でも無く、自分の為でも無い………キョウくんの為に『生きて死にたい』――――ああ、きっと彼はいつか村を出ていく、恋に奥手で余命の定められた私は彼を見送るだけ……でも、でもね。


死ねば!死ねば彼とずっと一緒にいられる!魂だけの存在になって!!彼に寄り添って永遠を生きていける!それはとてもとてもとても素敵で生きる事より死ぬ事の方が素晴らしいと私に教えてくれる!


「はは、ずっと、ずっと、ずっと、死ねば、しねば」


「―――――――――――――――――――」


水が肩の上を過ぎた頃、突然それは出現した――――――――――キョウくんが水面の上に立っている、水面とは呼べない汚らしい底無し沼の水の上に……波紋が彼の足元から広がっている。


死の幻覚はこんなにも素晴らしいのものなのか、そうなんだね―――しかし、キョウくんの表情は何処か悲しそうで、泣きだしそうで、私を見ているはずなのに誰も見ていない――真っ白な表情。


彼との接点が少ない私にはその表情が何を意味するのかわからない、最後に会えた……その喜びだけが胸の中を支配していて何かを憶測したり推理する事は出来ないぐらい馬鹿になっていた。


色狂い。


「しぬのは――だめだぜ」


でも死ぬよ?ここで死ねなくても病で死ぬもの―――だから死んで傍にいさせて下さい。


貴方はこの村を去る人だもん、わかるよ、大好きだから。


そして私は古い村で朽ちて死ぬだけの少女――死なせて、一緒にいさせて。


「あは」


花が咲いたようにキョウくんは笑った、寒気は無い、冷たい水の中にいるもの――そんなものは消え失せている、後は全ての感覚が喪失して死ぬだけ――なのにそれは来た。


澱んだ水面には私の為に献花された花びらが広がっている、あれは何の花だったかな………ああ、菊の花だ――彼を初めて意識したのはこの花を貰った時だ、どうして忘れてたんだろう。


今よりももっと体の弱かった私が両親に連れられて珍しく外に出たあの日、村には私以外の女の子がいなくて遊び相手は誰もいない……家の中と同じ色褪せた外の世界の風景。


『やる』


村の外で何か『大事』があったらしく私を置いて両親が足早に去っていった、誰かに命令されない限りは『行動』が出来なかった私はそこで立ち尽くすだけ……そこに彼は現れた。


一輪の菊の花を私に無理矢理渡すと彼はすぐに何処かへと消えた、ドキドキした、家族以外と話すのは初めてだったし兄以外の異性に会うのも初めてだった―――まだ恋では無かったかな?


そして恋になった、なってしまった。


「このまま、しぬなら、かわればいい―――――――――――またあおうぜ、あおう」


笑顔の彼はとてもまともな状態では無い、何せ水面に浮いている――幻の類だ、しかし頬を撫でる手には体温があり血が脈動する音もする……耳が痒い、耳の先が……そして冷たい水が私の体温を奪う。


意識が消える、死ねる、このまま死んだら貴方に言える――――死んで初めて告白できる、好きです、愛しています―――まだ子供だけど、これはきっと、そんな感情なの。


つたえたい、しんで。


「うまれかわれるさ―――おれのちからで、『きくた』」


「――――――」


菊の花が水面で揺らいでいた。


私は死ねたのだろうか?


死んで貴方に―――。



あ。

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