時系列(1945年3月29日~5月4日)超重戦車E-100Ⅱの戦い 前編 マムートの初陣

3月29日(木曜日)曇りのち晴れ

パーダーボルン市のクルップ社の工場から鉄道移送

 午後6時 平床貨車に積まれたマムートと無蓋貨車に載せた備品は、パーダーボルン市の工場から鉄道輸送でベルリン市のクルップ社へ向けて移送開始。

(移送は夜間のみ)


4月2日(月曜日)晴れ

マグデブルク鉄橋手前の退避線

 午前4時半 エルベ川のマグデブルク鉄橋手前の退避線で、年輩の熟練工員の3人が脱走。しかし、残った若手工員3人で移送を継続。


4月5日(木曜日)曇り

ブランデンブルク市のオペル社の工場

 午前4時 ソ連軍が接近するベルリン市のクルップ社を避けて、ベルリン市西方のブランデンブルク市のオペル社の工場へマムートは運ばれた。


4月7日(土曜日)曇り

ブランデンブルク市のオペル社の工場

 午前6時 形にされた砲塔と主砲と装備部品がベルリン市のクルップ社の工場から運ばれる。

 以後、4月29日まで、砲塔の作動試験と主砲の取り付けの調整と加工修正が繰り返えされる。

(マグデブルク市がアメリカ軍に占領される)


4月20日(金曜日)曇り

ベルリン市のシュパンダウ地区

 中学校最終学年の14歳と15歳のヒトラー・ユーゲント隊員達は召集されて、接収された小学校で国民突撃隊の兵士として軍事訓練を受ける。

 携帯火器の取り扱いと体力作りのみの応急的で簡易な軍事教練は、4月23日まで授けさせられた。


4月24日(火曜日)曇りのち俄雨

ベルリン市のシュパンダウ地区の大通り

 午前6時 携行食糧が配れ、ヒトラー・ユーゲントの隊員は小学校から大通りの交差点へ移動。

 午前7時半から午後5時 交差点に路面電車を並べてレールの杭で固定する。

 守備場所の大通りの爆弾穴で就寝。


4月25日(水曜日)曇りのち晴れ

ベルリン市のシュパンダウ地区の大通りの塹壕

 午前7時から午後3時 固定した路面電車を瓦礫で固めて対戦車障害物として完成させる。

 午後3時から午後6時 守備場所の爆弾穴に塹壕を掘る。

 午後6時半 ファストパトローネが配られる。


4月26日(木曜日)晴れ

ベルリン市のシュパンダウ地区の大通りの塹壕

 午後3時 塹壕線がソ連軍に砲撃される。

 午後3時半 路面電車を圧し潰した敵の戦車と歩兵が攻撃して来くる。

 塹壕に潜むヒトラー・ユーゲント隊員達は、アルを残して全滅。

 午後3時40分頃 アルはファストパトローネで反撃してソ連軍の動きを停める。

 午後5時頃 大道りから逃げたアルは、西方へ逃れる避難民達に紛れてベルリン市を脱出。

 携行食糧の残りを齧りながら、避難民達と共に夜通し西方へ歩く。


4月27日(金曜日)曇りのち雨

シュパンダウ地区からブランデンブルク市の大学病院へ

 午後5時過ぎ、漸く辿り着いたブランデンブルク市の大学病院で、炊き出した食べ物が配られる列に並ぶ。

(ベルリン市のシュパンダウ地区が、ソ連軍に占領される)


4月28日(土曜日)雨

ブランデンブルク市のオペル社の工場

 午前7時半 陸軍病院で手当てを受けたメルキセデク軍曹が、ダブリスに懇願されてマムートの車長になる。

 午前8時 アルはブランデンブルク市の大学病院の玄関脇に居るところを、ダブリスと車長のメルキセデク軍曹にオペル社の工場へ連れて来られる。

 午前10時 マムートにアンテナを取り付けて無線機の送受信を調整する。

 ラグエルとイスラフェル・バッハは、装填を想定した訓練を繰り返す。

 午後1時 工場の車内残存品倉庫と輜重部隊の倉庫へメルキセデク軍曹と一緒に行き、機銃と携帯火器と弾薬に食料品と生活用品を調達する。

 午後4時 メルキセデク軍曹と一緒に同軸機銃と対空機銃を取り付ける。

(ゲンティン駅から西方への次の駅になるブルクの町で、共産主義者達と民主主義者達が、南方からのソ連軍を無抵抗で向かい入れる)


4月29日(日曜日)曇り

ブランデンブルク市のオペル社の工場

 午前7時 戦闘糧食とマムートの迷彩用塗料の調達。

 午後2時 修正された砲身が砲架に組み込まれる。

 午後4時 砲塔が車体に載せられる。

 午後4時半から6時 5人で迷彩塗装をマムートに施す。


4月30日(月曜日)曇り

ブランデンブルク市のオペル社の工場からゲンティン駅へ

 午前8時 砲手のバラキエル・リヒター伍長が連れて来られる。

 午前9時 主砲の点検操作と稼動試験と仮標準調整。

 午前10時から12時 工場のリフトを使い、弾頭と装薬筒をマムートに積み込み作業。

(徹甲弾頭25発、榴弾弾頭5発、装薬筒30本。規定より5発分多く搭載する)

 午後1時から午後4時 工場敷地内で機動訓練。

 午後4時 平床貨車へマムートを積載する。

 午後7時 避難列車に連結してゲンティン駅へ移動開始。


5月1日(火曜日)薄曇り

ゲンティン駅の駅前広場

 午前2時半 マムートを摘んだ平床貨車がゲンティン駅に到着。

 午前3時半 平床貨車から貨物用プラットホームへ、其の後、駅前広場へとマムートを移動させる。

 午前4時半から6時 明るくなりきる前に伐採した街路樹の枝で、マムートをカモフラージュする。

 午前6時から9時半 2台のクレーン装備の牽引車が協力して、無蓋貨車から備品を降ろし、戦闘用履帯を伸ばして並べる。そして、履帯もカモフラージュする。

 午前9時から午後6時 敵機の襲来を警戒しながら、外側転輪を取り付ける。

(ブランデンブルク市がソ連軍に占領される)


5月2日(水曜日)薄曇り

ゲンティン駅の駅前広場

 午前6時半 無線機で聴いていたラジオ放送が、総統はベルリン市の市街戦で戦死したと報じる。

 午前7時から午後6時 上空を通過する敵機に警戒して作業の中断を繰り返しながら、戦闘用履帯への交換作業。

(ベルリン市全域がソ連軍に完全制圧される)


5月3日(木曜日)晴れ

ゲンティン駅の駅前広場

 午前7時から午後6時 前日からの戦闘用履帯への交換作業を完了させ、砲塔側面のフックに予備履板を装備する。

(午後5時過ぎ 夕暮れの薄明かりの中を歩くビアンカと家族がいる避難民の列を、ソ連戦車隊が横断して行き、其の際に、母が足に怪我を負ってしまい、陸軍の野戦病院へ運んだ母の付き添いで父が残った。そして、両親はビアンカに妹と弟と共にエルベ川を先に渡っているように指示する。それで、ビアンカ達三人の子供は両親と別離してしまう)


5月4日(金曜日)曇りのち晴れ

ゲンティン駅の駅前広場からアルテンプラトウ村の駅舎前へ

 午前6時から午後2時 カモフラージュの補完と整備確認と休養。

 午後2時 低い千切れ雲が多い空を対空監視しながら、フェアヒラント村を目指して低速で移動開始。

 午後4時半 アルテンプラトウ村の駅前から、東隣のブラッティン村へ進出したソ連軍の威力偵察隊を撃破。

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超重戦車E-100Ⅱの戦い 前編 マムートの初陣(フェアヒラント村 1945年5月7日) 遥乃陽 はるかのあきら @shannon-wakky

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