第2話

 こんな偶然、あると思わなかった。


 いや、異動になった支社が彼女の職場と近かったから、実はずっと探していたのかもしれない。


 扉が開いて溢れだした人の波。

 その波が切れた途端、書類を睨む彼女の姿が飛び込んできた。


『……まじかよ』


 ここどうぞ、と言わんばかりに空いている彼女の隣。


 迷わずそこに滑り込んだ。


『……あ、やべ』


 捲ったままの袖口。

 もし彼女がこちらを見たら、懐かしい傷に気付くだろうか。


 袖を直さなかったのは……やっぱり、気付いて欲しかったから。


 パラリ……パラ……


 車内は音で溢れているのに、彼女が紙を捲る音だけがボリュームを上げる。


『やだやだやだ!』


 腕の傷の話をしたあの日。

 両耳を押さえて怖がった彼女。


『釘がギギギ~って』

『ちょっと!本当にやめて!』


 嫌がる彼女が可愛くて、わざと話を続けたんだ。



 気付け。


 気付け。


 ……気付け。



「普通は気付くよなー」


 一気に飲み干した缶ビール。

 ソファーにゴロッと横になり、携帯を開いた。


 8年前から消せない連絡先。

 まだ繋がるかさえ分からないのに、ずっと同じ位置に残っていたその名前。


「いや、気付かねーか。あいつ夢中になると回り見えねーから」


 隣に座ったやつが、すぐに席を譲ったりしたら、大抵の人は気にするだろう。

 その時に彼女と目でも合えば、『あれ?』だなんて演技派俳優にでもなれたのに。


 あの日。


 俺のことも考えてくれよ。と、単なるスレ違いから別れた二人。


 あの時期だけ頑張ってたら……なんて、あとから何度後悔したかわからない。


 あいつは気付いてなかったけれど、二回も彼女に目をやった。

 左手の薬指に『印』がないのを二回も確かめたんだ。


「右手も見ときゃ良かったか」


 次いつ会えるかな。


 いや、次会えんのか?


「……うわ、なんだ俺」


「やばいやばいやばい、寝よ!」


 ソファーからはみ出した両足で、勢いをつけて起き上がる。


 その日はなかなか寝付けなかった。

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