「遅くなりました、ご確認をお願いします」

「あなたは……はい、では失礼しまして」


 翌日、幹人が一人訪れたのは協会支部だ。冒険者登録に必要な兎討伐の証拠が昨日の魔導杖試運転で揃ったので、とりあえずとやって来たのである。

 以前に対応してくれた受付嬢、リュッセリアに兎討伐の証である牙を三組手渡すと、彼女は手際よくしっかりとチェックした後、感心したように頷いた。



「はい、間違いありません。……依頼、達成です!」



 ぐっと握りこぶしを両の手で作って、にっこり笑う様が可愛らしい。


「やたっ、ありがとうございます!」

「……ええと、こう言ってはなんですが、その」

「いいんですいいんです、意外でしょう。日数もだいぶ経っちゃってますし」


 依頼を受けてから三十日近くが経過しているので、普通に考えればもう諦めたものかと思うところだろう。


「すみません、不見識を恥じます。……では、手続きをしてしまいましょう!」


 その後、書類にサインをしたり手形やら指紋やらを取ったりと細々とした事務作業が進む。





「後はほんの少し待っていてもらえれば、冒険者証ができ上がりますので」

「はい。……あ、そうだ。じゃあその間に……ちょっとお聞きしたい事があるんですけど、いいですか?」


 少しだけ声を潜めた幹人に、リュッセリアは合わせるようにして顔を近づけてきた。


「……なんですか? 秘密のご相談とか?」

「いえ、秘密っていうか、おおっぴらに聞きまわるのも失礼だなって話で……ザザの事なんですけど。ザザ・ビラレッリ、今、俺たち、彼女のお世話になってて」

「あ、はい。そんな噂は聞いています」


 特級冒険者ともなれば有名人だろうし、そんな彼女の家に変な奴らが住み着いたとなればそれは噂にもなるだろう。


「それでですね、……彼女のお父さんってどうされているんですか? 本当に全然、帰ってきてない? なんか色々あるみたいで、ザザに聞くのもちょっとなあっていう感じで……リュッセリアさん?」


「……え、……と」


 多少の予想はしていた。答えづらいだろうなあという想定くらいは。

 だがリュッセリアがその顔に見せた表情は、明らかにこちらが身構えていた範囲を逸脱するものを予感させる色をしていて――それは、負の方向に。





「ザザさんのお父上、リジア・ビラレッリさんはもう、亡くなられています」


 そして彼女は、そんな事を言った。


「……や、待った。……ごめんなさい、え、……もう一度、お願いできますか?」







「……はい。ザザさんのお父上は既に亡くなられています。三年前にご病気で」


 至近距離で受けた言葉を思わず聞き返す幹人に、リュッセリアはそれも仕方ないといった顔で、そんな風に詳しい情報を足した上でもう一度繰り返してくれた。


(……死ん、でる。…………死んでる? ……そんなはず、いや、だって、ザザはお父さんを)


 待っている、そう言っていたはずだ。会わなきゃいけないとも。

 では、彼女は父親が生きていると信じている? そう信じられるものがあるのかそう信じなければやっていけないのか、どちらの理由かはともかく。


 危険な依頼を受けているのも彼を探し回るためとか、そういう事か?

 それならば、それならばまだ、それは前向きな話だ――だが。


「っそ、れは、確か、なんですか?」

「ご遺体は、私も含め葬儀の時にたくさんの人が見ています。もちろん、ザザさんも」

「…………そう、です、か」


 とりあえず通り一遍の情報だけでもという気持ちで聞いたところに予想もしていなかったボールが飛んできたせいで、うまく口も頭も回らない。


「……ザザさんが無茶な依頼ばかりを受けていくようになってしまったのはそれからです。何度も何度も、お止めはしているんですが」


 語るリュッセリアも暗い表情で、それはそうだろう。彼女は多分、自分たちよりもザザとは付き合いで言えば長いはずだ。


「二、三日前にも、またものすごく危ない依頼を受けていかれました。……多分、今日か明日にでも出発されると思います。……私には、それを」


 止められない、とは口惜しさゆえか、最後まで言わずにリュッセリアは言葉を切って下唇を噛んだ。



 その後、当然のように会話は弾まず。

 気がつけば、幹人の手には冒険者証が手渡されていた。その小さな金属の板にはこの国の言葉で幹人の名前や五等となる冒険者ランク、それからブレイディアというこの街の名前やらが掘られていて、本当ならやっと手にした身分証に喜びの声を上げていたはずだった。


「その……おめでとうございます。これで、ミキヒトさんは文句なしに冒険者ですよ」

「あ、はい……」


 それから、協会支部を後にするまでどんな受け答えをしたのかはあまり覚えていない。



 ただ、帰りしなの幹人へ「……なるべく、傍にいてあげてくれませんか」と言ったリュッセリアの言葉は、耳の奥深くに突き刺さっていた。


 ザザの屋敷に帰る道すがら、街中は髪色服装様々な人々の賑わう声、彼らのかじる料理の匂いなんかに満ちて、今日も色鮮やかだ。

 だが、幹人の意識はそんな外側には向かない。


 今さっき聞いた話と、昨日彼女が言った言葉や見せた表情が頭の中でごちゃごちゃになっている。


(……ああ、…………ああ、くそ)


 それでも、それなりに働く頭は最も論理的に筋道の立った結論を導き出してはいた。


『ザザさんはお一人でここに住んでるんですか? そのお父さんは……』


『待ってるんだけどね』



 それは、確か彼女と初めて会った日、父親について聞いた咲との受け答え。



『父に、会わなきゃいけないんです。待ってるんです、私は。だから、依頼を。私は、だから』



 これは、つい昨日の言葉。

 よくよく思い出して見れば彼女は、言っていない。

 待っているとは言ったが、『父を』と『待っている』をぴったり繋げて自分で口にした事は、一度も。

 嘘を吐いたわけでも本音を言ったわけでもない、その微妙な外し具合が彼女らしいと、そんな風に思ってしまった。

 そう思うからには、幹人の中で結論は既に出ていた。

 彼女は、父親を待っていたわけではないのだ。彼女が待っていたのは――。


「……いや、…………いや、いや」


 やっぱり、知らな過ぎる。とにかく事情がわからな過ぎる。

 特に、ザザと彼女の父の間に間に何があったのか。こじれていたのだろうなという事は想像が付くが、どういう絡まり方なのか。そういう事がわからな過ぎる。

 彼女に直接聞いてみるのはもっての他だろう。なら、もっと街の人たちに。


(……それから、屋敷をもうちょっと漁るのもアリだな)


 日記かなにか出てきたならしめたものだ。故人のそれを勝手に見るのはマナーどころかモラル違反だろうが、状況が状況なので許して欲しい。




「あれ、てか……そう言えばなんかあったよな」


 ビラレッリの屋敷へ帰る足を早めながら、そんな呟きが口から溢れる。そうだ、確か、魔道具が山と置かれた部屋を掃除していた時に、紙束が出てきた気がする。その後の照治との盛り上がりですっかり忘れていたが。


 もう一度しっかり見てみようと心に決めて、とにかくと幹人は足を動かした。

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