第3話・『女の子を踏みつける奴は俺が殴る』
そいつは突然目の前に現れた、地面に這い蹲り主に許しを請うアタシの前に颯爽と登場したと思うと我が主を思いっきり殴り付けたのだ。
周囲の人間もアタシ自身も突然の出来事に思考が止まる、旦那様を警備していた兵士ですら同じ有様だ、それ程に突然でそれ程に一瞬の出来事。
ざわざわ、数秒の後に周囲が騒めき始める………当然だ、この街でも有数の商人である我が旦那様を何処の馬の骨とも知れない男が無言で殴り付けたのだ。
「貴様ッ!」
そんな彼を取り押さえようと兵士たちが円になり彼を囲む、日焼けした肌に鋭い瞳、猫科の動物を思わせるしなやかな体つき……若者らしい覇気に満ちた荒々しい表情。
絶体絶命の事態なのに彼は何処か楽しそうに笑っている、武装した兵士の数は6人、どう考えても手ぶらの若者一人で相手になる数では無い、そもそも彼はどうして旦那様を殴ったのだろうか?
アタシには理解不能だ、物心ついた時から人間の世界で育ち、残飯を漁って生きてきた……今では『商品』として買い取られて唯一持っていた『自由』も奪われた。
エルフの世界にも人間の世界にも自分の居場所は無い事を知っていたはずなのに………奴隷の立場にまで身を落として初めてあの小汚い路地裏に戻りたいと過去を羨んでしまう。
そんなどうしようもないアタシを庇ったのだろうか?……この人は……わからない。
「あんたらのお仕事は子供を踏みつけて悦に浸るオッサンを庇う事か?」
「ええい、構うな、やってしまえ!!」
一人の兵士が彼を切り捨てようと剣を上段に構えて大きく振りかぶる、彼は視線を軽く横に向けてそれを確認した刹那に僅かに姿勢を移動させて凶刃を難なく躱す。
さらに左手で兵士のベルトを掴むと同時に大きく腕を前後させて体勢を崩させた後に手早く足払い……ポスン、尻餅をついた兵士の腕を蹴り上げると剣が孤を描きながら後方へと飛んでゆく。
あまりの早業に仲間の兵士も周囲の人間も唖然としている………ちなみに、飛んで行った剣は泡を吹いている旦那様の近くに突き刺さる……あんな人でも恩はある、少し安堵する。
「な、何だこいつは!!身なりは貧相だが戦闘に長じた職だ!油断はするな!!」
「おい、大丈夫か?」
慌てふためく兵士を無視した挙句、さらに彼等から背を向けて地面に伏せているアタシを覗き込むその人……雲一つない青々とした晴天の下で状況を感じさせない無垢な笑顔だ。
ボサボサの手入れのしていない黒髪に黒曜石を連想させるような深く底の知れない瞳……顔立ちは平凡だが一度見たら忘れられないような不思議な魅力があるように思える。
褐色の肌には蚯蚓のように古傷が幾つも走っていて痛々しい………初対面なのに不思議と『情』のようなものを感じてしまうのは何故なのだろう?
「お前、エルフか?」
「は、はひ」
旦那様に背中を踏みつけられた際に口の中を切ってしまってちゃんと返事が出来ない、恥ずかしい。
「よし、今日からお前は『俺のもの』だ」
優し気な声でアタシにそう呟いた彼は背後から襲おうとした兵士の股間を背を向けたまま踵で蹴り上げたのだった。
今思えばこれがアタシと本当の『旦那様』となる彼との最初の会話だった。
○
「でけぇ、街ってこんなにでけぇのか」
「ふふん、やーい、田舎もーん、この程度の街で驚くなんてまだまだですね」
あれから五日間ぶっ通しで歩き続けた、冗談では無くて……険しい山道に互いにどちらかが先にぐうの音を上げるだろうと期待していたっぽい。
しかし流石はルークレット教のシスター、レベル80は伊達では無い……ちなみに俺はエルフライダーになったばかりなのでレベル1、体力は農民時代から引き継いでいるので足腰には自信がある。
「どれもこれも丈夫そうな造りの建物ばっかだな」
「組積造(そせきぞう)ですね、辺境のド田舎で無ければ大概はこんなものですよ」
シスター・グロリアの青と緑の半々に溶け合ったトルマリンを思わせる美しい瞳が細められる、何だか孫を見守る祖母のような視線だ………何だか全身が痒くなる。
行き交う人々の身なりも清潔で目抜き通りには食料やら装飾品やら様々なものが売られていてまるで『祭り』か何かのような賑わいだ、シスター・グロリア曰く毎日がコレだそうだ。
「シスター・グロリア!これ!これ何だ!」
「ああ、ちょっと、走ると危ないですヨー」
「俺ァ、ガキじゃねーぞ!」
子供扱いされて急に恥じらいの心が……すぐに怒鳴り返すと周囲の人間がクスクスと笑いながら微笑ましいものを見るような視線でこちらを見る。
その後にシスター・グロリアの格好を見てすぐに顔を蒼褪めさせて首を垂れる、威光ここに極めりって具合でそれを見てシスター・グロリアが無い胸を張ってドヤ顔をする。
性格悪いなこの人、見た目がいいだけで中身は程度が知れている。
「ん?キョウさん、私の事を見下しましたか?」
「見下してねぇです」
「何だか言葉が不便になっていませんか?」
「そんな事ねぇですよ?」
どんだけ勘が働くんだこの人、一緒に旅をする事になったけど油断は出来ないな……そもそも、俺の成長を促して見守る為に同行するとか言ってたけど結局は自分の為だろうし。
そもそも『天命職』とか『神の子』とか胡散臭い単語で自分の夢を諦めるわけにはいかない、エルフライダーとして強く成長しながら『ドラゴンライダー』になる術を探すのだ。
村から少し出ただけでこんなにも自分の住んでいた場所の狭さを自覚したのだ……だったら世界全体になるとどれだけの可能性が溢れているのだろう、そこに『ドラゴンライダー』に転職する術もあるはずだ。
きっと。
「私は私を見下していいのは神だけと決めているのでそこん所は気を付けてください」
「……自分の信者を見下す時点で神としてどうなんだよソレ」
「御身の父であり母であるお方になんて事を!――――――お尻を出しなさい、お仕置きです」
ベールの下から覗く艶やかな銀髪を振り回しビシッと俺を指差す………え、ケツを叩かれるの?今更?この年齢になって?―――――それはそれで良い。
あの白く細い指でケツを叩いてくれるのか、いいでしょう、受けて立ちましょう、ちぇ、仕方ねーな、まったく……シスターの願いだからしょうがねーぜ。
「俺のお尻を叩くと申すか」
「何で少し強敵感を出してるのかは不明ですが、いいえ、この隣の八百屋で売っているネギをお尻の穴に突き刺します」
「やだよ!せめてネギを突き刺した後にお尻を叩いてアフターケアしてよ!!」
「どんなアフターケアですか、バカなんですか」
「ぺぺんぺーん、ぺぺんぺーん、ぺぺんぺーんって具合にさ!」
「こ、こうですか」
パーン。
「違う、そうじゃない」
「キョウさんの歪(いびつ)な精神キモすぎますね」
寸劇も終わって都会に対する緊張も解けた、ぜーはーぜーはーと荒い息を吐くシスター・グロリアを性的な視線で舐めるように見つめた後に首を鳴らす。
この人、可愛いし面白いし腹黒いし飽きないな、好きかも。
「すんません、このネギ、夜にシスターが俺のケツに突き刺すのに使うんで売ってくれませんか?」
「売らねーよ」
野菜売りのオッチャンにあっさりと断られた、何故だ…………まさか本来の使用目的と違う使い方をするからだろうか?
中々に骨のあるオッチャンだ、ウインクすると気持ち悪そうな表情を一瞬して俯いてしまった…………ふふ、すんません。
「おや、あっちの方が騒がしいですね」
鉄の指輪に硝子細工を施した如何にも露店で売られてそうな品を指に嵌めて薄く笑っていたシスター・グロリアが不思議そうに呟く。
ちなみにその表情は自分は美人なのでこんな安価な品でも十分に様になると同性から嫌われそうな自身に溢れている。
「ちょっと見てくる」
「はいはい、喧嘩をしてはダメですよー」
足早に人の波を掻き分けながら進む、最初の内は上手に避けられなかったけど村で飼育していた家畜の群れを世話する要領で捌くと楽に進める。
そうか、人も家畜も生き物であることは違いないもんなぁ。
「ちょっと、ちょっと見せて」
「あっ、こら、子供が見て楽しいもんじゃないぞ」
騒ぎの中心に辿り着きさらにその光景を見ようと野次馬の壁の中に体を無理矢理に差し込む、忠告をしてくれた野次馬の一人の言葉が妙な不安を煽ったせいだ。
そして後悔する―――ホントに楽しくも何ともない糞みたいな光景だ。
「糞がっ」
………それを理解した瞬間に意識が真っ黒に染まって体が勝手に動いていた。
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