第2話

あの声が聞こえ始めたのはいつ頃だっただろう。それこそ物心がつく頃には聞こえていたはずだ。始めのうちはこの声はみんな聞こえるものなんだと信じて疑わず、普通にその声と返事もしていた。その事の異常性に気づいたのが小学校の2、3年生の頃だった。それまでは母も少し変わった子と思っていたのだろうが、さすがにこの歳でおかしな独り言を喋っていると心配になったのか。俺にどうして独り言を言っているのか?と聞いてきた。俺は純粋に

「声と話しているんだ。」「母さんには聞こえないの?」と答えた。あの時の母は軽蔑や侮蔑の意は一切なく、ただ単純に心配そうな目で俺を見ていた。それ以来俺は人前で声に返事するのをやめた。しかし、田舎のネットワークというのは優秀なことにあの子は少し変わっているのよという情報は瞬く間にこの地域中に広がった。俺が他の子に話しかけても返事をしてくれない。と言うことはなく至って普通にコミュニケーションをとることは可能なのだ。それでも、何か親から言われているのか相手から話しかけてくることは滅多になく、必然的に友達もいなかった。そんな時に俺に話しかけてきたのが水谷宇宙だった。


その時、俺は当時ハマっていたUFOに関する本を読んでいた。すると突然

「君もオカルトが好きなのかい? 」

と声をかけてきた。

当時俺はオカルトの意味が分からずオカルトとは何か?というような質問をした。すると彼は

「オカルトに意味なんてないよ。UFOだとかUMAだとかとにかくロマンのあるもののことだよ。」

と答えた。

彼はその後も俺のことを回避するわけでもなく何度も話しかけてきた。次第に仲が良くなっていき、小学校生活で初めて友達ができた。小学4年1学期のことであった。


ある日、家で机に向かって宿題をしている時、例の声が久しぶりに聞こえてきた。

「この、電波は田原市内全域の正統な人類に向けられているものである。今から5分後に発せられる電波は各個人向けのものである。この声が聞こえるものはペンと紙を用意し、しばし、待たれよ。」

俺はなぜか脅迫感に駆られ、使わないノートを探した。すると偶然、宇宙から貰った使い所の分からない真っ黒いノートを見つけた。そのノートを掴み、机に戻っていつもの癖で表紙に名前を書いた。今思うと全く必要なかったのだが。

「これから聞こえる音声を正確に書き写して下さい。また、この音声をメモした紙を決して無くさないように、保存しておいてください。


"野はしっこくのごう火に焼きはらわれ

田はやみのけんぞく達の手に落ち

勇かんなる者はわれわれにひれふし

人びとはおそれおののくだろう"」


意味も漢字もあまり分からなかったが当時の俺はそれを必死に移した。そして、ほとんど使われていない倉庫部屋の大きな本棚の中に隠した。



世界中の人々が同時に光を見るという奇妙な現象が起こった翌日、あの声が聞こえてきた。

「これからは我々、正統な人類による反撃の時間だ。君たちにまだ帰属意識はないだろうが、君たちも立派な真の人類だ。それでも君たちは戸惑うだろう。そこで、今から君たちに本当の意識を目覚めさせる電波を送る。気がつく頃には、きっと無意識のうちに愚かな人モドキへの憎悪の感情が湧いてくるだろう。この地区の活動拠点は田原市役所だ。待っているぞ。」

俺はこの声を聞いた後も憎悪の感情とやらを感じることはなかった。


世界各地で人々が発狂し、世紀末が始まった。俺は田原市役所に行くことなく、家族とサバイバル生活を行なっていた。しかし、実際にはサバイバルというほどのものでは無く、政府からの給付金や普通に営業しているスーパーなどのおかげで、大した不自由なく暮らせていた。これも全て、"正統な人類"のおかげであろう。彼らは"愚かな人類"を抹消し、そして新しい世界を作り出す。そんなことを考えているに違いない。彼らは、邪魔者を追い出した後もう一度繁栄するつもりなのだ。だから、街のインフラを壊さないし、政府も維持させる。わざわざそんな事をする必要なんて無いはずなのに。


ふと、宇宙の

「おかしい。」

という一言で現実に戻される。なにやら宇宙と姉が宝くじの話をしている。俺はあのノートに声を写した時から、なぜか、姉や母と何かの距離を感じ、あまり話せなくなっていた。すると、周りが何かに反応した様子を見せていた。これは、あの洗脳電波が到達したということだろう。俺にその電波は届かない。この瞬間のたびに俺はみんなとの違いを見せつけられるようで苦しかった。姉と宇宙が顔を合わせたので、おそらく、終わったという事だろう。しかし、その安心は、次の瞬間に崩れ去った。母がやられたのだ。いつかやられると思いつつも目を背けていた事がついに起こってしまった。いったい、母さんが何をしたというんだ。何もしてないでは無いか。行き場のない怒りから思わず

「くそっ… 」

と声に出てしまう。俺にできることはなんだ…。答えが出るより先に足が動いていた。リビングの入り口付近に立てかけてあるバットをとり、急いでテーブルのところへ戻る。そこには姉の首を絞める母の姿があった。少し、戸惑ったが俺は手に持ったバットを母の頭に勢いよく叩きつけた。これまで聞いたことにないような音がし、頭蓋骨が陥没した。母はその瞬間に電池が切れたおもちゃのように全身から力が消え姉の上の覆い被さるように倒れた。足が震えて頭が真っ白だった。姉が起き上がってきて

「ねえ、どうしよう…」

と静かに言った。


俺は、田原市役所に向かっていた。彼らは間違っている。まずは彼らの実情を把握して、そして弱点なんかを探し出して、それから姉と宇宙とそれから沢山の人達を集めて、彼らに反抗するんだ。受付と書かれた張り紙のある小さめの窓口にいるおじさんに入団の旨を伝えた。初めは緩い表情でここに名前を書いて下さいね〜。などと言っていたが、俺が、電波を聞くことが出来ることを伝えると表情が一変し、なぜこんな時期なんだ!などと突然怒りを露わにし始めた。俺は取り敢えずそれらしい理由でその場をしのいだ。ここに登録する名前は今の名前ではなく、新しい名前を使うのだと言う。

「あの…新しい名前というのは…」

俺は恐る恐る聞いてみた。すると、受付の爺さんは半ば呆れたような顔で

「それ位分かるだろう?数年前に声を聞いたのではないのか?メモして忘れるなと言っていただろう。」

まさか、あのノートに書いたアレのことだろうか。俺はなぜかあの内容を明確に覚えていた。しかし、そうだとするとあまりにも長すぎるのではないだろうか。

「ええと…ちょっと長くないですか?」

「バカか。頭文字に決まってるだろ。少しは考えろ。」

考えろと言われても無理がある。そもそも、初対面の時と反応が変わりすぎて違和感がすごい。ともかく、頭文字となると野田勇人か。あの時はまるで気がつかなかったが、まさか名前になっているとは。それにしてもどうしてこんなに回りくどい方法で伝えたのだろか。入団の手続きが終わり、市役所の中に入る。すると、案内役らしき女性が立っていた。年は俺より少し上だろうか。

「ようこそ、君が新入りだよね。私は、日向…じゃなくて京子。いっつも間違えそうになるんだよねぇ。あっ、今に内緒にしといてね。」

間違えそうではなく完全に間違えていたような気がしたが指摘はしなかった。その後、俺は色々なところを案内してもらったが、どこかの怪人のごとく弱点などある筈もなく、外見も中身も新人類と言われる人達となんら違いを見いだせなかった。ふと、そこら中にチアシードが置いてあるのが目に入る。これはチアシードが旧人類の食べ物であるからだろう。現に俺もあのノートを書いた前後の頃にチアシードを食べなければ不幸になるという声が聞こえた。あれから、俺は健康にこだわる振りをしながら、なんとかチアシードを食べようとしていたのだが、今考えるとひどく滑稽に思える。別にチアシードを食べなくとも生きていけるのだが、おそらく旧人類の真価を発揮出来る食材ということなのだろう。これは、あくまでただの予想であるが。つまり、宇宙の言っていたチアシードは宇宙人の食べ物だという主張は全くの反対だった訳だ。そのくせ、その前に言った旧人類説とやらがピタリと当てていたのだから、侮れないやつだ。案内も終わり、しばらく、館をうろついていると入り口から姉が入ってくるのが見えた。俺を探しにきたのだろうか。メモなんて置いていくんじゃなかった。慌てて第二会議室に飛び込む。パソコンを叩いていた人達が一瞬こちらを睨みつけてきた。その中に一人見覚えのある人物がいた。確か…そうだ。宇宙の母だ。前に家に行った時に会ったことがある。俺はふと、昔宇宙が言ったことを思い出す。

「得体の知れないものは案外近くに潜んでいるんだ。」

俺が知らないだけできっと意外な人物がこの中にいたりするのだろう。何より姉から見れば俺がまさにその通りだ。


俺がしばらくここにいて分かった事について、まず旧人類が新人類の社会に溶け込む手段はワザなのだという。ペンキ塗りの職人が一切のムラなくペンキを塗ることが出来るように旧人類は意識の外側から気づかれずに人員を送る事が出来るのだという。詳しくはよく分からないがつまり俺は母のお腹から生まれたわけではないということなのだろう。


あれから数日が経った頃、寺田という細身だが、知的な雰囲気をまとっている男と見回りをする事になった。街で発狂して暴れまわっている人を処分するために拳銃をジャケットの内ポケットに入れる。ちなみにジャケットは支給されたものだ。噂ではこの寺田という男は上の人物らしく、もしかすると俺がまだ知らない情報を持っているかも知れなかった。

「どうして、こんな回りくどい方法で殺すんですか? 」

電波が新人類と旧人類を判別出来るのであれば、わざわざ、狂わせる必要もないはずだ。それとも彼らは名前の件にしろ回りくどいのが好きなのかも知れない。

「奴らを絶望させるためだよ。例えば、家族が狂ったりしたら誰だって悲しむだろ? 」

「どうしてそんなに敵対するんですか?」

「奴らが悪だからだ。地球に我が物顔で居座る人モドキには制裁が必要なんだ。」

「その…新人類と旧人類は何が違うんでしょうか?」

俺がずっと気になっていたことだ。

「信念だよ。精神も、持つものが違うんだ。」

それでは、まるで宗教ではないか。遠い国であった宗教対立による紛争と何か違いがあるのだろうか。やはり、彼らは間違っている。


目の前にいる人物と目があった。その瞬間、思わず

「あっ…」

と声が出てしまった。宇宙だ。

「ああ!翔太じゃないか!どうしたんだ。悠美さんが探してたぞ。さあ、早く帰ろう。」

宇宙が近づいてくる。

「知り合いか? 」

隣にいる寺田が俺に聞いてきた。

「えぇと…まぁはい。」

突然と姿を消し、ことの真相を掴んでから会って、そして奴らに反撃しようと計画していた身からすると少々気まずい。

「翔太、分かってるから取り敢えず帰ろう。」

分かってるとはどういう意味だろうか。

「君たち、違うんだろ? 」

心臓の鼓動が速くなる。

「どういう事だ。」

寺田が宇宙を睨みつけ、ジャケットの内に手を入れている。

「いやぁ、こいつオカルトが好きなんですよ。」

このままでは寺田は撃つ。それを防ぐためにとっさにフォローを入れる。

「オカルトじゃなくて事実だ。でも、一つ忠告しておくと君たちは上手くいかないよ。同じ旧人類だからと言って絶対的な信用で結ばれているわけでもない。共通の敵がいなくなれば次は内輪揉めだ。」

宇宙は至って真剣な顔で言った。

「どうして分かる? 」

寺田は依然、宇宙を睨みつけながら聞く。ここで、どうして分かったのだと聞かないことからこの男が高い位にいることがうかがい知れる。大物は細かいことを気にしないものだ。

「僕がここにいることが何よりの証拠だよ。」

宇宙はこれまでの真剣な顔を崩すと薄く微笑み、ポケットからストップウォッチを取り出した。彼がそのストップウォッチのボタンを押し、カウントが止まる。それと同時に寺田が拳銃を発砲した。しかし、その拳銃から発射された銃弾は宇宙の体を貫通することなく後ろの電柱に命中した。つまるところは宇宙は銃弾があたる瞬間に消えたのだ。寺田と二人で辺りを見回す。しかし、どこにも人影は見当たらない。彼は一体何者だ。二人はしばらくその場に立ち尽くしていた。


見回りに行ってくるとウソをつき、拳銃を持ったまま帰宅する事にした。結局、なんの成果も得られなかった。そういえば、世界中で光が観測されたあの日の前日、電波の動作試験が行われたとか言っていたような。市役所で誰かが言っているのを耳にしたが俺はそんなものを聞いた覚えがなかった。そういえば、新人類への憎悪の感情を抱く電波というのも効果がなかった。もしかすると、俺は電波が入りにくい体質だったりするのだろうか。数日ぶりに玄関のドアを開ける。怒られるだろうか、宇宙のことはどう説明しようか。俺が好きだった芳香剤の匂いはとっくの昔になくなっていた。リビングに入ると姉がうずくまっていた。

「おい、大丈夫か? 」

俺は急いで駆け寄る。すると

「うるさい!黙れ! 」

という声と同時に後ろに跳ね飛ばされた。

「落ち着け!」

もう落ち着くことなんてないことは分かっている。

「どうしたんだよ! 」

あの電波が届いたのだ。それ以外に理由なんてない。気づくと、俺の首に姉の手がかかっていた。必死にもがき、そして知らないうちに拳銃を発砲していた。

「あ…」

姉はお腹から真っ赤な液体が流しながら呻いている。慌てて、傷口を圧迫し、止血を試みる。それでも、血が止まることはない。カッコつけて、勝手に家を飛び出して、そんなことしなければ良かった。もっと、姉と、家族と話しておくんだった。後悔しても時間は一方通行で逆走なんてできない。

「ごめん。勝手に出て行って。」

姉を抱えながら呟く。最初に姉に言おうとしていた言葉だ。お伽話のように涙が頬に落ちると生き返ったりするはずもない。俺はただだんだん呼吸が浅くなっていく姉を見ることしかできなかった。俺はなんて無力なのだろう。結局なにもできず、自分勝手に行動しただけだ。これと同じようなことが世界中で起こっている。そう考えただけで寒気がした。別に善意なんてものではない。ましてや世界のためにとも思っていない。これはただの自分勝手かもしれない。宇宙は言っていた。君たちは上手くいかないと。あいつが何者なのかは分からない。それでもきっとあいつの言うことは正しい。人の痛みが分からない者にハッピーエンドは訪れない。拳銃を握りしめ玄関を開ける。恐れるな。屈するな。あいつらに一泡吹かせてやる。あいつらを一人でも多く殺す。それがきっと俺にとってのハッピーエンドだと信じて。

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ハッピーエンドの作り方 秋田健次郎 @akitakenzirou

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