(k)not the end
@NordicNomad
儀式
あなたの重荷を主に委ねよ。主はあなたを支えてくださる
(旧約聖書『詩編』55章23節)
札幌にも空襲があったのだ、と祖父母はよく語った。
北海道の中でも海岸地帯ではない地域の人々にとって、空襲とは大体が映像の向こう側にある「記録された事実」である。爆撃を受けた本州以南の大都市に比べて、工業・港湾地帯を除いた北海道は、大きな空爆を受けることはなかったと言われている。
それでも、空襲はあったと、彼らは語った。
祖父の家の前で、輪ゴムで飛ばす飛行機模型で遊んでいたことがあった。自分が子供の頃だから、おそらく高度経済成長も終わり、戦後も30年以上を経過していた時代である。それでも、輪ゴムで飛ばすおもちゃの飛行機は、戦前の零戦を模したものだったと記憶している。
秋、あれはオンコの実が実っていた時期だったと記憶している。祖母がそんな自分を見て、薄笑いを浮かべながら口を開いた。
「あんたはいい時代に生まれたねぇ、それで遊んで」その薄笑いは話している最中にも消えなかった。「戦時中はね、アメリカの戦闘機が飛んできてさ、機銃でバリバリバリと撃ったんだよ。もうおっかなかった。そんな道路の上で遊んでいたら撃ち殺されるんだよ。札幌でも一人死んだんだから」
子供心に、機銃で撃たれるとはどのようなことか、想像はつかなかった。ただ、祖母のその表情と、異論を許さない佇まいに、何かしらの居心地の悪さと煩わしさを感じたことだけが、いつまでも記憶に残っている。
戦争といえば、祖父母は大正中期の生まれであり、その青年期を戦争に重ね合わせた世代であった。
「じいちゃんは戦争にいかなかった」と自分は母親に言い聞かされていた。おそらく母親は祖父母にそう言われていたのだろう。そして自分もそれを疑わず、祖父は人殺しをしていなかったのだ、と無邪気に考えていた。
幾らか事理がわかるようになって、なにやら祖父の過去が一度気になったことがあり、しかし祖父本人には聞けずに、祖母に間接的に聞いた。
「じいちゃんは営林局の人だったから、道北の方に食糧生産の仕事へ行っていたんだよ。内地の方には行ってなかった。ばあちゃんのいとこは輸送船に乗って…」
祖母の血族の戦死譚はその頃までに嫌になるほど聞いていたので、そこから先は流し、ふん、そうなんだと生返事をした。その時も、何やら安堵した感覚があった。
子供の頃の視野というのは恐ろしく狭い。チラシの裏に絵を書く事が好きだった自分は、いつも祖父母の家に行くと赤青色鉛筆で絵を書いていたが、成長するにつれてサインペンを使いたくなった。たまたまその時一階の茶の間にはペンがなかった。自分は二階に祖父の書斎がある、という事実を思い出した。祖父は書道の免許を持っており、自作の書を作る場所がそこにはあった。
急な階段を登って二階に上がり、書斎に上がると、そこには見たこともない書道の道具と、本棚、新聞の集積体があり、中心にストーブが置かれていた。まだ小学生ころの時分である。ペンらしきものは見つけたものの、それ以外の物には無味乾燥さしか感じていなかった。
「おい、そこに誰かいるのか」
びくりとして自分は振り返った。祖父が階段を登っていた。階段の窓から差し込む逆光で顔はよく見えなかった。ペン探してたと自分は返した。そうか、あったかと祖父は聞いた。自分は頷いて手に握った赤ペンを見せた。
「階段が急だからあまり登るなよ」
祖父はそういって、下に行くぞと自分に促した。自分は頷いて階下に向かった。
後年、自分の父親が急死して気落ちした祖父は、その階段で足を滑らせて転び、背中を痛め、入院して、肺炎をこじらせて他界することになる。
祖父が灰になったあと、青年に達していた自分は祖母の住むその家を幾度となく訪うた。祖母は祖父恋しさを自分にぶつけ、いつも祖父の話をして、あんたが生きている間は面倒を見なけりゃいかんから生きてるよ、と恩着せがましい言い方をした。父親にも受け継がれていたその言い方を自分は疎ましく、哀れにも感じていた。
ある日、ふと思い立って祖父の書斎を見てみたくなった。本人が死んでしまった今、主人不在の書斎を見ても誰も怒らないだろう。そういう卑怯な、しかし昂揚した心持ちで、自分は急な階段を上がり、そこへ足を踏み入れた。
足を踏み入れて見回して、あっ、と声が出てしまった。
様々な物が積み重なった机の上、子供の頃には見えなかった額縁に入っていた賞状のようなものが目に入ったからだ。そこには書かれていた。「支那事變従軍記章之證 一等兵」と―。
そこからは止まらなかった。机の引き出しを開けた。その中には今まで見たことのない祖父の青年時代の写真があった。戦友らしき同年代の男性と「酒保ニテ」と題して笑顔で写っている写真。小隊集合写真。戦後没した戦友の命日を記したノート…。
祖父は兵士だった。おそらくは北海道から中国に渡り、あの支那事変で、中国の兵士と殺し合いをしたのだ。
やがて祖母が没した。祖父よりもだいぶ長く生きた。葬儀のために札幌に来ていた年の近い従兄が、寂びを感じて書斎に登った自分に並んで、壁の賞状を見た。
「じいちゃんこの戦争に行ったんだなあ。全然話してくれなかったぞ」
その言葉に、なぜか自分は瞳が潤むのを感じた。
祖父が抱えたある種の孤独を、祖母以外の誰も、いや祖母でさえ、根本的に癒すことはできなかったのではないか―。
夏が来ると、あの居心地が悪くなる祖母の「愚痴」は、恐らく祖母が抱えた悲しみと痛みを、祖母なりのやり方で解消していたのではないかと今では思う。それを疎ましいと思っていた自分はやはりまだ幼かったのだろう。果たして祖父はどうだったのだろうか。恐らくは無心で書に勤しんでいたとき、何かが彼の心に羽根を生やしていたのかもしれない。自分はと言えば、墓参りは嫌いだが、こうして毎年彼らを思い出すことは止められずにいる。
(k)not the end @NordicNomad
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