第2話 適応力
「イヴァリス、聖都へ転移することは可能か?」
「あそこは聖なる結界で覆われているとこだから中に転移するのは難しいよ」
村から出た道端で足を止めたヴェルグスはイヴァリスに尋ねた。しかし、妹は兄の期待に応えられないことが残念なのか悲しげな表情を浮かべながらそう答える。
「なるほど。では、その手前の街へ転移することは?」
「それなら可能だよ。確か、コルネリオだっけ」
「あぁ、そうだ。あそこには我々魔界と通じる人間がいるからな」
「なんの取引してんの。それ、私知らないんだけど」
「お前の管轄ではないからな。あそこの街は奴隷商売をしている商人がいてな。度々我が城にリストをもってくるのだ」
「ええ……ってまさかお兄ちゃん既に人間の女性と!?」
「いや、その手の女性は自分で見つけるものだ。奴隷はあくまで人間界の情勢を知るためのスパイとして活用している。何も女性だけではないぞ?男性の人間もこの世にスパイとして日夜を過ごしている」
「す、すごい……お兄ちゃんがちゃんと魔王している…!」
「何だか侮蔑の意を感じるが、当然のことだ。さて話を戻すが、イヴァリス。魔法陣を組んでくれ」
「あいあいさー!」
意気揚々と魔法陣を描いたイヴァリスは、ささっと自分の魔力を通して魔法陣を完成させる。
「でーきた!多分繋がってるはず」
「多分ってお前な…」
「だ、大丈夫!きっと繋がってる!」
「…………」
自分の妹を信じてヴェルグスは魔法陣の中に飛び込んだ。飛び込んだ瞬間、身体は奇妙な浮遊感に襲われ、視界が真っ白に染まる。そして数秒後、視界が段々クリアなものになっていくと、そこには薄暗く、小汚いレンガ作りの街コルネリオがあった。
「よっと、転移かんりょー。大丈夫だったみたいだね」
「イヴァリス、これからは翼と尻尾を隠しておけ」
「りょーかい」
既に夜というのもあるが、この街はそれにしても汚いという言葉が酷く似合う街だった。魔界にもこういったスラム街があるが、街全体がスラムというのもまた珍しい。道端には行き場をなくしてダンボールを身体に纏って寒さを凌ぐ者や、裏路地を見ればそこには涎を垂らしながら男と性行為をする者もいた。
「ま、奴隷と聞いてたからこういう街なんだろうなって薄々分かってたよ」
「魔界も人間界もそう変わらんな」
「まぁね。それでお兄ちゃん、今日はどうする?今から聖都に向かっても入れないよ?」
「宿屋を探そう」
「うへえ…この街に泊まるのかぁ……」
「つべこべ言うな」
先を歩き出したヴェルグスの後をイヴァリスは肩を落としながらついていくのであった。
「いや~これは酷いもんだね~」
「聖都が近い街でこの荒れようは異常だな」
宿屋を探しながら辺りをきょろきょろ見渡すイヴァリスは改めてこの街の惨状に呆れた。2人ともこういう光景には慣れているのか、大した驚きはなくて淡々と語っていた。
「王様何しているんだろうね」
「さぁな。前会った時はそれなりの知恵を持つ男だと思っていたが……」
道端で倒れている者を見てヴェルグスは目を細める。彼は魔王ではあるが、民を愛する魔王だった。歴代の魔王は侵略こそ全て、略奪こそ我らの正義という者たちばかりで、それはもう人間界、魔界全度を含めて日夜争いが絶えることはなかった。
ちなみにヴェルグスが住む魔界は力の誇示が全てである。よって、前魔王の統制に納得が行かなかったヴェルグスは前魔王に決闘を挑み、3日間の激闘の末にこれを撃破し、魔王の座についたわけである。それから彼が行う統治というものは大変平和的で穏やかなもので、あっという間に魔界の民の信頼を集めるに至った。
ヴェルグスが据えた新たな四天王の活躍により、各地の治安は向上し、魔界は更なる発展を遂げて最近では娯楽施設が増えてきたのであったが、それはもう過去の話である。
さて、話を戻して彼は民を愛する魔王だと言ったが、それは嘘偽りのないことだ。ヴェルグス、イヴァリスの故郷である竜人の里は仲間を大事にし、それら全てを家族同然の扱いとする決まりごとがあり、それは彼が魔王の座についた時でも変わらなかった。むしろ家族が増えて嬉しいとも思えた。そんな彼がこの国の惨状を見てどんな想いで道を歩くかなど想像に難くない。それを知ってか、兄の怒りを肌でピリピリ感じる妹の方は『やれやれ』と言った具合に肩をすくめる。兄は民を大事にするが、妹のイヴァリスの方は淡白な性格であり、兄さえ無事ならば他のことなどどうでもいいと考えている。だからイヴァリスは理解に苦しむ。何故人間のことで怒りを覚えることが出来るのか、と。
「まぁまぁお兄ちゃんさ、一旦肩の力を抜こうよ」
「む、自然と肩に力が入っていたか」
「お兄ちゃんの信念は理解しているつもりだけど、そんな人間共にまで想うことなの?」
「確かにイヴァリスの言う通りだな。どうも人間の身体にいるせいか、他の人間を見るとつい、な」
「私も人間になれば分かるもんかね?」
「いや、お前の場合は無理だろう。お前の性格は最悪だからな」
「うわ、ひどーい!これでも家族は大事にしているつもりだよ?」
「家族と言っても俺だけだろ」
「まぁね」
「誇るところではない。今更お前の性格にあれこれ言うつもりはない。それはお前の良い所でもあると思っているし、正すこともしない。だからこれ以上の問答は無用だ」
「そだね。私はこれでいい。難しいことを考えるのはお兄ちゃんの仕事だからね」
「あぁ、それでいい」
それから2人は宿屋を見つけて中に入った。外見から分かっていたが、お世辞にも良質な宿とは言えない。だが、冷たい地面で寝るよりはましだと言い聞かせてヴェルグスは宿屋の店長に2人分の金を払う。
「いや~空いてて良かったね」
「ガラガラだったぞ」
「え?そうなの?」
「どうやらこの街は貧困にも苦しんでいるようだ。夜だから気にもしなかったが、これでは冒険者もいまい」
「可哀想な街だね~。王様に何か言ってみる?」
「いや、言ってしまえば奴隷の件も全て洗われてしまうだろう。いいのだ、この街はこれで」
「へえ?お兄ちゃんらしくないね」
「そうでもない。これが魔界であれば何かしら手を打ったが、あくまでここは人間界だ。人間界のことは人間界の王に任せるべきだ。この惨状に気付いていないであればそこまでの王だったというまで」
「なるほどね」
「さぁ、もう寝ろ。明日は早いぞ」
「は~い。何だかこういうのも悪くないね~。お兄ちゃんと一緒に寝るなんていつぶりだろ?」
「10年くらいだろう。それに一緒に寝ると言ってもベッドを分けているではないか」
「いいのいいの」
「そういうものか」
「そういうものなの」
満足そうに目を瞑る妹の寝顔を見て彼もまた目を閉じるのであった。
「ここからどれくらいかかるんだろ」
「ここから大体5時間ってところですかねえ」
太陽が大地を照らす中、2人は馬車に揺られていた。宿を出る時、店長に聖都へ行くにはどうしたらいいかを聞いたところ、早朝出る馬車に乗るがいいと言われたため、2人はこうして馬車に乗っていたのだ。
馬車を運転する男は久しぶりの客で更にチップを弾んでくれたせいか、上機嫌でイヴァリアスの言葉に答える。
「ところでお客さんは聖都へ何しに行かれるんです?」
「ちょっと野暮用でな」
「あ~行くなとは言いませんが、今聖都内で問題がありましてね」
「へえ、なんかあったの?」
「何でも王様が病で倒れたとか。まだ公式に発表したわけではないんですが、風の噂というやつで耳に入ってきたんですよ」
「王が病に…?確か前に会った時はそんな年老いた奴でもなかった気がするが…」
「え、お客さん。王様に会ったことあるんですかい?」
「そんなことはどうでもいいだろう。それよりもその話を詳しく聞かせてくれ」
「あっしも噂でしか聞いてないのですが、何でも王室内の過激な派閥が王様に毒を盛ったという話なんですわ」
「派閥…?聞きなれない言葉だな」
「お兄ちゃん、要は勢力だよ。例えばお兄ちゃんを支持する人や支持しない人。こう言った同じ志を持った集団を派閥っていうの」
「お嬢ちゃんの言う通りですわ。何でも犯人は一番上の兄、ゴルディス王子の派閥にいる大臣がやったとの噂」
「ふむ、何人兄弟がいるんだ?」
「長男、長女、次男、次女の4人ですな。長男は先ほど言ったようにゴルディス王子。長女は既に他国へ嫁いでおり、次男は臆病者と言われるメルクス王子。そして最後に次女のクーデリア王女がいますわ。このクーデリア王女がまた絶世の美女と言われておりましてね、更に剣の腕も凄まじいだとか」
「ほう」
「あ、お兄ちゃんの目が変わった」
「クーデリア王女はその剣の腕を見込まれて栄えある聖騎士団の団長をしております。聖騎士団ってのは犯罪を取り締まったり、近辺で悪さをする魔物を退治したりする役職ですな」
「ほうほう、俄然クーデリア王女に興味が沸いたぞ」
「へっへっへ、旦那も一度見てみるといいですぞ。きっと目を奪われるはず」
「ふふふ、なかなか良い話を聞かせて貰った。そら、チップだ。受け取るがいい」
「へへ、ありがてえ」
「あんたら鏡見なよ。今かなりゲスい顔してるよ?」
「労働には対価で答えねばなるまい?この男はそれだけの働きをしたのだ。当然のことだろう?」
「いや、チップじゃなくてお兄ちゃんの下心についてだよ」
くっくっく、と口元を釣り上げて笑う兄に対して妹は冷めた目つきでそんな彼を見下すのであった。
「到着しましたよ。ここが聖都アルカディアですわい」
「久しいな」
「あんまり来たくない場所だけどね」
「それじゃあ旦那、お嬢さん。あっしはここいらで」
「世話になったな。またいつか会おう」
「またねー!」
気のいい男は2人に手を振りながらそのまま馬車を率いて聖都へ入っていった。それに続いて2人もまた聖都へ侵入し、昨日いたスラム街とは比べ物にならないほどの人の活気に驚いた。
「これが聖都アルカディアか……」
「賑やかだね~。魔界でもなかなかないよ、この賑やかっぷりは」
「感動の一言だ。これが人が納める国というものか。ふふ、俺もまだまだ王として半人前のようだ。俺がまた魔界の王へ返り咲いたその暁には、もっと魔界を素晴らしいものにしなければならないな」
「うんうん、私も協力するよ」
「当然だ。お前は俺の妹なのだからな」
通り道には宝石店や武器屋、道具屋、食材屋、居酒屋、飲食店などなど様々な店が客呼びをしており、この街は夜もこうなのかと自然と身体がわくわくしてしまうような、そんな気持ちを抱かせた。
「あ、お兄ちゃん!あのアクセサリーめっちゃ可愛い!」
「おい、俺たちは王に会いに来たのであってそんな余裕は…」
「おねがーい…?ねえ、いいでしょ?それにクーデリア王女に手ぶらで会うわけにも行かないでしょ?何か買って行こうよ」
「むむ………仕方ないな…」
宝石店のガラスのウィンドウに齧りついた妹にねだられて、ヴェルグスは仕方なく宝石店の扉をくぐった。
「いらっしゃい」
中は黒いカーテンで光が遮られて薄暗い雰囲気が漂っていた。しかし、そんな中でも僅かなライトで照らされる宝石で作られたアクセサリーは美しい輝きを放っており、むしろこの演出がこの宝石たちに相応しいのだと思えてきた。
「わぁ……」
「珍しいお客さんだ」
「冒険者が来るのは珍しいか?」
早速アクセサリーを見始めた妹を放っておいてヴェルグスは、話しかけてきた初老の店長の言葉に耳を傾けた。
「いや、魔族が私の店に来るのは珍しいとな」
「ほう、俺とイヴァリスが魔族だとよく見抜いたな。老人、貴様は賢者か?」
「如何にも。もう昔の話だがね。今はこうして毎晩気難しい貴族を相手している毎日だよ」
「気苦労が絶えないな。ふむ、見たところこの宝石はただの宝石ではないな。普通の宝石にしてはやや値が張る」
「私の魔法の加護を埋め込んだ特別製だからの。しかし、お前さんらのような強力な魔族が装備するには少々物足らない力ではないかね?」
「俺が見込んだのは貴様の加工技術だ。どれも素晴らしい物ばかりだ。宝石というものは加工が難しいと聞く」
「そうじゃの。じゃが、そこは腕が鳴るというもの」
「なるほど、匠の技という奴か。ふふ、魔界にもこういう職人が欲しいものだ」
「魔界にはいないのかい?」
「生憎武器を作るドワーフしかいない」
「お兄ちゃんこれ!これがいい!これ私にぴったりでしょ!」
「ん、どれどれ」
店長とそんな話をしているとお目当てのものを見つけたのか、イヴァリスがヴェルグスの名を呼んだ。
彼女のところへ行ってみると、そこのガラスケースの中には雫の形をした赤い宝石の2つで対のイヤリングがあった。
「なかなかいいじゃないか。お前の美しい髪によく似合う」
「でしょでしょー!これでいいかな」
「では、お前のはこれにして。おい、クーデリア王女の物を忘れていないだろうな」
「忘れてないってば。えっと、彼女ってどういう人なの?外見とか全く知らないんだけど」
「なんと。2人は城に行かれるつもりか」
「そうだ。緊急の事態があってな。そこで絶世の美女というクーデリア王女に何か土産でもと」
店長は2人の話を聞くなり、カウンターの奥に行ってしまい、しばらくすると豪華な装飾が施された小さな箱を持ってきた。
「これを持っていきなさい。いつか王女様に手渡そうと思っていたんじゃが、なかなか機会を見つけられなくてな」
「開けてみても?」
「いいとも」
箱を開けると、中にはこの世の物とは思えないほど美しい宝石のイヤリングが収まっていた。光を受けて七色に光るその宝石は魔王のヴェルグスでも言葉を失うほどに美しく、イヴァリスも思わず笑みが零れるほどだった。
「これは……もしや今や滅多に手に入らないという幻のダイヤモンドか…?」
「左様。わしが生涯をかけて手に入れ、加工を施した一品じゃ」
「私、写真でしか見たことなかったけど、ダイヤモンドってこんなに美しいんだね……」
「あぁ、店長よ。確かに受け取った。この魔王、ヴェルグスの名にかけて必ずクーデリア王女に届けようぞ」
「ほほ、まさか魔王だったとは。光栄ですなぁ…このような老人の宝石店に魔界の賢王がおいでなさるとは」
「ほう、人間界での俺はそういう扱いなのか」
「ご存知ではなかったのですかな。かの魔王は人間との長きに渡る争いを平和的に鎮められた賢王であると、そうこの国の伝承に載っておられるんですよ」
「お兄ちゃんも偉くなったもんだね~」
「そうでもない。さて、邪魔をしたな。代金はこれでいいか」
「はい、確かに。しかし、聞いていたお姿とは違うご様子」
「訳があって今は姿を晒せぬ状況なのだ。許せ」
「とんでもない。では、お気をつけて」
最後まで魔王の威厳を隠さないヴェルグスは店長から貰ったダイヤのイヤリングをポーチにしまい、イヴァリスと共に店を後にした。
「じゃじゃーん!ねね、どう?」
「なかなか似合うじゃないか。うむ、我が妹は美しいな」
「でしょでしょー!ふふ、やっぱり宝石はいいものだよね。最近じゃ魔界でさっぱり採れないものだったけど、まだ人間界では採れるんだね」
「そのようだな。これからは人間界の職人を交えて技術発展に臨むべきか?」
「いいねいいね。こういう宝石店じゃんじゃん増やしてこ!」
「お前の趣味まるだしにはさせんぞ」
「ちぇ」
あっさり目論見がばれたイヴァリスはイヤリングを揺らしながらふてくされ、その様子をヴェルグスは楽しそうに笑う。
「なかなかこういう旅も悪くないかもな」
「そだね。いつも玉座に座ってばかりじゃやっぱり飽きるでしょ?」
「あぁ、一時期はどうなるかと思ったが、案外俺も適応力というものを持っているようだ」
「竜だもの。ありとあらゆる種族の頂点にいつもいなくちゃね」
2人はそのまま街の奥にそびえ立つ巨大な城を目指して歩いて行った。
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