照治がひどく感心した顔で辺りを見渡し、壁に手を当てて撫でる。幹人も彼と同じようにしながら、思わず小さく唸ってしまった。


 本当に美しいのだ。


 ダンジョン内通路の垂直な壁は、階段と同じく銀色一色で、驚くほど滑らかな面をしている。指にひっかかる感触がまるでない。

 そして何より、どこにも継ぎ目などが存在しない。

 水平な床と天井も同じだ。滑らかなそれらには、行く先のどこまで、どれだけ目を凝らしてみても、本当にわずかな継ぎ目の一本も見つけられない。


「ブロックやパネルなんかを組み合わせて構成したんじゃなくて、一つの巨大な金属塊の中をくり抜いて作った……みたいな、そんな感じに見えますね……それがこの規模で、この表面の滑らかさ、クオリティで……! うーわあやべえなあ……」


「地球じゃ、なかなか、お目に、かかれない、タイプの美を、感じます……ね……!」


 犬塚と魅依も夢中で壁面やら床やら天井やらをうっとり見つめている。

 デザインとしてシンプルかつ圧倒的な一貫性があり、とかく美しい。


「あの、ごめんなさい、私、皆さんの感動にちょっとついていけてないです……」


 ザザが申し訳なさそうな顔と声で言った。多分、彼女の感覚の方が普通なのだろうが、残念ながらオオヤマコウセンにおいては少数派になってしまうのである。

 悲劇という他ない。


「おっと、すまんすまん、見とれてないで探索をしなければな。しっかし、あれだな、資料に書いてあった通り本当にこのダンジョン、照明がいらねえんだな」


 照治が改めて周りをぐるっと見渡しながらそう言った。


 美しい銀の壁・床・天井は、なんとほのかに発光しており、そのおかげでこのマヤシナ・ダンジョン内部は自前で明かりを点ける必要がない。


「助かるは助かりますよね、視界が悪くないっていうのは。じゃ、とりあえず進みますか」


 犬塚がそう言いながら、シキを先行させながら通路を歩き始める。一同もそれに倣い、ダンジョンを少しずつ先へと進んでいく。

 足音や声はあまり反響しない。このダンジョンを構成する素材は、どうやら吸音性が高いらしい。

 やがて一本道は終わり、T字路に行き着いた。多数決の結果、右に行く。

 しばらく歩けば、今度は三叉路。また多数決を取り、真ん中のルートを選ぶ。すると、途中で学校の教室程度の広い部屋を通ってから、今度はY字の形の分かれ道。一行は左へ舵を取ってみる。


「照兄、俺もうとっくに入り口の方向がどっちなんだか、ぜんっぜんわかんないぜ!」

「お前はほんと、方向感覚わりと死んでるよな……。俺はまだわかるぞ」

「え~? ……えーっと、…………わかった! あっち?」

「反対……とまでは言わんが、九十度ズレとるわ馬鹿野郎」


 照治は悩ましげに首を振った。


「さ、最近の、脳科学の研究、では、人間は、どこかへ向かう時、脳内の特定の部位が、進むべき方向を示す信号を、発生させている、という事がわかってきた、らしいです、よ。そのような記事を、見た記憶が」


 隣から解説をくれたのは魅依だ。


「え、じゃあ、その信号を上手く発生させられる脳だったら方向感覚に優れてて、そうじゃなかったら方向音痴って事? 方向音痴ってがっつり脳機能の問題なの?」

「う、うん。その研究では、そんな結論が出てる、らしいね」

「わーお。その脳機能、鍛えられないのかなあ……。鍛えられなかったら俺はずっと方向音痴のままかなあ……。……でも、街中とかなら迷っちゃってもすぐ人に聞けばいいわけだし、いっか!」


「幹人、お前はちょっと、自らの発達したコミュ力に頼りすぎだからな」


 苦笑しながら、兄貴分は釘を刺してくる。


「話しかけたヤツがわけのわからん危ない人間だったらまずいだろう、特にこんな異世界じゃその可能性も高い。大人しく、方向音痴じゃない人間と一緒に出かけるようにしろ。……三峯、お前はどうだ?」

「え、えと、私は、その……あ、あまり、迷ったりとかは、しない方だと思います!」

「だそうだ、幹人」

「頼もしいぜ」


 幹人がそう言うと、魅依は何度かガクガク頷いて、「頑張ります!」と意気込んでくれる。


「……方向感覚なら、私も自信があります」

 そこで話に入ってきたのはザザだった。


「ずっと一人で冒険者をやっているような人間は、もれなく方向感覚良いんです。なぜなら、そうじゃないと死にますので」

「さすが、厳しい世界だ……」


 ギルドなどを組んで複数人で動くのでない、完全にソロでやっていく冒険者は様々な能力が高い必要があるのだろう。

 改めて、ザザはスペシャルな人間なのだと実感させられる。


「じゃあザザは、街とか森とか、それこそこういうダンジョンとかでもあんまり迷ったりしないんだ」

「はい、かっこいいザザ・ビラレッリですので。…………ああ、ただ」


 ザザがすっと手を挙げた。それを見て、全員歩みを止めて各々の武器を構える。

 敵が来た、その合図だ。ザザは聴覚などの各種感覚も鋭いのだ。

 数秒後、前方の曲がり角から現れたのは空飛ぶシルエット。


「……あ~、資料に描いてあったヤツ!」


 絵で描かれたものと同じ姿形に、思わず幹人は声を上げた。

 それは、真っ赤な色をした立方体である。大きさはバスケットボールくらいだろうか。

 数は、計三体。時折くるくる回転しながら、宙を滑るように浮遊移動。こちらへ向かってきている。


「みたいですね。変な魔物です」


 幹人の叫びにザザは頷き、一人、臆する事なく大股で前へ進む。

 クベットと名の付けられたあの空飛ぶ立方体こそが、このダンジョン内で現れる魔物だ。

 王の資料によれば、確認された限り、このダンジョンでは魔物はクベットしか出現せず、また、このダンジョン以外でクベットが出現した事もないという。


「私が始末します、アツシさん、シキで皆さんを」

「おっけー!」


 犬塚の操るシキが星命魔法で防御壁を展開しつつ、自らの身体で盾となってくれる。

 その間にもずんずん前へ進むザザ。背中に担いでいた愛用の武器は既に抜き放たれ、その手に携えられている。


「キイィィッ……!」


 一体のクベットが高い電子音のような声を上げ、弾かれたように加速してザザに体当たりを仕掛けた。あれがクベットの主な攻撃方法の一つである。シンプル極まりない。

 他の二体は自らの周囲に土塊を発生させる。体当たりに加え、土塊を撃ち出す攻撃もしてくるらしい。

 しかし、両方ともザザに通じるようなものではなかった。


「……フッ!」


 体当たりを仕掛けてきているクベットへ、鋭く息を吐き、まるで瞬間移動のような速度で肉薄したザザは、武器を持っていない左手で力強いフックを叩き込んだ。

 甲高い音と共にクベットがあえなく砕け散った時には、既にザザはもうそこにはいない。

 土塊を用意していた残りの二体へ突進。攻撃を撃たせる暇など与えずに、勢いを殺さず握った大棒を振って、二体をまとめて叩き砕いた。

 バギャアアンッ! という、えげつない音が鳴る。


「ブラボー!」「最高!」「キレッキレ!」「すごいです……!」とメンバーが拍手と共に賛辞を送ると、


「いえ、こんなの別に、全然大した事ないので……か、かっこいいザザ・ビラレッリですので……」


 照れくさそうにザザはそんな風に言った後、咳払いを一つして表情をいつものクールな顔に戻した。


「…………ただ、さすがに、ですね。私も、こうやって魔物と何度も何度もやりあっているとそのうち、自分の感覚だけではどっちの方向が自分の来た方だったかとか、行きたい方だとか、ちょっとわかんなくなってきちゃいます」

「うーん、まあ、そうだよね……」


 無理もない事だ。そう考えるとやはり、方位磁針の使えない上に構造が一日で入れ替わるという、このダンジョンの特質は厄介だ。


「あ、ところで、探していた場所があるみたいですよ。あっちに見えます」

 クベットがやってきた曲がり角の向こうを指さしてザザがそう言えば、素早く照治が反応する。


「何!? 行くぞ!」


 彼に続いて全員小走り、途中でザザも合流してそこへ向かう。


「お、……おお!」


 照治が歓声を上げる。辿り着いたのは、銀色に光る通路の中、一定領域だけ違う色に染まった場所だ。

 通路の幅や高さとちょうど同じくらい、五メートルほど続くその区間は、床と天井が艶のない黒に染まっている。


「照兄、資料にあった『不変領域イミュータブルゾーン』、ここの事だよね……!」

「おう、だな! ひとまず、これで目的は達せられそうだ――ダンジョン内部構造の再構築を、この眼で見る事が出来る」


 この『不変領域』は、ダンジョンの内部構造が再構築される際も、そこだけは変わらずそのままの状態が保たれるエリア、らしい。

 王に貰った資料に記されていた事なので、信頼出来る情報とみていいだろう。


「ダンジョン再構築のとき、この『不変領域』じゃないところにいたらさ、要するに再構築の時の変化に巻き込まれちまうわけだよな」


「それで死亡した例も数多くあるそうですよ。絶対に避けなければなりませんね」


 犬塚の呟きにザザがそう続けた。恐ろしい話だ。


「……え~っと、時間は」


 幹人はツナギの胸ポケットから異世界時間調整済み時計を取り出し、時間を確認する。


「再構築まで、あと一時間半くらいあるね」

「よし、とりあえず順調に『不変領域』を発見出来たとしていいだろう。あとは適当に時間を潰し、その時を待とう」


 照治がそう言った通り、一行は『不変領域』から遠く離れない範囲で、ダンジョンを見て回る。

 空飛ぶ赤い立方体の魔物・クベットにも遭遇するが、ザザはもちろん、犬塚の操るシキや魔導杖を使った幹人たちの魔法でも問題なく撃退出来た。


「しっかし、これ魔物なのかな……? 生き物っぽさが薄いっていうか……」


 改めて撃ち落としたクベットの死骸を確認してみると、無機質な赤い破片が散らばっているのみだ。血やら内臓やらが見当たらない。

 訝しんでいると、隣で魅依も同じように思案顔をしている。


「魔物、というよりは、…………防衛、機構の、ように、思える、かな……」

「防衛機構……。つまり、このダンジョンは魔物の巣とかじゃなくて」

「うん……。高度な、文明による、人工物めいている、気がする」


 魅依のその推論には、幹人も賛成だった。


「そうだよね……。階段の事とかもそうだし、このダンジョン内部のシンプルなデザインもさ、動物とか魔物が作った自然の美しさっていうんじゃなくて、人工物の調和的な美しさだよね」



「うん。……ここ自体、もしかして、ジーリン・アッドクライムと、何らかの形で、関係した施設、なんじゃ、ないか……っていうのは、希望的観測、かな」


「いや、その線は十分あると思う。ジーリンについて誰より詳しいっていう国王が出してきた依頼が、ここの攻略っていうのも、そう考えてみれば繋がる話だ。ここの最下層にあるっていう宝物が、なんかジーリンが世に流通させなかったような凄まじい魔道具だったりして、それを国益のために欲しがってる、とか」


 そんな話をしながらも、時間は過ぎていく。

 ダンジョン再構築がいよいよ迫ってきたので、一同は『不変領域』の中に集まり、待機する。







 そして、その時は訪れた。照治が興奮気味の声を上げる。


「……始まったぞ!」

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