第7話・『初めてのクエストは街の裏山』
沼に沈んでゆくような体の重さ、何かに纏われているような不快感と嫌悪感、全身から溢れる汗が体を冷やす。
微睡みから逃げ出すように瞼を開ける――見知らぬ天井…………それはそうだ、あの村を出たのだから……これからは、ずっと『見知らぬ天井』が日常になる。
淋しくはない、望んだ事だ。
「起きましたか?」
鋭利な声、言葉に棘があるのでは無く言葉自体が鋭利な刃物のような………ここ最近で聞き慣れた声、聞くだけで背筋を伸ばしたくなるような相手に緊張を与える声。
声のする方に顔を向けるとそこにはカクトワール風の黒塗りの椅子に股を広げて反対に座るシスター・グロリアの姿、背もたれに手を絡ませて不服そうな表情――こわっ。
俺の反応を見て青と緑の半々に溶け合ったトルマリンを思わせる美しい瞳がスーッと細められる……観察されている、こんな美人に見つめられるのは本来は嬉しいはずなのに……。
あまりに完成された『美』は人形のような無機質さを備えている――普段と違ってシスター・グロリアの表情が限りなく無表情に近いので今回はそれが如実に出ている。
「ここは?」
「宿です」
「――――――――俺の童貞は?」
「え」
「無事なのか?」
「……………え?」
熟考した後に再度の『え?』……先程までの冷徹な仮面は剥がれてポカーンとした年相応の愛らしい表情、クールなシスターも好きだけど人間味あるシスターの方が好きだ。
それに今の反応から俺の童貞が奪われていない事がわかった……だって初めての宿だもの、初めての宿といえば『初体験』と相場が決まっている―――古来から脈々と受け継がれた文化。
シスター・グロリアが思春期特有の勢いで俺を昏倒させて『初体験』を奪ったのかと思ったが心配は杞憂に終わったようだ………一応、釘を刺しとくか。
「童貞を無理矢理奪うのは泥棒と同じだからな?」
「………………………………………え?」
先程を凌駕する熟考の末に絞り出した一言は同じものだった、汚物を見るような蔑んだ視線が体に突き刺さるがご褒美の一環として受け取っておこう――――あーざす。
細く整った顎を手で摩りながら如何にも困ったって感じのシスター・グロリア、しかし椅子を反対にしてがに股で座るとは………ペチャパイだから出来るんだぜ?
背もたれに掠りもしないペチャパイだからこそ出来る事をちゃんと自覚して欲しい――――シスターはみんな貧乳、この世界の普遍的な常識……ルークレット教こえぇ。
「冗談は置いといて………何も覚えていないんですか?」
疑うような口調だ、問われて初めて今の状態が『異常』だと気付く……体が丈夫な事だけが取り柄の俺が昼間からベッドに寝転んで酷い倦怠感に襲われている……何故だ?
最新の記憶を探る、この街に来て露店を冷やかして……………それから、エルフの女の子が脂ぎったオッサンに踏まれていたので顔面を陥没させるつもりでぶん殴った。
それでそのエルフ……『キクタ』とオッサンの私兵から逃げ回る事になって……シスター・グロリアと合流、エルフライダーなので早速エルフに跨ってみるかーって所まで覚えている。
「跨ぐ時にチン○ジのベストポイントを探った気がする」
「探んなくていいです」
「キクタの細いうなじに俺のアソコをどうすればベストの位置に保てるのか……」
「そこはもう語らなくて良いです」
「ベストの位置に収まった瞬間に意識が飛んで…………目覚めたらこの様さ、チン○ジの位置もベストじゃなくなってる」
「いっそのこと切り落としたらどうですか?」
「じゃあシスター・グロリアは生やせよ!」
「嫌です」
汚物を見るような目からレ○プ目になってゆくシスター・グロリア、どうにかしてあげたい、助けたい。
そうだ!
「俺の取ったのを生やせばいいじゃん」
「あ、粗末なものはいらないです」
いつ見たんだよ。
○
二階は宿屋で一階は食堂のようだ、腹が減ったので一階で飯を食べよう……階段は長い歴史を感じさせるもので踏むと痛々しい音で軋む。
シスター・グロリア曰く『冒険者の基本は節約、なのでここらで一番安い宿にしときました』………キクタとシスター・グロリアは隣の部屋。
キクタの様子を尋ねたらシスター・グロリアは顔をしかめて薄く笑った………取り敢えず、今は俺に会える状態ではないらしい……部屋の壁を何かで殴るような音もするし。
「……………生理か」
エルフは見た目で年齢の判断は難しい、しかし考えられる理由はそれしか思いつかない……チラリと後ろを振り向くとヒラヒラと手を振りながら三日月のような口の形で微笑むシスター・グロリア。
冗談は置いといて、キクタに会わせてくれないのは俺があいつに跨って気を失った事が理由なのだろうか?隙を見て覗いてみるとしよう……ニタニタ、彼女の笑みはいつもと同じ酷薄なソレ。
何かを隠している人間特有の道化のような笑み。
「しかし、あのオッサンが俺達を追いかけるのを諦めるだなんて、どんな手段を使ったんだ?」
「約束したでしょうに、エルフライダーとして最低限の装備は買って上げると」
「要するに?」
「ルークレット教の名前を出して適度に脅した後にお金を積みました」
「マフィアじゃん、マフィアのやり口じゃん」
「いいじゃん、それでいいじゃん」
シスター・グロリアが両手の指をワシワシと動かしながら俺のふざけた口調を真似る、二ィと吊りあがった口の端が如何にも彼女らしい……一階に到着。
「んー、上等」
日当たりの悪い空間に椅子や机が乱雑に置かれている、カウンターの向こうでは恰幅の良い老婆が鼻歌をしながら調理している――地元の食堂のようで安心する。
畑仕事を終えた後に親父が『酒の味を覚えた方がいい』と何度か連れて行ってくれたっけ、今にして思えば畑仕事に一途で不器用な親父の精一杯の愛情だったのだろう。
こうやって考えると貧乏な農家だったけど家族にはしっかりと愛情を注いで貰ったような気がする………今は好き勝手してるけど、ちゃんと親孝行をしないとな。
取り敢えず、冒険者ギルドに登録して名を上げて様々なクエストを熟して色んな地域を冒険して………世界は広い、きっと『ドラゴンライダー』に転職出来る方法もあるはずだ。
「おばちゃん、飯、てきとーに、量はたっぷり」
「あいよ」
客に無関心なオバちゃんの態度に格好を崩す、同じようにシスター・グロリアも椅子に座り込み気だるげな息を吐き出す――無駄に色っぽい。
古びた店内でシスター・グロリアの純白な姿が異様に際立っている、ベールの下から覗く艶やかな銀髪を指で弄りながらポケーッと天井を見上げている。
俺も何となく見上げると天井には年季の入ったシミがあるだけ………大口を開けて見上げるシスター・グロリアの心境は不明だがこんな事をしてもアホ面に見えないのが凄い。
「お待ち」
会話も無いが不快感も無い独特の空気の中で天井を見上げていた俺たちの前に料理が運ばれてくる……あんないい加減な注文だったのに中々に食欲をそそるラインナップだ。
そして立ち去る一瞬だがオバちゃんが左足の太ももを押さえて苦痛の表情をしたのを見逃さなかった――足が悪いのだろうか?店も繁盛していないようだし………いらぬお節介が顔を出す。
「いただきまーす」
「主よ、貴方様と世界のおかげによりこのご馳走を恵まれました――――深く感謝し、ありがたく、いただきます」
塩漬けした肉を豪快に焼いた一品の横にはこれでもかと蒸した芋が鎮座している、肉から溢れた油を芋が吸って実にいい塩梅に仕上がっている。
動物の内臓を丁寧に灰汁取りをして根菜と一緒に煮込んだシチューも沸々と泡が表面に吹き出ていてたまらない……丁寧に仕事をしているのは匂いでわかる。
地元では見た事の無い丸い形をしたパンの上には温めたバターが乗せられている………その横にはチーズスプレッド、一緒に食べろって事だろう。
「うめぇ」
「ですね」
二人では多いかなと思ったが数分で平らげてしまった…………シスター・グロリア、その細い体の何処に入るんだってぐらい大食いで少し驚いた。
でも沢山食べる女の子は可愛いので全然問題無い、しかし、男としてのプライドもあって張り合ったけど見事に負けてしまった――――かなり苦しい。
睡眠から目覚めた時の倦怠感が収まったと思えば次は満腹感による苦痛、そろそろ学習する事を覚えよう……………ホントに。
「こんなに美味しそうに食べてくれるなんて嬉しいねぇ」
「いや、旨かったよ、こんなに旨いの初めてだ」
食器を下げに来たオバちゃんが嬉しそうに笑う、美人とはお世辞には言えないけれど人懐っこく愛らしい顔をしている……注意深く観察すると左足に体重を掛けないようにしているのがわかる。
自分の経験から打撲だろうと推測する、村から唯一持って来ていた麻袋の中から『クール草』を取り出す、周囲の温度が高ければ高い程に自分自身を冷やしてしまう地元の薬草だ。
不思議そうな顔をするオバちゃんに『手当てしてあげる』と言って椅子に座らせる、最初は断ったオバちゃんだったが中々に根負けしない俺に折れて椅子に座る。
「階段を踏み外した際にちよっとね」
クール草と同じように麻袋の中から布切れを取り出す、まずは布切れを太ももに当ててその上にクール草を置く………後は包帯で強めにグルグル巻きにして固定する―――これで先程よりはマシなはず。
「あら、冷んやりして気持ちいいわ」
「地元ではこの時期にはアホなぐらい生えるんだけどな………何かあった時の為に見つけたら幾らか頂戴してるわけ」
帯びた熱が消えるまで一枚では心許ないのでさらに麻袋からクール草を数枚取り出して渡す―――オバちゃんは申し訳なさそうに笑ってお礼に食事をタダにすると口にしたが丁重に断る。
閑古鳥が鳴いているのは誰が見ても明らかだ、こんなに旨い料理に気のいい女将さん……そして宿泊代は激安なのにこの状況は明らかにおかしい、理由を問い掛けると暫し考えた後に口を開く。
別に難しくない話で簡易的にまとめると。
①『何十年もこの街で夫婦で商いをして来たが去年の秋に旦那が流行り病で死んだ』
②『この店の看板メニューの材料は旦那が裏山で仕入れていたが旦那が無くなってからは仕入れる術が無くなってしまった』
③『それは一般の流通には乗らない食材、看板メニューは多くの常連に愛されていたがそれを出せなくなった店に常連客が足を運ばなくなった』
④『さらに近くに新しい食堂が開店して近隣の住民は物珍しさでそちらに足を運んでいる』
まとめてみると問題の解決は非常に容易である。
「じゃあ、俺たちが取って来てやるよ、その材料」
自然と口から言葉が出た。
○
部屋の中心には蚯蚓の蠢きを連想させるような複雑な陣が描かれていて青白く発光している
この陣は対象を強制的に閉じ込めて徐々に力を削いでいく対『化け物』用の代物だ、発動させるのに時間が必要だが中々に強力無比な代物だ。
その中心でか弱いエルフは目の前で自らを拒む障壁に手を叩きつけながら声を上げる――封印された者の声は外には漏れないが衝撃は幾らか漏れてしまう。
ガンガンガン、皮が向けて血が吹き出ても障壁は無常に己の役割を実行する―――ルークレット教のシスターが拵えたのだ、仕上げは完璧である。
「にあ、あ」
彼女の混濁した意識にあるのは己の主を奪われた事実だけ、憎らしい、狂おしい、愛おしい――――主人に向ける感情は人の持つ強い感情の全てが混ざり合ったもの。
ああ、どうして自分から彼を、あの人を、我が君を奪うのか―――折角、自分の役割が理解出来たのに、理解してあの人に使って貰うのに、使って使って使って一つになれるのに。
「にあ、にぁぁ」
親を探す子猫のような声を上げる、瞼を閉じて主の気配を探すが徐々に遠くなってゆくのを感じる―――あの女だ、あの女が自分から主を奪った、あの女が主と自分の『合体』を強制的に解除させた。
許せない、絶対に………そうだ、次に主に『跨って頂いた』際にはあの女を殺していいか聞いてみよう―――深々と頭を垂れて、床に舌を這わせながら………甘えた鳴き声をあげてなるべく卑屈に滑稽に……。
「に……あ……さま」
そうだ、それがいい。
「さ、ま………だん…な、さま」
それが一番だ。
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